第376話:ただのジジイVS伝説のジジイ

 落下する物体には終端速度というものが存在する。体積力と抗力が釣り合った時に、速度が変化しなくなる状態を指す。

 人間の身体よりも遥かに大きいドラゴン。大きさゆえに当然それなりの重量はあるが、それでも羽ばたき空を舞う鳥などと同様、見た目に反して重量は軽く、人よりも終端速度はかなり下の値となる。

 加えて鱗を切り剥がし地面よりも柔らかい大きな肉体そのものをクッションとし、

「……さすがに新調だな、これでは」

「そうですな」

 あとはソル族の頑強な体で、気合と根性でどうにかする。

 遥か上空より乗り物(ドラゴン)を切り殺され、あわや墜落死となるところを冷静沈着な最善の行動とド根性で全員当たり前のように生還していた。

 どいつもこいつも化け物ばかり、とジエィは苦笑する。

 今更驚く気などないが。

「よい身体を手に入れたな、ジンネマン」

「……」

 老騎士たちの長、ブレイザブリクを前にゆらりとジエィ・ジンネマンは立ち上がった。伝説の騎士は竜の血を拭いながら、ため息を吐く。

 ただでさえ期待の有望株が評価を下げたと言うのに、同じくかつて期待を向けていた騎士が今、哀しいかな若くもないのに愚策に乗った。

「アウレリアヌスの娘だけを逃がすのは愚策だ。陛下は理解している。戦力、そして時が限られていることを。ゆえにスタディオンは捨て置いた。大元であり、錦の御旗となるあの娘を潰すことに全て投じている。まさか、この先に一切障害がないと思うか? 其処までログレスが、歴戦の騎士であり王である父上、ウルティゲルヌスが手緩いと思ったか? であれば卿らの評価はさらに落ちるぞ」

「今の俺が帯同したとて、結果に変わりはないでしょう?」

「そうだ。つまり、最初から卿らに活路はない。此処はログレスの腹の中、機能不全寸前とは言え、それでもこの国で誰が王に敵う?」

「彼女も王だ」

「笑わせる。自らの足で駆けたことは評価しよう。健脚も上空から見て取れた。評判ほど手抜きはなかったのだろう。先が楽しみな器だ。が、それはあくまで学生の、子どもへの評価。騎士のそれとは違う。いわんや、王のそれともな」

 ブレイザブリクは子どもを王の座に据えようとしたこと、それ自体が誤りであったと言い切る。実際、此処まで徹底してやられては、そうではないと言い切ることは難しい。端から薄い勝ち筋も、そう見えていただけでなかったのかもしれない。

「間違えた。ならば、頭を下げればいい。子どもの不見識であった、それが許されるのもまた、若者の特権だ。少なくとも私は許そう。アウレリアヌスの娘も見込みがあった。なれば、父上を相手取っても守ると誓える。大人を頼るべきだったのだ」

 それでも、

「ジジイの道理は、若者が走らぬ理由にはなりますまい」

「……騎士であった男の意見とは思えぬな」

 ジエィはこの道を選んだ若者たちを愚かと言う気はなかった。騎士であった時の自分ならば間違っていると言っただろう。正しくない、頭を使え、それでは何も守れない。何も救えない。そう言ったはず。

 しかし今、成らず者に堕ちたからこそ、ただのジエィ・ジンネマンだからこそ、無責任にも頑張れ、走れ、などと言える。

 駆ける背中を、

「ならず者ゆえ」

「その歳では救えん」

 如何なる理由を放り出し、思うが儘に守ることもできる。

 伝説の騎士、ブレイザブリクが臨戦態勢を取った。騎士剣を引き抜き、大仰に構える姿はやはり非合理の極み。

 野生動物の威嚇と遜色ない。

 それでも大きな圧となる。強者の威嚇ほど、恐るべきものはない。根源的な恐怖がかの者の前に立つ全てに付与される。

 魔族すら気圧す、そういう力がこの男が使う、この型にはある。

「……」

 今、ジエィには二つの選択肢があった。一つは先ほど、ドラゴンを落とした時に使った力。駆ける若者たちのため自身の矜持を曲げ、魔族化した力を行使した。あれならばスペック的に近づくことができる。

