5つの家族の、いびつな愛の形、人はそれをKIZUNAと言う

婆雨まう(バウまう)

第1章 母親の首を絞めて殺した息子の目に大粒の涙が…。

第1-1話 母親との楽しかった思い出。

 ご先祖様、祖父母、父親、母親、そのどちらか一人でも欠けたら、今の自分はこの世に存在していない。そう考えるとこの世に生を受けるというのは、必然のような偶然のような非常に謎めいたものがある。


 親から受け継いだ身体能力を含めた体、顔、考え方。

 人はある年齢まで異性を顔で判断する傾向が強い。


 けれど本当に大切なのは、心の目で見る、目には写らないものだ。

 人生は、あなたが思うほど、悪いものじゃない。

 人は自分が思うほど、ひとりぼっちじゃないのと同じように。

 

 誰かを愛し、誰かを支え、誰かに支えられ今日を生きる。

 明日への希望が抱けない若者。


 父親を憎む、生い立ちに不満足な子供。

 自分を生んでくれた、母親を嫌悪する娘。


 兄弟が不仲な同族嫌悪する企業。

 母親の死が今、何を語ろうとしているのか。


 人はどこへ向かおうとしているのか?

 その答えを直人はまだ見いだせなかった。


 ある晴れた朝、親子は名古屋にいた。

 朝、5時に起床して前日に借りたレンタカーに乗り、東名高速道路を通って、名古屋の熱田神宮に向かった。


 海老名からざっと5時間かけて車に乗り、名古屋に着いた頃にはへとへとになっていた。母親の久子も数年前まではまだ元気だった。


 白内障の手術を2年前にした久子は、次いで右目の手術にも翌年、踏み切った。

 不安はなかった。


 父親は2年前に他界した。

 腎臓病を患った父親を人工透析に連れて行くのは、もっぱら息子の直人の仕事だった。横山直人、57才。


 半年ほど前に仕事を辞め、今は無職で、母親の介護に明け暮れていた。

 直人は父親に厳格なイメージしかなくて、厳しい父親とは反対に、いつも母親の久子が優しく見守ってくれる環境に育った。


 大学を卒業したばかりのころ、直人は仕事を2週間で辞め、無職になり、父親に激怒された。父親は何度も息子を出て行けと罵り、そんな直人をいつも母親がかばってくれた。


 「長い人生だもの。長い人生の一度や二度、仕事を辞めたからってそれがどうしたっていうのよ? これっぽちっもおかしくないわ。神様が少しおやすみしなさいって、直人に声かけしてくれてるのよ」


 母親の久子はいつも前向きで明るい。

 いつかはパチンコで散財して貯金が底をついてしまった時も、久子は父親に隠れて、内緒で10万円、封筒に入れて渡してくれた。


 困った時、悲しい時、悩んでいる時、いつも久子が陰になり日なたになり、直人を後ろから正面から支えてくれた。それはまるで太陽に例えられるがごとく、北に行こうが海外に渡ろうが冬を迎えようが、いつも天高く自分を見守ってくれているようなそんな暖かいイメージだった。


 「母さんはいつだって直人の味方だよ。直人のファンみたなもんさ。だから誰にも遠慮しなくたっていい。どこにでも好きなだけ羽ばたきなさい。失敗したって命を奪われるわけじゃない、そんときゃ、1から0からやりなおせばいいだけの話だよ」


 久子は直人に言った。

 そんな久子だったが、ここ数年の間に、というか父親が亡くなってからというもの、少しぼけてしまったのか、ガス栓の閉め忘れや、物忘れがひどくなり、入れ歯を直人に捨てられたとか、財布を直人が隠したとか家の中で不穏な空気を持ち込みうようになった。


 でも直人はそんな母親に親身になって寄り添い、母親を否定するようなことは何一つ言わなかった。いつかはタンスにしまっておいた200万円の通帳がないと言いだし、直人に詰め寄った。


 財布は結局、冷蔵庫の中から見つかり、氷の中で冷えた10円玉と一緒に、久子の元に戻った。通帳には20万円しか記帳されていなかったが、そのことには何も異を唱える気がないらしく、あるがままを受け入れているようだった。


