第394話:遠き日の夢、重なる
ヘレナ・テロスは天才を知っている。超ド級の天才、その志に憧れ、彼をサポートするためにユニオン騎士団の門を叩いた。当然の如く隊は離れ離れとなり、消沈していたものの適材適所として良い職場に巡り合えたとも思う。
加えて親近感もあった。
中立な立場で、騎士の役割とは別の部分で存在感を発揮し、騎士団に還元する存在。目指すべき姿だと、思っていた。
だけど――
「ハァァア!」
貌を歪ませ、複眼の周りに浮かぶ血管が同じ生き物とは違うのだと示す。同じこと。自分が敬愛する天才もまた人の形をしているだけで不平等なほどの才を持つ。それを自覚し、それゆえに人の前に立たんと克己する姿に憧れた。
同じなのだ。
同じはずなのだ。
なのに何故、
「……隊長」
自分は裏切られたと感じてしまっているのだろうか。
「う、噂以上だな」
「ああ。さすがに、人の枠じゃねえわな」
第七のリディオ、ジャンもある種、引くほどの力を示すリュネ。
それもそのはずなのだ。人よりも反応が抜けた存在はいる。動体視力が優れている者も、フィジカルが突き抜けている者もいる。
だが、それはあくまで人の範疇、その器の機能には上限がある。限りなく人類の上限を叩き出すイールファスや、他の全てを削ぎ落し速度へ変換するノアなどがそう。ソル族と言う恵まれたスペックを持つ者や、それと並び、場合によっては上回るかもしれない上振れた怪物と呼ばれる者もいる。
それらは全て人類の、人と言う種に許された最大でしかないのだ。
しかし、リュネ・ループは違う。
彼女の眼は根本的に人と異なり、人では絶対に知覚できない光の明滅などを当たり前のように取得することができる。規格が違うのだ。同じ規格で争うのが人の優劣なれば、彼女はその外側にいる。
人間である限り、見ることで彼女に勝ることは絶対にできない。
絶対に、である。
さらに、その複眼がもたらす凄まじい速さで流れ込む莫大な情報量が、彼女の脳を過負荷によって破壊し、一時的な障害まで与える。
脳機能の低下による、リミッターの解除である。
これが三分間しか持たない最大の理由。脳だけではなく、肉体もリミッター解除の全力稼働に三分後限界を迎える。
眼が人と異なる規格で生まれ、脳が常人であったがゆえに誕生した化け物、それがリュネであった。
「アアアアアアア!」
稼働の初期は激烈な頭痛と筋繊維及び各関節の摩耗による激痛が全身を苛むが、それも十秒後には麻痺してしまう。
脳が自己防衛のため、痛みを消すのだ。
そうなってくるともう、
「ハハ、ハハハハハ!」
手が付けられない。
閃光を捌きながらガンガン前へ踏み込み、ツインソードによる上段下段、左右を自在に、あらゆる方向から攻め立てていく。
彼女の人外スペックに、正統派からかけ離れた剣術によるわからん殺し。
攻める。攻める。攻め寄せる。
『……■■』
『騎士光』ウルティマ、今度はじわじわと後退を余儀なくされていた。光を帯びる手足すらも、人外は捕捉して超スペックでかわす。
もはや、彼女の眼は人からすれば未来を見ているのと遜色がない。
全てが見える。
だから――勝てる。
一気に行く。時間は与えない。
○
各地で繰り広げられる戦い。
それを、
「……」
魔族化の進行を阻む薬を服用しながら、それでも情報収集のためにレオポルド、サブラグは自らの力を用いて見ていた。
覚醒したグレイブス、彼が飛ばした槍の冴えは元部下ながら驚いた。端から第一の息がかかっていることは理解していたため、サブラグ自身気取られぬために自分からは遠ざけていたのだ。
例の輸送任務はサブラグの復活を察知したイドゥンが正気であるならば、必ず自らを阻止するために自身の力を、身体を回収しに来る。囮ついでに新人ながら心身の完成度が高く、身近に置くには危険な彼女を派遣し、友であり敵に処理させた。
