第377話:水面が映すモノ
(……俺の方が速さで上回ったといえ、止めねば相打ちであったろうに)
ジエィは右腕を押さえながら倒れ伏した伝説を見つめる。自分が積み重ねた、到達した最終地点でようやくほんの少し勝った。だが、それでもブレイザブリクにはジエィを殺すことも出来たのだ。
あまりにも速い居合術、速過ぎるがゆえに斬られてからいくらでも動くことができたはず。そもそも、すれ違いざまにあえて止める方が難しい。
斬られた、そう判断して止める。
(……普通は眼から老いていくものだろうがよ。つくづく化け物だなァ)
誰よりも速く斬ることはできるが、ブレイザブリクのような寸止めは自分には出来ない。最悪相打ち、それを狙っていた身としてはやはり勝った気はしない。
最後の最後まで気持ちよく勝たせてくれない。
制御は課題であり、
「……」
それ以上にどうしようもないほど、自分の器では少しばかり過ぎた技術であった。老いたままでは机上の空論、試すことさえできなかった。若さを取り戻し、試し打ちはできるようにはなったが、結局人の耐久では足りない。
欠陥技術ではある。現状は。
登った山が間違いだったのかもしれない。
それでも今更、降りることなど出来ないが――
「見事だ、ジンネマン」
ブレイザブリクと長く共に立つ老騎士たちが静かに、涙を流しながらジエィの前で剣を抜く。伝説が、敬愛する騎士が失われた。
信じたくはない。それでも目の前で起きたことを否定はできない。
何よりも否定は今際に残した「天晴れ」という称賛に泥を塗る行為である。ブレイザブリクが認めたのだ。彼らもそうする。
しかし、
「狙いは我らの足止め……恥も外聞も捨て我らはそれに乗ろう。許せとは言わん。利き腕を欠く騎士を、恥ずかしげもなく討つのだ」
弔い合戦はする。
「ありがたい。その敵討ち、受けて立つ!」
ジエィ・ジンネマンは地面に落とした騎士剣を左手で拾い、彼らに向けた。ただの騎士相手ならば逆手であろうがさして問題ではない。
が、相手は伝説に連なる歴戦の騎士たち。
人類の剣として長く戦場に立ち、生き延びた猛者。これまたいずれも名のある騎士ばかり。楽な相手ではない。
「そう言ってくれると」
「こちらとしてもありがたし」
こちらに一発があると判明した以上、彼らは必ず警戒してくる。元々時間制限のあるブレイザブリクと異なり、彼らは長期戦も問題なくこなすだろう。
むしろ、ブレイザブリク唯一の欠点を補うべく、他の同世代の騎士たちよりも持久戦に関してはかなりのものを持ち合わせていると思った方がいい。
苦しい戦いになる。
それでも、
「ハッハァ!」
ジエィは笑う。自ら選んだ道、剣と共に生き、剣と共に死ぬ。何を躊躇うことがある。何を慄くことがある。
たかが死ぬだけ、それゆえ戦士は嬉々として死地へ赴く。
○
何をされても、誰が相手でも、恐ろしいほどに間違える気がしない。
クルス・リンザールは今、ようやく自分が絶好調であることに気づいた。相手が調子を崩しているのか、慣れぬ遠間の武器を使っているから、など考えていたが、どうやら何度も斬り結び、そうではないと理解した。
(見える)
今まで澱んでいた、ぼやけていた視界の端すら鮮明に見える。しっかりと思考を入れて戦っていたが、今はかなりの部分を染みついた動作に頼っている。
考えずとも最適が出る。
だから早い。早いから余裕が生まれ、より鮮明に見える。
(見えるぞ)
考えることは山ほどあるが、今は全部横に置く。頭を空っぽに、自分の積み重ねに委ねる。気分がいい。すこぶるいい。
たぶん、
(あの時以来だ)
初めて確信を得た輝ける男との、ソロンとの一戦以来の感覚。あの時も自分が自分でないような、だけど間違いなく自分で、負ける気がしなかった。
辿り着いたものに絶対的な確信があった。
秩序の騎士となり、自分よりも上を知り、その確信はどんどん薄れていた。所詮は途上、何を誇ることもない。
そう思っていた。
格上から技を学んだ、盗んだ。
様々な武をかき集めた。そういう機会にも恵まれた。
そして今、
「若造!」
「……あー」
鋭い突きに合わせて体を回転させる。面、線、点の順で捉えるのが難しい。突きは当然、点である。速ければ意味がなく、遅ければ突かれて死ぬ。
ここぞ、ただ一点のみが正解。
でも、間違えない。
「……っ。見事ォ!」
突きの力を奪い、回転は勢いを増し自動で胴を薙ぐ。力など要らない。相手が勝手にくれる。ただただ空っぽに、相手が来るならそれに任せる。
「来いッ!」
堅守に構えるのなら、
「おう」
自ら進み出る。後の先、取りたければくれてやる。現代の騎士剣ゆえ許された刃筋のみを立てた斬撃。パヌなどが使う最新型からくみ上げた技術である。よく考えずともこれで必要最低限の殺傷力は得られるのだ。
全力で打ち込まずとも脅威となる。それが騎士剣の怖さであり強み。
「ツェイッ!」
こちらの剣に応じた、力強く見事な応じ。しかも隙間を狙うわけでもなく、あくまで相手の剣にぶつけてくる。クルスが軽く振り、体を残していることなど彼ら歴戦の騎士は見ずともわかる。誘いに応じず、嫌がるであろう力勝負に持ち込む。
確かに嫌、と言うよりも絶対に勝てない。
だけど、
(別に)
