とある戦争孤児物語

@aidanomo

風化させてはいけない物語

1944年9月9日東京都江戸川区

学校に集められた私達小学校36年生が群馬に集団疎開をすることとなった。

日中毎日のように偵察機が飛び毎日鳴り響くサイレンに慣れてた私はそこまでするのかと疑問に思っていた。



上野駅まで見送りに来てくれたお母さんとお父さんは悲しそうな心配そうな表情を隠している。


私は少しの不安はあったが、知らない土地で同級生の友達と過ごすことに旅行のようなワクワクを覚えていた。


まだ、5歳の弟、康弘が私に駆け寄り抱きついてきた。

「ねぇちゃん、やだ! もっと遊ぼうよ」


「直ぐ帰ってくるから帰ってきたら遊ぼう!」

私は優しく康を抱きしめると

上野駅高崎線電車のサイレンが鳴る。



引率の先生が電車に入るよう促す。



私は康弘を離しお母さんとお父さんに

「行ってきます」

と近くに遊びに行くような感覚で言うと、

子供達の中で一番に電車に乗り込んだ。


「千代 元気でね」

母は私に無駄に心配かけまいと涙を我慢しながら振り絞った。


私は軽い気持ちだった


これが両親との最後の会話とも知らず。


周りを見渡すと私より年上の普段、学校で威張りちらしている

男の子達が泣きながら必死で親に抱きつき、

引率の先生に引き剥がされるのを見ると世の中怖い人はいないんだと感じた。


子供達が電車に乗り込み、電車が出ると少し悲しみがあったけど、

周りで泣きじゃくる「お兄さん達」を見ると、


冷静に戻った。


熊谷駅から秩父鉄道へ乗り換え秩父駅へ


秩父駅から歩いて一時間ほど。


疎開地のお寺につく頃はひぐらしが鳴いていた。


お坊さんはご高齢の方で笑顔で向かい入れてくれた。


私は今まで都会でしか過ごしてこなかったので

自然の中で暮らすことに楽しみがあったが、



周りのみんなは疲労と不安でどんよりとした空気だったし、

夜はそこら中で布団の中に籠もりながら泣く声が聞こえた。


朝、起きると自分の身支度は自分でして、

学校の時と同じように引率の先生が授業をする。


夕方以降は自由時間そのような毎日だった。

楽観的な私だったが、


空腹は流石にこたえた。


毎日支給されるのは茶碗1杯もないほどのお粥と質素なものであった。


私は、空腹に耐えかねてそこらへんに生えてる草を食べてみたけど青臭くてとても食べれるものではなかった。


一、ニ週間、その生活を続けていると、年上の「お兄ちゃん」の悪ガキ3人も慣れて来て、

村人の畑に勝手に入って野菜を食べるようになってきた。


村の人達は優しい方達で食べざかりの子達が満足にご飯をたべられないのを知っていたので、見てみぬふりをしてくれていたようだ。


私は畑仕事や家事を手伝う報酬として、野菜を貰っていた。


だが、それも釣り合わないほどの野菜を貰っていた。

いつも、釣り合わないほどの野菜を貰い、お寺のみんなや先生に分けていた。


次第に他の子達も悪ガキ以外は、みんなで村のお手伝いをするようになって、「満腹」とはいかないまでも、みんなが充分にご飯を食べれるようになっていた。


みんなが一体になっているような感じがしてとても嬉しかった。


そんな中、村の外れに住んでいて、村の中で唯一畑を持ってなく、

「お手伝い」も無愛想に断る変わり者の爺さんが毎日山に入っていくのを見かけ興味を持っていた。


「ねぇねぇ、あの、お爺さんはいつも何してるの?」

私が不思議そうに村人の人に聞くと、

「ああ、あの爺さんは変わり者だからなー」

「都会に住んでたらしいんだが、家族に逃げられたかなんだかでずっとそこに住みついてるのぉ」

「害はないから良いが、あまり関わらないほうがええぞ」



村の人達はそう言っていたが、私にはなんだか変わった爺さんではなく、

寂しいお爺さんに見えた。


次の日、また爺さんが山の中に入っていくのが見えたので、ついて行ってみることにした。


何をしてるのか知りたかった私はバレないように爺さんが歩く50メートル後ろを隠れながら歩いて行った。


爺さんが岩盤がむき出しの真っ暗い洞窟に入っていった。


恐怖と興味があったが、中に何があるのか興味が勝り意を決めて入っていった。


真っ暗な足場の悪い洞窟の中一歩一歩確認しながら進んでいった。


中の視界がほぼ無くなった時、



口を塞がれた。


私は殺されると思った。


ただ、走馬灯なのか、

時間がゆっくり流れるように感じ、

思考が加速した。


瞬間的に踵で相手の足の親指の付け根を思いっきり踏んだ。


私が動かせる体で攻撃できる場所の中で暗闇の中で分かるところその中で相手の一番痛がるとこはそこだとなぜか一瞬でそこまで判断出来た。


相手の力が緩まると、かすかな入り口の光に向かって全速力で走った。



真っ暗で足場の悪い洞窟途中何回か転んだため、

石で傷だらけになってしまい、