当時の判断は正しかった、それを確信する。
それにしても懐かしい顔ぶればかりである。血盟騎士団、雨乞い、治水を生業とする呼び水の巫女たち、いずれもよく知る者たちであり、どちらも自らの知らぬ変貌を遂げていた。おそらく、自身やイドゥンの軍勢ではなく独力で顕現し、いずれかの時代で討伐されたのだろう。
統一王国の一員ではあるが、正直彼らの多くはウトガルドの民と言う認識はなかったはず。ミズガルズが敵、と言う意味ならば共通であるが。
だが、今顕現する二つはサブラグにとっても特別である。
片方は友であるイドゥン派の騎士であり、戦争を経験していないにも関わらず、御前試合にてシャクスと渡り合い、打ち破った実績を持つ。まあ兄の贔屓目ではないが実戦のそれとは違ったと思うが、それでも渡り合う時点で十二分。
若く、将来有望な、正義感溢れる騎士であった。
シャクスの家族を救えなかった負い目や、多くの犠牲を目の当たりにし最後の方では大きく歪んでしまっていたが――その力は本物である。
容易く届く相手ではないだろう、あの面々でも。
そしてもう一つ、こちらも縁深き相手である。
流浪の傭兵騎士。どの勢力にも与せず、自身が正義と判断した勢力につく流れ者であった。大抵は負け戦ばかり請け負っていたし、生涯戦績はおそらく敗北の方が多い。自分たちも彼と何度も戦い、勝利した。
大局では。
局地戦では勝負つかず。とにかく尋常な速さではない。迫撃では無類の強さを誇る。なにせ距離が近づけば近づくほどにあの騎士は強くなるのだ。
神術の相性も悪かったが――それぞれサブラグ、イドゥン、シャクスにゼピュロス、ギムレーらと戦い、その全てを勝利ないし引き分けに持ち込んでいる。
当時の自分は引き分けであった。
まあ、
「……今の俺ならば負けぬがな」
戦争終結後も剣を磨き続けた自分ならば勝てる。そう口にするぐらいにはあの引き分けを引きずっていた。
当然、容易く勝てる相手ではない。ただ、遠目からもわかる通り、おそらく討伐の段階で、いや、下手をすると魔族化の段階で、ミズガルズへの憎しみは失せていた。彼にどんな理屈があったのか、巡り会わせがあったのかはわからない。
しかし、ここまで無いのは珍しかろう。
対するは人外と凡人たち。リュネとは自分も手を合わせたことがある。あれは、人間が勝ってはならぬスペックであった。レオポルドを演じる上で、あれに勝利するのは自らが何か別のものであると証明するようなもの。
事実、外れ値かつ百年研鑽を積んだ騎士の長のみが渡り合った。
三分間ならば紛れもなく現代最強の騎士と数えていい。歴代でも最強格であろう。それだけの力はある。
ただし、
「ミズガルズとウトガルドでは騎士の定義が違う。人外、そう、まさにそれだ。騎士は正しく人の超越した存在、人の外側で守る者」
それはあくまでミズガルズの話。
ウトガルドの騎士とは、
「勝てんよ。外側同士がしのぎを削った時代の猛者だぞ」
人外魔境の戦場を駆け回った者たちである。
○
光が、リュネに突き立つ。
「……ギ、ィ」
技を二人のおかげで把握した。速さも把握した。勝ち切るつもりで詰めた。だが、まだこの騎士は隠し持っていたのだ。
相手を打倒するための拳ではなく、相手を遠ざけるための、寄せ付けぬための、速さのみを追求した、拳闘で言えばジャブであった。この拳をミズガルズで抜いたのは二度目。他は魔族化後、抜き放つ必要すらなかった。
千年前最速の騎士の、最速の拳である。
「……っ」
それは生まれて初めて、人外の魔眼をも超えた現象であった。
あと一歩、されど、あまりにも分厚い一歩である。
間合いが、遠くなる。
