第373話:フィンブルの亡霊

 何か問題が起きて、それを解決する過程で新たな発見をする。自分という問題に対して、様々な対策が練られ今まさにそれらが花開く。

「近接して息を吸うなよ」

「レーザーは出所でかわせィ!」

「高温放出後の、冷却時間に攻め立てよ!」

 ファウダーの戦闘員として登場し、一年は誰も手が付けられないほどに暴れた。近づくことすら叶わぬ無数の武器を内蔵した化け物。

 さぞ鉄壁に見えただろう。

 さぞ脅威に映っただろう。

 しかし今、対策が確立され、世界中の騎士団に周知されつつある中で、『亡霊』の脅威は薄れ、恐怖の対象ではなくなりつつある。

 怖れられぬことのないおばけに何の価値があるのだろうか。

「……っ」

「一発入れたら離脱。欲をかいてはならぬぞ!」

 騎士剣、魔導により生まれた最初の道具であり、武器である。イドゥンが率いた災厄の軍勢という大きな脅威がこの武器を生んだとも言える。皮肉にも、それが完成したのは大戦終結後、であったが。

 問題、対策を練り、解決へと至る。

 自分という問題はすでに解決しつつある。

 その結果、耐熱、防毒、対『亡霊』用に生み出された製品がブラッシュアップされ、市場に、様々な工場に安全性向上のため用いられ始めた。

 自分の力の多くは、魔導工場由来のものが多い。導体を作る上で欠かせない毒劇物。窒素、酸素、二酸化炭素も、アルゴンなどの希ガスも沢山用いられており、膜形成やエッヂング(レーザーによる回路形成)装置で大量に、持続的に使われている。さらに熱は除害装置の機能として、毒を無害化する工程で使われる。

 たくさん能力があるように見えるが――

(……私は、集合体ではない)

 その実、それは魔導エンジニアであった彼にとっての問題、それを内包した力であり、リアン・ウィズダム由来のものが大半であった。

 まあ一部、単体では説明がつかぬ力もあるし、そもそもこうして完全に死んだ人物が意思を持ち、生きていること自体が説明できないこと。

 仮説はある。ただ、今はもうどうでもいい。

(そう思いたかった。それしかもう、生きる意味がなかったから)

 だって、

(ようやく、終われる)

 長いようで短い、この旅路も終わりを告げるから。

(嗚呼)

 生前何も成し得なかった愚者が、他人の足を引っ張りまたいなくなる。それだけのこと。あれだけされた郷里を傷つけることすら出来ぬまま――


     ○


 リアン・ウィズダムはフィンブルの片田舎に生まれた。幼馴染にヤルナや後に彼女の夫となる者、活動の中核メンバーは幼馴染ばかりである。

 田舎に学校などなく、メガラニカの教会が運営する簡単な学び舎だけがあった。リアンや一部の仲間は其処に入り浸り、読み書きそろばんなどを覚えた。ヤルナらは野原で駆け回る方が好きだったらしい。

 リアンは読書が好きだったが、その村には読み物自体が少なく常に飢餓感と隣り合わせであった。何度同じ本を読んだか、あの頃読み明かした本の大半は今もそらんじることができるほど、何度も何度も読んだ。

 家は裕福とは言えず、都会に行きたい、学校に行きたい、そんなこと言えるような環境ではなかった。仲間全員、似たような家庭環境である。

 村の大半が其処で生きて、其処で死ぬ。

 そういう場所。

 ただ、リアンは幸運だった。教会で読み書きを教えてくれた人が話を通してくれて、他国であるがとある学校に編入させてくれる、そんな話が浮上したのだ。

 リアンは一も二もなく飛びついた。

 後ろ髪を引かれぬ思いがなかったかと言えば嘘になる。仲間を裏切るような気がしたし、当時はまだ初恋だって拗らせていた。すでに望み薄なのは何となく察していたが、それでも容易くぽい、と出来るほど安くはない。

 それでも彼は飛びつき、教会の推薦で高等教育を受ける環境を手に入れた。メガラニカ信徒の枠で、高い成績を維持しなければならないが基本は無償。タダで本が読み放題、此処は天国だとリアンは歓喜した。

 故郷のことなど忘れ、学問に没頭した。

 成績は黙っていてもどんどん伸びて、あっという間に学校のトップになった。物足りない、もっと、もっと、今度は学校の推薦枠で私立のとある学校への切符を掴んだ。今までの高等教育は、いわば世間一般から見た高等である。