 否、部分的には越えることも出来るだろう。

 自分の技量と合わせたなら、おそらくほぼ確実に勝てる。その上、後ろに控える全員を相手取る余裕も生まれるはず。

 魔除けのない魔族化、それに手を染めたなら戦闘中でも長引かせれば充分、継続戦闘可能なほど回復もするだろう。

 力と再生の増幅、最善手はこれ。

 ただ、使えば使うほど、この強大で便利過ぎる力は必ず自分を蝕む、そんな感覚もあった。出来れば使いたくない。

 そして自分には――

「使うが良い。魔族化を。今の卿にさほど興味はないが、魔族化した元秩序の騎士、隊長格には興味がある。私に届くか否か、試してみたいのでな」

 もう一つ。

 迷いの中、突然――

「「ッ⁉」」

 ジエィ、ブレイザブリクの二人が同時に、同じ方向へ向いた。

 第六感と言えばチープな響きである。しかし、そうとしか言いようがない感覚。その方向からして、思い浮かぶ人物は一人である。

 だが、同時に、

「……ありえん。早過ぎる」

 それはない。其処まではないとブレイザブリクはそれしかない答えを一蹴した。見込みのある若者である。あの子の香りがする、あの子を救えなかった、代わりに死んでやれなかった自分にとって最後の使命、そう思えた子であった。

 力も、技も、まだ足りない。

 感覚の使い方も、まだ眼を頼り過ぎている。

 それなのに――

「く、くく、あっはっはっはっはっは!」

「何が可笑しい?」

 対照的に、ジエィは構えを解き大笑いした。

「いや、正直、俺はリアンがまだ生存しているとすら思っていなかった。そろそろ限界が来ている、本人がそう自認しておったからなァ。だが、間に合った。その上、これか。なるほど、やはり、やはり、そちら側であったか」

「……卿にあの子の何がわかる?」

「貴殿よりは」

 ブレイザブリクの額に青筋が浮かぶ。表情こそ穏やかなままだが、それゆえに恐ろしいほどの怒りが内包されているように見えた。

 部下たちが近寄れぬほどに。

「おっと、言い方が悪かったやも知れませぬなァ。自分とは異なる道、聡明で、合理であり、思索の末歩んだ道を望む、今のマスター・ブレイザブリクにはわからぬ、と言う話。むしろ、現役当時の貴殿ならばスッと飲み込めたのでは?」

「……何の話だ?」

「ゼロス・ビフレスト」

「……っ」

「大戦の生き残りは皆、口をそろえて最高の騎士だったとおっしゃられておりましたなァ。残した書物や彼の考え方は俺が尊敬する同期にも多大な影響を与えた。同時にマスター・ウーゼルやマスター・ユーダリルらにも影を落としていた」

「……」

「彼が生きていればどうしたか、多くがそう考えているように見えた」

「……それゆえに届かなかったのだ」

「しかり。我が後任、エクラ・ヘクセレイの模倣が奴に届かず潰えたように、本来そうでない者がその道を歩めば、必ず齟齬が生まれる。足りぬことになる」

「……あの子は似ている」

「が、違う。むしろ、俺はマスター・ウーゼルやマスター・ユーダリル、フェデルらのような系譜であると見た」

「なんだそれは? 阿呆が並んでいるようにしか見えぬぞ」

「俺もそう思います」

「……卿は、何を言っている?」

 ブレイザブリクには理解できない。ゼロスとクルスは重なった、同じ匂いを感じた。だが、今名の挙がった連中はむしろ対極であろう。

 その上、先ほどの話であれば自分にも近いと言う。

 尚更遠い。

「聡明なる騎士の影の追う者に、あの若者は育てられない。否、そもそも育てるという認識が烏滸がましい。老いた俺が確信を持てぬ、俺の剣。それに、あの若造はすでに辿り着いている。誰より早く、自分のゴールへ至っている」

