第374話:叫べ
闇の中、蠢く紅き隻眼。
「……ギ」
遠く、何かを見据える。
傍目にはただ立っているだけの男。しかし、全身から常に、仄かな湯気が立っている。ずっと瞑っていた眼が、かすかに開かれる。
「……ふっ」
小さく微笑んだ。
○
空を駆けるドラゴン。その背よりブレイザブリクは地上を見つめ、眉をひそめた。あちらからは鳥にしか見えぬ距離であるが、ソル族は元々狩猟に特化した民族であり、基本的に遠くを見る眼もノマ族よりも優れている。
ゆえに見逃さなかった。
「……減点十。いや、二十だ」
あの逆走はあまりにも愚かな行為である。騎士ならばまずやるべきことに注力すべき。ジエィが無事で王を任せられたとして、あのならず者を信用するなど愚の骨頂。最後の一線、守り立つべき騎士が職務放棄してどうする。
若気の至りとは言え、彼ならば絶対にやらなかった。
やはりアスガルドと言う環境が良くなかったのだろう。馬鹿な騎士の筆頭が学園長を務める学び舎である。一度、こちらで鍛え直さねばならない。
それもまた、
「おお、我らがマスターが」
「またハリツヤを増したぞ」
一つの生き甲斐か。
ドラゴンの背にはブレイザブリクが長く戦を共にした者、彼が直々に教えた弟子たちなど選りすぐりのメンバーを集め、同乗させていた。
その内の一人が、
「遠く、見えました」
指でピンホール現象を使い、遥か遠くの人影を見つけ出す。
「アウレリアヌスの子です。背中には、『墓守』もいます」
「ジンネマンは?」
「いえ……近くにいる様子は。と言うよりも、あの巡航速度でノマ族が移動し続けられるとは思えません。かなり速い。見込みありますよ、あの娘」
「確かに」
「ああ、速いな」
奇策。
確かに体力、走力共にログレスで学んだ者であれば現役の騎士よりも、学生の方が高い水準であることが多い。特に現代は列車網の発達により長距離を走破する必要が年々減少し、それに伴い現役の騎士の持久力は低下している事実もある。
ゆえに若い者はなっとらん、などと言われることも少なくない。
そんな中でログレスは昔ながらの、変わらぬ水準で学生を鍛えている。
素晴らしい快速、この策に賭けたくなる気持ちもわかる。
だが、
「ドラゴン相手では、なぁ」
競争相手は空を駆けるドラゴン。端から人の足では種族に関係なく勝負にならない。残念ながら賭けは敗れる。
「……どういうつもりだ?」
ブレイザブリクは彼らを結ぶ中間に、丁度今過ぎ去らんとしている直下に、ある人物を視認した。正座し、瞑想し、何かを待っている。
何を――
「愚問か。少しでも高度を下げろ」
「え?」
「来るぞ」
愚問であった。
ドラゴンの首が、突如刎ね飛ぶ。あり得ぬ間合い、彼の地力は知っている。魔法による刃の拡張、気合や根性で射程は伸びない。
しかし、この高度は彼の最大射程を大きく超過していた。
ならば、答えは一つ。
「……ジンネマンッ!」
そう、待たれていたのは、自分たちであった。
○
「……」
老騎士たちは若い騎士の登場に動揺していた。援軍が来たから、ではない。到着してすぐ、仲間の騎士が断ち切られたから、である。
犠牲が出たことへの驚きでもない。何故なら彼らにとって戦場とは常に死と隣り合わせであり、自分たちはたまたま生き残っただけ、そう考えているから。
ではなぜ、彼らの間に動揺が走っているのか。
それは――
(……あの若造、あそこまで切れる剣であったか?)
事前に見ていた、事前に聞いていた、若く有望な秩序の騎士、クルス・リンザール。その技量は知っている。最初の遭遇で、そしてつい先ほどブレイザブリクとの戦いでも見た者は少なくない。
技量があるのは知っている。
粘り強さも先刻承知。
しかし、あそこまで使える騎士であったか。ふいを突かれたとはいえ、練達の騎士である。割って入られた時点で切り替え、応じは完璧に行われた。
それはこの場の騎士は全員見ている。
その上で、単純に上回った。
ただ、流れるように通過していった。
「マスター・ブレイザブリクは出来れば生け捕り、とおっしゃられていましたが」
「出来れば、であろう?」
「……そうなりますよね」
老騎士たちの眼の色が変わる。
そんなことなど露知らず――
「命の残りは?」
「だから、わからないと言っているでしょう」
「は?」
「私が集合体を自称して、そういうニュアンスで話していたのは事実ですが、私はただの一度も自分の命の数について表明したことはありませんよ」
「……本当に知らんのか?」
「それどころか、そもそも何故現在生存できているのかも不明です」
「……意外とレイルも使えん奴だな」
「今度があれば伝えておきます」
わからない、は本当。ただ、残りが少ないのはかなり前から感じている事実である。今日も大きく削れた。長くはないはず。
しかし、正しい数は不明。最初は犠牲者の、仲間の数だと自分も思っていたが、とっくの昔に死傷数はそれを超過している。
同時に自分が何故存在しているのかも不明。
何度実験をしても自分のような個体は生まれなかった。が、それについての推論はある。あの時、実験施設には普段其処にいない人物がいたのだ。
自分を探し出し、レイルに哀しいから助けてほしいと伝えた人物が。
その人物が願った、と言うと少しオカルトが過ぎるか。
「……ではこちらから質問です。何故、此処に戻ってきたのですか?」
