第390話:名も首も無き騎士

「失礼」

「ふえ?」

 世界最優かつ最も過酷な学び舎で鍛えられたソル族先祖返りの圧倒的フィジカル。それによる足の速さ、持久力は他の追随を許さない。

 はずだったのに――

「ふはははは!」

「え? え?」

 グレイブスの心意気に感謝し、全速力で走っていたところ、背後から音もなく現れた首無しの騎士に、ラックスはお姫様抱っこをされてしまった。

 有無を言わせず、かと言って敵意も感じない。

「我が主より、お嬢様をお守りせよ、と仰せつかった次第。あの子が誰かに頼ろうとせず、誰かを守ろうとした。私はその心意気に感動したのですよ」

「……あなたは、グレイブスの?」

 そもそもどこから声が出ているのだろうか、と言う疑問が先立つも、どうにも暗さを感じさせない声色と気配に怖れは消えた。

 疑問は微塵も消えていないが。

「ええ。首無し騎士、名は……まあ無粋ですな。すでに討たれた身、業腹極まるが惜しくもなかった。我が槍、届かずに半ばで折れたなら、所詮其処までの命。名乗り、残す必要はなく、ただ主命のみを果たしましょう」

 力及ばずに散った。悔いがないはずもなかろうが、それでも声色一つ滲ませぬのは矜持ゆえか。名を聞かずともわかる。

 首無しの騎士、彼女はきっと素晴らしい騎士であったのだと。

「名も首も無き、騎士としてね」

「……よろしくお願いいたします」

「飲み込み早し! 器量良し! ビジュも良し! 器でありますな!」

「……照れちゃいます」

 頬をぽっと赤らめるラックスに首無し騎士は「はっはっは」と笑う。その間も景色は風のように後ろ後ろへと流れていく。

 速さも凄まじいが、恐ろしいのは安定感。

 視点がぶれない。揺れを感じない。

 まるで景色が勝手に動いていくような、そんな感覚である。

「風のようですね」

「ほほう! 慧眼! 私は幼少の頃、風になりたいと思っておりました。風は自由で、何処へでも、何処までも吹いていく。何度も追いかけっこし、その都度敗れて、辛酸を飲んだ日々もまた今は昔。嗚呼、愛しき我が青春よ」

「……風と追いかけっこしたのが青春ですか?」

「ええ!」

「その、学校生活とか?」

「幼き日々は先輩と言う壁があり、少しして教師と言う壁に楽しみを見出したのですがなぁ。気づけば誰一人、周りから人が消えておりましたな。はっはっは!」

「……」

 あっけらかんと彼女は言うが、ラックスはそれがひどく寂しそうに聞こえた。競う相手もおらず、ただ一人孤高にて君臨する。

 その冷たさたるや、立とうとしていなかった自分には想像を絶する。

「その……人に合わせようと思ったことは、ないのですか?」

 ラックスは自分が人と違うことが嫌だった。人よりも優れた資質、受け継いだ頑強な肉体が狡いものだと、思っていたから。

 同じになりたい、昔はそう思っていた気がする。

 だけど、

「皆無!」

 首無し騎士ははっきりと言い切った。

 その強さに、ラックスは目を見張る。

「強く生まれたのだから、弱く生まれた者を守るのは当然のこと。それが騎士でありましょう? 結果として同期、先生方も、私にとっては守るべき対象へ移行しただけ。其処へ並ぶと言うことは、私が歩調を緩めると言うこと。その緩めた歩調で、その一歩、二歩、届かぬ命があるかもしれない。ならば、やはり私は止まれない」

 死してなお揺らがぬ騎士。

 此処までの強度をラックスは初めて見た。強い言葉を使う者はこの世界、いくらでもいる。だが、それを恰好付けの言葉ではなく、ただ在り様として当然と化している様は、おそらく騎士界隈でもほとんどいないだろう。

