第384話:怪物と生まれた者たち

 古きを守る者、新しきを進む者、その対立が明確になった今、もはや状況は待ったなしとなった。

 この先、研究職に、ペンに出来ることはない。

「何故、人を使った?」

 トレヴァーは研究所へ戻る途中、デルデゥと名乗る者の背に声をかけた。

「何の話ですぅ?」

 しらを切るデルデゥ。ただ、こちらをおちょくるような表情はもう、隠し立てする気もないのだろう。お互い、論文の、資料の一つでも見ればわかる。

「今更腹の探り合いをする気はない」

 そう、トレヴァーが口にすると、

「……ボクには人に使われるための命を創る、その発想がなかっただけだよ」

 デルデゥもまた姿こそ変えていないが口調を戻し、レイルを覗かせた。

「馬鹿にするな。それ以外の理由があるはずだ。その程度のこと、気づかぬ凡夫に席を奪われたとは思わない。本当のことを――」

 レイル・イスティナーイーがそんなことを考えつかなかったわけがない。そう言うトレヴァーをレイルは哀しげに見つめ返す。

「君はもう少し周りを見られたのなら、ボクやファナよりもずっと上の研究者として、頂点に君臨していただろうねぇ」

「ファナ? ああ、エリュシオンか。あんな小娘、私の敵ではない」

「国を跨ぎ、家に縛られず、血の枷もない。道を選び、突き進み、全てをそれに捧げた。ほんの少しだ、ほんの少し違っただけ」

「……何の話だ?」

 トレヴァーにはレイルが理解できない。レイルを理解していれば、人造魔族と言う答えに辿り着いたとして、それに手を出すよりも人にその業を押し付ける。いや、人の業を他の命に押し付けるなど許さない。

 そう気づくはず。

 かつて、何者でもなく、騎士だろうがルナ族だろうが王侯貴族だろうが『双聖』だろうが、全てを平等に下に見ていた男が嫌いではなかった。

 好感すら抱いていただろう。

 だが、

「君は一人完結する選んだ。彼はどの道を選ぶのだろうね」

「誰の話をしている?」

 今は何も感じない。何者でもなく、『公平』であるのは同じ。だが、其処に葛藤はなく、迷いもない。だから、惹かれない。興味を抱けない。

 それだけのこと。

「さあねえ。あ、そうだ。ボクの『トゥイーニー』は元気かい?」

「さて、どうかな? 案外、裏切って情報をすべて吐き出したかもしれないぞ。『創者』シャハル」

 全て知っているぞ、慄くがいい。

 そう言ったつもりが、レイルは微塵も揺らぐことなく、

「別に裏切られても元気ならいいんだけどねえ。今更、隠し立てする意味がないのはボクらも同じ。とりあえず、ボクらは問うだけさ。どうしたいか、を」

 目的は会うこと、問うこと、そう言った。

「量産可能な、ただの兵器に随分とお優しいじゃないか」

「それを言ったら人間も大差ないと思うけれど……ま、見解の相違だね」

 もう話すことはない、とレイルは歩を早める。

 共に歩むこともない、と示すように。

「私の生み出した結果を見て、貴様は敗北を知る」

「見解も違えば、見当も違う。いい加減気づきなよ。君が見ている先は、君しか見つめていない。その優劣など、誰も興味がないってことを」

「……っ。負け惜しみを」

「それが君の限界さ」

 彼の目指す先よりも、過程で生み出された不完全な『トゥイーニー』の方がよほど、レイルに興味を抱かせる。

「敗北を刻んでやる。必ずだ!」

 それが理解できぬから、理解しようとしないから、其処止まりだった。

 ただ一人登り切った山の上から何を見ると言うのか。

「……」

 周りには何もないというのに――


     ○


「おっと」

 鎖に繋がれた魔族の噛みつきを避けながら、ログレス王立騎士団及び『暗部』見習い、その正体はファウダーの『ヘメロス』、と言った感じの青年風の見た目の少年が牢獄の奥へと向かう。

