とある技術士官の悔恨 中
「心霊写真って……大袈裟なだな」
私は思わず苦笑し、枝豆を口に放り込んだ。
うちの祖父ちゃんを何だと思っていやがるのか。
「予想通りの反応だわな。ちょっと待ってろ」
教授もまた苦笑し、立ち上がった。
冷蔵庫を開ける音がし、戻って来た奴の手には大皿と日本酒の三合瓶。
載っているのは、様々な寿司とお猪口と小皿、醤油瓶。
「ど、どうしたんだよ? これ?」
「ん? 握った」
「自分でか!? 本当――……いや、お前さんだしなぁ」
「そこは素直に驚いてくれよ。喰いながら話そう。日本酒、いけるようになったか?」
「おう」
「なら、後で飲んでくれや。田舎の酒だ」
教授はニヤリ、としビールを飲み干すと、手酌で日本酒を猪口に注いだ。
小皿に醤油を垂らしつつ、質問してくる。
「で? Hちゃんや。前大戦の知識、どれくらい持っている?」
「アメリカと戦争して負けたくらいだな。八月十五日が終戦記念日で、原爆が二発落ちたのも知ってる」
「なるほど。んじゃ、当然『高射装置』って言葉も初めて聞いただろうし、この写真や日誌に書かれていた日付の意味も理解出来ないわな。ああ、蔑んでいるわけじゃない。人ってのは興味を抱かないものは覚えないし、触らないもんだ。生涯に渡ってな――うん、上手く出来た。ほれ、遠慮せず喰ってくれ」
一切の悪気なく、教授は美味そうに鮪の赤身を手で食べ、猪口を掲げた。
学生時代ならば多少の反撥もしようが、私も歳をとった。言いたいことは理解出来る。目の前に座っているこの男みたいな存在は、社会では極少数派なのだ。おそらく、寿司や酒の代金を取ろうなぞという考えもないだろう。
私も小皿に醤油を落とし、寿司を箸で取る。
「確かに『高射装置』? だったか?? それがどういう物なのかも想像出来ない。説明をお願い出来るか」
「おう」
猪口を一気に呷った教授は頷き、眼鏡を直した。
日誌を捲り、ある部分で止まる。
――日付は『1942.7.7』。
歴史の知識がない私には理解出来ない日付だ。
教授が猪口に日本酒を注いだ。
「それじゃ、まずは簡単なお勉強をしよう。物事には何事も『始まり』がある。そこを抑えないと、何も理解出来ないからな」
※※※
さて、Hちゃんや。
前の戦争――ああ、アメリカとか相手のは、三年と八か月だか続いたわけだが、内、日本が優勢だったのはどれくらいだったと思う?
――うん? 一年?? 惜しいな。
答えは半年間だ。
基本的には劣勢続き。1944年以降は負けっ放しだった。
まぁ、国力差十倍の国が相手だ。端から勝ち目何てものはない。
で、だ。
日本の優勢が崩れ始めた端緒、それが『ミッドウェー海戦』における敗北だ。
この海戦で、日本海軍は主力空母四隻を一挙に喪った。
開戦時に保有していた正規空母は六隻だったから、事の大きさが多少は理解出来るかな?
熟練パイロットの損失は案外と少なく、本当に壊滅したのはソロモンで云々、という話もあるけれど、程度問題だ。仮にミッドウェーで沈んだ四隻が健在なら、戦局はもう少し日本に優位だったのは間違いない。
……初めて聞いた、って顔をしてるなぁ。
ああ、ミッドウェーってのは、ハワイの西側にある諸島の名前だ。今は、海鳥の楽園になってて、特別な許可がないと人は入れない。
何で、そんなとこを攻めたかって?
それを語ると長くなり過ぎる。興味があったら、自分で調べてみるといい。
端的に言うなら、ハワイを占領して戦争を終えたかったからさ。出来るか、出来ないかはその先の話だけどな。話が逸れた。
Hちゃんの爺さん――大尉の日誌をもう一度見てみてくれ。
『1942.7.7』
この日付は、ミッドウェー海戦が終わった一ヶ月。
日誌の内容を読んでみたんだが、こいつも中々凄いぜ。
どうも、各関係者を集めて極秘会議が行われたらしいんだ。
予め言っておくけれど……現在までに発表されている各資料に、この会議の話は一切出て来ていない。
内容は――壮絶な四空母喪失の責任の押し付け合い。
当然と言えば当然だな。
何しろ、戦艦に代わる主力艦である空母を一気に沈められて、かつその補充は1944年半ばまで出来ない。
アメリカは来年以降、最低でも十隻以上の大型空母を投入してくるのに、だ。
Hちゃんの爺さんは、まめな人だったんだろうな。
きちんと、各意見を書く残している。
『零戦が低空に降りてしまい、爆撃機を撃墜し損ねたことをあげる者多し』
これも、戦史を嗜んでいる者からすると興味深い話だ。
――ん?
