第387話:グロウアップ
「ッ⁉」
攻撃に対し、普通は退くべきものを前進し、体をねじ込んで捌く。可能か不可能かで言えばできる。ただ、其処から攻防どちらにも繋げられないから、誰もやらないだけで。相手優位の密着状態、それはただの悪手である。
だが、相手に頭を密着させて、それを支点に捻じ込みながら回転する。
ぐるりと回る。
頭に押され、僅かに生まれたスペースで躍動する騎士剣。
回転と同じ軌跡を描き、両手両足を断つ。
誰も知らないムーブ。正解とされる、正解とされてきた動きからはかけ離れたそれに、歴戦の猛者たちは顔を歪めるしかない。
それ以上に、
「……なんだよ、それ」
『暗部』の若い者たちも、猛者たち同様、否、猛者以上に表情を歪めていた。彼らの大半はログレスへの入学を果たせなかった者や、ログレスをドロップアウトした者、卒業したが団入り叶わず苦汁を飲んだ者、そういう経歴ばかり。
つまり、彼らはきちんとした基礎を叩き込まれ、正解とされる動きを染み込むまで修練した者たちであるのだ。
教育の充実に伴い、より高度に、より緻密に、より正確に彼らが教わった動き。絶対的な正しさ、スクエアから外れる動きは気持ちが悪い。
最近でこそメガラニカ発のオフバランスが提唱され、学校教育でも取り入れられているが、やはり邪道と見る向きは強い。教師側もスクエアという正解が疎かになり、身体が出来上がっていない子どもに枷の外し方を積極的に教えはしない。
もっと言えば、結局巷のオフバランスはスクエアの延長線でしかなく、あくまでベースは従来のスクエアに沿って外してやる。そうするとコントロールは難しいがより強く、より速く打てるようになる。それがオフバランスの考え方、ピコ本人が提唱していたもの。
だが、ピコが辿り着いた考え方は従来にはない動きを、スクエアには出来なうムーブを、セオリーから外れたムーブで達成する、というものであった。
難しいのは当然、身体にも負荷はかかる。
そもそも、柔軟な発想と大胆な行動力も求められる。
ただ――
「よし」
不可能を可能にする、ただそれだけでも踏み込む価値はある。
気持ち悪い、怖い、そう思えるのは彼らがきちんと積み上げたから。だから、明確に外れているのがわかる。クルスやイールファスですら、その実動きのベースはスクエアなのだ。それはあまりにも新し過ぎた。
斬新過ぎた。
受け入れるのは時間を要するだろう。
もしかしたらいずれ、クラシックなスクエアとコンテンポラリーのオフバランスと、別ジャンルでの学びとなるかもしれない。
新たな地平を臨むための剣。
本当の意味で枷を外せるか否かは、その者次第。
「ふはは、どこまでも、情けない!」
勝てない。クルスの時と同じ、そう悟った騎士は顔を歪めながら大きく迂回した。一度逃げた身、二度目も逃げるしかない。
向き合えるのなら、一つ前でそうしている。
残ったのはただ、
「使命を果たす!」
「うっ!?」
偉大なる王より賜った使命のみ。
心を殺し、職務を遂行する。討てぬ敵に固執せず、討てる相手を狙う。この場合は『墓守』グレイブスである。
それは、
「それでよろしいのですか?」
「我らはとうに、死兵である」
他の者も同じ思考であった。
明らかに受けの姿勢で、ピコとグレイブスの間に割り込む別の騎士。勝つ気なく、ただ遅延するための剣は彼らが誇ってきたものではなかった。
だが、最善手。
誇りを重んじる彼らを、いったい誰がそうしたのか。ピコの感じていた違和感、何処か投げやりな彼らの背後に、誰かがいると察した。
すでに、誰かに彼らは殺された後なのだ。
心を。
「ぅ、うッ!」
敵に狙われ、グレイブスはビビりながらもスコップを構える。やるしかない。自分だって頑張る。守る。
勇気は見事。
が、
(不正解だ、我が主よ)
ピコはその選択を正しくない、と見る。
「うー!」
かつて、グレイブスは奇襲でクルスから一本取ったことがある。これまでの秩序と混沌の戦いの中で、やはり通用した部分もあった。
しかし、それは全て得物の特異さを交えた奇襲であったのだ。
正面衝突で、
「ぬん」
「うあ⁉」
剣の道に生きてきた、積み重ねてきた者たちには敵わない。
百徳スコップもすでに、性能自体は多くが知るところとなった。それをグレイブスが扱っている、そういう情報も出回っている。
ならば、騎士が後れを取る理由はない。
あっさりとスコップを叩き落とし、騎士の眼がグレイブスに突き立つ。トラウマ(テュール)と同じ、ただ職務を遂行する。
それ以上でも、それ以下でもない。無機質な殺意。
怖い。逃げたい。刹那、グレイブスはそうしようとする。今まで危なくなったら即座に離脱した。それが出来る力であったから。
今だって――
(今の君では勝てないよ。なら、どうする?)
