第386話:ピコ・アウストラリス
時はずっと遡り――
「……」
驚くほど素直に子どもたちから敵を引き離すことが出来たピコは対峙しながら、相手の武人としての完成度に冷や汗が止まらなかった。
対峙した瞬間に勝てぬと思った。
全滅も覚悟した。
駄目元で子どもたちから引き離したが、それが成功したのは相手が乗ってくれただけ。結局、自分が敗れたら元も子もない。
(隙が無い。微塵も……私の力量では、届かない)
思えば自分も含め現代の騎士は真の窮地というものを経験する機会がない。突発型以外は規模も、現れる魔族も大体想像がつく。ルーチン化した攻略でも事故はあるが、あくまでそれは事故でしかない。
年々減る騎士の死亡率。突発型でさえ石橋を渡る攻略法は練度の高い人材が飽和している証拠。本当の意味で命を背負う機会などないのだ。
だが、今自分は其処に立つ。
『……』
目の前のような明確な格上も、勝てないと思うような命の覚悟が必要な相手とすら、立ち会った経験などない。
あるとすれば――人相手。
(クロイツェルなら、どうする?)
自分を踏みつけ、階段を駆け上がった超常の見切りを持つ怪物。あの男の眼なら、大地全てが剣と化す化け物相手にも見切り、届くだろうか。
(グレイプニルなら、どうする?)
自分と常に比較されてきた万能の天才。会う度に様々な型を使いこなし、その上学生の身分で新型を確立しようとしていた天才。そう言う才能だけで言えばあのソロンよりも上だとピコは思っている。
常に比較され、正直二番手扱いだった。
クロイツェルが台頭してからは三番手、それが揺らがぬ定位置。
自信などない。
あるわけがない。
(私は、どうする?)
冷汗が止まらない。本能が勝負を忌避している。
それでも――
(今日は逃げ場なし。参った、本当に参った)
今日、今、逃げ場はない。自分が逃げれば子どもたちが死ぬ。彼らの何人が騎士に成れるのかわからない。正直、教師として考えれば半分は駅弁の学校に入れたらいい方だろう。この時期に、メガラニカを志向している時点で大した才能ではない。
だが、自分は知っている。誰よりも名が通り、才能に満ちていた自分を踏みつけ、登って行った者を。見切りの眼がどれ程優れていようとも、相手を観察し隙を見出せねば意味がない。隙を見出しても其処を突く力がなければ宝の持ち腐れ。
何よりも、誰よりも踏み込む覚悟がいる。
悠々死線を跨ぐ、心が要る。
今日、自分は初めて其処を跨ぐ。逃げてばかりだったならず者。
「……往くぞ」
そんな自分が――
○
時は戻り、
「「ッ⁉」」
双方、驚愕する。
スカウト担当としてミズガルズ中、津々浦々を駆け回らずとも騎士の世界にいれば一度は名を聞いた猛者ばかり。もし、訪問しようと思えばそれなりの菓子折りを持参して、そこそこフォーマルな恰好が必要だろう。
うすぼんやりと状況は理解しているつもりであったが、いざ明確に対峙することになると正直、気後れしかしない。
逆もまたしかり。
『墓守』の情報はある程度入っており、其処には当然ピコ・アウストラリスの死体を使用する旨も書かれていた。有名な騎士である。現役を退いてなお、メガラニカの至宝を知らぬのは騎士界隈ではモグリと言わざるを得ない。
いざ、目の前に今では珍しい正調のソード・スクエアで構えられたら、一瞬死体であることを忘れてしまう。
生前ほどの脅威はなくとも、染みついた武は残っているとも聞いているから。
どちらも一瞬揺らぎ、
「「……ふぅ」」
どちらも刹那で切り替える。
どちらも騎士、驚愕を引きずる愚など犯さない。
「挟むぞ」
「応」
『暗部』が群れ全体を止めて、すぐさま魔獣から降りた騎士二人がピコへ向かう。その澱みない、純然たる殺意を秘めた行動、表情に、
「ぅ、ぅう」
グレイブスはトラウマ(テュール)を思い出し怯んでしまう。
それでも、
「うっ!」
いつもなら一目散に逃げている状況でも堪える。
その姿に、
「……ふふ」
ピコはあの時の自分を重ね、微笑む。逃げてばかりなのは同じこと。仕事を言い訳に、たくさん逃げてきた。向き合ってこなかった。
自分を逃げるために使われても文句など言えない。
言えるわけがない。
「さあ、やろうか」
大人として、すでに過ぎ去った者として、何を残せるか。
思い出せ、あの日知った騎士の在り方を。
「ゼヤァ!」
「ぬん!」
鋭い剣、噂に違わぬ見事な一振りである。こんな騎士二人に挟まれる機会もまたそうそうないだろう。普通は大きく距離を取る。
上手く立ち回り、極力一対一の状況を構築する。
だけど、あの日の化け物はそんな児戯、許してくれなかった。
だから――
「「ッ⁉」」
こうやって無理をしてでも、ギリギリ回避するしかなかった。
体が軋む。
正直、めちゃくちゃきつい。
(其処から――)
(――人間に何ができる⁉)
その発想に、老騎士たちは自分でしまった、と冷汗が滲む。死体となり、魔道を得たピコの力は人外の柔軟性であり、可動域であった。
地味だが、この瞬間彼らはそれが来ると考え戦慄した。
実際、
「ん、むッ!」
人外の、彼らの経験値の中にあるような剣ではなかった。
ありえない体勢から、ありえない軌道を描き、しっかりと振られた剣が来た。一人を切り裂き、同時に体を回転させながらもう一人の剣、その軌道の内側へ押し込んで追撃を許さず、剣を封じる徹底ぶり。
