第378話:何がために立っていたのか――

 レオポルド・ゴエティア、サブラグはほんのひと時、胸躍る景色に浸っていた。覚悟一つ、人は此処まで届くのだと。

 死を乗りこなす、簡単ではない。

 人が本能を制御できるのなら、数多の悲劇は起きていないのだ。

 だからこそ素晴らしい。

 だからこそ――

「上機嫌ですね、マスター」

「ああ」

 あれは自分の敵と成り得る。

「それゆえに残念だ。楽しみを、自らの手で削がねばならぬとは」

 有望な騎士、それにはすべて頭にミズガルズの、が付く。見込みがある、将来が楽しみ、面白い人材である。

 それらすべて、翻ってウトガルドにとっては危険な人物となる。

 ゆえに、

「マスター・リンザールですか」

「……そのメンターともども、そろそろ処分を考える頃合いだが、問題のメンターの方が在るべき場所にいない。その上もな」

 いずれは排除せねばならない。

 騎士とはままならぬものである。

「第七がこちらへ関わってくる、と?」

「それなら、わかりやすくていいのだがな」

 サブラグの眼は決して万能ではない。万里の彼方を見ることは出来ても、其処にいなければ何も見えていないのと同じ。自宅、隊舎、そして騎士隊で申告している出張場所にもいない。完全に姿をくらましている。

 姿をくらまし、何をしようとしているのか。

 ログレスへの後詰であれば何の問題もない。むしろ、その程度はやってほしいもの。自分が入り、フォルテも入っている状況下、とうの昔に若い騎士一人にぶん投げる局面ではなくなっているのだ。

 普通はこの地をケアする。

 普通なら――


     ○


「はぁ、はぁ、はぁ」

 新女王として祭り上げられたラックス・アウレリアヌス・ログレスは背中で少しでも力を取り戻そうと休むグレイブスを背負い、全力で駆け抜けていた。

 この時代、騎士が長距離を踏破する必要などない。

 ログレスでさえそういう声は少なくない。特に現役の騎士に近ければ近いほど、学び舎の指導を見直すべきと言われている。

 早晩、ログレスも他校と同じく変わる時が来るのだろう。

 時代の流れ、合理化、それから取り残された結果がログレスという国も今でもある。変わる勇気もいる。それは向き合わねばならぬこと。

 だけど、

(走っていて、よかった)

 今はその旧態依然とした指導のおかげで、ラックスは足を緩めることなく駆け抜けることが出来ている。少なくとも今日までの学生は皆、山の一つは二つ駆け抜けたところで足を止めることなどない。

 そんなこと許されなかったから。

 吐いても走れ。

 死んでも駆け抜けろ。

 だって、

(……お前が征かねば、誰が民を守るのだ)

 それが騎士の役割だから。

 目の前の人を救うのは当たり前。最優の騎士ならば万里を駆けてより多くを救うべし。それがログレスの伝統、それが今ラックスを救っている。

「ふふ」

 今の自分は新しい時代の旗手として掲げられている。旧き秩序を打倒するために。だけど、その旧き秩序の築いてきた伝統が自分を救う。

 新しいから、旧いから、そういうものではないのだろう。

 だからこそ、今はより伝統を築いた偉大なる騎士の王、ウルティゲルヌスと話してみたいと思う。話さねばならぬのだと思う。

 知らねば選ぶことも出来ないから。

「もっと急ぎますよ!」

「うー」

 ただ、真面目なことを考える傍らで場違いに想うは、

「はぁ、はぁ、はぁ!」

 全力で走るとすっきりする、という間の抜けたことであった。


     ○


 枯れ枝のような身体。

 最後に騎士として、世のため人のため駆けた時代はいつであったか。

「……」

 偉大なる騎士の王、それに何の意味があるのだろうか。剣一つ握り締められず、誰一人守ることも出来ない。

 本当に自分の考えが正しいのかもわからなくなる。

 これが正義か。

 あれが悪か。

 敵は何処にいる。

 人類にとって大敵、ウトガルドの存在は救いであったのかもしれない。少なくとも騎士と言う存在にとっては救いであった。迷うことも、厭うことも、何もなかった。いや、それは欺瞞であろう。

