第1-2話 幸せとは自分の心が決めるというけれど…。

 夏が訪れ、まだこの頃には寒さと飢えを極度に感じることはなかったので、なんとか心を平静に保てた。


 近所の農協で、スズムシを販売しているのを母親が見つけ、どうしても飼いたいというので、オスメス4匹ずつ、800円で購入することにした。


 聞けば子供の頃、田舎で飼っていたスズムシをわけてもらい、家で飼育していた経験があるそうで、鈴虫を懐かしげに見つめる横顔が童顔に戻っていて、どこかうれしくもあった。


 このころの母親の日課は朝、庭の草木の手入れと庭の草むしり、そしてスズムシの餌やりがメインだった。


 母親はスズムシの音色を聴くと、子供の頃、貧乏をしていた時代を鮮明に思い出すと言い、よく昔話を直人に話して聞かせた。


 川崎の追分町で母親と一緒にプレスの金型工場で内職をして暮らしていたこと、親戚が住む熊谷で半年世話になったこと。妹と弟の世話で、満足に小学校に通えなかったこと。弟を背負って小学校に通ったこと。


 語るもつらい思い出のほうが多いようだった。

 父親は熊谷で古本屋を営み、戦争で徴兵され、サイパンで玉砕した。


 最後に静岡で会ったのが、父親との最期の別れだったと言った。

 祖母(久子の母親)がそのとき、子供を身ごもって、男の子が生まれたら、一(はじめ)、女の子が生まれたらあなたが子供の名前を命名しなさいと久子の父親が母親に言い残したこと、昨日のことのように話して聞かせた。


 スズムシが、リンリンと羽をこすって音色を奏でる。

 久子の頭の中を幼少期の自分が支配する。

 

 悲しくもあり、幸せだった子供の頃を懐かしむ背中には、もう若さは備わっていなかった。


 どう頑張っても冬を越せない鈴虫は、自分の寿命を知ってか知らずか時間を惜しんでいるかのように、一晩中、せつない鳴き声を聞かせた。


 リンゴをスライスし、キュウリを切り、小さなカップに、削り節を入れる。

 削り節や煮干しは鈴虫の共食いを防ぐ役割を担うそうで、スズムシのマスト・アイテムの1つだった。


 たんぱく質を必要とするスズムシは、削り節、煮干しから栄養を摂取しようと努める。オスがリンリンと音色を奏で、メスとの交尾を誘う。


 彼らはどんなに頑張っても冬を越えられない。

 セミやスズムシの刹那は人間には到底、理解できない。


 秋を迎え、彼岸頃、涼しくなる頃にはスズムシは自分の運命を悟り、残りの寿命が限られていることを悟る。


 1匹のメスが死を迎え、2匹目はオスのスズムシが土の上で動かなくなった。

 鳴くスズムシがまた一匹、死に絶え、箱の中は寂しくなった。

 また1匹死に、やがて箱の中のスズムシは、最後の1匹になった。


 それでも鳴くのをやめないスズムシ。

 おまえは冬を迎えることができない。


 悲しいかな、それはスズムシの運命でもある。

 母親はスズムシの人生と自分の姿を重ね、人は子供の命を守るため、一生を子供の成長にささげ、やがてスズムシのように土に還るのが自然の摂理だと言った。


 スズムシの母親の死骸を食べて育つ子供のスズムシ。

 やがて彼らの輪廻転生にも陰りが見え新しい命と引き換えに、短い一生の幕は閉じられる。


 直人は8月の下旬、母親を連れて近くの公園に花火を見に行った。

 あと何回、母親と花火を見れるのだろうと思うと胸が熱くなった。


 あと何回、近所の桜を見ることができるのだろう?

 あと何日、母親と過ごせるのだろう?