 騎士と成るべく生まれ、騎士として育った。

 骨の髄まで騎士。

「おんやァ?」

「あっ」

 そんな風が颯爽と林を抜けると、


『■■■■ォ!』


 夥しい数の魔族がそこら中にたむろしていた。

「殺し間。いや、違うな。ふむ、この身体のおかげで少しわかる。魔障がより強く反応している、つまりは……災厄の軍勢、ウトガルドか!」

 ラックスと首無しの騎士を視認するや否や、恐ろしいまでの敵意がこちらへ向く。ラックスはそれに気圧された。

 どうしてここまで彼らは憎むのか。

 どうして、こんなにも――

「憎悪が新鮮! うむ、違うな。私も別に、実戦経験豊富ではないが、フロンティラインや、仕事で方々回り培った経験とそぐわない。新し過ぎる」

「え?」

「とりあえず再びしっつれい!」

 風が停止し、素早くかつ恭しくラックスは抱っこを解除された。

 それと同時に首無し騎士は槍を背中より手に取り、構える。

「それほどに憎いか。我々が」

「……あ、ああ」

 立ち止まり、改めて彼らの軍勢を見ると、其処には少なくない人数の死体があった。首を千切られ、四肢をもぎ取られ、苦悶の表情を浮かべながら死した人々。

 それを足蹴に、

『■■ァ!』

 群れの長が叫ぶ。

 殺せ、そう聞こえた。

 群れの殺意が、一斉に二人へ振りかかった。

「犠牲から目を逸らすな」

「……っ」

「騎士にせよ、王にせよ、犠牲を避けて通る道はない。私が散ったように、この平和な時代ですら、犠牲は何処かで必ず生まれる。ゆえにこそ!」

 首無しの騎士は血みどろの深紅、その眼が語る殺意を跳ね除けるように、


「騎士は立つのだッ!」


 槍を振るいながら敵を見据える。

 明らかに普通ではない魔族を前に、尋常ではない殺意を前に、それでも揺らがない。当然の如く、立ちふさがる。

「三歩」

「え?」

「三歩下がり、のんびりと我が背で、我が武をご照覧あれ」

「……い、イエス・マスター」

「結構ッ!」

 多勢を前に悠然と一歩進み出る。

「エンチャントォ」

 槍の穂先、翡翠の刃が輝き、何処か風を孕むような気配をまとう。

 そして、

「で、来んのか?」

 かかってこい、通じぬと理解しながらも首無しの騎士は挑発した。

『■!』

 それを受けてか、威風堂々進み出る様を見てか、魔族たちもまた彼女らを殺し尽くすべく、敵意を、殺意を剥き出しに動き出す。

 素早く、的確に、相手を蹂躙するための動き。

 それに対し、騎士はあくまでもゆったりと進む。ゆっくり過ぎる。あまりにも、騎士の、彼女の周りだけ時が止まっているかのような、そんな感覚。

 だが、

「気を付け給え」

 とん、と緩やかな槍が魔獣の額を優しく穿つ。とん、とん、とんとんとんとんとんとんとんとんとん、なんでこんなにも遅い槍が避けられぬのか、そう思ってしまうほどに、ゆったりとした槍が命を奪っていく。

 的確に、繊細に、それでいて優雅に。

「槍の間合いは遠く、我が身は彼方だ」

 一歩、一歩、揺らがずに進む。

 後を追うラックスはようやく気付いた。自分の歩みが、自分の思い描くそれよりもずっと遅く、感じていることを。

 首無し騎士が遅いのではない。

 風がゆったりと吹くのではない。

 風を感じる者たちが、ただゆったりとした時を感じているだけ。

「……っ」

 ラックスは槍に詳しくない。だが、それでもわかる。彼女の圧倒的な技量と、それを携えた尋常ならざる生まれ持ったセンスが。頭の先から指先、足先に至るまで張り巡らされた神経が、髪の毛一本ほどの誤差も許さずに槍を振るうのだ。

「届かんよ、それでは」

 天才として生まれ、騎士として育った。一切の妥協なく積み重ねた。だから、この若さで此処まで達しているのだ。敵意が、殺意が、まるで届いていない。

 まるで追いつけていない。

 ゆったりと見える。

 けれど――

「私は風と競る女だぞ!」

 彼女は誰よりも速い。

 ただ、それだけのこと。速いから余裕がある。余裕があるから指先まで気を配ることができる。それゆえに槍を肉体の延長として扱うことができる。

 だから、美しい。

 長い髪がたなびく。見目麗しき女性の、気高き貌が見える。

 いずれその槍は、必ずや届いていた。

 すでに、もう少しのところまで辿り着いていたから。

 黄金世代の四名は間違いなく抜きん出ている。抜きん出た者が四名も出た。それは尋常な世代ではない。それらに続く者もレベルが高かった。黄金世代と呼ばれることに異議を申す者などいない。

