お嬢様として生まれたリリィは自由奔放でいたかったけれど、十歳になり立派なレディを志します!

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

お嬢様として生まれたリリィは自由奔放でいたかったけれど、十歳になり立派なレディを志します!

「お嬢様、ここにいらしたのですか」

 半ば呆れ顔の執事、リチャードが私を見上げる。

「ここが一番きれいなんだもの」

「降りて来て下さい」

 聞こえないフリをしても、じっと見てくる視線に根負けして私は木を降りる。

「お茶の時間です」

「スケッチは気分がのらないと描けないのに」

「何ティーにされますか?」

「何でもいいわ」

 嚙み合わない会話は、リチャードの『かしこまりました』で締めくくられる。


 私は昔から木登りやかけっこが大好きだった。

 木登りは今もするけれど、今よりももっと木に登ったり、走り回ったりして遊んでいた。


 けれど、周囲は『こんな遊びを止めなさい』と口を揃えて言っていた。



 唯一、私の遊びを否定をしなかったこのリチャードでさえ、近頃は『そろそろ年頃になるのだから』と思っているんじゃないかしら。そんな視線をヒシヒシと感じる。


 十歳になって、自由な時間はめっきり減った。

 言葉遣いの勉強だの、お茶会の練習だの、そんな学びの時間ばかりに縛られるようになったの。


 私は風を感じたり、風景を見たりして感じたものを絵を描くのが大好きなのに。


 これからも、好きなことをする時間はもっとなくなっていくのかしら?

 もし、それが大人になることだったら、私は大人になんかなりたくない──なんて、いつの間にか願っている。




 トボトボとリチャードについて行き、テーブルに着く。私が椅子に座ると、まるで合図かのようにお茶の用意が着々と始まる。

 私は無視をしてスケッチ帳を置く。鉛筆を握って、まだ頭の中に残っている風景を描く。


「お嬢様」


 リチャードの注意する声だわ。もちろん、無視よ。


「お茶の時間ですのでスケッチ帳を片付けて下さい」

 返事をすれば、描くイメージが口から出て行ってしまいそうで私は黙々と描き続ける。


 けれど、ずっと私を見てきたリチャードからしたら、慣れっこなのかもしれない。それとも、年上の余裕ってやつなのかしら。

 子どもの私相手に、めげることを知らない。


「お嬢様」

「あ~! うるさいわね! だからね? 気分がのらないと描けないの! 逆を言えば気分がのっていればドンドン描けるって意味よ! だから、今! 今、描かなくちゃいけないの!」


 バン! と置いた鉛筆の先が、折れた感覚。


 最悪だわ、本当に。

 息が上がって、気持ちまで怒りに持っていかれちゃった。


 これじゃあ、描くなんて気分じゃない。


 ムーっとリチャードを睨みつけているのに、何だか見えなくなってきた。


「申し訳ございません。ですが、これから社交界デビューに向けて……」


 ポタリ、と、スケッチ帳に何かが落ちた。


 グッと唇を結びスケッチ帳を閉じて、バサッと地面に置く。鉛筆はポイっと捨てた。

 バッとカップに手を伸ばす。一口飲んだら、カチャリとカップを置いて、今度はフォークを手に取りケーキを頬張る。


 リチャードは何も言わない。

 浮かない顔をしていそうだけれど、これで満足なのでしょう? と言いたい。


 黙々とケーキを食べて、何ティーだったかわからない紅茶を飲み干す。スケッチ帳だけを拾って、私はその場を去った。




 その日の夜、眠れなくてお父様とお母様の部屋へ向かうと、話し声が聞こえた。

「旦那様、奥様……すこしお話よろしいでしょうか」

 リチャードの声だ!


 もしかしたら、昼間の私の態度を告げ口する気なのかもしれない。


 ドキドキと胸が高鳴っていく。

 悪いことだと思いながらも、私は聞き耳を立てる。


「リリィお嬢様は、絵の才能のある方です。もっと自由に……いえ、絵画に時間を割くようにし、お嬢様の才能を伸ばしていくのは……いかがでしょうか?」


 びっくりした。


 知らなかった。

 リチャードが、そんな風に思ってくれていたなんて。


 お父様とお母様は何て言うかしら……。聞きたいけれど、何て思われているか、知るのが怖い。


 しばらく立ち尽くしていたけれど、リチャードがいつ出てくるかわからないと思うと余計に怖くなって、私はパタパタと部屋へと引き返す。



 そういえば、リチャードはもう、六十歳を越えている。思い返せば昔から駆け回っている私を追いかけようとして、何度も息を上げていた。


 部屋に戻ってきて、すぐに布団に潜り込む。だけど、グルグルと昔のリチャードの姿が入れ替わり立ち替わりに浮かんでくる。

 今日も……私を探し回ってどのくらい歩いたり走ったりしたのかしら。──そんな顔、見せなかったけれど。



 布団に包まってそんなことを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 目を開ければ、今日もいい天気。