 そのためにミズガルズが背負わねばならぬ真実を隠匿し、ただの敵として定義できていただけ。それゆえに時を超え、真実と共に剣が来たのだ。

 今までの正義、悪を押し付けた罪を咎めるために。

 何が正義か。

 何が――

「……逝ったか、ブレイザブリクの子よ」

 また一人、育てた騎士が旅立った。

 また、自分だけが残った。

 終わりなき螺旋。ぐるぐると回るものをずっと見つめている。守って、守って、助けて、助けて、キリがない。

 あげく、今の悲鳴は人が作り上げたもの。

 敵が――

「……敵? 自分も、か?」

 闇の底、二人の王の自嘲が重なった。

 王とは孤独である。如何に騎士が寄り添おうと、如何に騎士として振舞おうとも、王と騎士では見る景色が違う。

 二つの景色を知るからこそ、その遠さを知る。

 騎士にとって民は守るべき存在であったかもしれない。

 しかし、

「「ままならぬ。嗚呼、ままならぬ」」

 王にとっては必ずしもそうではないのだ。王の機能とは、国家の機能とはつまり国家運営に必要な分を吸い上げ、それを正しく分配すること。

 その正しさは決してその民にとっての正しさとはならない。小さき障害(民)を摘み、大きな流れ(民)をより良くする、これも正しさ。

 摘まれる側にとって、王や国家は敵と成るだろう。

 王は民を守るが、同時に民と対立する存在でもある。正義の刃で障害を取り除く、障害にならんとする者たちを正す。

 それを続ける内にわからなくなる。

「「……」」

 王とは何か。何がために、立っていたのかが。

 深淵の底、二人の王は徐々に溶け合い、同時に心の奥底にこびりつく、見ないようにしていた、遠ざけていた感情もまた混ざり、肥大する。

 無知蒙昧、愚かな障害への嫌悪。

 王が重なる。


     ○


 ログレスという国家が機能不全に陥り、最も割を食っているのは主要都市から離れた辺境の民であった。そもそもダンジョン発生数が世界一の土地であり、それを網羅するために大所帯かつ優秀な騎士が揃っていたのだ。

 しかし今、国家の分断と共に通常業務の振り分けが困難となり、各都市は自衛を選び戦力を独占し始める。その結果、さらに戦力不足に陥り、そもそも自衛が困難な都市や町、村などは通常発生するダンジョンにすら襲われる事態となった。

 騎士不在では生きることさえ叶わぬ土地。

 国家の、騎士の内輪もめがログレス中に危機として現れる。

 それはきっと、

「マスター・ローカパーラ。この状況はおそらく、我らの飼い主が望むことと思われます。あまり我々が手を出すのは得策ではないかと」

 武力を独占する騎士を排除した新秩序が望む明日への犠牲となる。

 騎士へのヘイトを蓄える意味でも、この状況は彼らの上にとって好都合なのだ。

 だが、

「……我らが『双聖』にとっては、飼い主であっても我らは最後の『双聖』シャハル様の騎士。そしてあの方は言った」

 彼らは、

「好きに生きろ、と」

 誰よりも自由で、誰よりも不自由なシャハルの騎士である。

「……しかし、最優先は『トゥイーニー』を奪取すること。その援護のために我々はラーを離れ、この地に訪れたのではありませんか。シャハル様の頼みで」

「しかり」

「それでも、目の前の民を守られると?」

「かつての我々では望めども出来なかったこと。否、出来ないと決めつけていたことだ。今更贖罪にもならぬが……無法者となった今、今だからこそ好きにやる」

「……」

「主命を優先するも自由。好きに選べ」

「……困りましたね」

 ラーの、『双聖』の犬として秩序のため、刃を振るってきた聖騎士隊。そんな彼らが今更、正義の味方を気取る気はない。

 不自由なる主の剣として、その刃を振るうことを厭う気もない。

 だが、それ以外は――

「騎士気取りの化け物……大遅刻確定ですね」

「我々に好きにせよ、と申されたシャハル様が悪い」

「まったくで」

 好きにする。

 異形の騎士たちは皆武器を携え、

「御免ッ!」

「ひっ」

 目の前にあった絶望の声に応える。かつての自分たちは民に、その声を出させる方だった。罪深い、愚かな、それこそ騎士の風上にも置けぬ存在であった。

 守ろうとした民の悲鳴が彼らにも向けられる。

 むしろ、そちらの方がいい。

 自分たちを守ってくれる素晴らしき、正義の味方。そんな視線を向けられる方が痛いから。これはただの、自己満足でしかない。

「何のつもりだ! アグニ・ローカパーラ!」

 魔族、よく見れば妙に連動していると思ったら――

「そうか。こちら側か」

 どうやらお仲間であったらしい。

「その矛を納め――」

「逆だ」

 ジエィ・ジンネマン、『斬罪』と並ぶファウダーの特別な戦力、聖騎士隊のトップ、ラー最強の男、アグニ・ローカパーラが所属上の味方を躊躇なく踏み潰した。

 その部下たちもまた、容赦なく刃を振るう。

「極力主に迷惑をかけたくない。ゆえ、悪いが隠滅させてもらう」

「き、気でも狂ったかァ!」

 アグニの大矛が、何体も魔族を巻き込みながら、

「うむ」

 全てを薙ぎ払い、薙いだ傷口より発火して五体を焼き尽くす。

「ずっと昔から、狂っている」

 『双聖』の犬として、民の敵であり続けた者たちが自嘲を浮かべ、大笑いする。滑稽極まるは騎士気取りの化け物たる自分たち。

 犬なら犬らしく、全うすることすら出来なかった半端者。

「悪い気分ではないが……すまぬな」

 今はただ、目先に噛みつく狂犬である。

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