#29 負けちゃったわたし。本音の彼。
いよいよ八月三十一日。
花月雪と秋乃の勝負は火を見るよりも明らか。それでも
場所は東京某スタジオ。なぜか対談形式の歌番組に呼ばれたのが事の発端。
花月雪と秋乃が司会者を間に挟んで向かい合う形式で、始まる前から互いに何も言葉を交わさない徹底ぶり。仲が悪いというよりも互いに相手にしていない感じ。
俺に見守ってほしいという秋乃の願いを受けて仕方なくスタジオ入りしたのはいいけど居心地が悪すぎる。どこに立っていればいいのか、何をしていればいいのか。
「堂々としていていいのよ。春ちゃんの役目は秋乃ちゃんを見守ることでしょ」
「それはそうなのかもしれないけど」
俺のことを見知っている人がいたらどうしよう、という不安心のほうが大きい。
さっきからチラチラ見られている気がするし。
「春ちゃんを覚えている人なんていないから大丈夫」
「うん。あのさ。秋乃が挽回するチャンスなんてあるの?」
「今日が最終日なら不可能ね」
「飛鳥さんはなんで秋乃にふっかけたの? 花月雪に負けたら、なんてちょっと酷いというか」
「リベンジするチャンスを与えただけよ」
「もし、負けたら次は?」
「採算が取れなければ活動はできないわよ」
「ビジネス的に今回の花月雪を引き合いに出したんだよね?」
「そうよ。つまり、花月雪がいたからこそ、そこそこ売れた……逆を言うと次はないの。今回の楽曲で売れなければ二曲目は確実に失速するだろうし。秋乃ちゃんには悪いけど見切りをつけるのも会社にとっては大事なことだから」
「でも……そしたらアイツ……自信をなくして」
「まだ高校生でしょ。可能性は無限大。ここで
「俺は……納得いかないよ」
「変わったわね。あんなに毛嫌いしていたのに、今ではまるで守るべき恋人を見つけたように男前になっちゃって」
「……ちょっと飛鳥さん? 俺はただ」
ただ?
なんでそこまで秋乃に感情移入しているのか。
花月雪を推していたときは彼女の将来まで考えたことはなかったし、漠然と彼女と彼女たちの作品をこよなく愛していた。『月下には雨。踊る妖狐』はまさに憧れの存在だった。
けれど、秋乃の場合は違う。
秋乃は……まるで自分の一部だ。
「はじまるわよ」
「うん」
秋乃の前では必死に隠していたけど、花月雪に負けて悔しい——のは俺も同じだ。
番組が始まった。
生で見る花月雪はその名のとおり雪の精のように透き通った肌で、輝きに満ちていた。
柔和な表情を浮かべて、司会の質問には丁寧に答えている。
秋乃はガチガチに緊張していて、整った目鼻立ちと相まって
ああ、オータマが氷の女王と言われた
一緒に生活しているからよく分かる。
普段の秋乃はもっと温かくて、笑顔が可愛くて、もっと良い奴なんだ。
俺と馬鹿を言い合っているときのような表情を見せろよ。
頼むから、もっと……笑ってくれよ。
気づけば、本音が心を引っ掻き回して思わず叫びそうになるのを抑え込んだ。
俺は、アイツのこと何も知らないで罵っていたんだな。冷たい女だとか、氷の女王だとか。
花月雪をイジメるのも理解できるとか。
すべてなかったことにして、
もっと、アイツを分かってあげればよかった。
もっと……もっと……。
きっとこれを観ている視聴者もきっと同じ印象を持つんだろうな。
冷たい女だと。
いくら誤解だと言っても信用されない。
花月雪は、遠巻きに秋乃を許すような発言をしている。
相当にトーク慣れしている。
秋乃はそういうのは苦手だ。コミュ障ではないにしても中身は単なるオタクの女子高生。
突出して強メンタルとか、そういう特殊能力が備わっているわけではない。
ただ、自分を守るために口を
特に花月雪が相手では失言——というより揚げ足を取られないようにすることが精一杯で、目立った発言は出来ていない。