洞窟からはなんとか出られたが、

動けなくなってしまった


洞窟の中から変わり者の爺さんが出てきた。

その時は「変わり者の」雰囲気ではなく、



普通の爺さんだった。


「お前、疎開してきた者か、村の変わり者のワシを何故つけて来たんじゃ」



偶々とか適当な言い訳も思いついたが、


この人には嘘は通用しないような気がして私は正直に答えようと思った。


私は傷の痛みを抑えながら

「爺さんが変わり者じゃなくて寂しそうに見えたから」


そう言うと


爺さんは今までの無愛想な感じのイメージを覆すように

「はっはははは 寂しそうか!はは 確かにな」


爺さんは腰に掛けたナイフを取り出し私に近づいてきた。



私は殺されると思ったが、


その考えとは裏腹に恐怖はなかった。


しかし、その爺さんは私のいる場所を通り過ぎるとそのへんの草を摘み、

枝を切り、手際よく私の傷に巻きつけた。



「この草は傷によく効く。このツルは丈夫だ。村を降るまでは保つだろう」

爺さんはこがらながら私を軽々ヒョイと背負い込み


「山を降るまでは我慢じゃ まあ、わしなんかを追い こんなとこまで来る奴なんだから余裕じゃろう」

「え、大丈夫なの?」

「はっはは あまり年寄りをなめるでないぞ」

無邪気に笑う爺さんの姿に今までの「変わった」寂しそうな爺さんの面影は無くなっていた。


爺さんに背負われ山を降ると日は落ちていた。



村に戻ると先生が私を抱きしめた。

「もう、心配かけて‥」

「ごめんなさい」

私は心配掛けたことには謝ったが、

爺さんの事をもっと知りたかったし、

学校の勉強より学べる事がいっぱいあると思い、

毎日ついていくんだと決めた。


爺さんのほうがむしろ私が金魚のフンのようについてまわるのに嬉しそうだった。



爺さんが村の人と関わらず、

毎日洞窟に行く洞窟には祠があった。

私はこの爺さんが毎日この祠の前で日が暮れるまで座っているのを私は遠目で眺めていた。


私はこの雰囲気が好きだったけれど

爺さんには悲しい過去がある気がしたので爺さんがお祈りをしている時は近づかずにいた。


毎日祠に行く道中、私は爺さんから山の中で様々な事を教わった。


食べれる物、薬になる物、わなを使った動物の捕り方、捌き方


先生は心配していたけど、

私は皆の為にここらでは殆ど食べられない肉を持っていってた。


私は村の人からも、疎開した友達からも、先生からも認められリーダー的な存在になっていた。


だが、悪ガキ達はそれをあまり良く思っていなかった。

「あまり調子に乗るなよ」「俺らだってそれくらいの獲物とってきてやるよ」


私は対抗心ではなく、

初日は森で死にかけたので

「だめよ! そんなあまいものじゃない」


本気で止めたが、

この言葉が火に油を注ぐ


「そーゆーのがムカつくんだ てめぇと爺にに出来て俺らにできないわけねぇだろ!」

「てめぇらには取れないほどの獲物とってきてやるぜ」

「いいか、戻るまでは誰にも言うんじゃねぇぞ」

そう言うと悪ガキたちは森の中に入っていってしまった。



だが、日が傾いてきても帰ってこない。

私は怒られるのを覚悟して先生と村の人たちに打ち明けた。


辺りは薄暗くなっており、私も夜の森は危険が多いから入ってはならんと教わっていたが、

「俺に任せろ」



今まで村の人達と関わりを持ってこなかった爺さんの言葉に村の人はびっくりした。


「でも、あんた、それにこの暗さじゃ」


「大丈夫さ、ここらへんは熟知している」


「私も行く」

「千代ちゃんはだめよ」


「いやついて来い」


夜の森の中は怖かった静かな森の中に無数の生物の気配こちらからは見えないが見られている感覚恐怖ともワクワクとも違う心臓の鼓動が高く、早まっているのを感じる。


「いいか、夜の森のなかには基本的には入るなよ」

「でも、入らざるを得ないときはなるべく火を使うんだ」


「おーい」

私とお爺さんは必死で声を出して歩き回った。



すると、藪の中から一人泣きながら出てきた。

「千代… 助けて 勇次郎が‥  ごめんなさい」


爺さんが、いじめられっこの一人を背負い言われる方向に向かう。


藪をかき分けると先にいきなり崖が現れた。


ネズミ返しのようになっており、

落ちたら登っては上がれないようになっている。


崖の下は真っ暗になっており全く見えない


「おーい 大丈夫ー?」

「ち、千代か!! 勇次郎が足が痛くて動けないんだ 助けて」


「待ってて今助け…」

私が言いかけたところをお爺さんが遮った


「一人足を怪我してるだけか?」


「え、うん。落ちたとこだけ枝と土になっていて僕は大丈夫 でも、早く出して」


「お爺さん 早く助けなきゃ」

「駄目だ、深さも分からない、登って帰れる確証もない」


おじいちゃんは太い枝を持ち服を破りその枝に巻きつけ持っていた松明の火を移した