 人は死ぬ。

 絶対に死ぬ。


 それを回避できる者は残念ながらこの世にはいない。

 どんなマジシャンであれ神の使い手であれ、死から逃れられることは絶対にできない。


 永遠というものはこの世に存在しなくて、沙羅双樹の花の色の如く、諸行無常の響きがそこにはある。


 遅かれ早かれ人は死期を迎え、骨となり、土に還る。

 人生は短い。


 はかなくもあり、苦しくもあり、楽しかった久子の人生は、やがてクライマックスを迎えようとしていた。


 ついこの前まで20はたちだった自分が、もうこの年を迎えていることが久子には信じられなかった。


 自分はこの世に何を残せたのだろうか?

 久子は自問自答した。


 最後の1匹のスズムシが死んだ夜、久子はまるで私の人生のようだとスズムシの死骸を見て呟いた。


 久子が何を言いたかったのか、何を感じたのか、直人にはわからなかった。

 でも久子の瞳が悲しいルビー色していたことは、深く直人の胸に刻まれた。


 直人の父親は死に際、自分に対し何も言葉を残さなかったけれど、家族に伝えたい言葉はあったのだろうか、直人は考えた。


 今となっては誰にも何もわからなかったが、でも一つ言えるのは、心の声がその答えを導くことができるということだ。


 仏壇の遺影の写真も、怒って見えるときもあるし、笑っているようにも見えるときがある。おそらく遺影の写真は自分の心の中を映し出す鏡なのだろう。反転するミラーになっている、直人にはそう思えて仕方がなかった。


 今日の父親の顔は、不機嫌に怒っているようにも見えた。

 直人は遺影の写真を直視できなかった。


 それは直人の心が満たされていないせいだろうと思った。

 生前、父親に対してもっと親孝行をしておけばよかったという、悔恨の念でもあった。


 お墓や仏壇、今の人たちはそんなもの不要だという。

 子供や跡継ぎがいないから、お墓を持つ必要がないという。


 だが果たしてそうだろうか? 仏壇やお墓、遺影の写真というのは、故人と唯一、対話ができる場所でもあるのだ。亡くなった祖父母、父、母、子供と、「あなたならどうする? あなたならどう思う? 私を守ってくださいね」。色んな意味で、手と手のしわを合わせて、幸せを願う場所でもあるのだ。


 父親は最期に感謝の言葉を家族に残したかったに違いない。

 直人にはそう思えて仕方なかった。

 

 短い人生の中で人は何を残せるのか、名を残すのか、子孫を残すのか、名声を残せなくても、誰かの人の心に生き続けることができるかできないかで人の価値は決まってしまうようにも思う。


 親の思いを存分に受け継いだ子供は、やがて大人になり、親になり、子供を持ち、やがて産みの親の気持ちに少しでも近づき、その心を理解するようつとめる。


 親が子供の健康を祈り、子供の成功を陰ながら祈り、少しでも幸せになれるように子供を遠くから近くから守り、導き、幸せへと続くレールを敷き、子供が巣立つのを見届けてやがて死を迎える。


 それは少しも特別なことではなくて、どこの親も同じようにしていることで、子供は親の厚い愛情で守られているといっていい。


 季節は巡る。

 やがて季節は夏から秋へと移ろい、寒さの絶頂、冬へと移行した。

 その頃には8匹のスズムシは全部、死滅し、卵だけが生命の息吹を待った。


 直人は、この先、どうしたらいいのか自分でもよくわからずにいた。

 母親はそんな直人をよそに、いつもノー天気だった。


 まさか食うに困るほど、貯金を使い果たしているとはつゆほども思わず、お腹が減ったと、いつも直人に食事をおねだりする久子。


 直人は貯金の残高を久子には知らせずにいた。

 どうにも言い出せなかった。


 その頃、高齢の久子は排泄が思うようにコントロールできなくなっていて、大人の介護用のオムツをはくようになっていた。このオムツ代がばかにならず、貯金の額はみるみる100万を割るようになっていた


