「熱中症か?」と尋ねたのだが、「ねっ、チュウしようか?」と幼馴染には聞こえたらしい
沖田アラノリ
短編
その日はとても暑かった。
いやその日だけじゃない。今年の夏はずっと暑かった。
関東を含む各地で連日の気温が30℃を超えている。
場所によっては40℃近くにまで気温がなるらしい。
もはやサウナだ。
しかし残念ながらそんな暑い日々の中でも学校は開かれる。
教師も生徒も本音では休みたいと思っているのだろうが、それでも行かなければいけないのが学校なのだ。
さすがに校舎内に入ればエアコンがあるため比較的快適ではあるが、登校や下校は地獄だ。
バスに乗れば蒸し風呂状態。バスのエアコンなんて何の意味もない。
チャリ通は直射日光がつらい。日陰に避難することが難しいし、できてもその時間は短い。
徒歩にすれば長時間の暑さが待っている。長い間あんなに暑い中を歩かなければいけない。
まさに地獄。
地球さん、気温調節間違ってるよ。
だがしかし、一番つらいのはバスを待っている時間だろう。
バスが来るまでどこにも行かずに待たなきゃいけないのに、バスというものはなかなか来ない。
この炎天下、じっと動かず数十分も待たなければいけないのはかなりきつい。
ぶっ倒れてしまいそうだ。
そんな中で、俺の気を紛らわす唯一の手段が存在した。
スマホゲーム? いやいやこの暑さで手汗べっとりの中そんなものできませんよ。
俺の気を紛らわすものは、幼馴染である姫島葉奈との会話だ。
葉奈とは家も近所で小学校の頃からの付き合いである。
小さいころはお互いの家や近くの公園でよく遊んだし、お互いの家族も顔見知りだ。
さすがに高校生になってからは一定の距離を置き、互いの家を行き来するなんてことはなくなった。
だが決して関係性が無くなったわけではなく、近くにいれば会話する程度には仲は続いている。
今日のようにバス停に二人きりでいる時などは、ダラダラと二人で会話する。
「バスまだ来ないなー」
「そうだねー」
屋根のないバス停のベンチの上。
俺、坂木陸人と幼馴染の姫島葉奈は会話をしていた。
「リクさー、昨日のあれ見た? あれ」
「あれって何?」
「あのテレビのやつ。九時からの」
「九時なら見てないな。YouTube見てた」
とりとめのない会話が続く。
そんな会話を数分くらい続けていると、だんだん葉奈の口数が少なくなってきた。
話しかけても「あー」とか「んー」とかいう生返事ばかりだ。
声にも力がない。
普段元気で声の大きい葉奈にはあまりないことだ。
心配になって葉奈の方を見てみると、ベンチに腰かけた葉奈は一目でわかるくらいボーっとしていた。
口は半開きになっており、目はうつろだ。
肌はダラダラとかいた汗でぬれ、手足はダルそうに投げ出している。
その様子を見て、俺はある単語が頭に浮かんだ。
熱中症。
暑さのせいで体温があがり、体調不良を引き起こす症状である。
軽度ならば脱水症状や気を失うだけですむが、重度になれば障害が残ったり死んでしまうこともある。
さすがに十代の若者ならば重症になることはなかなかないが、ありえないことではない。
俺は心配になって、葉奈に話しかけた。
「おい、葉奈。葉奈」
「んー?」
「大丈夫かお前」
「んー」
気のない返事に心がざわつきだす。
本当に聞こえているのだろうか?
もしかしたら失神寸前なのではないか?
いっそう心配になった俺は、体を葉奈の方に向け、顔を見ながら質問をした。
「熱中症か?」
「ふぇっ!?」
葉奈は俺が質問をした途端、飛び上がってこっちを見た。
驚きに目をまんまるにして、口はぽかーんと開いている。
なんだ? この反応?
さっきまでとは明らかに違う。
「大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、だけど……。今の」
目が泳いでいる。
熱中症の初期症状に瞳孔が開くというものがあったような気がする。
ならばこれも初期症状の一つなのかもしれない。
「今の、なに?」
「なにって、質問しただけだが」
「そうじゃなくって! いきなりなんなの!」
葉奈はこちらを見ながら叫び始める。
先ほどまでのダルそうな感じはなかったので一安心するが、やはり暑さの影響は出ているようで、葉奈の顔が真っ赤になっていた。
「ほら、顔が真っ赤じゃないか」
「だ、誰のせいだと思ってるの!? そんないきなりあんなこと!」
「いきなりって。まあいきなりだけど」
「何なのその冷静な感じ。もしかして慣れてるの? 何度もしているの?」
何度もしている?
熱中症に何度もかかっているという意味か?
それとも熱中症の介護を何回もしているという意味か?