「……あの程度で?」

「足りぬ技量などあとから足せばいい。俺も随分吸い取られた。そう、伝説の騎士が導くまでもなく、最も近しく、最も遠い騎士がすでに導き、最短最善を歩ませている。何度も俺にぶつけたのはいずれ消えるしょうもない組織の、成らず者の老いぼれを仕留めるためではない。俺をあの若造に喰わせるためだ」

 すでに答えは得ている。その答えを完全なものとするため、ジエィ・ジンネマンは利用されたのだ。骨の髄まで喰らわせるために。

 それにジエィが察した時点で、茶番となった時点であっさり手を引いたのは、何もジエィがバレぬよう立ち回ったからではない。

 それでも先回りし、ぶつけてきたからあの二人とバカみたいにやり合う羽目になったのだ。気づくのが遅れた。おかげで、縁も所縁もない小僧に随分と気前よく自分の技を与えてしまった。

 きっと、自分だけではない。蛇は多くの贄を若者に与えたはず。

 おそらく、自分すらも――

「今、その一端が発露した。完成は近くて遠いかもしれんが、それでも答えすら見えずに剣を置く者が大半の世界で、其処に辿り着いていたのだ。見事と言うしかあるまい。この期に及んで自ら迷った、自分を恥じる」

 適性から最も遠い蛇の道、其処からぐるりと回り、いずれは――成る。

 今日のこれはいつかの姿。

 否、きっと、本当に辿り着いたいつかは、今をも超える。

 老いぼれが迷う局面ではなかった。

 老いぼれが次を考えている場合ではなかった。

 俺の剣。

「一騎打ちにて」

 心中する覚悟なくして何が戦士か。

「……私は今、とても機嫌が悪い。卿と話して損ねた。かつてのような優しさを期待してくれるなよ。弱っていようが、本気で仕留めるぞ」

「その上を、征きまする」

「……ほざいたな」

 第七騎士隊隊長でも、秩序の騎士でも、騎士ですらなくなったただの戦士、ジエィ・ジンネマンは静かに構えた。

 騎士剣の柄を、チョンと抓むように握る。

 いや、あれを握るとは言うまい。

 ただ、抓むだけ。

「……」

 だらりと垂れた立ち姿。力強さや凛々しさ、かつてのジエィに溢れていたそれらがすべて失せている。

 その代わりに――

「……なるほど。満更、冗談を申していたわけではない、か」

 ブレイザブリクの肌が、ちりちりと刺す。

 危険だと、本能が言っている。こんなのはいつぶりか。騎士級と対峙した時、そう、あの時同じ感覚を得た。

「私は王権を奪い、世を乱さんとする新秩序を討つ。ウトガルドを滅ぼし、新たな秩序の確立に尽力し、その後を才気あふれる若者たちに委ねる」

 自分が成すべきこと、立った理由と共に男は大きく息を吸い込んだ。

「それが私の――」

 さらに若く、もっと瑞々しく、

「――命の使い道であるッ!」

 音を超え、伝説の騎士は大きく踏み出した。

「それを――」

 刹那で間が詰まる。

 脱力したジエィに動きはない。むしろ、肉薄した自分を前にさらに力を抜く。それで剣が振れるのか、そう考える間もなく――

「今度こそッ!」

 二段、伝説の騎士の剣がさらに音の壁を切り裂いた。

「――年寄りの冷や水と言う」

 刃が音を超えた。


 二つ。


 一つはだらりと垂れ下がり、騎士剣を落とす。

「……」

 一つは過ぎ去り、力強く握り締めている。

「……」

 力強く握り締めた方は厳かに、自らの騎士剣を鞘に納めた。

 大切なものを仕舞うように。

 そして、騎士剣を落とした方へ振り返る。

「……忘れていた。それを昔、私はあの子に言われたのだ」

「……自分も、つい先ほどまで忘れておりました」

「はは、歳は取りたくないものだな」

「まったくで」

 嬉しそうに、少し悔しそうに、笑みを浮かべ、


「天晴れだ」


 剣を納め、置いた方の身体がずるりとズレ、真っ二つになった。

 伝説が崩れ落ちる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る