 だが、規格外のモンスターであるアセナ・ドローミや、神風の槍を繰るメラ・メルなど、比肩しようがない頭抜けた存在と並び、彼らが圧倒的と言うわけではないのだ。隊長格と呼ばれる者たちが上に並ぶように、それを確約された存在である天才たちもまた、この世には存在していた。

 世代最強、唯一の懸念は協調性。並ぶ者がいなかった。並ぼうとする者も――

(……む? ひとり、小生意気なのが、いたような気も)

 何かいたような気もするが、少なくとも同期にはいなかった。

 彼女はそう言う怪物である。

 騎士の学び舎へ足を踏み込んだ時から秩序の騎士に成ると目され、そうそうに『第一騎士隊』から、ウーゼルから声をかけられた怪物。何故か第十二騎士隊の門を叩き、結果として戦死してしまったが――輝いていた事実は消えない。

 その槍は死してなお、軽やかに舞う。

『……ィ』

 誰も近づけない。

 誰も寄せられない。

 この背中がある限り、自分は安全なのだと錯覚してしまうほど、其処は居心地のいい場所であった。ラックスは芽生えた安心感を恐ろしく思う。

 この戦場で、首無しの騎士はそれを抱かせるのだ。

『■■■■■!』

 殺意の咆哮。群れの長が、より凶悪な姿へと変貌していく。身体中の血管が盛り上がり、血が噴き出して体を覆う。分厚い血の鎧。さらに、足蹴にする死体からも血が噴き出し、その魔族に集まり始めた。

 明らかな異能。

「おお、戦士級だな! お初にお目にかかる」

 さらに、槍の餌食になった配下の血も、長の下へ集まり出した。

 犠牲の数が、憎しみが、彼を強く――

「だがしかし」

 とん。

『……■?』

 血の外殻、分厚く巨大な、現在進行形で強く大きくなる途上にて、視野確保のための小さな隙間、眼を何かが抜き去った。

「許せ。私の槍は今、生前よりも彼方を穿つ、魔槍であるッ!」

 細く、鋭く、練り上げられた風の魔槍。

 それが彼方を射抜き、

『……』

 犠牲をまといし血の魔族を、討ち倒す。

「さらばだ。おそらく、強かった者よ」

 天才が魔槍を手にした。

 元々、彼女が槍を気に入っていたのは出自よりも、より遠くに手を伸ばし、より多くを守るために効率的であったから、である。

 遠くへ手を伸ばし、多くを守る。

 その願いが結実した風の槍。

「まだ来るのなら、お相手しよう。及ばなかった成らず者なれど、全力にて。おそらくは同じく過去同士……送り返そう、昨日へ」

 長を失い、それでも臆せず、憎しみは消えず、敗れるとわかってなお牙を剥く者たち。それを相手取りながら、首無しの騎士は哀しい想いを抱く。

 鮮度が、彼らの抱く想いを正確に伝えてくれるから。

 風化した今の魔族とは違う。

(百年、精々は二百年ほどか? だとすれば、彼らはきっと多くの血を築いたであろうな。騎士が確立する前の時代ならば……)

 それゆえに今、此処で断つ。

 此処で終わらせる。

 すでに明日の血が流れてしまったが、これ以上昨日によって血が増えぬように、自身が持つ全てを賭し、捻じ伏せる。

 圧巻であった。

 風の槍をも振るい、ただでさえ怪物であった彼女は無双と化した。

 誰も届かない。誰も及ばない。

「む? 頭痛が痛くなくなった。気分上々だ!」

 それゆえに、

「お見苦しいものをお見せした。では、旅の続きと洒落込みましょう」

「は、はい」

 群れの全てをねじ伏せ、首無しの騎士はラックスへ恭しく頭を下げる。強き者が容赦なく魔道を扱うと、こうなるのだ。

 屍山血河の地獄絵図。ただし血の一滴すら首無し騎士に、その後ろのラックスにも届かなかった。それが結果である。

 そして、当たり前のようにラックスをお姫様抱っこする。

「参ります」

「……」

 騎士の鑑。首がないのに、同性なのに、危うくコロッといきそうになる。

 ラックスは頬をほんのり赤らめながら身を任せていた。

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