どちらにしろ初めてだ。
俺は熱中症で倒れたり体調が悪くなったことなどないし、倒れた人を助けたこともない。
「何言ってんだ。初めてに決まってるだろ」
「そう、なんだ。よかった」
「よかったのか? いや確かに経験豊富なのもいいことではないか」
自分が熱中症になるのも、周りの人が何度も熱中症になるのも、別にいいことではない。
そういえば、葉奈は熱中症の経験はあるのだろうか。
熱中症もなりやすい人間もいるのかもしれない。きいてみた方がいいだろう。
「葉奈は経験あるのか?」
俺の質問に葉奈は「なっ!」と短く叫んた。
「あ、あるわけないよ! 私、身持ちは固いからね!」
「身持ち? まあ経験ないならその方がいいよな」
「なんなの一体……?」
葉奈はベンチに深く座り直し、大きくため息をついて下を向く。
そのあと、俺の顔を見てポツリと小さくつぶやいた。
「本気?」
本気?
本気、とはどういうことだろう。
本気で心配しているのか、ということだろうか。
それならば当たり前だ。
幼馴染が熱中症になっているかもしれないのに、心配しないわけがない。
「本気だよ」
葉奈の目を見つめて言う。
するとただでさえ真っ赤だった葉奈の顔がもっと真っ赤になった。
まるで茹でだこ。
すごく暑そうだ。
その様子を見て。さすがにこのままではいけないと思った。
どうにかした方がいいだろう。
そういえば、俺は自分が水を持っていたことを思い出した。
鞄をあさってペットボトルを取り出す。
葉奈は「いきなり何やっているのか」という疑問に満ちた目で俺を見つめていた。
「とりあえずこれ飲めよ、ほら」
取り出した水の入ったペットボトルを葉奈に差し出す。
俺が何度か飲んでたため間接キスになってしまうが、そんなことを気にしている場合ではないだろう。
一応ティッシュで口の部分は拭いていたから、それで我慢してほしい。
そして俺は戸惑っている葉奈に対して半ば強引にペットボトルを握らせた。
熱中症は怖いものだ。
深刻な場合は後々まで障害を残すこともあるらしい。
何かあってからでは遅いのだ。
葉奈は渡された水を受け取り、両手でペットボトルをもってそれを見つめていた。
その反応に少し驚く。
意外と素直に受け取ったな。
間接キスじゃないか、ともっと嫌がるのかとおもっていた。
そうすると、葉奈ははっと何かに気づいたように顔を上げた。
「あ。こ、これで口をゆすいでからってこと……?」
ゆすぐ?
いや普通に飲んでほしいのだが。
「早く飲めよ」
さっきからずっと顔が真っ赤だ。
すごく心配である。
水を飲んでちょっとでも回復してもらいたい。
「うん、わかった。なんか今日のリクすごく積極的……」
葉奈はうなずいて、水を飲んでいく。
ごくん、ごくんと音を立てて水を飲んで、ペットボトルが空になる。
喉が渇いていたのだろう。
水を飲みほした葉奈が、再びポツリと言葉をこぼした。
「ねえ。リク。なんでいきなり」
「いきなり?」
「いきなりじゃん。私たちってそういう仲じゃなかったじゃん」
そういう仲じゃない、か。
確かに俺と葉奈は高校になってからは前ほど仲良くは遊んでいなかったが、それでも幼馴染だ。
体調が悪くなれば心配もする。
熱中症にならないように体もいたわる。
たとえ疎遠になっても、俺はいつもそういう互いを心配しあえる仲だと思っていた。
「そういう仲も何も、俺はいつもお前のことを考えてるぞ」
「いつも私のことを考えて……!」
いつも考えている。
その体を心配している。
幼馴染なんだ。当然だろう。
「やっぱり本気なんだね。リク」
葉奈は決心したように頷いた。
「じゃあ、いいよ」
葉奈はこちらに顔を向けて、目をつむる。
そして唇を突き出してくる。
ん? 何してんだこいつ?
「葉奈? どうした?」
「…………」
「おーい。どうしたんだよ」
「…………早くしてよ」
「早くも何も、お前何してんだよ」
まるで、キスでも待っているかのように。
いきなりどうしてこんなことをしているんだ?
「リク。早くして。けっこう恥ずかしいんだよ」
「いや待って。全くわからない。どうしたんだ?」
「だ、だから。早くして……」
「してって何をするんだ?」
さっきからいまいち要領を得ない。
「いったいどういう――」
「だから! 早くキスしてって言ってんの!」
葉奈は目をつむったまま、大声で叫んだ。
肩はぷるぷると震えており、手はぎゅっと強く握りしめられている。
その様子を見ながら俺は葉奈の発言に大きな疑問がわいていた。
キスして?
なんで?
