第385話:地

「……」

 追う側の表情は暗い。四足歩行する魔獣の背にまたがり、猛スピードで駆け抜けて追い詰める。本来、狩りは追い立てる方が嬉々として行うものであるが、この群れの先頭集団は、前であればあるほどに暗い表情であった。

 何故ならば、彼らは『亡霊』を追い詰め討ち取る間際、クルス・リンザールの登場で全てを覆された、あの光景を見ていたから。

 あの光景を見て、届かぬと判断しこうして迂回しながら、速度差にものを言わせて駆け抜けている。

 そう、

「……」

 追っているが彼らは逃げたのだ。

(あの一戦前は、あれだけ明るかったお歴々が皆、この表情か)

 開戦前、招集された時はわが青春の日々よもう一度、偉大なる王に必要とされ誰もが嬉々として馳せ参じた。朽ちる前にこの剣を役立てよう。

 国家のために、王のために、何よりも自らの人生のために。

 最後のひと花、多くがそう思っていた。

 だが、彼らは『現実』を突き付けられてしまう。

 新たな時代がやってきた。積み重ねてきた、歴戦の自分たちよりも明らかな巧者。それはいい。技術とは積み重ね、向上していると言うことは自分たちの残したものが上手く継承され、より飛躍したと喜ぶべきことである。

 ただ、心は違う。覚悟は違う。

 今の時代の騎士は軟弱になった。その反証として現れたのかと思うほど、あの若き騎士の覚悟は彼らの心を揺さぶった。

 剣に生きた。

 騎士として常に死を覚悟していた。

 周りは何人も死んだ。そういう時代だった。そういう時代を駆け抜けた。それが彼らの誇りであった。だから自分たちの心は強いと思っていた。

 でも、あの眼が問う。

 何故引退した。

 何故戦場を去った。

 何故悠々自適の老後を送っている。

 やれたのだろう。ならばやれよ。死ぬまでやり切れよ。

 俺はやるぞ。

 俺は――決してあの若者がそう言ったわけではない。ただ、あの姿勢から彼らはそう受け取った。そして、何も返せなかった。

 見透かされたような気がした。年齢を、時代を理由に戦場から離れた時、勇退した時、やり切った達成感の裏で多くの騎士がホッとしていたのだ。

 それは当たり前のこと。誰も別に、死にたくて戦っていたわけではない。アガリまで務め抜いた、それは立派なことである。

 だけど――

「魔族が敵を捕捉しました! 皆さん、戦闘準備をお願いします!」

 『暗部』の声掛けに無言で剣に手を添える騎士たち。少し前なら戦いの前、彼らは猛者っぽく小話の一つでもしていた。余裕であることを内外にアピールしていた。ただ、今の彼らはそれをする必要がないのだ。

 あの場で死ねた者だけが偉そうな美辞麗句を口にすることができる。

 剣と心中できた者だけが彼らがよく口にしていた歴戦の猛者であった。

 技量が、実力がどうこうではない。

 もはや彼らの心は、あの場から仕事を、使命を理由に去った時点で死んでいたのだ。ならず者、自嘲の笑みを浮かべる者すらいる。

(た、戦えるのか、これで)

 老騎士は例外なく全員が喰らっていたが、『暗部』の者はまちまち。明らかに心神を喪失していたイェッセのようなものもいれば、今先頭で暫定的に群れを率いる者のように、凄まじい強さだと思ったがそれだけ、という者もいた。