 けれど久子は自分がボケていることに気づいていないらしく、時々、髪を振り乱して直人を叱責した。


 母親がボケてしまったのは、つい最近のことで、それまでは3つの仕事を同時にこなせるだけの器量が彼女には備わっていただけに、今の現状がことのほか残念で仕方なかった。


 でもどうすることもできない。

 年齢から来る衰えもあるだろうし、何より病気なのだから久子を責めることもナンセンスに等しかった。


 誰が悪いわけでもなく、誰かを責めることも愚かだ。

 運命をいたずらにねじ曲げることができるのは、神様だけだ。


 久子は死を前にして神様に少しばっかり嫉妬されたのかもしれない。

 こういう苦しみを味わうことで、もっと他人の人生から学びなさいと教えられたのかもしれない。


 久子はぼけてしまったくせに、自分では現状をよく理解していないのか、よく粗相そそうすら他人のせいにした。


 いつかは料理をしている時、近所の人が玄関に訪れ、フライパンで油料理をしているのも忘れてしまって話し込んでしまったがために、もう少しのところで火事を起こしそうになったこともあった。


 そして加齢からくる視界の不良に始まり、耳が遠くなり、話しかけてもよく話声が聞き取れなくなってしまい、再度、聞き直しても失礼に当たるとの理由から、人と会うのが怖くなってしまって外出する機会がめっきり減った。


 直人はそんな母親を見て、不憫で仕方がなかった。

 5年前に胃がんの手術で胃袋を全摘してからというもの、食も細くなり、体重も30キロ代へと激減してしまった。


 背中は丸みを帯びて、見るからに骨と皮だけになってしまった、やせっぽちな猫のような母親。足はむくみ、食は細くなり、白髪が人生の奥深さを感じさせた。顔に刻まれた無数の皺が年輪を語った。


 みるからに貧相な体格は、風が吹けば飛んでしまうようなか弱さがあり、庭の手入れで足や手は傷だらけだった。庭をいじっている時だけが、すべてを忘れさせてくれるのか、久子は庭いじりが大好きだった。


 半年ほど前になるが、直人が派遣の仕事で倉庫の仕分け作業をしていた時、なにやら警察から携帯電話に着電があって、母親が近所で迷子になって徘徊していたとの報告を受けた。直人は仕事を半ドンで切り上げ、帰宅することにした。


 その足ですぐさま警察に行き説明を受け、丁寧に頭を下げて身元の引き受けをしたけれど、話はそこで終わらなかった。


 まだその頃には認知症であることに本人も直人も気付いていなくて、捜索願を2回、立て続けにお願いした頃、警察からもしやということで疑問を投げかけられた。


 施設に母親を入所させて、手厚い看護を受けてみてはどうか、もしくは仕事を辞めて、あなたが母親の介護をしてみてはどうか、そんな提案を受けた。


 聞けば、母親は自分が住む住所を言えなかったばかりか、息子の携帯電話の番号も記憶になかった。かろうじて自分の名前は言えたものの、とんちんかんな会話を繰り返すばかりだった。


 警察官は言った。

 少々言いづらいことではありますが、認知症の疑いがあると。


 直人は考えた。

 家に帰り、早速、近所の老人ホームに出向き、パンフレットを取り寄せた。施設で暮らすにはどれくらいの費用がかかるのか、とりあえず電話で試算してもらった。


 けれど母親の年金の額では、とてもではなく支払っていけない結論に達した。

 自分が年金をもらうにはまだ数年先のことだし、派遣の仕事をする自分も、もらえる年金の額はたかがしれていたので、それが入所の足かせになった。


 何より施設に入所させては母親がかわいそうだ。

 我が強く、食べ物の好き嫌いがはっきりしてる母親のことだ。

 老人ホームに入っても、きっと家に帰りたいと泣きつくだろう。


 そうなることが目に見えて明確だった。

 直人は、仕事をやめて母親の世話をする道を選んだ。


 前回のように、母親が近所を徘徊して警察の世話にならないように、自分で身の回りの一切の面倒を見ればいい、そういう結論に達した。


 母親の年金とわずかな貯金でなんとかなる、その時はそう高をくくっていた。

 しかし考えが甘かった。

 