そうそう。零戦ってのは日本海軍を代表する戦闘機。
栄光と悲劇を背負わされたせいか、とかく貶められることも多いんだが……ミッドウェーにおいては、十全な活躍を示した。
四空母が被弾するまで、数時間にわたる空襲を完璧に凌いで見せたのは、零戦が当初の設計コンセプト『迎撃機』として有用に使われた数少ない事例なんだ。
この戦いだけで、零戦は名機だったと断言してもいい。
正直、これだけで半日は余裕で話せるんだが、先に進もう。
大尉の日誌によると、だ――……この意見を述べる者の多くは、現役の砲術士官か、砲術科出身者だったらしい。
あ~分かる。分かるよ、Hちゃん。意味が分からないよな?
戦争が始まる以前、海軍の主流派は砲術科だった。
航空機じゃなく、でっかい大砲で船を沈めるのが常識だったのさ。日本だけじゃなく、世界の
けれど、蓋を開けてみたら戦争の主役は航空機だった。
エリートからすれば屈辱でしかない。
ミッドウェーの敗北で、それが一部表に出ちまったんだろうな。
いや……もしかしたら、怯えていたのかもしれない。
自分達の仕出かしちまった大失態を、海軍全体どころか、陸海軍全体から追及されることを。
※※※
「大失態……」
私は穴子寿司を食べながら単語を繰り返した。これも自家製らしい。
手酌で日本酒をやっている教授が肩を竦めた。
「そう、大失態だ。しかも、戦局を左右する程の」
「…………」
残りのビールを喉に流し込み、私も猪口を手に取ると、教授が自然な動作で注いでくれた。
そして、唐突に質問してくる。
「Hちゃん、FPSゲームをやるかい? ほら? 銃を撃って敵を倒すやつさ」
「いや……」
「なら、想像してくれ。銃ってのは、基本的に遠距離になれば遠距離になるほど当たらない。大砲になれば猶更だ。風の影響、重力、相手の速度と此方の速度――射撃術ってのはさ、高等数学が必須なんだよ」
「数学……」
私は学生時代にやったゲームを思い出す。
確かに、遠距離を狙うと弾丸は下へ下へとズレ、当て難かった。
教授が眼鏡を外し、嗤う。
「さぁ、いよいよ核心に近づいてきた。さっき話したよな? 『零戦が爆撃機を落とせなかったから、四空母は被弾した』っていう意見が多かったって。でも、不思議に思わないか? 確かに空母が被弾した時、零戦は雷撃機を追って低空に降り、上空から降ってきた爆撃機を防げなかった。……が」
面白がりつつも、冷たい視線が私を貫いた。
思わず、唾を呑む。
「なら、空母を守っていた護衛艦や、空母の対空砲は何をしていたんだ? 零戦が低空に降りたのは、誰しもが認識していた。その間、空母を守るのは対空火器だけになるのは自明だろ? 当時、レーダーは装備されていなくても……『戦闘機隊が低空に降りた』という事実を、戦後、空母や護衛艦の乗組員達は書き遺している」
「……撃ったんじゃないのか? でも、被弾した」
「そうだな。確かに撃ちはしたのかもしれない」
あっさりと教授は私の言葉を肯定した。
しかし、瞳には極寒の吹雪が吹き荒れている。
「でも――殆ど効果はなかった。何故か? 単純さ! 当たらなかったんだよ。日本海軍エリートを自負する砲術士官達が恐れていたのは、これさ。分かるかい、Hちゃん? 日本海軍の軍艦達は、航空機に対して対抗可能な対空火器はある程度装備していても、それを計算する計算機を……当時、最新の『高射装置』ですら、役不足なことを、ミッドウェーの敗北で満天下に露呈しちまったのさ」
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