28.未来の明るい見通し

 ベルントと名乗った彼は、執事だった。本邸には家令も執事も別にいるらしく、別邸の管理を任される立場だという。案内された部屋は、一階の南側に大きな窓のある客間だった。公爵夫人となった私が使っていた客間の倍近くある。広すぎて、家具の間の距離を目で測ってしまった。


 お金持ちになると、部屋も屋敷も大きくなるみたいだけど……室内だけでも倍近く歩くのね。ヴィクトール様の腕の中で驚く私は、優しくベッドの上へ下ろされた。下ろす際に覆い被さる形になったことを詫びるヴィクトール様は、隣に用意された椅子に腰掛ける。


「日当たりと窓からの景色を重視して用意させました。体調が良い日は、庭に出ていただいても構いません。屋敷の外へ出ることは我慢してください」


「はい……ありがとうございます」


 着いてきたアンネが、ほんの僅かな私の荷物をベッドサイドのテーブルに置いた。書類が挟まった本を、さりげなく引き出しにしまう。


「不躾ですが、確認させてください」


 緊張した面持ちのヴィクトール様が、言い淀む。その姿に、アンネは本を隠した引き出しを隠すように膝を落とした。己の体でさり気なく隠すつもりみたい。私は正面から彼に向き直った。その方が視線が私に集中するでしょう? この部屋には従者のカールと執事のベルントがいる。


「白い結婚をなさった侯爵令嬢で、お間違いありませんね」


 質問というより、念押しだった。白い結婚をしたら、形の上では公爵夫人になる。それでも侯爵令嬢かと尋ねることで、性的な関係がないことを確定したいのでしょう。こういった言葉の選び方が、大公閣下の肩書きが本物であると知らせてくる。


 低姿勢で私の機嫌を窺うあなたと、高圧的にレオナルドを従えたあなた。どちらが本物かしら。それとも両方とも演技なの?


「間違いありませんわ」


「私も証言できます。公爵家に仕えて5年目の侍女で、侯爵家の者ではございません」


 ヴィクトール様は嬉しそうに笑った。その顔がとても可愛らしく思えて、驚く。だって私より一回り近く年上の男性に可愛いと思うなんて、おかしくないかしら。例えるなら、懐かない犬が初めて頬擦するような……甘酸っぱい雰囲気が近かった。


「安心しました。これで堂々と動くことが出来ます。彼との離婚を成立させて構いませんか?」


「はい、お願いいたします」


 丁寧な口調で私に接する主君に対し、カールは無表情を貫く。ベルントは時折驚いたように目を見開いた。すぐに元に戻すけれど、ヴィクトール様の今の様子は珍しいみたい。


 アンネが証言してくれる。離婚が成ったら、侯爵家の権利を主張しましょう。それで私は居場所を取り戻せるわ。未来の明るい見通しが立ったことで、少し気持ちが楽になった。


「それと……その書類は僕からラインハルトに渡しましょう。貴族は利害で動きますから、提出をもみ消されますよ」


 リヒテンシュタイン公爵に阿る輩が、貴族の中にいる。正当なルートでの提出は危険だ。思わぬ申し出に、私はベッドの上で硬直した。あの書類の中身まで知っているの? それは恐怖ではなく、かつて感じたことのない昂揚感だった。

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