ストレスと疲労の溶けるお湯(下)
昼飯にうどんをすすり、俺はとりあえず昼寝することにした。布団にころがり、ウトウトしかけたそのとき、浴場から悲鳴が上がるのが耳を突いた。
男湯から聞こえた悲鳴に、俺はむくりと布団を出て、裏の用具入れからデッキブラシを取り出す。男湯に向かうと、お客さんが化け物に襲われていた。
「こんな早い時間に?!」
疑問はあるがやらねばならない。春太郎も何が起きたか気付いて水鉄砲を持ってきた。
化け物の攻撃をデッキブラシで受け止め、お客さんたちをまず逃がして、化け物の体にデッキブラシを撃ち込む。化け物はおおおん、と悲鳴を上げて、びたんびたんと迫ってきた。
春太郎の水鉄砲が化け物を狙い撃ちにする。化け物は行動を封じられ、動きが鈍くなった。
「いまだ! いけ!」
タイルの床を蹴って飛翔し、化け物をデッキブラシで縦に真二つにする。化け物はだんだん薄くなって消滅した。
「――一件落着」俺はそう呟く。
「一件落着でねえ。こんな化け物が出るってバレたら客がこなくなるど」
春太郎はあくまでこのほんわか湯の経営のことしか考えていないのであった。
そして、春太郎の言った通り、次の日からぱったりお客さんがこなくなってしまった。
「ううーむむむむ」春太郎は難しい顔をしている。俺は、
「なにかこう、イメージ戦略というのが必要なんじゃないか」と提案したが、
「イメージもなにも、こんな古びた浴場で、しかも化け物が出るってなれば本当に誰もこないど。イメージチェンジを狙って『東台浴場』から『ほんわか湯』に名前を変えたばかりだし」
そうなのであった。ため息をつく。
なにか公共浴場でできる楽しいこと。なにかないか、えーと。
「ちわーす……あれ、ずいぶん空いてるな」
なにも知らない湧介が現れた。俺たちは事情を説明する。
「ええー取引先が一つ消滅したじゃんか。上司に怒られる」
「消滅しないように、いまなんとかする方法を考えてらんだ。湧介、なんかないか」
春太郎が強い口調で言うと、湧介はうーんと悩んで黙り込んでしまった。
なんかないか。俺はしばらく考えて、
「……ヒーローショー、というのは?」と提案した。
「ヒーローショー」春太郎がそのまま言葉を発した。よく分かっていなかったらしい。
「なるほどな、YouTubeあたりにUPしてそれで発信力を高める戦法か」と、湧介。
「それだ。湧介、撮影をお願いできるか。俺、スマホ持ってないから」
「まかしとけ。ヒーロースーツは必要か? 知り合いのコスプレイヤーにお願いできるが」
「頼む。なるべくカッチョイイやつ」
「お、おいおい、わしのほんわか湯で何をするつもりだ」
「――『ヒーローのいる公共浴場』。最高じゃないか」
というわけで、とうに発見していた春太郎のへそくりで、湧介の知り合いのコスプレイヤーさんとやらにお願いしてヒーロースーツを作ってもらうことにした。
しかし問題が一つあった。化け物は、風呂に入りにくるお客がいないと、現れないのである。
それに気付いて、俺たちはしょんぼり顔になった。いやしょんぼりしている場合じゃない、マジでほんわか湯が潰れてしまう。
そんなことを考えているうちにヒーロースーツができあがってきてしまった。うん、カッコイイ。だがカッコイイヒーロースーツがあっても、化け物がいないのだから仕方がない。
相手のいないヒーロースーツを眺めたり、客のいない浴場を眺めたりしているうちに、日めくりカレンダーが最後の一枚になってしまった。明日は正月だ。
「はあ……」と、春太郎がでかいため息をつく。
「ま、まあ。人の噂も七十五日って言うだろ」
「そんな単純に済むわけがない。ああ、先代から引き継いだ東台浴場が潰れてしまう」
そんなわけで、大みそかのほんわか湯は、どこかお通夜のようなムードだった。
「ちわーす」と、仕事納めしたはずの湧介が現れた。何の用だ、と尋ねると、