その火を崖の上に持っていき


「火が見えるか? 今から落とすから離れろ 」

「うん、離れたよ」


火を落とすと3メートルほどで地面に落ちた。


初めて二人の顔が見えた。


二人とも恐怖と期待の表情顔は泣きつかれたような顔をしていた。


「だめじゃ わしらだけじゃ降りても上がってこれん」

「ここで上と下、火を絶やさず炊いて、夜が明けたら千代、お前が村に降り誰か力のあるやつ、連れてくるんじゃ」


「おい、 ガキお前は下の奴らに声をかけ続けるんじゃ」

「燃えそうなものを集めるぞ」


私達は必死で夜が明けるのを待った。


私達子供たちは初めて夜を寝ないで過ごしたため疲れ切っていた。


「千代、頑張るんじゃ、お前にかかっておる」

私も眠たさと疲れを気力でなんとか保たせていた。


ようやく夜が白み始めるとおじいさんは手に持っていたナイフを渡し

「千代、頼んだ、お前の方がわしより早い。帰り方はわかるな」


「うん、これで道しるべを作りながら」


「そうじゃ! 頼んだぞ」

爺さんが私の背中を強く叩き喝をいれるその瞬間に私は走り出していた。


藪の中にナイフで道を作りながら走る


道に出るとそこはいつも爺さんと来ていた知ったところだった。


私は藪の入口近くの木にナイフで傷をつけ、

必死で村に降りて走った


村に入るとまだ大人が皆が待っていた


「千代ちゃん、大丈夫? どうしたの?」

「力がある人誰か、崖に落ちてるの!」


私は藪のところまで大人を案内すると意識を失ってしまった。




次に気がついたのは爺さんの背の上だった


私は安心して自ら目を閉じた。


それから村人と疎開人とても仲良く、

楽しく恵まれた生活をしていた。

数ヶ月、楽しかった。



3月に6年生だった悪ガキ達は卒業準備の為に東京へ帰っていった。


交代で来た新3年生達は良い子ばかりであった。


だが、交代した次の日、3月10日東京大空襲が起こった。


先生が新聞を読み、範囲内に江戸川区の私達の家はギリギリかぶっているかどうかと言っていた。


私達の家族は無事なのか‥悪ガキ達は‥康弘‥


今まで覚えてきた一番の不安な気持ちを抱え過ごした。


何より幼い弟、康弘がそこにいるのだ


先生が様子を見に行くとのことだったので無理を承知で

「私も連れて行って下さい‥」


私は友達達にズルいと疎まれるかと思っていたが

周りの友達達は

「千代ちゃんを連れて行ってあげて下さい」

「千代ちゃんのお陰でこっちでも楽しく過ごせたしお願いします。」

先生に頼み込んでくれた。


先生は渋々首を縦にふった。

電車で東京に着いた時にはそこは私の知っている東京ではなかった。


毎日のように遊んでいた荒川の河原にはたくさんの死体と死体とも言えないような物体がたくさんあった。


私は絶望した‥今まで建物があった場所は平地となっており、

明らかに人が少なくなっている。


しかもその生き残ってる人の中に知っている人が一人もいなかった。



 先生もその場で泣き崩れた‥

私も嗚咽が止められなかった‥

私は誰か知っている人がいないかとあるき回った。



電車で見た死体だらけの荒川の河原に一つの小さな人影があった。



「や、康弘・・・」


弟が生きていた。


私は康弘に駆け寄った。

暗闇の中に一筋の光が見えた気がした。


弟は河原で一つの真っ黒な物体をじっと見つめている。

中は空洞になっており私は理解した。


この真っ黒な物体が父と母なのだと。


空洞の中には見覚えのある布の柄があった。


両親が身を呈して康弘を守ったのだと。


弟の背中はやけどで爛れている。


私は近くの汐入公園にガマが生えているのを思い出した。


爺さんがガマの花粉は火傷に良く効くと教えてくれた。


私は動けない先生に一言伝え、康弘を汐入公園に連れて行った。

康弘はやけどの痛みで意識が朦朧としている。

まだ、何が起こっているのか分からない。

周りが焼け野原の中水中から生えているガマは生き生きとしていた。



ガマを一本取り

私はガマの花粉を康弘の背中に吹き付けようとした。


吹き付けられない…

「ねぇ‥ちゃん?」

「やっちゃん、ごめんね 怖い思いをしたよね‥これからは私がやっちゃんを守るからね‥」


私とやっちゃん、先生と3人で群馬に帰っていった。


それから8月に原爆が落とされ終戦翌9月に学童疎開も解かれた。


一年近く一緒に暮らしてきた子たちは家族を亡くした者が多く、遠縁の親戚等に引き取られバラバラになってしまった。


私とやっちゃんは爺さんの厚意で爺さんと一緒に暮らす事となった。


やっちゃんの背中には消えない傷跡が今も残っている。


それから私は、毎日やっちゃんの背中に手を当てている。

すこしでも傷跡が癒えるようにと。

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