まずいな。それは逆効果だ。
けれど、最後まで秋乃が反撃するチャンスはなく、生歌を歌うときまで表情は暗いままだった。
花月雪は……まるで陽光の下の満開の花のような笑顔のままステージに立ち、ガラリと表情を変えて歌い上げた。
これで氷雨秋乃の敗北は決定的なものとなった。
番組に出演した秋乃の態度が気に食わないという、ある芸能人のSNS上の発言を皮切りに悪評が目立つようになった。
ただし、その芸能人も失言に気づいたときには遅く、大炎上をしたのは別の話だが。
こうして、花月雪との決戦は終わりを迎えた。
本人は感無量……には程遠く。意気消沈して翌日の始業式の日、体調不良を理由に欠席した。
結果的に花月雪のMVの再生回数が約七千万回なのに対し、秋乃は四千万回に留まった。
一ヶ月でそれならばかなり良いのではないかと思ってしまうが、飛鳥さんに言わせるとダメらしい。
それに、ガチガチに緊張してしまうキャラクターも誤解を生むらしく、使いにくいと評価をくだされた。
ただ、飛鳥さんは引退しろとは言わなかった。活動を当面休止するだけ、と。
「わたし……結局、借金も返せないし、もう出ていくよ」
「弱気だな。いつもの威勢はどうした?」
「社長に合わす顔もないし、このまま家に帰って——」
「ダメだ。秋乃の親父が暴れるんだろ? 帰すわけにはいかない」
九月七日。
学校だけは行けという母さんの柔らかい口調の
誰も秋乃を責めようとしなかったし、慰めようともしなかった。
ただ普段どおりに時が流れていくだけ。
活動休止のお触れはすでに全国に知れ渡っており、当然クラスメイトも知っているはずだったけれど。
秋乃は内心ホッとしたのかもしれないな。クラスメイトと話していても笑みを零すようになった。それはそれで良かった。
「お前の恋人、活動休止なんて急だな」
「誰が恋人だよ」
「春高だろ。MVのダンスの男」
「は、は!? ち、違うだろ」
「秋乃ちゃんの顔見たら分かるぞ? ダンスしていても、いつもお前と話しているときの顔だし」
「は? そんなわけあるかよ。アイツ、いつも同じ顔だろ」
「ば~~か。観察眼を持っている俺が言っているんだから間違いねえよ」
涼森新一にはバレていた。
ただ肯定は絶対にしない。
認めるわけにはいかない。そんな恥ずかしいことがあってたまるかって。
放課後になり、一緒に帰るのが当たり前となった秋乃と正門を出ると、見かけない男が立っていた。サングラスを掛けていて服装はどこか垢抜けているというか。
俺を見るなり、「あの」と声をかけてきた。うわ、不審者だ。と秋乃の表情が暗に告げている。
それともいつかの不良のように秋乃目当ての奴とか?
「倉美月さんですよね?」
「……ああ。そうだけど?」
「少しだけ時間をもらえませんか?」
怪訝そうな顔をする秋乃を横目に、「誰?」と訊ねると、男はサングラスを外した。
片目の焦点の合っていない瞳というのか。
見えていない?
「倉美月くんお久しぶりです。
全身から汗が吹き出した。
こいつは……俺が人生を奪ってしまった男で……。
な、なんでここにこいつが……。
「冬馬……さん? 春高、この方って?」
「俺が……事故を起こした相手だ」
自然と声が震えた。怖いなんて意識ではなく、身体が拒否している。
「突然訪ねてしまい申し訳ありません。少しだけお時間いただけたら幸いです」
「あ、じゃあわたしはこれで」
「いえ。氷雨さんも同席していただけると助かるのですが」
「え? わ、わたしもですか?」
「はい」
間違いなく、あのときの少年だった。
ネーキッドオータムカフェの二号店の二階を借りて話を聞くことにした。
冬馬を前にして逃げるわけにもいかないだろう?
