第375話:澄み渡る小川、流れる

 理想と現実の狭間、其処でもがき苦しんできた。仕事だから、と様々なものを飲み込んできた。その度に積み重なった澱みは今もまだある。

 きっと、それが消えることはない。

 でも、クソみたいな言い訳だが、今の自分は騎士ではない。秩序の騎士として現地入りしていない。おそらく、クソ上司が勝手に休暇の消化に使っているはず。

 本当にクソである。

 ただ、

「……たまには叫ぶのも悪くないなぁ」

 たまにはクソみたいな行動をして、クソミソ叫んでみるのも悪くない。仕事として見たらクソ以下の、ゴミムーブであるが――

「爽快だ」

 不思議と悪い気分ではなかった。

 どうとでもなれ、そんな感じ。

 初めは打算で現地入りした。自分が掴んだ情報が自分の力になるかどうか。自分が上へ行くために、力が欲しかったから。

 でも、今回はもういい。そういう気分じゃなくなった。

 別に慌てる必要が何処にある。

 何故か今は、

「……ふぅー」

 そう思える。

 何かが変わった。『亡霊』をかなり追い詰め、手応えもあった。獲物を横取りされ、普通なら憤慨しさっさと戦っているだろう。

 何故なら相手はただの一人なのだ。

 戦力もある程度把握できている。腕は立つが複数人でセーフティラインをきっちりと立ち回れば、それほど怖い相手ではない。

 少なくともこの前はそうだった。

 先のブレイザブリクとの戦いで多少上方修正したが、やはりその評価は変わらなかった。若いのに素晴らしく腕が立つ、其処止まりであったはず。

 だが、今目の前にいるのは何だ。

「囲むか?」

「いや、まずは……弓で様子を見る」

「騎士一人に?」

「あれがそう見えるのなら、卿が試しに突っ込んでみよ」

「……いや、そうしよう」

 『亡霊』のような魔族、出来るだけ距離を取りたい敵と遭遇した時、古いソル族の騎士は皆サブウェポンとして弓を携帯していた。ただの弓ではない、対魔族用の強弓である。固い外皮すらぶち抜く威力、それを手に入れるためには常人を遥かに超えた力で引き絞り、しっかりと魔力を乗せて放つ必要がある。

