33.ローザリンデと呼んで下さい

 緊張が抜けないお茶会は、表面は和やかに進む。彼の注いだ紅茶に口をつけ、代わりにお菓子を取り分けて渡した。


「アウエンミュラー侯爵令嬢、僕に何かお話があるのではありませんか?」


 切り出したのは、ヴィクトール様の方だった。私が突然動いたので、そう思われたのかしら。これだけで、この方が生きてきた環境が分かるわ。常に敵ばかりに囲まれて、厳しい環境におられたのね。だから他人の思惑や考えを探ってしまう。


 ただ親しくなって有利にしてもらおうと考えた自分が、とても幼く思えた。そのせいか表情が柔らかくなる。


「ローザリンデと呼んで下さい。私にヴィクトール様のお名前を呼ぶ許しをくださったんですもの」


「では、ロ……ローザリンデ嬢」


 なぜか照れて赤くなったわ。年上なのに、子どもの相手をしてるみたい。微笑ましくなって、はいと頷いた。そこで、彼の質問に答えていないことに気づく。


「お話があるか、でしたわね。お渡しした申請書の提出は、いつになりそうですか?」


 運命を委ねた以上、さほど心配はしていなかった。受理されない理由もないし、不備がないことも確認している。提出して承認されるまでの期間が気になっていた。だけど、今尋ねるなら提出のタイミングだろう。冷静に判断しながら、彼の答えを待つ。


「ラインハルト、国王の返事待ちです。彼の都合がつき次第、夜中であろうと僕が直接手渡ししますのでご安心ください。もちろん承認するよう、彼に頼みます」


「え?」


 そこまでしてくださるの? 精々が使者を遣わして渡す程度だと思った。それだけでも、他の貴族の手を介しないことで安全性が高まる。大公閣下が、直接? 国王陛下に手渡しですって?


「そこまで……」


「当然です。ローザリンデ嬢が僕を頼って、大切な書類を託してくれるのですから。その信頼に応えるのは僕の役目です」


 驚いた私は次の言葉が見つからなかった。この方は、国を興せるほどの権力を持っている。実力も伴う、高貴な家柄の筆頭に名を連ねる人なのに。古いだけで今は没落しそうな、アウエンミュラーの未婚令嬢のために、自ら動くというの?


「あり、がとうございます」


 絞り出したのはお礼の言葉。それ以外に浮かばなかった。取引もなしに私の願いを聞いてくれたのは、アンネだけ。前世も今の人生も含めて……二人目の親切だった。


「僕はただ……いえ、何でも」


 真っ赤な顔で俯くヴィクトール様の後ろで、執事が渋い顔をしている。私やアンネと目が合い、戯けた仕草で肩を竦めた。主人の何かが気に入らないみたいね。使用人である執事がそうした態度を取れるほど、仲が良好なのは彼の人柄かしら。


 ヴィクトール様は愛されて育ったみたい。悲しいような、不思議な感情が湧き起こった。わかってるわ、持ってる人を羨んでも何も得られない。でも感じるくらいいいわよね? 表情や言動には出さないから。


 手元に置いた皿の焼き菓子をひとつ、口に入れて味わう。まだ照れているヴィクトール様を見つめ、醜い自分を誤魔化すように笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る