第381話:因縁へ踏み出す
「こちらへ」
研究所はディンが訪れた時と同じ状態であった。少なくとも表向きは。彼らにとってすぐさま詰むような資料は残していないはず。それらの処分に関してはディンが現王派についた時点で動くことが出来たから。
ただ、
「そんなに気を張らずとも。君の役割は此処にいるだけで果たせていますよ」
「それは、そうですけど」
ディンが同行している。これが大王陣営にとってあまりにも大きい。彼の記憶と齟齬が出る部分をあまり多く残せば隠滅したと捉えられる。
その違いはある意味、答え合わせのようなもの。
「マスター・カズンは何もされないのですか?」
「ふふ、まあ、そうですね」
トレヴァーに案内され調査と言うよりも監査を続けるデルデゥら。パンはパン屋、無駄に割り込む意味はないとばかりにバレットは椅子に座り、適当に手に取って本を読んでいた。何かを探している、というよりも暇潰しに見える。
その間も――
「この実験について、詳細が欲しいですねえ」
「しばしお待ちを」
レイル扮するデルデゥは物凄い速さで資料に目を通していく。眼を皿のように、瞬きひとつせずに速読していく様は、この者もまた一介の研究者ではないと示しているようであった。
(……隠す気なし、か)
トレヴァーは顔を歪め、デルデゥを見つめていた。自分にとって本当の意味で憎い存在。常に第一線を走り、重用され続けてきた男の初めての挫折。
許し難きもう一人の天才。
(ふっふ、相変わらずぎらついているねえ。そういうのも嫌いじゃないけれど、今は最重要任務を遂行させてもらうよ。そろそろ成果の一つでも出しとかないと、ボクの立場も危ういんでね。吸い上げさせてもらう、君の積み重ねを)
デルデゥの、レイルの狙いはこれを機に研究をかすめ取ることであった。政治に関してはディンやレオポルドが勝手にやればいい。それにかこつけ、白昼堂々と研究を喰らうのがレイルの役割である。
大王陣営は今、
「マスター・クレンツェから聞いた噂なんですが……人造魔族の最終目的はそれによる秩序の確立、自作自演のための戦力、と」
これを証明されることを恐れている。
「ご冗談を。あくまでこの研究は魔族の生態を調べ上げ、退魔へ生かすための、騎士を守るための研究です」
王女暗殺未遂に関しては実験魔族が暴走した末のこと。調査に時間がかかり申し訳なかった、悪意はなかったが咎められても仕方がない。
そう開き直ることにしていた。あまりにも苦しいが。
あの件をしらばっくれるのは不可能。少なくとも死体が残され、専門家の王都入りを阻めなかった時点で其処は詰んでいる。
「それにしては大仰に見えますが」
「……それだけ魔族とは多種多様である、と考えますが」
「なるほど」
だから、彼らは人造魔族を隠すことはなく、その先の目標だけは死守しようと動いている。それが世に広まれば、それこそ完全に終局となるから。
そして、
(身構え過ぎだ)
レオポルドにとってそれは主題ではない。むしろ副題の中でもそれほど大きくなかった。目標を隠し立てるのは難しくないだろうし、それを暴く筋を残しておくほど阿呆ではない、と彼らは考えていた。
暗殺の件さえ証明できたなら、相手に認めさせたなら大義は事足りる。それがスタディオンへの追い風となり、国内の情勢は一気に傾くだろう。
(……なら、残しているのか?)
