さよならヒーロー。
蛇八磨 明和
本文
友達も家族もいる。恋人こそいないが、特別求めているわけでもない。仕事だって上手く行ってる。29の年で憧れの作曲家として、僕は立派にやっているつもりだ。
傍から見ればなんと充実し満ち足りた人生にうつるだろうか。実際僕自身も幸せだという自覚はあるのだ。だが、だがな、どうにも拭えないのだ。心に一度棲み着いてからいまだにずっと離れないんだ。
成功すれば無くなると思っていた。
だから、がむしゃらに頑張ってきた。なのに人間関係も上手く行って仕事も上手く行って安定すると、気づいてしまう。
――僕は未だに孤独なんだと。
こんな時、無性に死にたくなるのは十代の頃のくせだろうか。だが、僕ももう大人なんだ、しっかりなきゃいけない。こんなことでクヨクヨしていたら、笑われてしまう。
気分転換に散歩でもしよう。
そう思い立った僕は、キーボードのコントロールSを押して、席を立つ。
酒が入ってるせいでフラついて上手く靴がはけない。
僕は、諦めて、踵を潰して足を通す。一抹の罪悪感を履いて、僕は家の外へ出た。
久しぶりの外で、眩しすぎて思わず目に力が入る。
「はぁ...」
立ち呆けていてもしかたがないから、とりあえず右に向かって歩き出す。
歩きながら、どこへ行こうか考える。
そういえばこの先にガキの頃よく行ってた公園があったな。
そう思うと無性に見たくなってきた。
僕は少し住宅街の方へ入って、歩き出す。
しばらくすると、元気な子供の声が聞こえてくる。
僕は、公園の中へ入る。
至ってどこにでもあるような公園だ。
あるのは小さな砂場と滑り台とブランコと糞まみれのベンチだけ。よく子供はこんな場所で何時間も時間をつぶせるものだ。
――なんて、こんな事いえば子供の頃の僕は怒るんだろうな。
あぁ馬鹿馬鹿しい。なにをどこぞのポエマーみたいなことを言ってるんだ。29歳、しっかりしてくれ。
「はぁ...」
歩き疲れたな。在宅ワーカーにとっては少しの距離でもかなりの運動なのだ。少し休憩したら帰るとしよう。
僕は休憩のために近くにあったブランコに腰掛ける。
ポケットに手をつっこんでタバコを一本取り出して口に咥える。ライターを求めて胸ポケットを探るが、お目当てのものはない。
あぁ、最悪だ。肝心の火を忘れてきてしまった。
僕はイライラして、咥えていたタバコを地面に落として足ですりつぶす。
「っち...」
舌打ちの後、深い溜息を吐いて空を見上げる。
今日は晴天だ。雲ひとつない。
こう...晴天を見ると思い出してしまうのだ。
あの日も今日くらい晴れていた。当時イジメられていた僕はその日学校で飛び降りて死のうと思っていた。
だが、結論として僕は今生きている。そう、その日僕は死ねなかった。
靴まで脱いだその時、ひとりの女生徒が声をかけてきた。
『ねぇ、やめなよ』
振り返るとそこに立つ彼女は、泣いていた。大きな瞳は涙で濡れて、とても綺麗だった。
彼女の泣き顔を見ると、なんだか死ぬ気が消えてしまって、今まで自分がしようとしていた事を思うと急に怖くなった。
だけれども、なんだか引き返せない気がして僕は言葉を返した。
『お前は知らないだろう、僕にとって生きるのがどれだけ苦痛か』
そう言うと彼女は少し俯いた後もう一度僕の目をしっかりと見て言う。
『分からないよ!!なんで辛いからって死のうってなるの!』
急に現れて声を荒げる彼女に、少しムッとなって僕は言い返す。
『あぁ、わからないよな。あんたはきっと皆に愛されてるからそんなことが言えるんだ。だけどな、僕は、僕は違うんだよ...。誰にも愛されていないんだ。ならこんなやつ死んだっていいだろ。いいか?お前と僕じゃな―』
『――世界の色が..違うんだよ...』
掠れた声でそう僕が言うと、彼女が僕の傍へ寄ってくる。
背丈が僕の胸元程しかない彼女は、潤んだ瞳で僕を見上げ睨む。
彼女が震えた声でポロポロと涙を流しながら途切れ途切れ言うのだ。
『そんな悲しいこと言わないでよ。誰も...誰も...死んで良い訳なんかないんだよ』
僕は気づけば彼女につられて泣いていた。なにを馬鹿な。こんな綺麗事ひとつでながせるほど僕の傷は浅くないだろう。
なのに、どうしてだろう。彼女の声ひとつで救われた気になる僕がいる。