 圧倒的な筋力と水準を超えた魔力が必須の武器。騎士の中でも上澄みの、才能ある者にしか使えない。

 ゆえに広く普及はしていないが、彼らは当然のように扱うことができる。『亡霊』もよく見ると矢傷がいくつも残っていた。

 それも、

「構え」

 複数の矢を番え、

「撃ェ!」

 一人で三本、多い者で五本六本、ブレイザブリクであれば十本まとめて射ることができる。ゆえにこれだけの戦力でも、

「受けよ、退魔の嵐であるッ!」

 飽和爆撃となる。

 老騎士たちの一斉射がクルスの立っている場所へ降り注ぐ。その全てが魔族の殺傷に値するひと矢であり、回避など不可能。

「クルス君!」

 それを呆然と見つめていたクルスを矢の雨が襲う。何故かわさない、回避方向に彼らはさらに矢を放っただろうが、かわさないのはおかしい。

「……ぬう」

「何故だ?」

 普通ではない。

 土煙が立ち上る。地面をひっくり返したような破壊の痕が、矢の威力を物語っていた。あんなものを複数撃ち込まれて、人間が無事で済むわけがない。

「だから、間違えるなよ」

 無事で、

「今はクロスだって」

 済むはずがないのだ。

「ッ⁉」

 クルス・リンザールはその場から一歩も動くことなく、自らに降り注いだ矢をしのいで見せた。捌いて見せた。

 理解できない。少なくとも老騎士たちは見たことがない。

 人間技ではない。

「しかし舐めやがってジジイどもが。騎士を矢で倒せるわけがねーだろうに。そんなもん、何本撃っても俺には届かねーっての」

 しかし、クルスは憤慨していた。ただの矢を射られたと思っているから。魔力を込めたただの矢、精々が小型の魔族用の武装だと彼は感じていた。

 誤認するのも無理はない。

 とうの昔に戦場から消えたエンチャント時代でも一部の者しか使っていなかった武装であり、学校の教科書に載ったことすらない代物。

 その上、

「ただ、悪くない気分で、悪くない調子なのは確認できた」

 自分の状態を誤認しているのだから、見極めもズレて当然。

「まあまあ調子いいぜ、俺」

「ま、まあまあ?」

 リアンが困惑するのを尻目に、クルスは灰色の双眸を見開き、敵を見据える。

「矢がよく見えた」

 そして楽しげに微笑む。


     ○


 とあるマンションの一室にて、

「マンハイム。ジブン、第六感って信じとるか?」

 第七騎士隊副隊長、レフ・クロイツェルと、

「いや、オカルトはあまり」

 同隊主任、アントン・マンハイムがいた。クロイツェルは紅茶を飲みながらくつろぎ、アントンは上司の前なので直立不動で待機している。

「僕もあまり信じとらん。でもなァ」

 クロイツェルは紅茶の、水面に映る自分の貌を見て苦笑する。

「たまにあんねん。ピンと来ることが」

「来たのか?」

「アホ言え。僕とあのカスとじゃステージがちゃう。僕ならあれに辿り着いた時点でゴールが見えとる。あれは見えとらん。それが頭の差、格の差や」

「……」

「なんやその眼」

「いや……特に」

 誰もクルス・リンザールの話などしていなかったのだが、どうやらピンと来た相手は彼であったらしい。だからだろうか、こんなにも緩い彼も久方ぶりに見た。副隊長に自分を差し置いて昇進した時ぐらいか。

 いや、その時よりも――

(講師の仕事を受けた時の方が近いか)

 イリオスから戻ってきた時、ユニオン騎士団の副隊長が何を血迷ったのかと誰もが驚愕した、あの事件以来かもしれない。


     ○


「なァ、今――」

 戦闘中、ノアは何か予感を感じ取った。天才センサーと呼ぶべき、選ばれし超天才ド級のイケメンに与えられた直感がピクリと来た。

 だから振り返ると――

「んだよ、こいつらも搭載してんのか、天才センサー」

 喜ぶ自分とは対照的に、貌に憤怒を浮かべたお二人さんがいた。まあその怒りは主に、此処で立ち往生している自分たちへ向けられているのだろうが。

 まあ、喜んでいるノアでさえ、

(……そっちの気持ちも、わからんでもない、か)

 珍しく自分への怒りも沸き立っていた。自己肯定感の塊、常にポジティブである男が初めて、ほんの少しだけ思ったのだ。

 あれ、

「ちと、急ぐかァ!」

 これ追いつけるか、と。

 相手が先を行っている、そう思ったことは何度もある。昔は健常な人間なら全員自分の前に立っていたし、それらをごぼう抜きした後もソロンの背中があった。イールファスのもちらりと見えた気がする。

