第4話
一時間半ほどそのカフェで過ごした後、僕たちは近所の神社に向かうことにした。ちょうど、この日はそこで春祭りが行われている日だったのだ。沢口がそのことを話題にしたときに、稲垣が「せっかくだから、今から行こうよ」と提案してきた。
屋外には未だに眠くなってくるような穏やかで暖かな空気が漂っていた。黄色味を帯び始めた西日が服を通して、じんわりと熱を伝えてくる。
目的地の神社が近づいてくると、鳥居の周辺に出ている屋台も見えた。遠くから人々のざわめきが聞こえてくる。僕たちが歩いている歩道の脇には街路樹として桜の木がたくさん植えられており、歩道には桜の花が、足を踏みしめると厚さを感じるほど大量に落ちていた。
その祭りは昔から、神社と周囲の商店街が毎年この時期に行っているものだった。小学生の頃にも、何度か遊びに行ったことがある。
遠くかった太鼓の音と多くの人の気配が、徐々に近づいてくる。僕は二歩ほど先を並んで歩いている沢口と稲垣の後ろ姿をぼんやりと見ていた。成長した二人の後ろ姿の雰囲気にはまだ慣れない。けれど時折、その歩き方や仕草のクセに、既視感と懐かしさを感じる瞬間があった。
そして、そうやって歩いているときに、ふとある記憶が脳裏にちらついた。
とても久しぶりに間近で見た綺乃の、驚いたような、不安そうな表情。それを思い出した瞬間、当時と同じように僕の胸が一度大きく弾んだ。
――あれはいつのことだったろう? 僕たちが五年生に上る前の春だったから、……五年前だ。
その時にも僕はこの春祭りに来ていた。今一緒にいる二人と、それから、綺乃も一緒だった。正確に言えば、僕は沢口と一緒に来ていて、偶然稲垣と綺乃の二人と鉢合わせたのだけれど。最初に稲垣が僕たちに気づいて声をかけてきて、それからなんとなく、四人で一緒に行動していたのだった。
その時、もうすでに綺乃と話さなくなってから長い時間が経っていたから、僕はとても戸惑っていた。たぶん、綺乃の方もそうだっただろう。稲垣が僕たちに声をかけてきたとき、その後ろに立っていた綺乃は、どこか不安そうな表情を浮かべていたように思えた。
四人でいるときには、それでもまだマシだった。僕と綺乃は沢口と稲垣の二人を間に挟んで歩いており、僕たちが直接に言葉を交わさなくても、なんとかなっていた。
しかしある時、稲垣と沢口が二人でどこかに歩いて行って、僕と綺乃は二人きりになってしまった。どういう理由だったのかは覚えていない。稲垣たちがトイレに行ったという理由だったかもしれないし、何か気になる屋台があって二人でそこに行っていたという理由だったのかもしれない。とにかくその時、稲垣と沢口は、僕と綺乃の二人を残して、どこかへ行ってしまっていたのだ。
人混みのなかで、僕と綺乃はぽつんと残された。僕たちは思わず目を見合わせていた。そのときの目が合った瞬間の、ものすごい気まずさをまだよく覚えている。
突然綺乃と二人だけになったことに僕はかなり動揺していた。どうしたらいいかわからなくて、頭が真っ白になってしまった。けれど、たくさんの人たちが固まったままの僕と綺乃を避けて歩いていることに気がつき、とにかく場所を移さなければと思った。
「……あそこで、座って待っていよう」
僕は近くにあった三人掛けくらいのベンチを見つけて、綺乃にそう声をかけた。
わずかに俯いていた綺乃は、一度ちらりと僕を見た。彼女の方も困惑していたようだったけれど、「そうだね」と、一言いって頷いた。
そのベンチは桜の木のそばにあった。僕たちは座面に落ちていた桜の花びらと砂埃を払い、一人分の距離を間に置いて、ベンチに座った。
並んで座ってからもしばらく、僕たちは互いに黙ったままだった。
綺乃はスカートの裾からわずかに出た両膝をくっつけて、その上に手を置いていた。どこか上品な雰囲気がその佇まいから漂ってきていた。小さな頃から彼女は何をするにしても丁寧な女の子だったけれど、成長するにつれてその立ち居振る舞いはますます洗練されてきているようだった。
綺乃はその頃、どんどんと美しく成長していた。少なくとも僕はそう感じていた。そしてそのことを意識してしまうと、彼女の隣に座っていることに対する緊張感と気まずさは、さらに増していった。
今、綺乃はこの状況をどう思っているんだろう。
沈黙のなか、ふとそんなことを思った。しかし、考えるまでもなく答えは決まっている。僕と同じように、気まずい思いをしているに違いない。
僕が無意識のうちに綺乃の横顔に視線をやったとき、ふと、綺乃も顔を僕の方へ向けた。彼女の肩までの長さの髪がさらりと揺れ、間近で目があった。長い間遠くからしか見ていなかったその顔を近くで目にしたとき、どきりと、大きく胸が弾んだ。
僕たちは、瞬間的に視線を逸らした。そしてそのあとには、沈黙がより深くなったような気がした。息が詰まって苦しくなってくるような時間だった。僕は顔を上げて空を見上げた。白い花をつけた桜の木の枝の間に、薄青い空が広がっている。小さく息を吸うと、喉に空気が通っていくのをやけに冷たく感じた。
「なんだか、こうしてるの久しぶりだね」
ふいに綺乃が、静かな声で沈黙を破った。僕はふたたび、綺乃の方に視線を向けた。
「昔は、いつもこんなふうに二人でいたよね」と、綺乃は僕の方を向いて、にこやかな表情で続けた。
その言葉に、綺乃との過去の記憶が頭を過った。この二年ほどの間はほとんど関わりがなかった。それでも、幼少期からのたくさんの記憶の断片が瞬時に頭の中に浮かんできた。そしてそれと同時に、自分では全く整理できていなかった当時の僕の、綺乃に対する気持ちもまた膨らんでいった。
その言葉は、無意識のうちに出てきていた。
「もう、あの頃とは違うよ」
そんなことを、僕は言っていた。
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