#20 一緒に聴いてくれる?




六月も末になり、シトシトと降り続ける雨の鬱陶うっとうしさに鬱屈うっくつしながらも自室で読書を楽しめるようになった。

誰もいない家は寂し……くなんてない。ただ静かなだけで、俺の読書がはかどるだけ。

父さんと母さん、飛鳥さんはそれぞれ仕事で家を空けている。



秋乃は……今月はじめにデビュー曲が完成したとかでレコーディングスタジオに籠もりっぱなし。そろそろ一ヶ月になる。



最近朝は起きてくるのも遅く、朝食を食べる間もなく登校し、通学路も疲れているのかあまり話すこともない。帰りは飛鳥さんの会社の人の車が迎えに来てそのままスタジオ入り。帰ってくるのは深夜で、彼女との会話はめっきり減った。



いや、本当に寂しくなんてないからな?

むしろ清々せいせいしているくらいだ。



秋乃の作曲を担当しているのは、これまたボカロPの黒木千景くろきちかげという男。ムカつ……いやムカつかない。全然ムカつかない。これっぽっちもムカつかない。



その人の性格や生活習慣、好きな食べ物を知った上で曲を作るという一風変わった芸術肌の男が黒木千景で、秋乃と楽しそうに話す姿を軒先で見たけどいけ好かない。

いや、秋乃とは関係ないよ?

本当にっ!!

見た目とその顔がいけ好かないって言っているだけで。



マジでムカつかない。なんなら、リア充臭がプンプンする優男風で、それでいてイケメン作曲家で、もし秋乃が付き合うとするならあんな男がいいんじゃねえの?

付き合って結婚して子沢山の家庭を築き、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

なんてエンディングもいいんじゃねえの。



「やってらんねぇ」

「なにが?」



うあぁぁぁぁぁぁぁッ!? 



ってビックリさせんじゃねぇぇぇぇぇッ!!

当然開いた扉から顔を出す秋乃にベッド上で飛び起きた。

いや、スタジオに行っていたんじゃねえのかよ。



「ノックくらいしろよなッ!!」

「したけど、まったく反応がないから開けたんでしょ。それで、なにがやってられないの?」

「なんでもねえよ。いや、レコーディングはもういいのか?」

「うん。昨日終わって今日は音源貰ってきただけだから」

「……あっそ。あの男とよろしくやっていてくれて構わないんだけどな?」

「ああ、そっか。春高くぅ〜〜ん。いてるんだ?」

「ば、バッカじゃねえの。なんで嫉妬しなきゃなんねえんだよ」

「照れちゃってカワイイ〜〜〜っ! 一ヶ月間寂しかった? 秋乃ちゃんと触れ合えなくて、シクシク泣いちゃった?」



こ、こいつ……馬鹿にしやがって。性格の悪さを滲み出ているだろ。なんで俺がこんな、手下をこき使い捨て駒にしてその屍を踏み散らかす、魔王の愛人キャラに嫉妬なんてしなきゃなんねえんだ。