「まあこんな塩梅でお通夜になってるだろうから、お取り寄せのソバとおせち持ってきた。正解であったな」と、陽気に答えた。
みんなでソバをすすりながら、
「ホントにどうするんだよ……」と、俺はため息をつく。
「まあとにかくそれは後で考えればいいんだ。それより今年はガキ使ないんだな」
「湧介、そっちのほうがよっぽどどうでもいいと思うぞ」
「幸康さあ、そんな暗い顔すんなって。――あ、北鹿新聞の正月号そろそろ届くんじゃないか」
俺は裏口のドアを開けて、いつも大みそかの夕方に届く北鹿新聞の正月号をとりに出た。外は、激しく雪が降っていた。
「こりゃあ積もるなあ……」俺はそうぼやいた。
さて、年が明けて元日。外はとんでもない雪が積もっていた。客もこないのに雪搔きという不毛な行為に、何故か湧介も付き合ってくれた。
「はあー疲れた……不毛だ。雪やべえな、正月からよ……」
「腰が痛い」と、春太郎が体をボキボキさせる。
「これはひとっぷろ浴びるしかないんじゃないか」と、湧介。
「いいな。どうせ客もいないわけだし」俺がそう言うと、春太郎が大真面目な顔で、
「大人一名300円です」と言ってきた。俺はなけなしの金をはたいて300円払った。湧介は当然ここに勤めているわけではないのでふつうに300円払った。
みんなで温泉に浸かる。はあ、雪搔きの疲労感が溶けていくぞ。ここしばらくの不安感も、なにもかも、すべて。
ここの温泉の効能は美肌や関節痛といった温泉らしい効能が主だが、こういう疲労感や不安感が溶けるのも効能なのではないか、と俺は思った。
そのとき、俺の頭の中でいろいろなことがスパークした。そうだ、これなら――。
「きょうの夜八時、集合できるか?」
「……なるほど。とりあえずスイッチ持ってきたから八時まで桃鉄でもするか」
「え? な、何ごと? 幸康も湧介も、なんの話?」
というわけで、八時まで桃鉄やマリオカートで時間を潰した。ヒーロースーツを着込む。
「幸康、なにをしてる」よく分かっていない春太郎が訊ねてくる。
「俺たち、へとへとになるまで雪掻きして、そしてすごい不安感ももって、風呂に入ったろ?」
「そうだな」
「それなら、また化け物が現れてくれるんじゃないかって」
「――ほう、それは確かに理屈が通っているな」
そして、俺の読み通り。
八時半を時計が指したそのとき、男湯の排水口から、小さめの化け物が現れた。
「湧介! 撮影を頼む!」
「了解だ!」
俺はヒーロースーツを着たままデッキブラシを構えて、その小さめの化け物の脚を払う。さすがに小さめなのですぐ倒れてくれた。その様子を、湧介がばっちり動画にとり、俺たちはワクワクしてそれをYouTubeにUPした。タイトルは「ヒーローのいる温泉」。概要欄にはほんわか湯の住所や電話番号を記載した。
それから少しして、ふいにほんわか湯の固定電話が鳴った。春太郎が出る。
「はいもしもしほんわか湯です……え? はい。はい。そうです。……え?」
しばらくなにやら話してから、春太郎はにんまり顔で電話を切った。
「東京の旅行会社が、ほんわか湯入浴ツアーというのを組んでくれるらしい。やったぞ」
そう春太郎が嬉しそうに言うのと同時に、さらに電話が鳴った。春太郎が出る。どうやら電話をかけてきたのは小さいお子さんらしく、春太郎はいつでもおいで、と言って電話を切った。
そこから、アホみたいに忙しい日々が始まった。俺は温泉ヒーローほんわかマン(文学的センスがあることを自称する湧介に名前を考えてほしいと言ったらこうなった)として、子供さんの相手をしたり、毎晩化け物と戦う動画を撮影するのに明け暮れた。
いつのまにか温泉ヒーローほんわかマンは、正真正銘のヒーローになっていた。そして、やっぱり仕事を終えたあとに温泉に浸かり、上がってからフルーツ牛乳を飲むのは、最高なのであった。
銭湯で戦闘 金澤流都 @kanezya
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