#28 メンチカツとわたしと君




一週間が経とうとしている。それなのに、花月雪との差は埋まるどころか離されているきらいさえある。俺の予想では僅差きんさだろうと思っていたのに、まさか一万回以上の差になるなんて。

みんなに協力してもらったSNSはうちの学校では盛り上がりを見せているものの、全国的に広がるには未だ程遠いな。

サブスクが主流なのかもしれないけれど、CDの売上もそこそこ伸びていると聞いた。



けれど、どうしても花月雪に届かない。



当の本人はいつもと変わらない様子で過ごしているけれど、内心……ショックだろうな。

他のアーティストならともかく、相手は因縁のある相手。



『月下には雨。踊る妖狐』の活動休止理由をすべて押し付けられたのだからたまったもんじゃないよな。自分をイジメた相手が氷雨秋乃だ、と明確に宣言したも同じ。

喧嘩を売っておいて自ら解散の追い込んだのに、自分はソロデビューを果たし結果的に嵌めた相手に勝つというのは、秋乃からすれば納得がいかないだろう。



秋乃からすれば花月雪は放辟邪侈ほうへきじゃし




ふざけんなって話だ。




ネーキッドオータムカフェに連れてきてやった。

秋乃を慰めてやるとか甘いものを食わせれば元気が出るんじゃないか、とかそういう思惑は全くない。勘違いされると困るから言っておくけど、別に秋乃のために来たんじゃない。

俺がコーヒーを飲みたいから来たんだ。ついでに秋乃を連れてきてやった。

ただそれだけだからな?



「で、春高さまは優しいから下賤なわたしを懐柔しようと、こうしてアイスクリームをお与えになってくださるのですね。これはこれは頭が下がりません」

「それを言うなら頭が上がりませんだろうが。お前は江戸時代の役人かっつうの。っていうか絶対にわざと言っているだろ」

「おいし〜〜〜〜ねっ! ね、春高も食べる? ほら、あ~んして」

「もうその手には乗らないからな? 間接キスだって何回言ったら分かるんだよ」

「わたしはあまり気にしないけど? これくらい普通じゃない? っていうかラノベ読みすぎだよ。もしこの世にラブコメがくななればきっと間接キスなんていう、いわゆる亜種のキス、もしくはキスの派生版なんていう認識はなくなるわけで、単純に美味しいものを共有したいわたしみたいな女子にとって、その認識が迷惑なわけですよ」

「いや、俺が言っているのは、間接キスは不衛生だって言ってるんだよ」

「なら、普通のキスは? 舌と舌が絡んじゃうキスは……汚いって思っちゃうわけ?」

「……誰が生々しいこと言えと言った。ったく。とにかく、俺はいらないからな」

「美味しいのになぁ」



二階の閑散としている空間の窓際の席で、西日に彩られた秋乃の顔がどこか消沈しているようにも見えなくない。

減らず口を聞けるだけの元気はあるけれど、すでに花月雪との勝負の結果は目に見えている。まだ負けが確定したわけではないけれど、SNSをはじめとしたファンの間に漂うお葬式ムードからして、挽回の余地なんてないように思えた。



ただ、それを俺が口にすることは絶対にない。

俺は一応、こいつを推しているからな。



「もし、秋乃が負けても俺は別にいいと思ってる。誤解がないように言っておくが、負けても歌とダンスは続けてもいいんじゃないかって話をしたろ? それにこの勝負は、飛鳥さんが勝手に言っているだけだから、効力はないというか」

「でも、世間はそう思っていないよ。同じ日に彼女に対抗してデビューしたんだから、みんなは売れている方が勝ちだと思うだろうし、それに比例して話題を集めている方を応援すると思うの」

「そうか? 根っからのオータマファンだって中にはいるだろ? そいつらは勝敗は気になっても負けたからってファンをやめるか?」

「そもそも、曲は聴いてもファンじゃない人の数が遥かに多いから、風当たりが強い方にはなびかないって人もいるでしょ」

「そりゃあ、みんな人気のある方が偉いと思うかもしれないけど、本当にオータマを好きで、それが心の支えになっている奴だっている。評価の数だけがすべてじゃない。深く作品を愛してくれているやつのためにも、気概を持って欲しいと俺は思うよ」

