第3話
それから僕たちは、待ち合わせ場所から歩いて五分ほどの場所にあるショッピングセンター内のカフェに向かった。
この日は休日で、さらに春休み期間中ということもあり、ショッピングセンターのなかは混雑していたが、カフェの席は半分ほどが空いていた。僕もかつてここで買い物をしたときに目にしていたけれど、ここのカフェは買い物のついでにテイクアウトで飲み物を購入していくという利用客の方が多かった。
それぞれに飲み物を買ってテーブル席に座ると、稲垣と沢口は、彼らが進学した中学校での出来事を聞かせてくれた。どんな先生がいたとか、誰々は何部に入っていたとか、誰が誰のこと好きになって告ったとかの話を、しばらくの間していた。
彼らの話がひと段落すると、今度は主に沢口が、僕に向こうでの三年間についての質問をしてきた。秋田での僕の中学生活は、別に変わったところのない平凡なものだった。僕が経験してきた出来事なんて何の面白みもないと思ったが、意外と話は途切れなかった。僕が通っていた中学がどんな学校だったか、目立つ教師や生徒にはどんな奴がいたか、街のどんなところで遊んでいたか、等々。特別なことなど何もなかった日々だったけれど、三年分もの蓄積があれば、とりあえずそこから何かの話題を取り出すことは出来るのだなと思った。
そうしてすぐに一時間ほどが経った。会話のペースが落ち始めてくる頃には、三年ぶりの再会だという緊張感は徐々に薄れてきて、弛緩した雰囲気が漂い始めていた。僕と沢口は単発的な会話を交わしながらまだ残っていた飲み物を飲み、稲垣は誰かと連絡を取っているのか、時折スマートフォンをいじっていた。
しばらくの間、そんな静かな時間が流れていたが、ある時沢口が稲垣に「誰かとラインしてるの?」と、何気ない口調で尋ねた。
稲垣は顔を上げて、うん、と頷き、
「綺乃」
ぽつりと、そう答えた。
テーブルの傍の窓際に置かれていた観葉植物のポットをぼんやりと見ていた僕は、その名前を耳にした瞬間、思わず視線を稲垣の方へ向けていた。
「綺乃?」と、僕の横で沢口が首を傾げた。
「池内綺乃。中村の隣の家の。今日は進学先の学校で、入学前のオリエンテーションがあるんだって」
「ああ」と沢口が納得したように言った。「池内さん、泉ヶ丘女子だっけ」
「そう。私立の進学校は入学前からなんか大変そうだね」
それから稲垣は僕の方を見て言った。
「そういえば、綺乃、中村が帰ってくること、私が沢口から聞くよりも先に知ってたみたいなんだけどさ。まさか中村から連絡とったりした?」
「いや」と僕は首を横に振った。
「俺、綺乃の連絡先、知らなかったし。たぶん、親が連絡したんじゃないかな。うちの母親と綺乃のお母さんは、仲が良かったから」
ふうん、と稲垣は頷き、
「まぁ、そうだよね」
と、独り言のように言った。何か肩透かしを食らったかのような口調で、僕はそれに引っかかりを覚えたが、追及することはしなかった。稲垣も、もうその話を続ける気はなさそうで、スマートフォンの画面に視線を落としている。
――――――――――
池内綺乃は、僕の家の隣に住んでいる同級生の女の子で、僕たちと同じ小学校に通っていた。
僕と綺乃の家族はちょうど同じくらいの時期に今の家に住み始めたらしい。そのことは親から聞いて知っていたが、出会った日の記憶はない。物心がつく頃には、もう彼女は僕のそばにいるのが当然の存在になっていた。
小学校では僕と綺乃の家が隣同士だということは知れ渡っており、そのことで僕たちはずっとからかわれていた。男女関係についてませてくるような年齢になってからは、あの二人は隠れて付き合っている、というような噂を流されたこともあった。
しかし、僕と綺乃は、本当にそういう関係ではなかった。クラスは六年間を通じてずっと別だったし、ほとんど言葉を交わしもしなかった。学校で見かけたときも、どこかの道端ですれ違ったときも。
付き合っているどころか、たぶん、僕は彼女に嫌われているんだろうと思っていた。ずいぶんと長い間、そう思っていた。三年前、僕がこの街を離れる直前のあの日までは。
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