 母親の年金は、2ヶ月で14万円しか入らず、あとは貯金をすり切らせるだけだった。直人は海老名市役所に相談に行き、生活保護を受けられないものか、直談判した。


 結果は無残にも非情だった。

 「あなたはまだ若い、働けるじゃないですか?」

 市役所の職員が言うので、

 「母親が認知症で徘徊するんです。とても働ける環境にない」

 と答えた。


 「それなら施設に預けてみてはどうですか? 介護認定してますか?」

 「もしくはホームヘルパーを雇ってみてはいかがですか?」


 あまりにも事務的な物言いだったので、話をそこで切り上げることにした。

 このまま行ったら、あと数年、いや数ヶ月で間違いなく貯金は底をついてしまうだろう。

 

 直人は食事の量を減らし、1日、1食の生活に切り替えた。

 1つのうどんのパックを3回に分けて小分けし、3回に分けて食べることもあった。

 うどんには卵と天かす、安価なもやしを入れて、栄養を補うことにした。


 米を食べるときのおかずは、専らふりかけで、お茶漬けもよく食べた。

 卵は貴重なタンパク源で、お腹が空いたときは、積極的に水道水を飲んだ。


 食事のおかずが120円のコロッケ2つの時もあったし、メンチ、1個90円のしゅうまい3つとか。170円の大きなさつまあげとか、1袋30円のもやしとか、卵、うどん、乾麺のそば、安価なものならなんでも口に入れた。


 けれど、そんなことはおかまいなしに、母親の食欲は尽きなかった。

 母親はいつもお腹を空かせていて、けれど大好きな母親だけにはひもじい思いをさせたくたい、その思いが強かった。


 母親には3食、きちんと食べさせたい。

 自分の食事を削っても、母親の体調を優先したい。

 それでなくとも母親の体重は38キロしかないのだから、ことは深刻だった。


 貧血気味で、年齢からくる衰えからか、栄養の吸収もかなり悪かった。

 食べても食べても貧血で、よくめまいで横になった。


 1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、貯金が150万を切ったとき、もう一度、市役所の生活支援課、保護第1係を訪れた。


 今のままではあと数ヶ月で貯金が底をついてしまうこと、このままでは野垂れ死にしてしまうか、自殺するしかないと担当職員に告げた。


 生活保護の担当職員は、

 「頼れる親戚縁者はどなたかいませんか?」

 と至って事務的に答えた。


 「介護認定はしましたか?」

 「まだしていません」


 「介護認定をすれば、介護保険の適用が受けられます。もし認知症が認められれば、施設に入るに当たり、援助金が受けられます」


 直人は、あくまでも自宅で母親の面倒を看たいと言った。

 「介護保険の適用を受けて、自宅に介護サービスをしてもらうこともできます。食事の介助をしたり、身の回りを時間を区切って介護することもできます」

 市役所の職員は至って事務的に問題を処理しようとする。


 話は平行線で、とても満足のいく回答が得られそうになかった。

 直人は市役所を後にした。

 

 自宅は2DKのアパートだ。

 売って処分できるような財産は何もない。


 親戚だって、教会を運営する遠い親戚はいるけれど、とても世話になることができるような関係ではないし、妹も癌サバイバーで、とても2人を援助できるような資産も余力もないだろう。


 父親は元々、資産家だったが、事業を失敗して自己破産してからは家族の心は散り散りバラバラになった。貧乏が染みついた直人の顔は、以前の輝きを完全に失っていた。生活苦の眉間の皺が、何かを物語っていた。


 このままいけば、毎月の光熱費、家賃、食費を考えただけで、来年まで持ちこたえられればおんの字だ。自分でもこの先、やっていけるかどうか自信がなかった。


 直人は、この頃にはまだなんとかなると思っていて、まさか最悪の事態を迎えることを予測できなかった。


 どこかで救いの手が差し伸べられるだろう。

 自分は大丈夫だ。

 まだ楽観的に考えていた。




 


 

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