おはよう。

二月こまじ

第1話

「いい加減起きろよ」

「えっ」


 強く揺すられて目を開けた。

 身を捩るとギジリと音が鳴る。硬く冷たい床で寝ていたせいか、身体があちこち痛い。

 ここはどこだ?


「やっと起きた。世界は大変だっていうのに、呑気な奴だな」


 辺りはやたら暗かった。

 まだ朝は来ていないのに、なんで起こされたんだ? っていうか、本当にここ何処?

 混乱しながら上を見上げると、そこには同じクラスで隣の席の伊藤がいた。

 黒縁眼鏡の神経質そうな横顔、間違いない。ただ、格好が--。


「お前、どうしたの? その格好??」

「何が?」

「何がって、どうしてそんな──」


 ビラビラした、あたかもファンタジーの世界から飛び出したかのような格好を……。

 ご丁寧に、腰に剣まで差している。


「言っている事がよく分からないな。キミとあまり変わらない気がするけど」

「えっ、ぎゃっ!」


 言われて見てみれば、俺もズルズルとやたら裾の長い魔法使いのような格好をして寝っ転がっていた。

 これは夢か? 夢だとしても俺の深層心理の中でこんなものを着たい願望があったのだとすれば恥ずかし過ぎる。


「ほら、もうすぐ時間だ。仕事だよ。起きて」


 そう言われ、手を引かれ身体を起こした。

 夢の中の伊藤は、普段と違い随分積極的だ。キビキビと喋ってキビキビ動く。


「伊藤……」

「なんだい?随分懐かしい呼び方だな」

「伊藤なんだな」

「当たり前だろ。今更どうした」

「お前……」


 喋れるんだな。


 伊藤君は吃音という病気です、そうクラス全員を前にして、始業式の日に先生が言った。

 だから、言葉がなかなか出なかったり、吃ってもからかったりしてはいけませんよ、と大声で先生が繰り返す。

 隣の席を覗き見ると、伊藤は顔を真っ赤にして小さく小さく縮こまっていた。 


 俺はそれを、気の毒な奴だな、と思って見ていた。


 その後、伊藤をからかう奴は現れなかった。別に先生の言いつけを守ったわけじゃない。

 伊藤が喋らなかったからだ。

 伊藤は先生に授業中に指される事も無い。よく分からないけど、伊藤の親がそういう事はやめてくれと、先生に言ったからだという噂だ。

 だから、伊藤の声を誰も聞いたことが無い。

 そして、そのことに誰も特別感心を持たず、世界がまわっている。


「これから、世界を変えようって奴が、何を呆けているんだ」

「世界を……変える?」

「そうだ、僕たちは世界を変える、勇者パーティーじゃないか」

「勇者?」


 夢だと思っていたが、ここはアレか? 異世界転生的なやつなのか。


「俺が?」

「いや、僕が」


 お前かい。


「キミは、大賢者だ」


 賢者……言われてみれば、そんな格好をしている。


「世界の封印を解く、唯一の呪文。世界の理、世界の秘密、世界の闇、その法則を解き、スーパーミラクルハイパーエターナル魔法の呪文を使える者。それがキミだ」

「ダサっ。なんだその呪文」


 形容詞がやたら壮大だ。

 意味不明な事を次々と言われ、頭の整理が追いつかない。


「ほら、もう時間がない。夜が明けるぞ」


 暗闇の世界に白い光が射しこんだ。

 窓からの柔らかな光が、黒板や机を白く照らす。

 明かりがさしてみれば、ここは見慣れた学校の教室だった。

 俺は机と机の間で寝ていたというわけだ。

 そりゃ、あちこち痛いはずだ。なんで今まで気付かなかったんだろう。


「さあ、スーパーミラクルウルトラハイパー魔法の封印解除呪文を……」

「魔法の名前変わってねぇか? そんな事言われても、俺、呪文なんて分かんねぇよ」

「嘘だ。キミは知っているはずだ」

「でも、本当に分からないんだ」

「そう……」


 明らかにガッカリした様子で、伊藤が後ろを向いた。


「キミが声を掛けてくれて、ここまで来たのに……残念だよ」

「え、俺が声を掛けたのか?」

「そうだよ、僕ら同じクラスだったじゃないか」


 どういう事だ?

 なら、ここは未来なのだろうか。

 俺から声を掛けたなんて──。

 びっくりしたが、どこかで合点もいった。


 なぜなら、俺はいつだって伊藤に声を掛けたかったから。


 隣の席の伊藤は、いつも神経質そうな横顔で、俺の好きな異世界転生ものの小説を読んでいる。面白くなさそうな顔をしているくせに、次から次へと物凄い早さで異なる本を読んでいるのだ。

 俺は伊藤が読んでいる本の表紙を盗み見て、次の日、本屋で同じ本を買って読んでしまったりする。


 俺が伊藤に声を掛けたとしたら、なんて声を掛けたんだろうか?


(この前の本、めちゃめちゃ面白かったな!)

(なんで面白いのに、そんな顔で読んでんの?)

(ってか、お前授業中に隠れてなんか書いてるの、アレ絶対小説だろ! 見せろっ! 見たいっ!)


 それとも──。


「なあ、伊藤。もし、俺が呪文を思い出せなかったら、世界はどうなるんだ?」

「そんなの、なにも変わらないよ。ただ、また同じ朝を迎えるだけ。でも………」


 そこで伊藤はゆっくり振り向いた。

 そこには、俺が見たことない、伊藤の笑顔があった。


「キミは絶対思い出せるよ。だって──」


ジリリリリッ

 目覚ましが鳴って目が覚めた。

 のそのそと起きて、朝の支度をする。

 早くしろと親にどやされ、こんなんじゃ腹が膨れない、と思いながらトーストをかじった。

 BGMとしてつけてるテレビでは、いよいよ世界が終わるんじゃねぇかみたいなニュースばかり流れている。

 いつも通りに自転車に乗って、いつも通りに学校に着いた。

 いつも通りの教室で、そこには、いつも通り本を読んでる伊藤がいる。

 まわりの煩い話し声なんてまるで聞こえてないみたいな顔して、とんでもなくつまらない本でも読んでるかのような顔して、伊藤は今日もそこにいる。


 思わずギュッと拳を握ると、自分が引くほど手汗をかいているのに気付いた。

 俺は、心の中で、スーパーミラクルウルトラハイパーエターナル魔法、封印解除!と大声で叫びながら、ぶっきらぼうに伊藤に言った。


「おはよう」


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おはよう。 二月こまじ @nigatukomaji

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