29.あなたと出会えたことが私の財産よ
「アンネ、書類を頂戴」
「はい」
隠した本を開いて取り出した書類を、ベッドに横たわる私の前に差し出す。受け取った書類は、日付を書き込めば提出可能だった。渡そうとして迷う。
信じて大丈夫? 私から書類を取り上げるつもりかも知れないわ。レオナルドの敵だとしても、私の味方とは限らない。捨てられても、一度作った書類を作り直せばいいけれど……。ごくりと緊張で喉が鳴った。
アンネはじっと私を見ている。手元の書類ではなく、私だけを。だから視線を合わせた。小さく頷くアンネの口元が綻ぶ。信じていると匂わせる彼女は、私を後押ししてくれた。そうよね、あのレオナルドから助けてくれたんだもの。一度は信じてみよう。
裏切られたらここから逃げて、今度こそ二人で頑張りましょう。私達は二人で戦うつもりだったんだから、何も失う物はないわ。じっと待つヴィクトールへ、揃えた書類を渡した。
「確かにお預かりします。体調が良い時なら、ラインハルトのところへ同行していただいても構いませんが、今は無理そうですね。アルブレヒツベルガーの名にかけて、必ず国王陛下に届けましょう」
「お願いいたします」
肩書きが戻れば、アウエンミュラー女侯爵として国王陛下に拝謁する。それまでに体調を整えなくてはいけないわ。ヴィクトール様が何を望むのか、それまでに見極めてお礼を考えましょう。一度覚悟を決めたのに迷うなんて、私は弱いわね。
苦笑いを浮かべた私へ、ヴィクトール様は静かに言い聞かせた。
「まずは体を治して、心はその後です。ゆっくり休めるよう手配します。アンネは専属侍女として、この部屋で一緒に過ごすことを仕事にしましょう。あなたの気持ちが休まるように」
命じることも出来る立場を振りかざすことなく、私やアンネの希望を叶えていく。魔法のようね。人を呪う呪術を操ると聞いたのに、噂と全然違う。何度目かわからないお礼を口にして、私はぎこちなく笑みを浮かべた。
驚いたように固まった後、ヴィクトール様は右目を手で覆った。痛むのかと首を傾げる私に首を振り、安心させるように微笑んだ。
「ではお休みください。移動で疲れたはずです。夕食にお誘いしても構いませんか?」
「はい」
こうして希望を聞いてくれるのが当たり前なのに、誰も私に尋ねたりしなかった。一方的に命じて、押し付けて、私を利用するだけ。だからヴィクトール様の言葉は、彼が思うより私にとって価値があるの。私は尊重されるべき、由緒ある名家の侯爵令嬢だと――そう思えるから。
部屋を出る彼を見送り、扉の閉まる音で力が抜ける。咄嗟に支えたアンネに「これでよかったのよね」と確かめた。そんなこと聞かれても困るだろうに、彼女は「はい」と柔らかい声で返す。ありがとう、あなたと出会えたことは私の財産よ。
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