だからデルデゥ、レイルに白昼堂々の研究盗みをさせているのだ。この監査は脅しであり、主導権と言う名の刃を突き付けるポーズのようなもの。
そう思っていた。
だが、明らかに研究者、騎士たちの様子がおかしい。かすかな機微ではあるが、心音も僅かばかり、常に同様の色が見える。
(案外、面白いことになるやもしれんな)
レオポルドは読書をしているバレットをちらりと見て、笑みを浮かべた。
とりあえずは、
「こちらのケージは?」
「猫をベースにした人造魔族ですね。まだ幼体です」
「ほう」
自分には存在しなかった選択肢、魔族の兵器化を目指した男の成果を見る。この猫一匹、説明を聞くまでもなく幼体で相当な戦力を有している。
当たり前のように騎士剣を弾く体毛を備え、爪牙は後天的に導体を仕込み、疑似的な魔導剣のようにしているのだろう。
其処に魔族の身体能力が乗るのだから弱いはずもない。
他にもずらり、さながら兵器の展覧会である。
(あれがあそこまでのめり込んでいるのなら、やはり天才だったのだろうな。トレヴァー・メイフィールドは)
話を聞くに、トレヴァーがこちらへやってくるまでは魔族の性能の研究、其処止まりであったらしい。無論、騎士のため、退魔のために用意した膨大な積み重ねあっての革新であろうが、それでも世界の歩を進めるのは常に一握りの天才なのだ。
凡人はただ、彼らの造り出した轍を、道を歩むのみ。
時折それをレオポルドは空しく感じてしまう。
ならば、その他大勢の生きる意味とはいったい――
「……なるほど」
パタン、と本を閉じたバレットはレオポルドの様子を、デルデゥの様子を窺い少し考えこむ。そしてもう一人、理想を抱き此処まで無理をして立ち続けた青年を見る。精神的疲労の色は濃い。立場も複雑である。
だから、
「マスター・クレンツェ」
「なんですか、マスター・カズン」
バレットはあえて主ではなく、彼に問うことにした。
「進むか、現状維持か、お好きな方を選んでください」
「……何の話ですか?」
「進めば我々は王不在で剣を握ることになるやもしれません。現状維持ならば進展はなくとも、より確実な勝利を待つこともできるでしょう」
女王が戻るか、それとも噂で流れつつある大王の健康状態への不安、その悪化、もしくは崩御となれば自動で勝利が舞い込んでくる。
待ちは決して悪くない。
普通に考えたら最善手かもしれない。
しかし、
「よくわかりませんが……それで済むのなら俺は進んで剣を握りますよ。これ以上長引けば、被害を被るのは剣を持たぬ者たちなのですから」
そう、その視点がある。
今を維持して嬉しいのは、為政者側だけ。民にとっては苦しみが続く。
その解に、
「……そう言うと思っていました」
バレットは笑みを浮かべる。
そして――
「マスター・ゴエティア。そちらの書棚の奥、地下通路が設けられております」
バレットはあっさりと言い放った。
「ッ⁉」
この場の大王陣営全員が眼の色を変える、進むための一言を。驚いているのは何も敵陣営だけではない。レオポルドもまた、何故こちらに相談しなかった、もう少しデルデゥの調査する時間を取っても良かっただろうに、と。
デルデゥもまた早過ぎる、軽率過ぎる、そういう目を寄越す。
だが、バレットはただただ笑みを浮かべるだけ。その反応は織り込み済み。その上で、この場で一番正しい姿勢の青年の願いを取った。
一刻も早く問題を終わらせたい、そうすべきとバレットも思ったから。
「確認をしてもよろしいか?」
「あ、いえ、その……ぐ、ぅ」
とは言え、すでに口走ってしまったこと。あとで話がある、という視線をバレットへ向けながら、レオポルドは彼らの身構えた理由に手をかける。
「仕掛けを教えていただけますか?」
「……」
「では、失礼」
確認を取った後で、レオポルドは書棚を蹴り飛ばし、粉砕した。仕掛けをこちらで調べるのが面倒くさく、こちらの方が手っ取り早いと考えたのだ。
「……」
書棚の奥には、地下へと続く階段があった。
当たりである。
