cafe&bar あだん堂へようこそ▼三角さんかくさん企画▼

杵島玄明

うたかたの再開

 昼の営業と夜の営業の僅かな時間、征四郎はバッグヤードの黒皮のソファーに身を沈めた。ここ数日、体調に違和感を覚えている。

熱はないものの、身体が重く感じ倦怠感が抜けないのだ。

 目を閉じると微睡に落ちるのに時間はかからず、ゆっくりと身体が沈んでいくような心地よさに身を任せた。

 夢は見なかった――

ふと額に触れる冷たい感触に、征四郎はゆっくりと目を開いた。

「征ちゃん、こんなところで寝てたら風邪ひくよ?」

――どうして・・・・

寝ぼけ眼に映る彼女に、そう問いかけた言葉は声にはならなかった。

「あぁ・・・・ごめん・・・・」

何故そう言ったのか、自分でもわからない。

身体を起こしながらバッグヤードの少し開いたドアの隙間を見れば、従業員の篠宮が 素見の視線を向けている。

 あぁ、彼が彼女をここに・・・

「素敵なお店だね。招待状・・・ありがとう。来るのが遅くなってごめんね」

そう言って彼女が差し出したのは、確かに征四郎が店をオープンする前日に彼女に贈ったものだ。

「いや・・・いいんだ。来てくれて嬉しいよ」

征四郎はゆっくりと立ち上がり「店に行こう。君の為の席はいつもあけてあるんだ」そう言って、彼女をエスコートした。

昼間の雰囲気とは打って変わり、薄暗い店内はすっかり大人の雰囲気だ。

店内を彩るBGMもクラッシックからジャズに変わっている。

征四郎はカウンターの一番端の席に彼女を座らせると、そのままカウンターの中に入った。

「いつものでいい?」

「うん」

カウンターに頬杖をした彼女の穏やかな双眸は真っすぐに征四郎に向けられており、それだけで鼻の奥がツンとして涙がこみ上げそうになるのを眉間に力を込めてぐっと堪えた。

いつもより数段丁寧に時間をかけてゆっくりと作るのは彼女の好きなロングアイランドアイスティ。

ウッッカベースではあるが、他にジン、ラム、テキーラが入り最後にコーラで割る。アイスティなど微塵も含まれていないが、最終の見た目がそう見えることで名前にアイスティと入っているこのカクテルは、度数も高い。お酒に強い彼女は好んでこのカクテルを飲んでいた。

仕上げにミントを浮かべストローを2本差し込み彼女に差し出すと、彼女の小さな唇がストローにつけられる。

「美味しい」

そう言って微笑む彼女に、征四郎も小さく微笑む。

話したいことは山ほどあったはずなのに、言葉は喉につかえたように出てこない。

艶やかな長い黒髪も、クリンとした丸い目も、柔らそうな白い肌も、最後に彼女を見た時と寸分変わらないその姿に、記憶の時間が遡る。

「君は、変わらないね。凄く綺麗だ」

征四郎の言葉に彼女は頬を少し赤くして、「征ちゃんこそ」と笑う。

「いや、俺はもう立派におっさんだよ。だって・・・」

そう言って、自分の髪を触ろうとした征四郎の手を彼女の細い腕が止めた。

「ううん。征ちゃんだって昔のまま。大学で女の子たちがキャーキャー言ってるのを見て、本当は私、すっごくヤキモキしてたんだから」

「そんなこと心配してたの?」

征四郎が驚いて見せると、彼女は悪戯っ子の様にペロリと舌を出す。

「けど、そんな心配いらなかったんだよ。周りなんて目に入らないくらいに僕は君しか見えてなかったんだから」

「知ってた」と彼女は再び笑ってから、穏やかな笑みを浮かべる。

「けどね。もう私のことは忘れていいよ。征ちゃんモテるんだからちゃんと自分の幸せを見つけてほしい」

何を言って・・・それは、言葉にはならなかった。

目の周囲が次第に熱を帯び、溢れる涙をもう堪えることはできなかった。

「もう・・・君には会えないの?」

「・・ごめんね、征ちゃん」

彼女のが言い終えると同時に店のドアベルがカランとなった。

「いらっしゃいませ」

バッグヤードから出てきた篠宮が対応し、客をボックス席に案内している。

「あれ?もうお客さん来てたんだー、絶対俺が一番だと思ったのに」

入ってきた常連客は、カウンターに置かれたロングアイランドアイスティを見て言う。

「えぇ、店長の大切な方が。今しがた帰られましたけど」

篠宮はサラリと告げて、常連客のオーダーを聞きつつ世間話をしている。

カウンターの中でしゃがみ込んだ征四郎は溢れる涙をそのままに、カウンターに置かれた、先ほど征四郎が出したままに量は微塵も減っていない、ロングアイランドアイスティを見上げた。


あの日、君が事故にあっていなければ今も僕の隣にいてくれたはずだね・・・。

お店は二人の夢だったんだから。

いつまでも君を忘れない僕を心配して、君は会いに来てくれたのかな。

ありがとう・・・君に心配かけないよう、僕もしっかり生きていくから。

 

 店がオープンする前日、征四郎が彼女の墓前に置いた古ぼけた招待状を胸にひとり小さく嗚咽を漏らした。


ありがとう・・・さようなら。


 「cafe&bar あだん堂」には、癖の強い客や、従業員が揃っている。

 時に、すでに現世を離れた客も訪れる。

 そう、征四郎の最愛の人がこうして訪れたように。


おしまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

cafe&bar あだん堂へようこそ▼三角さんかくさん企画▼ 杵島玄明 @kisimaharuakira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る