人間を超えた可動、想像の外側の動き。
「……あっ」
「ヨイショォ!」
だけど、それは間違いなく、
「う?」
人間が、常人が、
「技術九割、残りは根性!」
成せる動きであった。
地面に手を、足をついてもいい。繋げるためなら、どんな不格好でも構わない。スクエアに、過程まで美しい形にこだわる必要はない。
最後に、美しく立てば無問題。
復帰のために、本来忌避される行動を挟み、信じられない動きでさらに回転、二人目も断つ。途中、不細工な動きも混じったが、結果として見れば相手の剣をかわしてから流れで一人を切り、ひと振りを封じつつ、何もさせずに二人を切った。
そして、
「っし」
一人、美しく立つ。
正調のソード・スクエアに戻る。
それが結果である。
途中、目を覆うような不完全な状態があった。不正解と切り捨ててきた動きが混じっていた。だが、結果としてこれ以上ない完全と成った。
「窮地こそ目を覆わず、しかと向き合い諦めない。自分の積み重ねを信じて、頑張ろう。きっと、自分の身体は応えてくれるよ」
「……あう?」
何言ってんだ、この化け物は。とグレイブスは首を傾げた。あんまり積み重ねていないグレイブス視点、化け物が化け物じみた動きで相手を倒した、としか映らなかったのだ。だが、それは積み重ねのない、足りぬ者の話。
「……ッぅ」
逃げてきた騎士たちは今一度、向き合うこととなった。
積み重ねの地平を。
才能を言い訳にせず、積み重ねた末に辿り着いた俺の剣。
(……あれ、あんまり響いてない? 結構、自分なら感動するのに)
何故だ、と心の中で首を傾げながら、油断ならぬ相手に向き合い整える。隙を見せるな。あの日、辿り着いた答えを胸に立て。
騎士として。
あの日、今までの剣では届かぬ相手と対峙した。自分の殻を破る必要があった。そうしなければ、届かぬ山巓であったから。
だから、
『ああああああああああああ!』
覚悟と共に踏み越えた。
せめて、引き分けに持ち込む。相手に傷を与え、自分の先輩に繋げる。遮二無二、我武者羅に向き合った。
そして、気づいたのだ。
今まで自分は才能を埋めるために、速さと力を得るためにオフバランスを深めていた。それはある程度、溝を埋める役割を果たしていただろう。
それを皆に共有した。
逃げてばかりの、情けない自分でも何か残さないと、と思ったから。
しかし、窮地に、染みついた身体が答えをくれた。
速さと力を求めるのも間違いではない。けど、それだけではなかった。崩れた動きからセオリーを度外視し、結果にコミットする。
従来の不可能を可能にしたら、それは溝を容易く埋めてくれる。
逃げてばかりだったが、恥をかかぬために修練は怠らなかった。せめて三番手は、死守するために試行錯誤を繰り返した。
劣化テュール、自分でも自覚はあった。
だけど、そんな不細工な道の果てに――
『■ッ⁉』
俺の、私の剣があった。
『お、おお!』
あの隙間のない剣の嵐を、一つの山巓に立つ騎士を相手に、自分の剣が届くところまで運んでくれた。
あの日、
「ぐ、おおおおおお!」
「クソがァァ!」
ピコ・アウストラリスは到達していた。
「う、あー」
追い求めた才能、特別な自分ではなく、しっかりと柔軟を重ね、体幹を鍛え、勇気と積み重ねを手にしたら辿り着く一つの答えに。
枷を外した技術で、特別に届き得る新しい型(フォーマット)に。
人類に許された可動域で、動きで、されど今までにない流れでさらに二人を抜き去るピコ。誰もが愕然とした。話が違う、と顔を歪める。
「……変則的過ぎる」
山巓に届くは、山巓へ辿り着いた者だけ。
結果は不細工な引き分け、相手が魔族ゆえ僅かに及ばなかったが――
「この剣、疲れるしきついね、やっぱり」
人間相手ならそもそもピコの時点で刺し違えている。無論、相手がすでに深手を負っていたが。それを差し引いたとしても、その結果がくすむことはない。
だから、あの日のピコにはそもそもなかったのだ。
自分の剣に過不足など。それでも魔障は願いをかなえようとして、彼を遡り不必要な力を与えた。それが齟齬を起こし、辿り着く前のピコよりもバランスを崩した状態まで、彼の剣を貶めていた。
だが、今は違う。
「それでもやらなきゃいけないのが、騎士の辛いところだ」
ピコの意思が其処に在り、あの日の自分を再現する。
あの日、彼は追いついていた。
「ようやく、君の気持ちがわかったんだよ、クロイツェル」
もしかすると、越えていたのかもしれない。
かつて向けられた、逃げた自分への蔑みの眼。何故逃げる、何故向き合わない、こっちはずっと向き合い、戦ってきたのに、追いつかれたら、追い抜いたら、貴様は逃げるのか、あの眼が痛かった。
辛かった。何よりも怖かった。
だけど、向き合ってわかった。
「線の手前で足踏みするより、踏み込んだ方が気はずっと楽だった。君はずっと、そう言ってくれていたんだろ? その線は、大したことなんかないって」
踏み越えてわかった。
「一人にさせて……すまなかった」
心根一つ、覚悟一つ、たかが死ぬだけ。
それを知り、大きな、大き過ぎる遠回りを経て、ピコ・アウストラリスは追いついていた。それを今、証明する。
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