リアンは強い口調で、咎めるように言った。何故なら秩序の騎士クルス・リンザールにとって、今この場にやってくる理由は存在しないのだ。
どう考えても、リアンを見捨てた方がいい。
「貴様はあの時、本望と言ったな」
クルスはリアンを敵から守るような立ち位置で構えていた。こちらに背中を向け、表情は見えない。見せる気もないのだろう。
「ええ」
「秩序と戦い、秩序を殺し、秩序に殺される」
「綺麗じゃないですか?」
「違うだろ? あんたらを殺したのは俺だ。俺たちがやった。あそこにいる騎士でも、今まで『亡霊』が殺してきた騎士でもない。俺たち第七騎士隊が、リアン・ウィズダムを含む理想主義者どもを根こそぎ殺した!」
あの日のことは当然、リアンも覚えている。それどころか不思議なことに、最初に殺されたのに、他の視点のことも頭の中にあるのだ。
それゆえに彼は自らを『亡霊』と定めた。
無表情の騎士たちに交じる、顔を歪めながら、吐きながら、涙を流しながら剣を振り続ける少年。叫びながら、そんな記憶も残っている。
「そうですね」
「なら、落とし前を付けるべき相手が違うだろ? それは俺やあのクソカス、もしくは肥溜めよりもクソなあの国だ。違うか⁉」
「おっしゃる通りかと」
真っ先に襲うべき、滅ぼすべき我が故郷。されど、『亡霊』はあれから一度としてあの土地に足を踏み入れていない。
シャハルからも好きにしていい、と言われているのに――出来なかった。
そのくせ他の秩序と事を構えていたのだから、自分がろくでなしなのは間違いない。向き合うべき相手に、場所に、今なおそれが出来ていないのだから。
「だから、貴様は嘘をついた。本望だと。くだらない嘘だ。貴様が滅ぼすべき首は目の前にある。俺が貴様を作ったんだよ、『亡霊』!」
「……で?」
ぐちゃぐちゃな、想うがままを吐き出しているだけ。まるであの時の少年のよう。大きくなった、強くなった、それでも――
「フィンブルの『亡霊』は俺が作った。俺が生み出した。なら、それは俺が俺の手で終わらせる。あいつらじゃない。俺だ!」
まるで駄々をこねる子どものよう。
「今なら殺せますよ?」
「違う! しかるべき時、しかるべき場所で、お互いにケリをつける。ずっと、あの日から俺の中にある、この澱み。こいつを消すために。だから、貴様は死なせない。俺が、俺であるために……今日は生きてもらうぞ!」
「で、明日、死ね、と」
「ああ。もしくは俺を殺せ。それでフェア、公平だ。決闘で、決着を付けようぜ」
「……」
馬鹿らしい。本当に、心底、馬鹿みたいな話。
「あの日の前日、俺は感銘を受けた。この人たちは本気で国を変えようとしているんだ。こんなにも大きな、緻密な計画を立てたんだ、と」
リアンは大きく目を見開く。
「これならきっとこの国は変われる。凄い人たちだ、と」
「ですが、私たちは結局――」
リアンは自分たちが間違っていた、そう言おうとした。
「今でもそう思う!」
だが、それをクルスは遮る。
「間違ってんのは斜陽なのを承知で、落ちていく一方なのを承知で、何も変えようとしない奴らだ! 今もあの国はどん底だ、あの時よりもずっと悪くなっている」
「……君は」
クルスはずっとあの国を見ていた。追っていた。リアンは向き合えなかったのに、彼はずっと、ずっと、その罪と向き合い続けてきたのだ。
「あの時、俺に今ほどの力があれば絶対に同じ轍は踏まなかった。今よりももっと、副隊長なら、隊長なら、グランドマスターなら! 俺に力があればどうとでも出来た! 理不尽をねじ伏せられなかった、そんな自分が憎い!」
「……」
その言葉は全部、自分が自分へ向けていたもの。
「だが、そもそもなんで正論を力で押し通さなけりゃいけない⁉ 正しいんだから飲めよ! 何のために口が付いているんだよ! 頭の中、クソ詰めてんじゃねえよ! 人間だろ? なんで考えない⁉」
「……本当に、そう思います」
「不快だ! ずっと、ずっと、ゲリンゼルから出てずっと、モヤっとしたもんがある。それが不快で仕方がない! ああ、馬鹿だよ。クソみたいな行動だ。あのクソカス上司なら腹を抱えながら足蹴にしてくるだろ」
なんで正しい方が、間違ったやつのために諦めなきゃいけない。傷つかなければいけない。自分たちが間違ったんだから、素直に反省して引っ込めよ。
なんでそれが出来ない。
「でも、今は違う。今は、仕事中じゃない」
ようやく振り返ったクルスの貌は、
「俺はクロス君、なんだろ?」
全部ぶちまけてスカッとした、晴れやかなものであった。
「なら、好きにするさ。貴様は生かす。俺が殺す。もしくは俺を殺せ。それ以外は認めない。その邪魔をする奴は全部――」
クルス・リンザールは、
「俺の敵だァ!」
全力で叫んだ。
澱みが消える。空気が、澄み渡る。気配が透き通る。
透明な小川が其処に在った。
底が見える。同時に、水面に反射した自分も見える。リアンは理解した。理解させられた。ああ、そういうことだったのか、と。
記憶の底にこびりついた、自分が知るはずのない記憶。
その一つが、
『自分らの犠牲は無駄にならんよ。綺麗なままで天は掴めん。汚れなあかん。知らなあかん。その上で……何を選ぶか、や』
血みどろの中、泣き叫ぶ少年を見つめる男。
『この哀れなカスども踏みしめて……どう成る? どう進む? どう立つ?』
その貌の、真意を知る。
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