「絶対おとしいれてやる……」

「ねえ。一緒に聴いてくれる? はいっ」

「……は?」

「だからイヤホン片方どうぞって」

「な、なんで今どき有線なんだよ。Blutoothじゃねえの普通?」

「これ高いやつ。有線のほうが音いいんだよ? ロスレスでハイレゾだぞ?」

「……し、仕方ねえから聴いてやる。貸せッ!!」



スマホ音源じゃなくてパソコンに直接イヤホンを挿して聴くのか。ベッドに座りパソコンを膝の上に置いて……いや、密着しすぎだろ。



「もうちょっと離れられないのかよ」

「だって。コード届かないじゃん」

「セクハラで訴えるからな?」

「それはこっちのセリフだけど? 女の子の膝に足を密着しておいてよく言うよ」

「なら聴かんッ!」

「ウソだよウソ! いいから聴いて」

「……不可抗力だからな? マジで。いいから早く掛けろよ」



再生される音楽……というよりも沈黙。

ホワイトノイズが少しだけ乗って、耳を澄ますと秋乃の息遣いが聴こえてきた。

すぅ、と息を吸って始まる歌声からの曲。

沈黙に溶けるハイキーな声が氷のように透き通り、鼓膜の内側を撫でるようにエモいフレーズが流れていく。

歪むギターとうねるベースラインが淡いメロディラインの中を彗星のように駆けていき、秋乃の声は風のように、薫るように身体の中に染み込んでいく。



これは……『月下には雨。踊る妖狐』の秋乃のイメージとは遠くかけ離れている。

けれど、どこか淡く切ない恋心を切り取ったような歌詞に曲に、不覚にも。



——心を打たれた。



「どうかな?」

「……すげえいい。マジで。これ……歌詞はお前が書いたんだよな?」

「よく分かったね……? そうだけど」

「感情が籠もりすぎ。秋乃は……そんなに好きな奴いるのか?」

「……い、いや」



まるでラブレターのような歌詞には、秋乃の想いがまるごと詰め込まれていて、歌詞という名の短編集に濃縮されたような、それでいてラノベのワンシーンのような……。



あれ。待て。思い出せ。

なんだか……あれ。



・パフェを一緒に食べたシーン。

・動物園ではしゃいだシーン。

・ピンチに守ってもらったシーン。



断片的だけどこれらのシーンが思い浮かべることができる。なんだか既視感があるな。まあ偶然というか、おそらく体よく創作するのに使われただけだろうけど。

ああ、そうか。



秋乃の好きなやつと俺を差し替えて歌詞を書きやがったな。



なんという引き出しの少なさ。まあ、秋乃が誰かとラブコメ体験なんて想像も付かないけど。

俺と偶然にもそういう体験をしただけであって、俺が相手なんてあり得ない。

秋乃は俺のことを相当毛嫌いしているだろうし。

つまり俺は利用されたのかっ!! くそっ!!



「いるわけないじゃんッ!! いや、い、いるけど」

「いるのか? どっちだよ……」

「やっぱりいないッ!! もうバカッ!!」

「だから、なんでののしられなきゃいけねえんだよ。今のは普通の会話だったろ」

「気づいちゃうからバカなのッ!! もうこのバカバカバカッ!! バカッ!!!」

「なんでもいいから、もう一回聴かせてくれないか?」

「え?」

「俺も好きだ」

「……えっ!? す、好きって?」

「この曲に決まってんだろ」

「な、なーんだ。うん、じゃあもう一回ね」

「ああ」



あれ。なんだろ。涙が出そうになる。

秋乃の感情が……手に取るように分かる。

こんなに傷ついて……でも、淡い心緒しんちょが、支えとなって。

ああ、そうか。

傷ついた心……は、花月雪に向けた言葉。

癒やしてくれるのは、初恋の相手。


屈してもいい? 

君がいれば?

負けてもいい?

君だけが信じてくれるなら?



秋乃は——このがいたからここまで。



「ごめん」

「え? なんで謝るの?」

「俺は……はじめ……花月雪をイジメていたなんていう嘘を信じていた。悪かった」

「……」

「秋乃は……苦しかったよな。いわれのない罪を被せられて。だから、謝る」

「なんで信じてくれるの?」

「この歌を聴いたら、なんとなく。事実はどうあれ信じたくなった。秋乃を推す。俺は何があってもお前を推す。お前とこの曲を信じる」

「……意味分かんないけど……ありがとう」

「けど、好感度はまだマイナスだからなッ!!」

「くっ!! ちょっとは素直になりなさいよッ!! 秋乃が好きだって」

「バ、バカかお前ッ!! どこをどう繋げればそういう結論になるんだッ!! 俺が好きなのはオータマの歌う曲だ。氷雨秋乃!! お前は嫌いだッ!!」



膝からパソコンを下ろしてベッドに置いた秋乃は、イヤホンを回収してバッグに仕舞い込んだ。それから、不機嫌そうに俺に「わたしは好きだよ」と告げた。



「は? 好きってなにが?」

「春高のこと」

「……え?」

「正確に言えば春高の演技と……ダンス。覚えてる? わたし、子役やってるとき、君のとなりにいたんだけど?」

「……は?」



全然覚えていない。

いったい……秋乃は何を……。



ああああああッ!?

秋乃は突然俺に覆いかぶさってきやがって、二人してベッドに倒れ込んで。

な、なにしてんだコイツッ!!



秋乃が馬乗りになって、顔がすぐそこに……。



「春高……」

「ば、ばか……」



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