 ああ、こんな日は走り回ったら、どんなに気持ちいいだろう。


 カチャリとドアが開いたかと思えば、わらわらとメイドたちが入って来る。


「おはようございます、リリィ様」

「今日も美しく致しますわ」

「ご覧になって下さい。かわいらしいドレスを持って参りました」


 フリルがたっぷりついたフワッフワのスカートが目についた。

 ソフィー、ララ、マリアが次々に笑顔を降り注ぎ、私を囲んでいる。

「お、おはよう、ソフィー、ララ、マリア」

 ぎこちない笑顔だけど、みんなは頬を染めて喜び……我先にと言わんばかりに私の身支度を仕上げていく。


 十分もすれば、可愛らしいお嬢様の完成。

 鏡の前の姿を見れば、男の子のように遊びそうな人物にはとても見えない。


「お似合いです!」

「ああ! 今日も美しいですわ!」

「リリィ様、お食事を用意致します」


 ササッとカーテシーをしたソフィー、ララ、マリアは嵐のように去っていく。

 入れ違うように姿を現したのは、執事のリチャード。


「おはようございます、お嬢様」

「お、おはよう」


 運ばれてくる朝食に、私は大人しく座って支度を待つ。


 リチャードは……昨日と何も変わらなさそうに見える。


 お父様とお母様は、何と言ったのだろう。

 私がまだ絵を描いていると嘆いたかしら。

 リチャードは……怒られなかったかしら。


「お食事のあとは本日も、昨日と同じく言葉遣いの勉強を。昼食のあとに、お茶の時間となります。よろしくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げる仕草も──変わらない。そっか、昨夜リチャードがお父様とお母様に話したからと言って、別に何も変わらなかったのね。


「わかったわ」

 ガッカリしたけど、よかったのかもしれない。


 私がフォークとナイフを手に取るころ、リチャードは一礼をして退室した。




 お父様とお母様は、私が絵を描くことをよく思ってはいなかった。走り回ることも、木に登ることも同じ。

『お嬢様』は、そういうことをしないから。


『お嬢様』は社交界で華やかに過ごすことが『普通』。『普通』ができなければ、『恥』。私が『恥』になれば、お父様もお母様も……『家』が『恥』になる。

 リチャードの役割は、私を『普通』にすることだ。


 朝食を終えて、言葉遣いを学んでいたら、ふと思った。──リチャードは、昨夜、お父様とお母様に怒られたからこそ、『何も変わらなかった』んじゃないかしら。


 ぼんやり浮かんだそれは、昼食を食べ終わっても頭から離れなかった。




 空はこんなにも青くて、風はこんなにも気持ちいいのに、走り回る時間がないなんて。


 ううん。

 走り回らなくったって、こんなにも空は青くて、風が気持ちいと……感じることもできるのね。



 お父様とお母様は、私に『普通』を求めているけれど、リチャードは……私に、何を求めたかしら。




 フラリと、足が動き始める。


「お嬢様!」

 リチャードがびっくりしたような顔をする。

「これからお茶の時間でしょう?」

 そう言いながら、私は椅子を引いて腰かける。

「今日は、そうね……ミントティーがいいわ」

「かしこまりました」

 リチャードの戸惑っているような表情を見て、私はクスリと笑う。


 ありがとう。リチャード。

 あなたが誰よりも、私を見てくれていたのね。


「これからはお茶の時間だって勉強の時間だって、しっかり守るし、しっかりと学ぶわ。だけど、したいこともそれ以上にしていくつもりだから……そこは、目をつぶってね」

 にこりと笑ったのに、リチャードはまだ目を丸くしている。


 これまでの行動を振り返ってみて、私は思ったやることをやらないでやりたいことばかりをしていたと気づいた。


 リチャードは私を指導しつつ、私に合うことを見つけてくれていた。お父様とお母様に提案もしてくれていた。

 だから、私が変わらなきゃいけない。

 したいことばかりをしようとしていてはいけない。


 しないといけないことをきっちりと行って、お父様にもお母様にも何も言わなれないように私が努力をして、それ以上に楽しいことをすればいいだけ。


 まずは『普通』を身につけて、目指すは立派なレディよ!



 なあんて、ひとりで息巻いていたけれど──リチャードが、うっすらと涙を浮かべているような気がしたのは、気のせいってことにしておくわ。

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