とある技術士官の悔恨
七野りく
とある技術士官の悔恨 上
旧友が、待ち合わせ場所に指定してきたのは、それなりにお高く、良いウィスキーを売りにしている居酒屋だった。
二十代であれば、尻込みしただろうが、私も三十を超え、酒の飲み方を覚えもした。多少高くても、面倒な調査を頼む側でもある。
了承し、仕事帰りに落ち合う約束を交わす。
奴――名前を出すのは差支えがあるかもしれないので、ここでは学生時代の綽名である『教授』と呼ぶ――は、私よりも先に到着していた。
ワイシャツこそ来ているものの、大学時代と殆ど変わっていない出で立ちに眼鏡。
二十代と言ってもおかしくはないし、四十代と言われても納得する。
教授がグラスを掲げ、ニヤリ。
「よぉ、Hちゃん。先に呑んでるぜ。秋だってのに、毎日暑いよなぁ」
三十半ばの男に『ちゃん』付けするのおどうかと思うが、一気に学生時代へ引き戻される感覚を味わい、私は苦笑した。
背広を壁にかけ、目の前に座る。
「悪かったな、いきなり連絡してしまって。お前以外に、歴史に詳しい人間が出て来なかったんだ」
「気にすんな。にしても……老けたなぁ、おい?」
「当たり前だ。サラリーマンは色々と苦労して、毎日を生きている。学生時代、数学は常に赤点だったお前が経理やら財務をしているんだぞ?」
「ま、確かに」
軽口を叩き合いつつ、酒を注文しグラスを合わせる。
十数年ぶりだというのに、昨日別れたかのような空気感。
相変わらずというべきか、不思議な奴だ、というべきか。
枝豆を食べつつ、教授が尋ねてきた。
「――で? 物を見せてもらってもいいか?」
「ああ」
私は鞄から、古いノート――今年の夏に百五歳で亡くなった祖父の日誌を取り出した。七十数年前とは思えない程に保存状態は良好だが、テーブルを汚さないよう、布を敷く。
教授はグラスを傾け、メールで知らせておいた内容について確認してくる。
「Hちゃんの爺さんは、旧海軍の技術士官だったんだよな?」
「ああ。だけど――それ以上の詳しい話は誰も知らない。祖母さんが亡くなって十年以上経つしな。お袋が言うには、最後は『少佐』だったらしい」
「実際は大尉ってことか。確かに、百五歳ならそれくらいか……」
得心しつつ、教授は河エビのから揚げを口に放り込んだ。
私はサラダを取り分けながら、依頼する。
「お前にしてもらいたいのは、日誌の内容解読と――」
ノートを開き、白黒写真を見せる。
映っているのは奇妙な四角い匣の正面。
但し書きには『1945.9.1.呉』とだけある。
「この機械が何なのかを教えてほしいんだ。お袋が言うには、これは祖父さんの字で間違いない」
「…………ふ~ん」
教授がグラスを呷り、ウィスキーを飲み干した。
眼鏡の奥の瞳に深い知性が現れる。
「別にいいけど……何にも出て来ないかもしれねぇぞ?」
「それならそれで構わない。だけど、そいつは完璧な終活をやってのけた祖父さんが、最後の最後まで、手放さかった物なんだ。……お袋からしたら、知りたい、と思うのは普通だろ?」
「……そうだな」
教授はノートを布にくるみ、自分の鞄へと閉まった。
メニューを開き、突き出してくる。
「一ヶ月、時間をくれ。可能な限り読んでみる。一先ず――飲もうぜ、美人な奥さんと、可愛い娘さん持ちのH課長?」
※※※
それから一ヶ月が過ぎたある日。
突然、教授からメールが届いた。
曰く――
『日誌の中身と写真に映っていた物について説明したいから、週末にでもうちへ来てほしい。外では話せない』
最後の文章は気にかかったものの、分かったのであれば有難い。
その週の終わり、私は教授の家を訪ねた。
遥か昔……高校時代に幾度か行った朧げな記憶と携帯を頼りに、辿り着く。
都内某所、モダンなコンクリート打ちっ放しの一軒家。
分厚い扉が開き、教授が顔を出す。
「よぉ。上がってくれ」
「ああ」
家の中に通され、二階へ。
小洒落たリビングに通され待っていると、お盆に、缶ビールと金属製のグラス、枝豆を載せ教授が戻って来た。真昼間から呑む気らしい。
テーブルには、日誌が置かれている。
「わざわざ悪い」
「いや。……御家族は留守なのか?」
「両親はこの時期、田舎だよ。優雅なもんさ。で、俺は華の独り身」
グラスをテーブルに置き、教授は缶ビールを開けた。
なみなみと注ぎながら――真顔になる。
「……なぁ、Hちゃん」
「何だよ?」
グラスが差し出された。
プロみたいに泡が細かい。
教授は、自分のグラスにもビールを注ぎながら、淡々と提案してきた。
「日誌の内容とあの機械の正体、お袋さんには『分からなかった』ってことにしないか?」
「……はぁ? いや、それは」
「知らない方がいい。もっと言うと――Hちゃんも知らなくていいと俺は思う」
「…………」
私は思わず黙り込んだ。
……この男が此処まで言う。いったい何が書かれて、正体はなんだったんだ?
椅子に腰かけ、足を組んだ教授が肩を大きく肩を竦める。
「今や、昭和は遠くになりにけり。前大戦のことについて知っている人間なんて、極々少数。アメリカと戦争したのを知らない学生だって多い。Hちゃんだって、殆ど興味はないだろ? この日誌と写真は――」
教授がチタン製のグラスを手に取り、ビールを飲み干した。
指で日誌を叩き、鋭い視線が私を貫く。
「謂わば、パンドラの匣を開ける『鍵』の一つなんだ。その中身を……覗く勇気はあるのかい?」
大袈裟な物言いだ。
同時に……この男がそう言うのなら、そうなのかもしれない。
私は逡巡し、冷たいビールを一口飲んだ上で答えた。
「……確かに戦争のことなんて知らん。でも、分かったのなら教えてほしい。お袋に話すかどうかは聞いて判断する」
教授の言う通り、私に戦争の知識はほぼない。
だが……これは、祖父ちゃんの日誌と写真なのだ。
眼鏡を直し、教授が溜め息を吐き、
「……忠告はしたからな? それじゃ、まず」
写真に映る機械に、指で触れた。
私へ向けている視線には、微かな狂気が混じっている。
「こいつの正体から話そうか。このけったいな機械の名前は――『三式高射装置』。戦後の調査において、米軍が存在を認定しながら、当の日本側からは戦後七十数年経った今でも、一枚の写真も、一文の記述も出てきていない幻の……そう、まるで『幽霊』みたいな存在だ。分かるかい、Hちゃん? この写真はその『幽霊』を映した、怖い怖い心霊写真なんだよ」
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