なんで俺が葉奈とキスすることになっているのだろうか。
そんな疑問に頭が支配されていたから、俺は動くことも何かを言うこともできなかった。
しかし葉奈はそんな俺に焦れたのだろう。
自分から行動してきた。
「もういい! じゃあ私からするから!」
葉奈は目を開けてこちらの顔を両手で挟み、顔を近づけてくる。
「ちょっ、おま」
停止する間もなく、葉奈は顔を近づかせてくる。
そして葉奈は、俺の唇に自分の唇を当てた。
触れた唇の感触は柔らかく、初めて味わう感触にドキリとした。
俺は突然の行動に固まり、葉奈もそのまま動かなかったため、キスをしたまま数秒間俺たちは動かなかった。
「っぷは!」
葉奈はキスをした後、顔をつかんでいた手を離して、俺から離れる。
彼女はふうふうと肩で息をしている。
「いきなり何するんだよ!」
「チューだけど!? 悪い!?」
「悪いってそんなお前」
「何よ! リクから誘って来たんじゃない!」
「何を言ってるんだ、お前?」
「リクが言ったんでしょ! チューしようって!」
言ってねえよ!
そんな記憶ねえよ!
「ねっ、チューしようって私に言ったじゃん!」
ん?
『ねっ、チューしよう』?
それって、まさか熱中症のことか?
納得がいった。
こいつは俺が『熱中症』と言ったのを『ねっ、チューしよう』ととらえたのだ。
どうりでさっきから会話がかみ合わなかったわけだ。
「だって、だって! チューしようって言ったじゃん!」
「ば、バカ! 俺は熱中症って言ったんだよ!」
「言ってるじゃん!」
「ちゅーしようじゃない! 熱中症って言ったんだ! 熱に中に症で熱中症!」
「そ、そんな言い訳したって無駄だよ!」
「いいわけじゃねえよ! お前が聞き間違えただけだよ!」
俺の言葉を聞き、葉奈が少し考える。
「えっ。そ、そんな、嘘……。まさか。あ、でも、会話がなんかおかしいなって感じたし」
葉奈が真っ赤な顔に手を当てる。
「そんな。じゃあ、本当に私の聞き間違い?」
どうやら葉奈は自分の聞き間違いに気づいたようだった。
当たり前だろう。いきなり恋人でもない人に、チューしようなんて言う奴がいるわけがない。
「ていうか、お前。なんでそんな聞き間違いを。ふつう気づくだろ」
「だって。暑くてボーっとしてて。気づいたらチューしようって聞こえて、混乱して……」
「混乱しすぎだろ」
「うるさいうるさい! 気づかなかったのはリクも同じでしょ!」
「いやそんなまさか『熱中症』と『ねっ、チューしよう』を間違えるなんてなあ」
気づかないし、気づいたとしても考慮から外すだろ。
「ていうか、チューしようって言われて随分あっさり受け入れたよな」
「そ、それはその」
「結構あっさりキスしたし、言われれば誰でもしちゃうのか?」
「誰でもいいわけないじゃん!リクだからチューしたんだよ!」
葉奈は大きな声で否定した。
「それって」
「そりゃ、そういうことだよ……」
葉奈は恥ずかしそうにそっぽを向く。
「えっと、つまりお前は俺のこと」
「……そうだよ。好きだよ。」
「お、おう。そうか」
「バカ。こんな感じで告白したくなかった……」
葉奈は背中を丸めて手で顔を隠して小声でつぶやく。
なんだろう。めっちゃ可愛い。
キスして、告白されたからか、葉奈のことをとても意識してしまっていた。
「なあ、葉奈」
「なに?」
「もう一回キスしない?」
「はあ!? なんでもう一回!? 意味わかんない!」
「けっこう気持ち良かったし」
「さ、さいてー! それはさいてーだよ!」
「葉奈は嫌だった?」
「嫌じゃ、ないけど……」
「じゃあいいじゃん」
「よくないよ。何なの? リクは私のことが好きなの? それともキスしたいだけ!?」
好きかどうか?
「好きかどうかはまだわからないけど」
「けど」
「キスはしたい」
「最低だよ……ほんとに……」
葉奈は頭を抱える。
「でもまあ、いいよ。キス、するんでしょ?」
「いいの?」
「うん。惚れた弱みってやつ」
「そうか」
了承を得たので、俺は葉奈の顔を両手でつかむ。
そして俺たちは再び顔を近づけた。
「それじゃ、もう一回するぞ」
「う、うん。もう一回だけ、ね」
炎天下のバス停にて、俺と葉奈はもう一回キスをした。
このあと俺と葉奈は付き合うことになるのだが、それはまた別の話である。
「熱中症か?」と尋ねたのだが、「ねっ、チュウしようか?」と幼馴染には聞こえたらしい 沖田アラノリ @okitaranori
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