 直人は久子に尋ねた。

 「母さん、幸せか?」

 久子は顔をほころばせ、

 「直人といれていつも幸せだよ」

 久子は満面の笑みで答えた。


 自分の名前、顔を忘れてしまう認知症の症状も、よくなったり悪くなったり、一進一退を繰り返していた。


 人はそうして歳を取るのだろう。

 誰にも迷惑をかけずに死にたい。


 誰もがそう願い、実践しようとするが、現実には人は誰かしらに迷惑をかけながら生きていると言っていい。


 誰にも迷惑をかけないといったところで、自分が死ねば誰かに故人の部屋を整理してもらわなければならないし、遺体を斎場で焼いてもらわなければならない。


 誰にも迷惑をかけずに生きることなど誰にもできないのだ。

 それを理解している老人は、老いては子に従い、極力、子供に負担をかけまいとする。


 救われたのは、久子の胃がんの治療から5年が経過し、医者から再発の心配がないと言われたことと、久子には貧乏が苦痛にならないことだった。


 毎月2回、病院を訪れては、高額な薬を馬の餌のようにもらってきた久子が、病気からやっと解放され、病院に行かなくなっただけでも、時間的にも精神的にも肩の荷が下りた気がした。


 「お母さん、もう病院に行かなくてよくなったよ」

 母親は事態が飲み込めないのか、言葉の意味をあまりよく理解していないようだった。


 その頃には認知症の状態が少しずつ進行しているようで、直人のことも、時々、自分の息子であることすら忘れてしまうようになった。


 「お母さん、僕が誰だかわかるかい?」

 「あんた、いい男だね。私がもう少し若かったら、結婚を申し込んでいたよ」

 80歳を越えた久子が屈託なく笑う。


 そんな久子を直人は愛おしそうに優しく抱きしめた。

 久子は嬉しそうに表情を崩し、甘えるような仕草をして応えた。


 久子は死んだ夫のことをあまり口にはしなかった。

 死に直面する自分を恐れているふしがあった。


 いつか自分にも訪れる死期。

 寿命。

 それを気づかないまま、静かに息を引き取りたい、そう願っていた。


 「母さん、いくつになった?」

 「さあ」


 「母さん、来年の1月で83才になるんだよ」

 「おやまあ、そんな年になるんかい?」

 

 死んだ夫の話題には一切触れず、久子は直人の目を真っ直ぐに見て、庭先を見た。

 少し白内障がかかった瞳は、白く濁り、目の黒い部分に陰りがあり、視界が遮られているようでもあった。


 久子が瞳を凝らす。

 「私は今が一番幸せだよ。直人と一緒で、今が一番幸せだよ」

 久子が珍しく息子である直人を認識したのがうれしかった。


 「母さん、僕が誰だかわかるのかい?」

 「馬鹿なことを聞きなさんな、息子の直人だろ。私がボケてるとでも思っているのかい?」      

 久子がぷいと横を向いた。


 こんな何気ない日常が愛おしくて、母親のことが大好きな直人は目頭を熱くした。

 こうして、二人で幸せに暮らせるのも、あと何ヶ月なんだろう?

 直人にはこの先、なにかとてつもない不幸が訪れる予兆がして仕方がなかった。


 「母さん、今日は饅頭を2個買ってきたよ。分けて食べようね」

 1つの饅頭を2つに分けて、朝と昼、計4回に分けて食べた。


 今日は、食費を浮かすため、ご飯を節約することにした。

 スパゲティーにケチャップで、少量食べた。


 具材は何も入れない。

 空腹に負けそうになり、するめを深夜、2人でかじった。


 話す話題は必然と食べ物の話題になることが多く、今度、鍋を食べたいとか、すき焼きを食べたいとか、ケーキを食べたいとか言うことが多くなった。


 


 


 

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5つの家族の、いびつな愛の形、人はそれをKIZUNAと言う 婆雨まう(バウまう) @baw-mau

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