第7話

 ――――――――――


 神社のなかを一通り歩いたあと、「桜を見たい」と言ってすたすたと歩き出した稲垣のあとについていって、僕たちは大きな桜の木のそばまで歩いていった。境内のはずれにある場所で、そこにあまりひとけはなかった。僕たちは屋台で買った飲み物を飲みながら、散発的に会話を交わしていた。


 日が傾き、西日のオレンジ色がずいぶんと濃くなってきていたが、祭りの人出はまだまだ減らず、屋台の周りは賑わっている。小学校の三年生くらいの子たちが、ざくざくと砂利石を踏む音を立てて、僕たちの前を早足に歩いていった。


「前、一緒に来たときと、ほとんど変わってないね」と、ふと沢口が言った。


「前?」


 稲垣が怪訝そうに首を傾げた。


「僕たち、五年生くらいの頃、一緒にこのお祭りを回ったじゃない」


「うそ、そんなことあった?」


「あったよ。ねぇ、中村君」


 僕が頷くと、ほんとに? と稲垣は言い、少しの間「うーん」と唸っていた。それから、ようやく思い出したのか、ぱっと表情を明るくさせて、「ああ、そういえば」と言った。そしてそれに続けて、


「中村と綺乃が二人で気まずそうにしてた時だ」


 僕はそれを聞いて、飲んでいたサイダーを吹き出しそうになった。


「ちょ、いきなり吹かないでよ」


「吹いてない」


 ギリギリだったけど。沢口は僕たちのやりとりを見て少し笑い、それから「僕、ゴミ捨ててくるよ。中村君、それ、一緒に捨ててこようか?」と言った。


 僕は、「ありがとう」と答えて、少しだけ残っていた缶の中身を飲み干し、彼に渡した。沢口は、ふたつの空き缶を持って、ゴミ箱が集められている場所へ歩いていった。


 僕と稲垣は桜の木のそばに二人で並んで立っていた。近くには植え込みもあって、淡い色をした菫の花も咲いていた。白い蝶が一匹、そこから僕たちのそばに飛んできて、あたりに舞っている桜の花びらと一緒にひらひらと飛んでいった。


 僕はその蝶の姿を目で追いながら、ふと、綺乃と二人きりになったときのことを思い出した。そして、全然気まずくないな、と思った。稲垣とだって三年ぶりに会ったばかりで、多少の固さはあるけれど、あの時みたいな気まずさはない。それで改めて、あの時の僕はどれだけ綺乃のことを意識していたのだろう、と思った。


「ねえ、中村」と、ふいに稲垣が僕のことを呼んだ。


「なに?」


 僕が答えると、彼女は僕の方をちらりと見て、なんでもないことのように、さらりとした口調で言った。


「やっぱりまだ、綺乃と会うのは気まずい?」


「は?」


 僕は突然の質問に驚いた。稲垣はまっすぐに正面を向いている。彼女の質問の意図がわからず、僕は何も言うことが出来なかった。すると稲垣はふたたび僕の様子を窺うような視線を向けた。それから、独り言のような口調で、「君たちのこと、実はずっと気になってたんだよね」と、話を続けた。


「どうして」


 僕が問うと、稲垣は少しの間「うーん」と唸って考え込み、その後、話し始めた。言葉を選んでいるような、ゆっくりとした話し方だった。


「私は、中村とも綺乃とも付き合いが長かったから。君たちが意識し合ってるのを、昔からずっと感じてたんだ。なんとなくだけど、君たちは外側にいる私たちにはわからないような特別な関係なんだろうな、って思ってた」


 そこで一度、彼女は言葉を切った。自分の話に違和感を持ったのか、また考え込むように首を捻った。それから少しして、適切な表現を思いついた、といった様子で小さく頷いた。


「要するに、私は君たちの関係に憧れてたんだよ」


 全く思いもかけない言葉だった。憧れ? いったい稲垣は何を言っているんだろう、と思った。


「なんていうか……君たちは、単純に好きとか嫌いとかを超えたところにある何かを共有しているように思えたんだ。何かが違ったんだよね、そこらへんに転がってる、惚れた腫れたみたいな話とは。そういう何かを共有している異性が近くにいるってどういう感じなんだろうって思うと、すごくドキドキした」


「はぁ」と、僕は生返事をした。それしか出てこなかった。すると、稲垣は少し悪戯っぽい口調でこう言った。


「もし私が中村のことを好きになってたら、綺乃には物凄い嫉妬を覚えたかもしれない。けど、幸い中村は私のタイプではなかったから」


「……なるほど」と、僕は曖昧に頷いた。


「どうして、あんなに長い間、君たちの間がぎこちなかったのかは知らないけど。でも、あの子は、もっと君と仲良くしていたかったんじゃないかな。綺乃、泣いてたから。君がここからいなくなったときに」


「え?」


 思わず、稲垣の顔に視線を向けていた。稲垣は前を向いたままで、その横顔からはうまく表情を読み取ることが出来なかった。


「ほんの少しの間だったけどね。でもそれで、やっぱり綺乃は君に特別な思いを持ってるんだってわかった。だから、実は今日も綺乃に声をかけてたんだよ。まず四人で会えば、君たちの気も楽になるかなって思って。また変な感じになりそうだったら、私がフォローするつもりだったし」


 僕は黙っていた。ずっと同じ調子で響いていたはずの祭囃子の音が、やけに遠く聞こえた。


「それで、君の方はどうなの? 君たちが特別な関係だったっていうのは、全部、私の勘違い?」


 そこで彼女は僕の顔に視線を向けた。誤魔化すことを許さないような、真剣な眼差しだった。


「……いや」


 僕は短く答え、首を横に振った。すると、稲垣は小さく微笑んだ。


「それなら、よかった」

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