第15話「ナナちゃん人形」

父「自動車の工場は2年働いて辞めた」


娘「何か問題があったの?」

父「元々、半年契約なんだ。契約を延長できるんだけど、やっぱり地元に帰って定職に就こうと思ったんだ」

娘「それは、いい判断だと思う」


父「半年働いて帰るつもりだったけど、給料がいいので、ついつい居てしまった。一緒に働いていたおじさんがいたんだけど、なるべく若いうちに定職に就いたほうがいいって何度も言うんだ」

娘「そのおじさんは自動車工場は長いの?」

父「その人は20年くらい契約社員で働いているらしい。3年間までは契約延長できるんだけど、3年たったらいったん辞めて、また契約しなおすんだって」


娘「そういう契約もあるの?」

父「自動車の工場はそういう契約が多いらしい。そのおじさんも3年働いて辞めて地元で働こうとしたんだけど、給料が自動車工場の方がいいので、ついつい自動車工場にいてしまい、気がつけば結婚もしないで歳だけ取ってしまったと後悔したらしい。俺も給料は安くても地元で働いて結婚したほうがいいと思って帰ることにしたんだ」


娘「帰って来たら、おじいさん喜んだでしょう?」


父「親父は、若い内にいろいろ世間を見てこいって言っていたので、特に嬉しそうな顔は見せなかったが、お袋は赤飯を炊いてくれた」

娘「おばあさんは嬉しかったんだ。お土産いっぱい買って帰ったの?」

父「お土産か……荷物になるから船の売店で買った……」


娘「船? 飛行機じゃないの?」

父「帰りは船にした。行く時は、初めて飛行機に乗ったんだけど怖かったな〜〜っ。少し前の年に墜落したのがあったからな……」

娘「あれかな、坂本九さんが亡くなった事故?」

父「そう、あの事故の数年後だし、なんせ初めての飛行機を一人で乗るんだから緊張したよ。墜落した時の保険が乗る前に入ることができるのがあって、入ろうかと思ったけど、自分ではもらえないから入らなかった」


娘「自動車工場の人が付き添って行くんじゃないんだ」

父「そういうのではない。地方で募集して面接日があるんだ。その面接で応募すると、後から採用の手紙が来て現地に集合する日時が書かれていた。だから、集合場所の会社まで一人で行かなければならないんだ」


娘「今のお父さんなら簡単に行けるだろうけど20歳のころは難しかったの?」

父「実は、自動車工場に行く前なんだが、ヒッチハイクで四国までは行ったことがあるんだ」

娘「ヒッチハイク? なんでまた」

父「なんか、やってみたくて……車の免許も持ってなかったし、飛行機や電車を使うのも簡単過ぎると思ったのでヒッチハイクにした」

娘「お父さん、旅が好きなんじゃないの?」


父「そんなに好きではないと思うが、登山用のリュックサックにテントを入れて背負うと肩が痛くてな、マットは無いから地面の上に寝るのは硬くて寝心地も悪いぞ」

娘「それは長い期間行ってたの?」

父「いや、1ヶ月くらいだ。坂本竜馬の銅像がある四国をゴールにしていたからな、そんなに長くはない」

娘「1ヶ月の放浪は長いと思うけど……」


父「お前が生まれた時は、俺は中国の敦煌とんこうにいて、そのまま1年くらい外国を放浪していたんだぞ。ちなみに、お前の名前を敦煌から取って敦子とんこにしようと、電話でお母さんに言ったら激怒された」


娘「とんこは嫌だよ、せめて敦子あつこでしょう。あたし、冬子とうこでよかった。お母さんに感謝だわ!」

父「そうだな、向こうに行ってると感覚がボケるな……とんこが可愛く思えたもんな」


娘「日本語を使わないと分からなくなるんじゃない? ところで、四国がゴールって、お父さん坂本竜馬さんのファンだったの?」

父「そう、小説の『竜馬がゆく』を高校生の時に読んで感動して、若い頃は坂本竜馬のことをいろいろ調べたよ」

娘「へ〜〜っ、知らなかった」

父「最近は西郷隆盛先生のファンだがな……」

娘「幕末好きなんだね」


父「そうだね、でも、自動車の工場は徳川家康や織田信長のいた所が近くて遺跡とかも行ってきたよ」

娘「それは戦国時代になるのかな?」

父「よくわかるな。俺も、その頃は歴史の知識がないから、何となく見てたけどね」

娘「向こうは歴史があるからね……」


父「そうだな、それで、船だよ。まず、名古屋駅からバスで名古屋港に行くんだが、バス停がいくら探しても見つからないんだ」

娘「普通に駅前から発車じゃないの?」

父「それが違うんだ! わからなくて商店街の人に聞いたら“ナナちゃん人形”の所から乗るんだと言われたんだが、その、ナナちゃん人形がまた見つからないんだ」


娘「ペコちゃんみたいな人形じゃないの?」

父「そう。俺もそう思って店の前を探したんだ。そうしたら、巨大な人形に気がついたんだ。なんと身長6m10cmの人形なんだ」

娘「6m! キリンくらいかな? もう人形じゃないじゃん!」

父「そうだよな、俺もびっくりした。それで、そこのビルの中がバスの発着所でエスカレータで登って行くんだ。3~4階辺りから発車だったと思う。まさか、ビルの中からバスが出るとは思いもしなかったぞ。こういうのをカルチャーショックって言うのか?」


娘「こっちではバス停は道路わきだもんね」

父「さすが大都会だ。地下街も歩いていたら迷子になった」

娘「それで、船には乗れたの?」

父「ああ、無事乗れた。船賃が名古屋から苫小牧までで2泊して1万円だったな」

娘「2泊で1万円? ずいぶん安いわね」

父「そうだろう。時間に余裕があれば船は安い。部屋のグレードでいろいろ値段があるが、俺はカプセルホテルタイプの部屋にした」


娘「あたしはカプセルホテルは泊まったことはないけど、個室なの?」

父「2段ベッドを個室にしたような感じかな?」

娘「なんか、楽しそうだね」

父「船はデカくて全長200m以上あったな、中に映画館もあるし、売店もあって、そこでお土産を買った」

娘「本当は、お土産を買うのを忘れたんじゃないの?」

父「どうだったかな? 昔のことだから忘れた……」

娘「やっぱり忘れていたんだ。船の中では海は見えるの?」


父「俺の部屋には窓は無いから見えないが、高い部屋なら見えるだろうな。船のロビーや甲板に出れば見放題だ。風呂に入っていたら湯船の横がガラス張りなので海が見えるぞ。たまにイルカが船を追いかけるんだ」

娘「へ〜〜っ、イルカがいるんだ。いいな〜」

父「船の出港前に甲板にいたら、カモメがいっぱいいて、お菓子を投げたらクチバシでキャッチするんだ。下手な投げ方したらカモメに怒られたぞ。『カー!』って言って怒るんだ」


娘「楽しそうね」


父「旅した時のことは、よく覚えているよ。自動車工場で仕事してたことは、全然覚えてないのにな……」

娘「男の人は冒険できていいね。あたしは一人旅なんて無理だ」

父「嫁入り前の娘は何かあったら大変だ。そのうち”燃えるような恋“をして、旦那さんにいろんな所に連れて行ってもらえ」


娘「燃えるような恋なんて、あるかな? お父さんとお母さんは、どこで出会ったの?」

父「お母さんか、それは偶然の出合いだった……」

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