 魔道研究所より移行された特別品目は全て、ここ旧宮の牢へ送られていたのだ。

「そろそろ元気出してくださいよ、『トゥイーニー』」

「……私は、裏切り者です。頂いた名を、名乗る資格はありません」

「寂しいなぁ」

 最強の鎧を生まれ持つ彼女が、傷だらけになるほどに耐え忍び、それでも耐えられなかった。全て、吐き出さざるを得なかった。

 『ヘメロス』はその理由に目を向けながら、

「みんな、きっと許してくれますよ」

「……」

「まあ、君が嫌がろうとみんなは会いに来ますよ。仲間ですし、やりたいことをやるのがファウダーでしょう? 私も、そうするつもりです」

「……」

「その時どうするか、考えておいてください。あの子たちと共に行くか、共に来るか、それとも別の道を行くか……好きなのをどうぞ」

「……」

「食事、ここに置いておきますね」

 笑顔で食事を与え身を翻す。

「ねえさまにちかづ――」

 傷だらけの仲間、大事な人の一番大事な、心を玩ばれた。自分の母はああ見えて造物には優しいが、彼女の父はそうではないらしい。

「ひっ」

 少年は生まれて初めて、

「……ィ」

 敵意を、殺意を、怒りを覚えていた。


     ○


 王都での状況など知らず、ただひたすらに走るラックス。

 時折、

「うっ」

「お願いします」

 背中で休んだグレイブスが力を使って少しでも距離を稼ぐ。もう追手は見えない。さすがに振り切ったと思いたい。

 それでも走る。

「ハァ、ハァ」

 さすがの最優の学生とて、無尽蔵の体力を持つわけではない。着実に疲労は蓄積されていく。だけど止まらない。

 もう、決めたのだ。

 逃げるのはやめる、と。

「……ぅ」

「どうしました?」

 背中のグレイブスが身じろぎし、ラックスが言葉をかけるも反応はない。

 そして、

「うー」

 突然、グレイブスが背中から飛び降りた。

「ど、どうしたんですか?」

「うーうー」

「そんな、もう解散だなんて……もしかして、追手が?」

「うう!」

 違う、とグレイブスはぶるぶると首を横に振る。こんなにも走った。みんなが壁にもなってくれた。それでもまだ足りぬ。

 また一人、

「一緒に行きましょう? ね? 私、もっと速く走りますから」

 いなくなる。

 だから、ラックスは嘘をついた。とっくの昔に全力で走っている。これ以上は息が持たない。しかも、もうこれまでの速さすら保てない。

 体力は底を尽きかけている。

「うっ」

 首を振りながら、そっぽを向くグレイブス。

 精一杯考えたのだろう。振り絞ったのだろう。足が震えている。それぐらいわかる。怖いだろうに、敵意にさらされるのは。

 殺意を向けられるのは。

「……また会えますか?」

「うっうー」

 ぐっと立てられた親指を見て、ラックスは小さく微笑む。

 この小さな騎士の勇気を、

「行きますね」

「うっ!」

 汲み取る。

 彼女の意思を聞き、グレイブスは最後の力を振り絞って、全力でさらに遠くへと飛ばした。

「ありがとう!」

 その言葉がグレイブスの耳朶を打つ。

「……いひひ」

 ずっと自分に向けられていたのは奇異の視線で、悪口雑言で、ファウダーに拾われるまでは温かい言葉などかけられたことがなかった。

 ありがとう、良い響きである。

「アイヤトォ」

 練習しよう。

「……う?」

 もっと、きちんと、良い響きで返せるように。

 あの時、奇異を、迫害の気配を、断ち切ってくれた彼女の言葉に、眼に救われた。あの頃の自分まで救われた気がした。

 だから、

「うー」

 ごめんね、とグレイブスは友人の『トゥイーニー』に伝える。少しだけ寄り道をする必要が出てきた。そうしたいと思った。

 人造魔族の足音が近づく。

 人の足では届かずとも、怪物の足ならば届くのだろう。

 だが、

「う!」

 自分もまた怪物を揶揄された生き物。醜い人でなし、バケモノ、数多の悪意を投げつけられてきた同じ怪物である。

 小さな怪物は地中よりスコップを取り出しデンと不格好に構える。

 少しでも大きく、強そうに見えるように――

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