衝突し、簡単に当たり負けながらも、
(負ければいい)
抵抗せずに当たり負けたまま、体を大きく歪ませながら無理やり流れを形成する。騎士のスクエアを主体としたムーブではない。オフバランスによる型からはみ出た体重移動、それであえて負けた分、力をかすめ取る。
尋常ではない動き。
地に足を付ける、その基本すら要らぬと流れを作った後は力にただ身を委ね、それに沿って剣を振るだけで返しの返し、想定の遠く及ばぬ返し技となった。
「なん、とォ」
「最後に勝つ流れなら、それでいい」
眼が違う。剣への考え方が違う。攻めて崩せたらそのまま自分が流れを作る。でも、大抵は勝てないから、負けを想定して流れを作る。
皮一枚先に、自分が勝てばいい。
「ふぅ」
誰もが言葉を失っていた。敵も、そして味方も、圧巻の剣を前にただ息を飲む。
騎士は自らの覚悟を、剣の可能性の追求を咎められた気がした。
聡明なる知識人は自らの積み重ねを問われた気がした。
無情の人造魔族は同じく無情の剣を前に、初めて恐怖を知る。
水面に映るは、誰がため、何がため――
「……」
騎士を志した者、今は『暗部』に勤めるイェッセ・デネンもまた呆然としていた。王の血を得て、強き体を得た。自分にとって足りない才能を、ようやく後天的に手に入れることが出来た。これで騎士に成れる。
そう思っていた。
だけど、彼はあの列車で、自分と入れ替わりで学び舎に入った、自分の席を奪った元天才からかけられた言葉を、会話を思い出す。
『逆手で、ここまで。だが、僕は渡り合えるぞ! ソル族の血だ、天賦の才を得た。負けない。負けるわけがない!』
そう、彼はそれを聞いて、
『才能、か』
嗤ったのだ。彼らしくない、少し皮肉めいた笑み。
馬鹿にされたと思った。
だから、
『僕を、紛い物とバカにするか!』
イェッセは激怒した。
でも、
『すまない、私事だ。それが全てと思える内は幸せなんだ。でも、世の中そうじゃない。才能を突き抜ける本物がね、怖いのさ』
彼はぐしゃりと、彼らしくない貌を浮かべた。
『俺は別の道を行ったから、真っすぐ見つめることが出来た。けれど、この腕があったら、同じ騎士であったなら、心が歪まなかった自信はない』
嘘偽りのない、真っすぐな男から放たれた歪み。
『君も騎士を志すのなら、いつか直面する。それを俺は否定しない。だけど、その才能に縋りつく限り、必ず君は、君たちは壁にぶち当たる』
理解できなかった。元々才能の塊だった者が、失ったことを正当化しているだけとも思った。まともに受け取ることもしなかった。
だが、
「……こいつ、か」
今、理解した。フレン・スタディオンが、騎士の家に生まれ、長い道のりを経てようやくスタートラインに立ち、その一年後道を断たれた悲劇の男。
それが騎士の道を諦められた理由が、目の前にいる。
クルス・リンザールの名はイェッセも当然知っている。ログレスで、騎士に関係する者で知らぬ者などいない。ログレス必勝の年度を、確定されていたはずの勝利を、輝ける太陽を落とした男であるから。
だけど、あの試合をしかと見た者はそう多くない。誰しもに目撃する環境があったわけではないから。そして、見ぬ限りは自分の中で想像するしかない。実はソロンが噂ほどではなかった、実はあれから皆伸び悩んだ。
そう、無理やり理由付けした。
その全部が、言い訳が消し飛ぶ。才能をも凌駕する、圧倒的な覚悟。間違えたら死ぬ、それでいい。その道に殉ずると決めた。
それしかなかったから。
同じく、それしかなかったはずなのに、自分もそう思っていたはずなのに。あの学び舎で自分は最善を尽くしていたか、本当に死ぬ気でやったか。
自分とさして変わらぬ才であったはずの、成績であったはずのアスラクが代表入りし、自分は退学した。眼をそらしていた現実から、嫌でも見つめることとなった。
努力はした。たくさんした。
だけど、自分はきっと、死に物狂いではやっていない。同期から学びを得ようと恥も外聞も捨てていない。先人たる先生方から知恵を得ようともしていない。
それなり、止まり。
だから――
「ぐ、ぅ、ぅぅ」
自分は騎士に成れなかった。
その現実が、あの水面から突き付けられる。
「うし、次はわしじゃ」
「ご武運を」
気づけば老騎士たちもまた徒党を組むことを辞め、ただ自らの積み重ねを確認するために、透き通るゼロの水面と向かい合う。
そうせぬ者は自然とこの場を離れ、敗北感と共に職務を遂行せんと動き出していた。試すまでもない、そう思う者だっている。
「いざ尋常に!」
「来い」
「ふはっ、敬意のない小僧め!」
試さずにはいられない、そう思う者もいる。
それぞれが突き付けられた浮かび上がったモノを前に、それぞれがただ選択するだけ。小川はただ、其処に流れ続ける。
「……意味はあった。私たちは糧となり、彼の中で流れ続ける」
リアンはあの若さで信じ難いほどに積み重ねた青年の姿に、あの日の彼が浮かべた絶望を、失望を、大きな悔いを見た。
それが原動力の一つとなり、此処まで辿り着いたのだとしたら――
「……ありがとう」
『亡霊』は小さく微笑み、一筋の涙を流す。
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