泣き顔を隠す為、僕は目元を手で覆いそっぽを向く。
すると、ふいにフワッと甘い匂いが香る。
なにかと思い、手をどけて見ると、彼女が僕に抱きついていた。
『え』
僕が思わず戸惑っていると、彼女はギュッとより強く抱きしめた後に泣いているせいで震えたの声で言うのだ。
『確かに、あなたが言う通り私は幸せだった。だから、死にたいなんて思ったこともない。だけど、死にたいとか辛いとかは分からなくても...!あなたが生きてていい理由ならいくらでも分かる..!あなたが幸せになっていい理由ならいくらでも分かる!こんな所であなたの大切な人生を終わらせちゃいけない理由ならいくらでも...分かる..から...』
彼女は僕の胸元へ顔をうずめて鼻声で言うのだ。
『――お願い、死なないで』
荒んだ僕の世界に彼女の澄んだ声はまるで、枯れ地にふる雨のようで、少し、ほんの少し希望を見てしまった。
そうして、僕はあの日彼女に救われて、また人生を歩き始めた。
イジメ問題も、彼女の協力のおかげで上手く解決して、イジメがなくなると自然と友達もできた。
そして、作曲家という夢もできた。自分の曲で詩で彼女を歌いたかったのだ。
そうして、僕は高校を卒業してそのまま進学はせずにバイトをしながら曲を作り続けた。
まぁそんなこんなで今があるわけだが、結局あの頃彼女に救われて綺麗になった僕は――もういない。
人間根っこのところは中々変わらないもので、大人になった僕はまた腐ってしまった。
あぁ、最低だな。
僕が死なない、いや死ねないのはあの日救ってくれた彼女への罪悪感があるからだ。
やっぱり僕は光がないと、前もみれない臆病者なんだ。
こんな気持ちも歌になって金になる。
僕はうつむいて涙とともに言葉をこぼす。
「ごめんなさい...本っ当に...ごめん...」
そんな僕の足に黄色いボールがぶつかる。
駆け寄ってくる少女。
ボールを拾った僕を見つめて少女は言う
「ごめんなさ..え、お兄さんないてるの?」
僕は一瞬、言葉が出なかった。あまりにも、無邪気に僕を見るその少女の姿が当時の彼女に似ていたから。
しばらくしてハッとした僕は、笑顔を作って言う。
「いいや、大丈夫。遊んでおいで」
そう言って僕は遠くへとボールを投げた。
ボールを追いかけて走り出す少女の背姿を目で追いかける。
少女は、ボールを拾った後二人の男女の方へ駆け寄る。
二人の男女は、少女の親だろうか。
僕はジッと眺めていると、少女が僕の方を指差しながら両親に何かを言ってるのがわかった。
すると、いままで後ろを向いていた母親の方がこちらを振り向く。
その姿を見て僕は思わず言葉をこぼす。
「あぁ...そっ..か...」
そこには左手薬指に指輪をはめて随分髪が短くなった”彼女”がいた。
彼女は僕に気づき、ペコリと申し訳無さそうに頭を下げた。
ハハ、今彼女は誰に頭を下げたのかわかってないんだろうな...。自嘲気味に僕はそう思う。
今にも泣き叫びたい衝動を抑えて僕は軽く頭を下げて会釈をした。
場違いな気持ちだなんてのは分かっているんだけど...。見てしまったら溢れ出してしまうじゃないか。
それも、こんな形で...。
「仕方..ないんだよな...」
きっと、これが人間で、これが人生なんだ。
あの頃の僕にとってのたった一つの希望の光は、今、たった二人の愛すべき人の為だけに輝いてる。
「さよなら。――僕の僕だけのたった一人のヒーロー」
どうか、お幸せに。君がくれた人生は死んでも宝物だ。
――今までありがとう。さようなら。
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翌日、独りのアーティストの訃報がネットで流れた。
彼のファンは耐え難い気持ちだった。
そしてマンションの寝室で、彼の音楽を聞きながら涙を流して窓の外を見つめる”彼女”だってそのひとりだ。
彼女はツーっと涙が伝った後、零すようにつぶやく。
「...私じゃ救えなかった...ごめんなさい」
――さようなら、初恋の人。
その日は、鬱々とした雨が一日中降り続けた。
さよならヒーロー。 蛇八磨 明和 @lalalalala
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