 でも、追いつけないと感じたのは、ほんの少しでもそれが過ぎったのは、多分今が人生初。ありえない、天に選ばれし自分が後れを取り続けるなど。

「遅れんなよ、ノロマども!」

「誰に口を利いている!?」

「殺す」

「ああん、怖いィ」

 殺気立つ二人。ただ、ノアはそれを心地よく思う。焦っているのは自分だけではないと知ったから。彼らにも自分同様、天才センサーが備わっている。

 同じ怒りも共有している。

 そういうの、

「つか、そろそろ飽きたぜ、黒いの!」

 嫌いじゃない。

 とっくに大歓迎の玄関口をぶち抜き、『不死の王』の両翼の一角、黒き獅子に辿り着いていた三人。

 明らかに戦士級ではない、騎士級相手に、

「俺の速さは世界一ィ!」

 彼らは渡り合う。騎士級相手、彼らが用意した楽園を踏破し、屍を踏みしめ彼らも莫大な経験を積んでいる。それでも焦りがぬぐえない。

 今、膨らみ続けている。

 それが誰か、今更確認する必要もないだろう。

 自分はともかく、あの二人に、あんな貌をさせる奴はこの世界に一人しかいないから。なかなか妬ける話だが仕方がない。

 追い抜かれたままの、遅い自分が悪いのだから。


     ○


「……っ。化け物めェ!」

 こちらへ向かってくるクルスへ矢を射かけ、それをしのがれながら彼らは初手、矢の雨をどう捌いたのかを少しずつ知る。

 さすがに初手以降動き出し、回避行動も取っているが矢の足の方が勝るため、かなりの数がクルスへ殺到する。

 剣で逸らし、受け流すのはわかる。一本なら自分たちも出来る。

 しかし、二本目を想定しながら、それを迎撃するために一本目の力を生かし、自らの剣を加速させながら二本目を打ち落とす、これはもう難しい。

 二本打ち落とすだけなら力技で間に合うが、彼はゼロの技量で身体能力差を埋めて、易々と間に合わせているのだ。

 それでも、それだけならまだ理解できた。

 だが、

「あの小僧には何が見えている!? どうしたら、矢を身体で捌くことができる⁉」

 歴戦の老騎士たちの心を砕くのはさらに一つ上の次元。

 剣では当然手が足りず、普通は矢が当たる、刺さる。矢とはそういう兵器なのだ。弓とは当たれば突き刺さる、そういうものである。

 当たってはならない、それが考えるまでもない当たり前であった。

 ただ、今のクルスはむしろ自分から当てに行く。角度を見極め、適切な当たり面で受け、流す。服が千切れる、皮一枚も裂く。

 しかし、未だ無傷。

「ありえん。一歩間違えたら、死ぬのだぞ」

 騎士の戦場は死と隣り合わせ。彼らは昔から胸を張り、それを誇りに生きてきた。語ってきた。その自負が今、脆くも崩れ去る。

 隣り合っていたと思っていた自分たちよりも、遥かに近しく、薄皮一枚で接していながら、あの青年は今笑みすら浮かべているのだ。

「わしが前を張る! 横から矢を差し込めィ!」

「い、イエス・マスター!」

 老騎士の一人が前へ進み出る。確認せねばならない。自分の歩んだ騎士道が今、今更揺らぎ始めているのだ。

 積み重ねが、誇りが、自分の半分どころか十分の一近い年齢の小僧に脅かされている。単純な強さなら、才能なら飲み込んでいい。

 飲み込んできた。

 だが――

「やれィ!」

「はは、きっつゥ!」

 覚悟ですら及ばぬのなら、自分の歩みに何の意味があったのか。強い種族に生まれた、強くあるために努力した、強く生き抜いた。

 その自負が彼を騎士として立たせてきた。

 すでに一対一どころか、遠間の武器を使っての集団戦。剣と剣での戦いですらなく、彼の中の矜持はボロボロである。とっくにラインは越えている。

 それでも確認したかった。

 自分の、力のこもった会心の剣、会心の一振り。それを受け、流されるのは承知の上。本命は両端の矢。

 一つは対処できても、二つは――

「油断大敵だぜ、爺さん!」

「……」

 老騎士は見た。自分の剣をいなし、その勢いを駆りながらひと矢に対処する様を。そちらは自分に出来ぬムーブでも想定通り。

 でも、さらに矢の力を奪い、加速。

 回転を増し、肩口に逆側の矢を当てながら、回転と共に矢の軌道を変える。手すら使わずに、その矢を自分に突き立たせて見せたのだ。

「……油断と、きたか」

 油断など微塵もしていない。

 想定を楽々飛び越え、完全に上をいかれただけ。

 透き通る水面、其処に映るは自分の騎士道。全身全霊で駆け抜けたと思っていた。最大限、努力したと胸を張っていた。

 しかし、水面は言う。

 足りない、と。

「言いよる、わぃ」

 額に突き立つ矢。それでも反撃は出来た。無様に足掻くことは出来た。でも、老騎士はそれをすることなく、一段目の剣、二段目の矢、そして三段目でさらに加速した返しの剣をその身で、その首で受け止めた。

「この前の騎士は最後まで足掻いたけどな」

 このカウンター、カウンターと言っていいのかもわからぬ剣は受け切れずとも、足掻くことは出来ただろうに、とクルスは不服げであった。

「まあいい」

 浅き水面は透き通り、彼の歩んできた道をあられもなく見せる。

 俺は此処までやってきた。

 俺は此処までやった。

 俺は此処までやる。

 さあ、

「次」

 貴様はどうする。

 騎士、同業が問われるは己。己の力、技、そして覚悟。

 血を払い、クルス・リンザールは流麗に立ち、構える。己の剣と心中する。間違えた時に、自分が死ぬ。ただそれだけ。

 その覚悟がこの場の騎士全員に、突き刺さる。

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