#11 天野Pの秘密……知っちゃったんだ。




花月雪かげつゆきと俺は付き合っていたわけでもないし、なんなら会ったこともない。けれど、ずっと応援して、その優しい春の陽光のような声に恋をして。


キモいとののしられようが、その気持ちに嘘はつけないし好きになってしまったものは仕方がないことだし。

そんな俺の想いが花月雪に伝わるはずはないし、一方通行の恋心を彼女が知るはずもない。彼女がどこで何をしようと勝手だ。彼女のあずかり知るところではない。

だから、彼女が天野Pと何をしようと勝手なのは明白でそこに俺の入り込む余地はない。

一介いっかいのファンの宿命だ。



けれど。とめどなく。

心の奥の感情は、せきを切ったように溢れ出して。



花月雪を責めるようなことも、ネチネチと執拗にネットで書くこともしない。

ただ——もう応援する気になれない。

それではファン失格なこともわきまえている。

誰だってそうだ。アイドルだって、タレントだって、あの可愛いユーチューバーだって、みんなそうやって恋愛をしている。

けれど……NTRされたような感情がまとわりついて。

大げさかもしれないけれど、どこかそんな心情におちいった。



思い巡らせたのは一瞬だった。たった一瞬。記事を読んだだけで足をすくわれた気がして。

馬鹿げているかもしれないけれど、俺にとってはまるでターニングポイントのような出来事だった。




ハッと顔を上げたら秋乃が怪訝けげんそうに俺の顔を覗き込んでいた。





「ど、どうしたの?」

「なんでもねえよ」



秋乃に見られて慌てて書架に週刊誌を戻した。しまった、と思ったときにはすでに遅く、秋乃はその表紙を凝視していた。口を引き結び、いつもの悪態あくたいをつくのかと思っていたけれど何も言わずにただ「いこっ」と俺の袖を引く。



「なあ……訊いていいか?」

「なに?」

「秋乃は本当に……ユッキーと……いやなんでもねえ」

「……どうせ信じてもらえないよ」



不仲説は本当なのかもしれない。だが、その切っ掛けは秋乃のイジメが原因なのか?

そもそも、あの天野Pと花月雪の記事は真実なのだろうかという疑念が浮かんだけれど、写真の笑顔は本物なのだから信憑性が高い。

けれど、秋乃に関しては記事だけで証拠の写真も何もない。

そんなどこの馬の骨ともつかぬ記者の、乱暴に書き綴った言葉を鵜呑みにしてしまった。

果たして真偽は……いや。

今は考えるのをよそう。



世間がどうか、とか。そんなことで判断するのは醜い。

放課後のクラスメイトの噂話と何も変わらないじゃないか。



俺が、秋乃をどう思うかだ。

世間がどう思おうが、俺の視点でなにを感じるか。

それだけだ。



だから……今は……もっと秋乃と話してみよう。

もし世間の下馬評げばひょうが事実ならボロを出すに違いない。けれど、そうでなかった場合、俺は彼女に謝らなければならない。



もう少し……時間を掛けて。ゆっくり。

自分の心に従おう。




***




連れてこられた場所はラノベの並ぶエンタメ書籍コーナーだった。

こんなところ秋乃には興味ないだろうに。ラブコメのコーナーの背表紙にはとても現実ではあり得ない状況がひと目で分かるタイトルが並ぶ。



「わ、わたしも読んでみようかなぁ〜〜」

「……無理するなって。興味ない本なんて時間の無駄だろ」

「あ、こ、これなんて、お、面白そ〜〜〜〜」



お前は棒読みの大根役者かよ。セリフ回しでもあるまいし、なんでそんなに不自然な口調になるんだって。いつもの傲然ごうぜんとした態度はどこに行ったんだ?



いていい?」

「なんだ?」

「オタクな女の子ってどう思う?」

「キモい」

「……あっそ」

「でも、友達としてはいいよな」

「……恋人としては?」

「キモい」



キモいけど楽しいだろうな。同じ題材で会話をするなんて夢のようだし。ラノベを貸し合ってその内容について議論なんてできたら楽しいに決まっている。

でも、秋乃はなんでそんなこと訊いてくるんだ?

もしかして、秋乃はそんなクールでクレバーでスマートな顔をして根っからのオタク気質だとか。それもラノベを読み漁って、休日には引きこもってゲーム三昧ざんまいとか。

もし、そうだとしたら……ウケる。

後ろ指さして苦笑してやる。



って、そんなわけないだろう。こいつは、月下妖狐のオータマだぞ。そんなイメージは一ミリもない。堅苦しい本を読んで紅茶をたしなむような奴に違いない。ラノベ読者層を睥睨へいげいして、近づくことを許さない凍てつかせる氷の女王だ。



「そ、そうだよね。読むのやめとく……」

「お前のコーナーはあっち。俺はこっち。見てきていいぞ?」

「い、いや。さっきチラッと見たらなかったから」

「そうか。俺もこれだけだな」



もう一〇巻目になるシリーズ物。これが最終巻になるらしく少し寂しいけれど、花月雪の同棲報道により感傷的になるはずだった気持ちはどこかに行ってしまった。



「ん? なんでそんなにもの悲しげな顔してるんだ?」

「し、してないわよ。それより、その本……面白いの?」

「んー。控えめに言って面白い。いよいよ、最終巻で二人の関係性についても終止符か」

「……感慨かんがいにふけって。キモいんだけど。そういうのは帰って自室で独り言でも言いながらしなさいよ」

「ああ、残念だ。この胸がキュッとしまる感じを体験できないなんて。これは、このラノベ特有の文体と行間、それに緻密ちみつな感情描写によって読者を引き込む、言ってみれば脳内VR体験のようなものだ。それを一生知ることがないとは。ああ……憐れだ」

「な、なにが憐れよ。そんなのクドクドと説明されても理解できない。っていうか、そこまで言うなら、それ貸しなさいよ」

「いいけど、一巻から読まなきゃ分かんねえよ」

「それがいい。一〇巻がいい」

「は? お前バカか? いきなり最終巻読むなんてバカだろ」

「じゃあ、一巻からその一〇巻まで全部貸して」

「……いいけど、そんなに読めるのか?」

「読む」

「分かった。帰ったら貸す。でも、一〇巻は俺が読んでからな」



本屋を出てタリーズに寄った。約束通り秋乃がおごってくれるというけれど、こんなつまらないところで貸しを作るのもどうかと思う。それをネタにチクチクと恩着せがましくなんやかんやと口撃されてはかなわない。



「混んでるな。待ってろ」

「え? わたしも行くよ」

「いいから。疲れただろ。そこで休んでろ」



むしろここで恩を売っておいて損はないだろう。これを口実に上手うわてに出ることができるならお安い御用だ。一言居士いちげんこじの秋乃のことだから、ここでの俺の臥薪嘗胆がしんしょうたんも大げさな話ではない。

くっ。バイト代がこんな高級嗜好品に消えてしまうのはふところに痛いけれど、それも仕方のないことだ。



「ほら。俺の慈悲に感謝するがいい。とくと味わって飲め」

「あ、ありが……と」

「お前にとっては端金はしたがねかもしれないけどな。俺にとっては血と涙の結晶なんだ」

「……」



けれど、買ってやったモカマキアートを両手で抱えるように持って、何も言わずに秋乃はうつむいてしまった。

買ってもらっておいて何が不満なんだ。恩を売るどころか、むしろあだになったのか。

なにがいけないんだ。




まさか秋乃がそんな表情をするとは思ってもみなかった。



いや……違うな。

こいつ、嬉しすぎて感動しているのか?




マジでキモいんだけど。




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