 そんな彼らからすれば奇異に映る。

 何故彼らはこれほどに打ち抜かれているのだろうか、と。

 水面が映すはあくまでそのモノでしかないのだ。


     ○


 ファウダーのインフラ役、『墓守』グレイブスはどちらかと言えば臆病な気質であった。敵意、殺意に敏感で、未だにテュールのことが夢に出ることもある。

 好戦的な時は仲間がいる時だけ。

 ただそれも、仲間外れになりたくないから期待に応えたいと思っているだけで、強い感情を向けられるとすぐ逃げ出したくなる。

 そんな自分がちょっぴり嫌いだった。

 『友達』を呼ぶ時はいつだって自分を守ってほしいと思ったから。この力を得る前からそうだった。自分の心を守るために、声亡き彼らに手伝ってもらっていた。

 だから、多分これが初めてなのだ。

 自分ではない誰かを守るために、

「うっ!」

 『友達』に助力を求めるのは。

 地に響く敵の接近に対し、グレイブスはスコップを大地に突き刺して二つ、掘る。掘るのはイメージ、実際に地中に埋まっているわけではない。

 繋がっていればいいのだ。

 自分と、もう一つの世界が。

 『地』が。

 最初から自分に奇異の目を向けなかった人はごく僅か。その奇異に対し、周りを諭し、一緒に遊べるようにしてくれたのは生まれて初めて。

 嬉しかった。

 楽しかった。

 その感謝がある。それは彼女が思うよりもずっと、とても大きいもの。

「マモ、ル」

 守って見せる。

 だから――力を貸してほしい。一緒に戦ってほしい。


「「承知」」


 響くはずのない声がグレイブスの耳朶を打つ。地の底より響き、その声と共に『地』より現れるは二つの棺。

 一つ、開くは幾度も修繕を重ねた男の騎士、ピコ・アウストラリス。

 二つ、開くは首のない女の騎士、メラ・メル。

「克己した主の願い、騎士ならば果たしたまえ」

「うむ。そうさせてもらう」

 二つより響くは言の葉。どちらも言葉を発する器官は、その役割を果たす状態ではないのだ。物理的に不可能である。

 なのに、彼らは語った。

 そして、

「しからば、御免」

「ウッ⁉」

 主の、グレイブスの思惑とは裏腹に、凄まじい勢いで戦線を離脱する首無しのメラ。グレイブスは眼をまん丸に見開く。

 『友達』が、死体が逃げたのだ。

 戦う方向とは真逆に。

「我が親愛なる友よ。この先、大国に備えがないわけがないのだよ。必ず、少女の道を阻む手は用意されている。あと一つ、越えるべき山がある」

「……う?」

 何言ってんだこいつ、と首を傾げるグレイブス。グレイブスにとって『友達』とはそもそも話さぬものであり、会話をする時もお人形遊びのようにグレイブス自らが声を当てている。当然、自分の理解を超える発言などなかった。

 今、この時までは。

「まあ安心していい。しがない教師だが……君の友人は頼りになる、と言うところを示そう。大事にしてくれた恩を私も返すよ」

 悠然と立つは一人の騎士。

「さーしまって往こう」

「う、うー!」

 とりあえずノっておくグレイブスであった。


     ○


 遥か遠く、『不死の王』は驚きに目を見張る。

『……陛下』

『うむ。驚いた。まさか、冥府と繋げる力がミズガルズにもあろうとは』

『陛下と同じ力ですか?』

『むしろ、我が祖父に近かろう。我が力は器の生死のみを操る。繋げる力ではなく、正しく再生でしかない。だが、これは繋がっておる。珍しい。世界と、大地と繋がり、神術を成立させている者が珍しい世界で、よもや神術が当たり前の時代でも珍しい類の力が発現するとは……実に興味深い』

 魔障の力も混じっているが、これは紛れもなく神術である。理論上、縁があれば可能ではあるだろうが、あると信じていた時代とほとんど存在しない世界では成立に至る割合、可能性、難易度も大きく異なる。

 異質、間違いなくこの世界、この時代では奇異なる者。

『世界を繋げる『天』の対ですか。シャクスがあえて地ではなく人と名乗っていた理由が、この力を感じて理解出来ました』

『やはり北に集まるか。引力があるのだ。その時代の主役足る者には、気づけば集めてしまうものが……さて、これは誰の引力か?』

 『不死の王』は遠く北へ視線を向ける。

 厳密には此処はダンジョンの中、世界が異なるゆえに北も何もないが。それでも王はそちらへ眼をやる。

 特に今は他に気をやる必要がないから。

 そう、

「……あの野郎、馬鹿余所見してやがる」

「それは」

「そう」

 気合と根性で騎士級(であろう)を二枚退け、俺たちの勢いは止まらねえ、と最後の壁を前に全力で突っ込み、今に至る。

 地面や壁から伸びる無数の手に手足を完全に拘束され、剣も取り上げられた。

 要は完全に無力化されてしまったのだ。

 秒速で。

「悔しいより今はびっくりが勝つ」

「……」

「あ、諦めんなよ!」

 かつて三強と謳われた者たちはぐうの音も出ずに敗れ去った。

『あれ、どうしますか?』

『ん? くく、しばらくしたら外へ排出する。また遊んでやれ』

『『御意』』

 あと、あの王がいる限り騎士級二体もすぐ完全回復するため、よりクソゲー感が満載であった。

 ただ、まあ得難い経験であるのは間違いない。

 間違いないが、

「「「無様だ」」」

 間違いなく無様でもあった。

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