逃げることはできる。
でも、
「うー!」
逃げずに立ち向かう。本当は皆のように格好良く、立ち回りたい。スコップを振り回し、ジエィのように出来たら、と思う。
だけどできない。自分は彼らのように頑張ってきていないから。
だから、
「結果は同じかもしれない」
グレイブスは庇護者へ駆け込むのではなく、庇護者を自分の前に引っ張り出した。ピコの位置を自分のところへ持ってきた。
それを、待っていたとばかりにピコは微笑む。
「ぬう⁉」
「でも、その一歩は君を変えるよ」
グレイブスによって差し込まれたピコは敵を断つ。
「良し、だ」
たった一手で、分断すら封じられた敵陣営は硬直を余儀なくされた。明らかにボトルネックであるグレイブスを狙おうにも、彼の立つ場所にはピコが現れる。
で、終わらない。
「うん。素晴らしい」
「!?」
もう一歩、踏み込んで考える。分断を防いだ、これで終わらせるのはもったいない。だって、それが出来るのなら当然逆も出来る。
相手を分断することも可能であるのだ。
敵のど真ん中にピコを送り、
「失敬」
「不味い⁉」
暴れ回る。
瞬時に彼らは理解する。自らの山を踏破した到達者、ピコの危険性とは比較にならぬ、大局をも揺らがせる力を。
テュールはもちろん、その可能性を理解していた。だから、どの敵よりもまずそれを削ごうとした。
まさにインフラ、その真骨頂。
騎士たちは一瞬、クルスやピコの存在を頭から消す。偉大なる王にも届き得る、最強最悪の能力。ラックスなど問題ではなかった。
ジエィも、リアンも、問題ではない。
「絶対に今、此処で殺せェ!」
この力が、悪意を持てば世界の秩序は崩壊しかねない。
退魔の心が彼らを突き動かした。
「動くなァ!」
「見事」
受けを、回避を放棄して騎士はピコの剣を身体で受けた。当然、致命傷を負う。だが、そのおかげで変則極まる男を一時的に捉えることが出来た。
あとは仲間がやってくれる。
「グレイブスゥッ!」
阿吽の呼吸、騎士が殺到する。
だが、
「な⁉」
その場に彼はいない。
「うっうー」
「は?」
ゴツン、とフルスイングしたスコップが騎士をぶっ飛ばした。それを握るはファウダーが誇る『墓守』グレイブス。
そして、ぶっ飛ばした騎士はピコを止めていた者。
愛用の百徳スコップを引っ張り、同時に自分の窮地からも脱し、ついでにピコも助けた。力が、開花する。
「花丸、だな」
「う~」
ピコの称賛に照れるグレイブスを、騎士たちは信じ難い表情で見つめていた。最も危険で、最も恐ろしい存在が隠れていたのだ。
「さあ、向き合おう。自分に、負けぬように」
「うっ!」
『地』の力が、戦場を支配し始めた。
今はただの、兆しでしかないと言うのに――
○
「……いつからだ?」
レオポルド、いや、サブラグは新宮の一室でデルデゥの、レイルの首に剣を突き付けていた。その眼は決して、脅しではないと言う。
「怖いねえ。何の話だい?」
されど、レイルもまた曲者。その程度の脅しで慄く気質ではない。へらへらと笑みを浮かべて、挑発とも取れる態度であった。
「この力は神術だ。『墓守』は、元々超常の力を扱えていたのだな。貴様は、それを知っていたはずだ。知って、隠匿するために魔族化を施した。何が常態型、この俺を相手にくだらん嘘を吹き込んでくれたな」
魔道を混ぜることでサブラグすら謀った。誰が想像できようか、この時代、ミズガルズで神術に至る者が現れるなど。
自分とて、この土地では結びつきが弱く使うことができないと言うのに。
あの若さで、独力で、結びついた。
ある種、迫害と孤独、無知が到達を可能にしたのかもしれない。
「へえ、神術、そういうのがあるのだね。興味深いじゃないか」
「とぼけるな」
サブラグとレイルの視線が交錯する。
どちらも、揺らがない。
「道理で『亡霊』の再現実験を早々に切り上げたわけだ。貴様は再現できないと知っていた。肉体を再構成したのは貴様だが、冥府より繋ぎ止めたのは『墓守』だった。強い力、危険だ。ファウダーと言うお遊び組織で、貴様は何をする気だ?」
近い力を持つ自分だからこそわかる。戦いにのみ絞り、サブラグは最強の騎士へと至ったが、本来は無限の応用力を持つ力である。だからこそ、使い手には自らを律する心が求められるのだ。
「何も。考え過ぎだよ」
「あの力を無暗に行使してみろ。俺はもちろん、あの女も黙っておらんぞ」
「だろうね。だから、内緒でよろしく」
「……貴様」
レイルの首から血が、すうっと垂れる。サブラグにとってレイルは得難い人材である。だが、殺せないわけではない。それは何度も言っている通り。
やると決めたらやる。
男の剣に曇りはない。
ゆえに、
「全員に、選ばせたい。ボクが、そう出来たように」
レイルは小さく、ゆっくりと口を開いた。
「……」
「誰かさんの真似だよ。ただの」
「……貴様は、それだけのために」
「ああ」
「……そうか」
サブラグはそれだけ聞き、充分だと剣を引いた。
「俺の敵として立てば、容赦はせん」
「そう選択したのなら、ボクはそれを尊重するとも。ボクらは自由を謳歌する混沌の体現者、ファウダーだ。自由には常に、責任が付きまとう」
「……ふん」
身を翻し去っていくサブラグの背中を見て、
「……ふふ、あの時の坊やが、あの男を揺らがせるか。先が楽しみじゃないか」
くく、とレイルは微笑んだ。
墓地で出会った、あの日を思い出しながら――
○
「う?」
(……不味いな)
頭を押さえるグレイブスを見て、ピコもまた敵に悟られぬよう心の中で鈍痛を噛み締める。その痛みと共に、視界がかすれた。
同時に、意思も、思考も。
(急な成長に、まだ心身が適応できていない、か)
頭が痛いような、気のせいなような、グレイブスは疑問符を浮かべていた。
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