#02 なんで覚えていないのよ



この女、図々しいにもほどがある。離れから母屋に移動してきたと思ったら夕飯を作る算段をしているらしい。

随分と陽が伸びたな、と台所の窓から外を眺めていると不意に鼻をかすめる甘い香り。無駄に長い髪の毛を後ろに結ってポニーテールなんかにしやがって。

くっ。残念なことに……似合っている。




氷雨秋乃ひさめあきの如才じょさいなき歌声は花月雪かげつゆき比肩ひけんするほど澄んでいた。歌う花月雪がほがらかな春の風だとすれば、氷雨秋乃はどこまでも透明な鋭い氷のような歌声。

ニューチューブのMVを見る限り二人の歌声は控えめに言って最高だった。

妖艶ようえんな着物は帯を通さず、マントのように羽織って面を被り演舞する二人はまるで嫁入り前の狐。惑わされてとりこにされて、いつの間にかファンになっていた。



しかし……氷雨秋乃が父さんと母さんにダンスを習っていたとは意外だった。なのに、俺が『月下には雨。踊る妖狐』のファンだって二人とも知っているはずなのに教えてくれなかった。

ああ、俺がオタクで過剰な感情を秘めて氷雨とお近づきになり、ユッキー様にとつするとでも思われていたのか。



「なにブツブツ言っているの? キモいんだけど?」

「言ってねえよ。っていうか、そんなところに突っ立っていて何してんの?」

「……充希先生に、その……春高くんの料理手伝ってあげてって言われたから……仕方なく」

「は? 俺一人で十分ですけど? なんなら、邪魔だからリビングで口開けて寝てろよ」

「いちいち突っかかって、なんなのよ。っていうか、なんであの二人からこんな奴が生まれてくるわけ? ほんっと信じられない」

「はあ? 悪かったな。どうせ俺はキモいオタクだよ。それが誰かに迷惑掛けたか?」

「ああ、そうね。あなた誰とも関わらないものね」



はぁ!?

こいつ俺と初対面だよな? 



こんな奴と一緒に暮らさなきゃいけないとは、誰か引き取ってくれないかな。迷惑も迷惑。大迷惑だよ。



鶏肉を炒めて、ニンジンを切って、じゃがいもを切って、玉ねぎを切って。

無言で淡々と手際よく料理をしていると背後から視線を感じる。

振り向くと腕組みした氷雨が壁に寄り掛かり、じっとこっちを見ている。



「なに?」

「……は、春高くんってまだダンスしているの?」

「……」

「春高くんってあの春高くんだよね?」

「……意味分かんねえよ。そんな話するなら、手伝えよ」

「寝てろって言ったり、手伝えって言ったり。どっちなわけ?」

「これ、火を止めて混ぜながら溶いて」

「カレーくらい……う、うん。こう?」

「……顔洗ってくる」

「え? ちょ、ちょっと」



洗面所で顔を洗った。

水が冷てえ。頭に上った血が少しだけ冷えた気がした。


なんであいつ、俺のこと知ってるんだ?

父さんか母さんにいたのか?

小癪こしゃくな真似をしやがって。



「あっ! 春高くん、これもういいかな?」

「……ああ。うん」

「味見して……いい?」

「腹減ってんの?」

「そ、そんなわけないでしょ。ただ、どんな味なのかなって——春高く、」

「その呼び方やめてくれない?」

「は? まさか苗字で呼べとか言わないわよね?」

「……お前に君付けされると気持ち悪い。敵は呼び捨てにするくらいじゃないと燃えないからな」

「春高。はーるたか。はるーたか」

「い、意味分かんねえイントネーションで呼ぶな。氷雨さん」

「秋乃」

「? なに?」

「秋乃。氷雨さんって寒そうじゃん。それに、わたしだけ呼び捨てにしていたら性格悪い奴じゃん」

「性格悪い……まさにそのとおりじゃん。っていうか、俺とお前は友達なわけ? すげえ距離感近い気がするんだけど?」

「……ッッッ!!」



肩が付きそうなくらい近いのは、まあ、キッチンがそこまで広くないっていうのもあるけど。


でも、なんだかコイツ……思っていたよりも普通だ。いや、何を持って普通というのかにもよるが、俺の想像していた氷雨秋乃はもっと口さがないというか、お高く止まっていて俺みたいな奴には話し掛けてこないんじゃないかって思っていた。

けれど、話した印象はクラスの女子と変わらない程度の認識の範疇はんちゅうに収まる。

むしろ、気を使わない分、クラスの女子よりも扱いは楽かもしれない。

いや、気を使わないのは俺の敵対心によるものだから、楽なんじゃなくて苦なんだろうな。




それと、一言で言えば秋乃にはオーラがないんだ。

ニューチューブのMVのような視線だけで人を殺せるようなオーラを纏っていない。本当にコイツがあの『月下妖狐のオータマ』なのか?




「なんだかお前、初対面な気がしないな」

「……バ、バッカじゃないのっ! 初対面に決まっているでしょ」



なんで耳まで真っ赤にしているんだよ。この会話の流れで、照れる要素があったのだろうか。



出来上がったカレーを皿に盛ったご飯に掛けて、早めの夕食を取ることに。

ダイニングテーブルに腰掛けたら、秋乃は座る位置に迷っている様子。もっと図々しく適当に腰掛けろって。



「……別に定位置とかないから好きなところに座れって」

「わ、分かってるわよ」



って真向かいかよ。斜め前とかに座ればいいのに、なんで俺の視界を遮ろうとするかな。

しかも、カレーをスプーンで掬って口に運んだ後に、目線だけこっち向けるの止めてくれない? 上目遣い……カワ——キモいからッ!!

笑いもせず怒りもせず、無表情で俺を見るの止めて?



「な、なんだよ。こっち見んな」

「食べないの? 春高こそなに見惚みとれてんのよ。本当はわたしのこと好きなんでしょ?」

「バ、バッカじゃねえの。俺の愛している神はユッキー様しかいねえから」

「あっそ。分かったから食べたら?」

「……ってるよ」



食べ終わった食器を食洗機に入れてスイッチを入れると、秋乃は離れに戻った。

ふぅ。これでようやく自分の時間が持てる。

ソファに寝そべり部屋から持ってきたラノベを読み始めると、玄関の引き戸が開いた音がした。

父さんと母さんが帰ってくるのはまだ早い。すると、叔母さんが帰ってきたのかな。



顔だけ上げて横を向くと……は?

秋乃が突っ立っていた。床に紙袋を置いて俺の方に向かってじっとこっちを見ている。

なんで観察したがるのかな。

いちいち面倒くせえんだけど。



「今度はなに? それぞれ自分の時間を最大限に謳歌おうかすればよくね? まさか怖いとか寂しいとか、そんな理由で来たんじゃないよな?」

「ち、違うわよ。お風呂……入りたい……んだけど?」

「風呂は沸かしてあるから、どうぞお好きに」

「どこ……なの? お風呂」




ああ、うちは分かりづらいからな。

って風呂って、裸になる風呂……だよな?



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