「あのときは……本当にすまなかっ——」
「ああ、やめてください。そうじゃないんです。ずっと倉美月さんには謝らなくちゃいけないって思っていました」
「「え?」」
「あれは倉美月さんが悪いんじゃないって僕だって理解しています。両親が騒いだからあんなに大げさになってしまいましたけど。本当は僕が声を上げなくちゃいけなかったのに」
「いや、あれは俺が周りを見ていなかったのが原因で」
「でもわざとじゃないでしょう? 僕もそれは同じです。しかも、僕の場合、君と友達になりたくて近くで練習していたんです。機会を見て声をかけようって」
「俺と……?」
「実は、ずっと倉美月さんのダンスが好きで。その影響でダンスを始めたくらいですから」
意外だった。まさか、冬馬というあの少年がそんなことを秘めていたなんて。
「それで、今日はどんな用で俺と秋乃に会いに?」
「実は僕、こういう者でして」
差し出された名刺には……は?
冬馬が……あの……
高校生のフィクション作家の?
「知っていますか?」
「知らないわけないだろ。まさか、あの紫龍が……」
「本屋に山積みになっていた本?」
「ああ。世間とは逆の視点から見る鋭い指摘が評価されている、らしい」
「読んだことないんじゃない?」
「これから読もうとしてたんだよ」
「ふぅん。ラノベ以外も読むんだ?」
「お前馬鹿にしてるだろ」
「してないよ。ただ興味本位ってやつ」
ただ、その紫龍がどんな用事で俺たちに会っているのか。
「僕は倉美月くんから子役の座とダンス、それに社会的地位と名誉を奪ってしまった。それが頭から離れない。今でも夢に見るくらい
「いやいい。断る。今更話を蒸し返されても困る。そっとしておいてくれないか?」
「氷雨さんのMVを見ました。あのダンサーは倉美月さんですよね? ひと目で分かりました」
涼森新一以外にも、まさかバレているということは想定外だな。
仮面だって被っていたのに。箝口令がちゃんと発動していないんじゃないのか?
頼むよ、飛鳥さん。
「春高のダンスは特徴的だから?」
「そうです。洗練された指先からステップ、それに身のこなしはあの頃のままです。まさかまた見られるなんて本当にすごいことですよ。もしかして自分でも気づいていない?」
「ああ、うん」
「とにかく、あのダンスを見て、僕は
いや、そんなオーバーアクションで言わなくていいのにな。
両手を広げて上を向いて、その手で顔を塞いで。オペラかよ。
「やっぱり君のダンスが見たい。もっとみんなに君のダンスを知ってほしい。それにはまず、君の誤解を解かないと。そう思ったんです。それに、君だけが悪者にされた事実は……やっぱり僕は今でも納得がいかないので」
「でも、冬馬だって片目が……」
「少しだけ見えるようになったんです。両親は大げさに言っていましたけどね。ノンフィクヨンを書くようになってから、少しずつ社会の顔が見えてきて。やはり、倉美月さんのことを書かないとなってあのダンスを見て思いました」
「あ、あの。それとわたしとどう関係があるんですか?」
「氷雨さんのMVに倉美月くんが出た事情も書きたいなと。だって、普通ならもっと知名度があって、クリーンな、ってごめん。そういう人がたくさんいるのに、なんで倉美月さんを選んだのか気になって調べたら」
「「……」」
「氷雨さんの炎上がちょっと引っかかって。調べさせてもらいました。花月雪のことも。倉美月さんを主軸に秋乃さんのソロデビューまでの軌跡を書かせていただければと思いまして、相談に参ったわけです」
「つまらない話になるぞ?」
「わたしは、先日花月雪に負けたばかりなので」
「負けた理由はともかく、僕は倉美月さんに対する贖罪を兼ねて氷雨さんを巻き込みたいと思ったんです。商業的にもその方がドラマチックじゃないですか? ノンフィクションで語られるお二人の愛が燃え上がり——」
「「そういうのじゃないからッ!!」」
まさか冬馬があの紫龍という高校生作家で、ノンフィクションを書いてくれることになるとは思いもよらなかった。
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