加えて、
「アっ」
顎を正確に射抜いた一撃は、リュネの精神を置き去りに彼女の膝を崩させた。冷静沈着、精密無比、人間を打倒するのに力など要らない。
見事な武技である。
膝を崩し、貌を歪めながら倒れ伏す姿に、かつて自分が戦った猛者を思い出す。拳闘に自信あり、と打ち合いを所望したゼピュロス、ギムレー、いずれも意識を刈り取った。あの三人の騎士、最もスペックの高かった騎士もこれで射抜いた。
破壊を介さぬ、無力化。
思考にもやがかかりながらも、身体は自らの武を覚えている。
そして既視感は、
「おい最強! 立てよ」
「貴女がいないと勝負になりません、マスター・ループ」
「……ぎ、ガァ」
倒れ伏した一人を支える二人。
ああ、そうだった。
『……強く、見事な立ち姿だった。思い残すことなど、何一つなくなるほどの……ああ、そうだ。こんな景色であったな』
三人の騎士。
足りぬ力を補い合い、格上たる自らを前にほんの少しも揺らがず、怯えず、心が立っていた。倒れてなお、その眼は立っていた。
ああ、そうだ。
『あの時と同じ言葉を送ろう。三人の騎士よ』
彼らと重なる。
ゆえに、最速の、流浪の傭兵騎士は微笑んだ。
「やれますか?」
「支エ、お願い、シマス」
「持続可能な天才がサポートに回ってやる。その代わり、必ず届かせろ。つーか、私がその体なら今のもかわしていたからな!」
「……デスネ」
「ふん。どうやらあちらは、正々堂々やりたいみたいだぞ。魔族の癖に」
「なら、我々も応えましょう。支えますよ、二人の天才を」
「……頼リニ、シテマス」
「征くぞ! あと、もっと褒めろ!」
まともに対峙できるのはリュネのみ。それでも彼女の一助として機能することはできる。サポートなんて学生時代やったことがない、やる気もなかった男であるがユニオンに入り、今に至るまで嫌でもそういう経験を積んでいる。
アントンは言うに及ばず、天才の影と定義した時から、自分の仕事はそれである。
『受けて立つ!』
自分はすでに泡沫の夢なれど、それでも騎士として手を抜く気はない。
全力で相手取ろう。
騎士らしく、正々堂々と。
○
アスガルド、大樹ユグドラシルの上に老人は一人、瞑想を続けていた。もし、もし必要となれば、最後の残り火全てを注ぐ覚悟があった。
これは自らの招いたことでもあるから。
その証左が、
「お久しぶりですな、我が師。マスター・グラスヘイム」
とうとうここまで来た。
「……ここまで夢が広がったか」
「はい」
自らの背後に現れたのは、自らの教え子であるウルティゲルヌスであった。若かりし日の姿で、全盛期手前、自分と別れた頃の姿であろうか。
記憶の中の彼そのままである。
ただし、
「人を愛せなくなったか」
「……イエスです。マスター」
その眼は光り輝く、希望に満ちたそれではなく、当時の自分と変わらぬ濁り、くすみ、ただ生きるだけ、役目を果たすだけのそれであった。
あの頃の自分を映しているような、そんな気すらする。
「わしのせいであろうな」
「何故? マスターは俺に警告してくれていたではありませんか。清く、正しく、美しく、その建前の裏に潜む、人の業。多くを見てきたのでしょう? 流浪の中で。救う中で、人を。その本性を」
「……そんな者に、指導する資格はなかった」
「断ったあなたにつきまとったのは我々です。そして、その教えを間違えだと思ったことは一度もない。そうあるべきだと思います。騎士とは、かくあるべし。紳士たれ、あなたらしく、あなたらしくないユーモラスな回答でしょう」
「……」
「ただ、民にそれを求めるのは酷でした。彼らは弱い。肉体も、それ以上に心も。さらに欲深い。隣人が得をすることを許せず、得をしたことを忘れもっともっとと欲しがる。ただ、天に口を開けて……醜悪でした。凡人とは」
