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この作品をフィクションをして読めば良いのか、それともフィクションの皮を被った史実として読むべきか悩むところです。小生はどちらかと言えば戦中の航空機の方が詳しいのですが、日本では空中格闘戦性能に拘るあまり、紫電改の様な新しいスタイルの戦闘機の開発が後手に回った歴史もありますしね。まあそれだけ零戦が優秀だったとも言えるんですけど。「砲撃は一撃必中」と言うのも如何にもな感じもありますから。この作品、読む読者は選ぶと思いますが興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。
作者からの返信
紫電改の戦闘記録も、大分解明が進んでいます。一昔前のような勝ち戦ではなく、負け続けながらも、政治力により補充を受けつつ戦った、というのが真相なようです。
猪口大佐の右腕?S中佐の階級やイニシャルは創作でしょうか?(あっ、ご回答は結構です)
敗戦78年目の責任所在の提起、隠蔽体制への批判。
ミステリーモノとしての盛り上げ(焦らし)具合といい、1万字とは思えぬほど読み応えありました。
作者からの返信
何せ語るべき人が、黙るか、あることないこと吹聴するか、隠蔽するか、をしているのが旧軍なので……(苦笑)有名どころだと「海上護衛戦」ですら怪しいと思っています。
「三式高射装置」の追跡調査も、日本だと殆ど行われていません(なので、あったのか、なかったのかも不明)。
終戦後、資料焼いている=史学界が無きものとして扱う、まかり通ってしまってますし、今後も調査はさらないと思います。
対空戦闘の考え方がどう変遷していったのかについても、まともに議論がされた、とは寡聞にして聞きません。
なので僕個人としては、史学界における「紙媒体絶対主義」に対し、否定的です。これは近代以降に限らず、戦国期等もそうなんじゃ? と邪推しています。
歴史って、文献だけでどうこう出来ないと思うんですよ(※政治、経済、軍事、群衆心理等が分からないと頓珍漢な答えとなる)。