まあ、当たりがあるのなら、バレットがここにいる時点で隠し立てなど出来ない。彼は一応、そういうものを調べるために、此処に帯同していたのだから。
「……くっ!」
レオポルドの背後、騎士が一人剣を抜く。
それに一瞥をすることなくレオポルドは軽々と片手でいなし、もう片方の手で優しく剣を奪い取り、あっさりと剣を相手へと突きつける。
ゆったりと、余裕に満ちた所作でありながら――この速さ。
(すげえ。当たり前だけど、馬鹿強いや、この人)
ディンは一連の動きに身震いしてしまう。自分でも対処は出来た。だが、あそこまで丁寧に、労わりながら、ほんの一筋の勝ち筋も与えぬ制圧は出来ない。
圧倒的な技量と咄嗟でも揺らがぬ鋼の心。
どちらも備わっていなければ到底出来ぬこと。
「始めますか?」
「……っ」
全員を黙らせる。これがユニオン騎士団第十二騎士隊隊長である。
「なら、調べさせていただきます」
そう言いながらレオポルドの表情は少しばかり硬かった。バレットは忠臣であるが、彼には彼の目指すべきところがあり、それらが全て自分と重なっているわけではない。何処よりも、誰よりも現状重なっているだけ。
今すぐどうこうなることはないだろうが、少なくとも今この瞬間、バレットが自分ではなくあの若い騎士を優先したのは事実である。
現代の騎士をバレットはあまりよく思っておらず、現代の騎士として完成度の高い四強やそれに連なる騎士を彼は評価していなかった。
どうせ駒ならば、使い勝手が良い方がいい。
その考えが今、どう振れたのか――
「……」
そんなことを考えながら地下通路を歩むレオポルド。彼の後ろから双方が警戒しながら、腰に手を当てながら共に地下へ向かう。
通路を潰せばよかろうに。
何故残していた。
あまりにも迂闊、そう思いながら進み、
(……長いな)
あまりにも長い階段に辟易しながらも仰々しい扉の前に立つ。それを開き、目の前に現れた光景、それにレオポルドは眼を剥いた。
他の皆も、同じ。
バレットだけは事前に知っていたかのように驚きは見せていなかった。
まず、地下空間であるというのにあまりにも大きい。円形のドーム状に形成された空間はとても天然とは思えなかった。
同時にあまりにも巨大であり、人工のものとも思えなかった。
隠せないはずである。
「なんだよ、ここにある大量のケージは!」
ディンが叫ぶ。すでに中身は移動済みであろうが、この空間にはとんでもない数のケージが所狭しと並べられ、圧倒的な数を想起させた。
此処全てが生産した魔族のストック場所であったのなら、いったいどれほどの戦力を築いていたのか。
それをどこへ移したのか。
その答えは――
「かつて、此処で黎明の騎士は二つの騎士級と交戦した」
突然彼らの前に現れる。
偉大なる王、ウルティゲルヌスが。
「へ、陛下!? 何故こちらへ⁉」
何故よりも、いつ現れたかの方が疑問である。
「我が師より伝え聞いた名は二つ。『人剣』のシャクス、『絶風』のゼピュロス」
「……」
レオポルド、否、サブラグは其の名を聞き貌を歪める。反応は出来ない。出来るはずがない。何故なら人の目があるから。
無ければとうに剣を抜いている。
自身の王を宿す、もう一人の王の首に剣を突き付け、知っていることをすべて吐き出させるために。
「このドームは彼らの戦いによって築かれたものだ。卿に見えるか? 革新の騎士とやら。地を起こし、地を繰り抜くほどの死闘が」
(誰に口を利いている)
サブラグには見えていた。この地に足を踏み入れた瞬間から。天井や壁に重なり、連なるは全て剣である。土で出来たそれは我が弟の業。
だが、もう一つ同じ業を使う者がいた。
それがおそらく、
「……」
自らに剣を突き立て、魔障に侵された自身を、魔王サブラグを打ち破った者。腹が、そんな傷など存在せぬ別の身体であるにもかかわらず、痛む。
じわりと滲む。
その剣と、『人剣』と渡り合った騎士の剣が今、彼の中で重なった。
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