疲れ果てた王の眼。
政策とは選択である。効率的に国家運営をするための王であり、税でもある。勤めて公平を期すようにして来た。長いスパンで、少しでもよくなるように、と誠心誠意尽くしてきた。だが、その結果は目先だけ見て不公平だ、不平等だ。政敵に勝つためならば平気で国益を損ねる者もいた。
民の視野は狭く、貴族たちはポジショントークに終始する。
公平、公正も、一度歪み始めると何が正しいのか、本当に正しいのか、誰の目から見てもわからなくなる。始まりは真っすぐ進むだけでよかった。
迷いもなかった。
今はもう――何もわからない。全ての欲望をかなえることは出来ず、さりとてあちらを立てればこちらが立たず、何をしても不平不満が出る。
しかも、人の欲望は留まるところを知らない。
それを煽る者たちもいる。
もっともっともっともっと――行きつく先は何処か。
見たいとも思わない。
「その考えが、心が、引き寄せてしまったのです。同じ思いを抱き、それでも王として立ち続け、最後まで嫌悪を吐露せずに王として振舞い続けた者が」
「……やはり、漂着しておられたか」
「神下ろしは失敗していなかった。正しく機能した。ただし、そう、私の、もはや統御し切れぬ混沌と化した心を反映する形で」
ぐにゃり、とウルティゲルヌスが歪み、もう一人の王が現れた。
統一王国を築いた偉大な、戦う王。
「……驚いた」
「覚えておられぬでしょうが……グラスヘイムと申します」
『獅子王』。
そして、
「馬鹿にするな。自らに剣を捧げし騎士を、忘れるほど愚かではない。従者とてな。そうか、卿が、あのサブラグを破ったのか。ふはは、シャクスも喜んでおろうな」
「……魔王であったから勝てたのです。騎士としてのあの御方には及びませぬ」
「さて、どうか。ふふ、私には近い実力に見えるが」
「お戯れを」
かつて従者、騎士見習いであったグラスヘイムが王に頭を下げる。
「よく鍛えた。よく磨いた。何よりよく繋いだ。卿は我々の誇りだ」
あの日見た王の、明日を見る嬉しそうな貌が重なる。
それゆえに、心が軋む。
「……陛下、この夢を、我が弟子と陛下の夢を、止めることは出来ぬのですか?」
「出来るぞ。卿が我々を殺せばいい」
「……っ」
「冗談だ。ここにいるは影、卿の刃は届かぬ。それに、約束があるのだ。二つ」
「二つ?」
「ああ。昨日を夢見る我々を討つ剣だ。描く明日は異なろうが、それでも彼らは明日のために立つ。甘えるしかないのだ、いくら悔いようとも」
王の身体を蝕む魔障。その濃度は、影越しにもわかる。
歴戦の騎士であるグラスヘイムが感じたことがないほどのそれは、まさしく魔王と呼ぶにふさわしいものであった。
そう、彼らが願いの中心であるのだ。
救う力を求めた。守る力を求めた。
「願いは届いた。届いて、しまった。ずぅっと、前に」
本当に、ほんの少しの曇りなく、そうであっただろうか。
彼らはもう、自分すら信じられない、わからない。
「すまなかった。私は、俺は、我々は、器ではなかったのだ」
声が、言葉が、重なる。
「「王の」」
其処に滲む想いに、グラスヘイムはただ唇を噛み締める。彼らが成りたいと言ったわけではない。彼らはいつだって人から頼られ、選ばれ、そう成るのだ。
誰が、こんな損な役回りをしたいと思うのか。
「……何が師、何が、黎明の騎士か。許せ友よ、俺には未だに、卿の言った正しさがわからぬのだ。ずっと、そのままだ。何が、言えるという。そんな成らず者に」
グラスヘイムはただ悔いる。
器でなかったのはきっと、自分も同じであっただろうから。
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