「……って、マジメな話しているけど、なんだか調子狂うよ?」

「俺はいつもマジメだぞ? むしろお前が俺に程度を合わせられるなんて、気持ち悪いにも程がある」

「そのお言葉そのままお返しいたします」



秋乃がアイスを三分の一残した。寒くなったらしい。



「お前……それくらい食えよな。勿体ないだろうが」

「春高、はい。食べて」

「だから、間接キスはしないって」

「わたし、もう食べないよ? これはむしろ幸運だと思わなきゃ?」

「え? 俺ってなに? もしかして割と変態だと思われる?」

「え、違うの? やだ」

「たとえ演技でもドン引きすんじゃねえよ。第一、言い出したのは秋乃だからな? それになんで変態じゃないとイヤなのかさっぱりなんだわ」

「それで食べるの? 食べないの?」

「ちっ! 食うよ。食えばいいんだろ食えば」

「素直じゃないなぁ。わたしが残すのを予測して注文しなかったくせに」

「……アイス三玉は食えんだろ。俺も一個で十分だし」



そう。ここのアイスは抹茶、チョコレート、バニラの三つが並ぶ、まさに団子仕様。

俺も秋乃も三つは多すぎる。ちなみに、秋乃は決まって抹茶を残すお子様。

そろそろ秋乃の好みも分かってきた。伊達に一緒に暮らしていない。



「どう? 美味しい?」

「ああ、美味い。けど、間接キスのくだりがなければもっと味わえた気がするな?」

「気にしない気にしない。抹茶アイスにわたしのエッセンスが入って興奮したでしょ?」

「お前はいちいち癪に障るな? キモいっての」

「最近、春高のもてあそび方が分かってきたからね?」

「俺の返しどころを潰すのを覚えやがって。誰か引き取ってくれねえかな」

「むしろ春高しか飼いならせる人はいないと思うけど? わたしって凶暴なんでしょ?」

「……そうだけど、そうじゃねえ。あああ、ムカつく」



ネーキッドオータムカフェ二号店を後にして、近くの本屋に立ち寄った。

向かう先は音楽雑誌の並ぶ書架しょか

一冊の本を手に取った秋乃の落とした視線の先を見やると……花月雪のポートレート。

ギターを片手にまばゆい光の中で斜め下を見つめて微笑んでいる。



新曲の歌詞の内容、それに生活スタイルの変化、これからの抱負などがインタビュー形式で書かれていた。



「秋乃は雑誌の取材は受けないのか?」

「そのうち。でも、今は花月雪の特集を組みたいんじゃないのかな」

「あのさ。『毒焔どくえんちりまがう』も確かにすげえ曲だけど、『君負け』が負けているなんて全然思わねえんだけど。むしろ、歌詞の内容からしたら『君負け』のほうがいいって思うくらいだし」

「でもインパクトは毒焔じゃない? 世界観も重厚だし」



気にし過ぎだろうな。雑誌を書架に戻した後、すかさずスマホを取り出して自分の曲『君負け』のMVの再生回数を確認して、次に毒焔のMVを見る。

ルーティンだよな。

そんなに簡単に差が縮まるわけがない。

数字を気にしていたら、そのうち精神までむしばまれるぞ。



「気にすんな。それよりもSNSがバズる方法を考えたらよくないか?」

「……うん」

「振付が良くないのか。あとはインフルエンサーに踊ってもらうしかないか」



飛鳥さんも広告を戦略的に展開しているけれど、効果があるのかないのかイマイチ分からないし。

なにか切り札があればいいんだろうけど。そんなの思いつかない。



それにしても、この山積みになっている小説はなんなんだ?

ノンフィクション作家の本……ああ、高校生の執筆家で有名な紫龍立樹しりゅうたつきの作品か。

今度読んでみるかな。




本屋を出て駅前の肉屋でメンチカツを二つ買って家路に着くことにした。

今日も夕飯は二人きり。

ここ数ヶ月がなんだか長年のようにも感じて、互いに好きなもの嫌いなものが分かるようになってきた。

俺はこの店のメンチカツが好き。秋乃も同じだった。

ただ、今日は付け合せにコロッケも買った。



夕飯に添える一品としてはどっちも最高だよな。



「夏……終わっちゃうね」

「ん? 秋は嫌いなのか?」

「寒くなるじゃん」

「秋はまだ過ごしやすいだろ」

「八月三十一日って夏の最後の日なのかな?」

「どうだろうな。季節で言えば、秋の切り替わりは、おそらく秋分の日か? お彼岸あたりじゃないのか?」

「そう。三十一日になれば必然的に勝敗が決まるんだよね」



花月雪とのMVの再生回数の勝負の期限は八月三十一日までと決めている。

花月雪本人が既知なのかどうかは知らないが。



ただ、花月雪も秋乃に対抗心を燃やしていることは明白で、自分のMVの再生回数と秋乃のMVの再生回数をスクショして並べてツイーターに貼り付けたこともある(現在は削除済み)くらい、陰険と言うべきか、性格が悪いと言うべきか。



「なあ。秋乃」

「なに?」

「メンチカツ美味いよな」

「うん? って、いきなり何?」

「でも、このメンチカツって、東京の名店のメンチカツよりも劣っていると思うか? 多分、東京の名店の方が一日に売れてる数は多いと思うし、注目度も高いだろうな。食いログで言ったら、東京の名店が星の数多いだろうし、この店は食いログにすら登録されてねえよ」

「……そうだね」

「お前……このメンチカツ馬鹿にしてんだろ」

「は? どこからそういうワケのわからない話が湧いて出るのよ」

「お前はこのメンチカツと一緒な? 花月雪は東京の名店。お前、本当に負けてるか?」

「だって、実際にMVの再生回数はさ……」

「それは建っている状況が違うんだよ。かたや田舎のボロい店。かたや東京の老舗で通行人の数も桁違い。お前はそんな田舎にいるんだよ」

「……悪かったわね。田舎の冴えないアーティストで」

「俺はこの店のメンチが最強だと思ってる。それでいいじゃねえか」



黙ったと思った秋乃の頬に一筋、涙が落ちていく。

あれ、目が真っ赤で、あの秋乃が泣いた?

俺、泣かせた?

そんなに悪いこと言ったか?

田舎くせえ奴だって暗に言ったのがショックだったのか。



「悪い。言い過ぎた」

「違うよ。違う。ちょっと黙ってて」



バス停のベンチに二人座ってしばらく黙り込んだ。

秋乃は俺の肩に身を寄せた。



「もっとかっこいい例えで言ってよ。なんでメンチカツに例えるの? 笑わせるのか泣かせるのかどっちかにしてよね」

「泣き声で言うことかよ。って、笑わせようなんて思ってないけど?」

「わたしも、このお店のメンチカツが一番だと思ってる。けど、それだけじゃダメなんだよ。負けたら全部なくなっちゃう」

「なくならねえよ。それにまだ終わってないだろ。諦めんな」



けれど、諦めたくもなるよな。

妙案が思いつかない。

飛鳥さんが何も思いつかないんだから、俺にできることはないのかもしれないけど。



バスが来ても秋乃は泣いていて、座席に座るおばちゃんにすげえ白い目で見られた。

俺が泣かしたとか思ってんだろ。



マジで勘弁してくれよ。

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