 しかし、

「……っぅ」

 今度の学校は魔導系最大手、キャナダインが自社のために創った、最先端の魔導に特化した専門学校である。

 世界中から最先端の、これからの世界を背負って立つような人材が集う。

 学校のランクも新興ゆえ名門勢からの評価は低いが、それでもレムリア、アスガルドの下、現在では分野にもよるがほぼ同等まで駆け上がっている。

 巷で言う天才しかいない。此処ではリアンも単なる凡人であった。むしろ後発で、同い年から教わる側。苦労は多々あった。

 以前の、トップであった自負など刹那で消え去った。

 それでも彼は努力し、キャナダインのエンジニアとして世界中を飛び回る仕事人となった。どんな仕事も、どんな職場も、それぞれ色々な学びがあった。ひとところに留まらぬ仕事を厭う者は多いが、彼はむしろ楽しんで様々な環境に飛び込んだ。

 故郷のことなど忘れて、やりたいことをやりたいようにやる日々。

 仕事が生きがいで、仕事が趣味だった。

 何しろこの男、休日も導体関係の工場に見学しようとするのだから、もはや末期と言うしかない。そんな日々をこなすバイタリティもあった。

 幼き日に培った飢餓感、それが凡人である彼の武器だった。

 そんな彼が若くして、それなりの立場を、信頼を得た頃――

「……えっ?」

 故郷の、幼馴染の一人が死んだ、という報せが届いたのだ。自分と一緒によく教会で勉強していた、大事な仲間の一人。

 内心どう思っていたのかわからないが、自分を快く送り出してくれた親友の死。自分と同い年、まだ死ぬような年齢じゃない。

 リアンは久方ぶりに魔導に絡まぬ休暇を取り、故郷へ、フィンブルへ戻った。

 そして、

「……っ」

 思い出がかき消されるほどの惨状を目の当たりにする。フィンブルを離れ、魔導技術を欲する先進国ばかりを渡り歩いていたリアンにとっては想像を絶する環境。どの国も路線を増やしている段階で、むしろ路線の数は減り、道の整備も滞っている。故郷へ帰るだけで、何度足止めを食ったかわからない。

 それ以上に故郷が荒廃していた。

 度重なる増税、昔はそれなりに羽振りの良かった地主が、何とかまともに生活できる環境。当時貧しかった者たちなど――

「栄養失調で死んだ? この時代に? 冗談だろ?」

「……この村だけでも、もう何人も死んでいるよ。爺さん婆さんにまで飯を回す余裕がなくて、うちも……ゥウ」

「……」

 百年前ならわかる。五十年前でも何とかわかる。でも、現代で姥捨て山はおかしいだろう、とリアンは痩せ細った幼馴染の話を聞き、絶句した。

「リアン?」

「……ヤルナ、か?」

 ヤルナの家は自分たちの仲間内ではそれなりに裕福だったはず。それなのに丸顔にふっくらと愛嬌に溢れていた彼女はとても痩せていた。

 彼女や、彼女の夫、一緒になった家族からも近況を聞いた。

 どうしようもない、八方ふさがりの状況。

 光明などどこにもない。どこに声をあげるべきかもわからない。そもそも、教会で学んでいた物好き以外、大半は読み書きすら出来ないのだ。

 その教会も、すでにこの村からは撤退し、廃墟だけが残っていた。家族全員、リアンの就職を機にフィンブルを出ており、近況を得る術がなかった。

 いや、これは言い訳である。

 得る気がなかったのだ、興味がなかったのだ。自分はゆとりある人生を送っておきながら、高給取りでありながら、仲間は飢えて死ぬ。

 視野の狭さを恥じた。

 もう、取り返しがつかない。それでもリアンは、今更なのは承知の上でフィンブルのために、いや、此処で生きる仲間のために何ができるかを考えた。

 まず仕事を辞めた。

 知識はある。経験もある。それなりに実績も積んだ。

 無論、キャナダインから離れ、看板を失ったリアンに冷たくする者も少なくなかったが、それでもかつての学友や仕事仲間たち、何よりも――

『君が陣頭に立つなら、工場の誘致を考えてもいいと会長もおっしゃっている』

「ありがとう、ございますッ」

 不義理をした古巣、キャナダインからも協力も申し出があった。世界の導体を牛耳るキャナダインの工場など、地の利がある国以外なかなか誘致できるものではない。リアンもプレゼンをしたが、望み薄なのはわかっていた。

 それが通ったのは、其処に努力を惜しまぬ凡人、リアンがいたから。

 規模はそれほどではないだろう。でも、あるとないでは全然違う。この手札は大きな希望となり得るもの。

 リアンにとっても、フィンブルにとっても――

「テウクロイからも誘いがあるんですけどねえ」

「……い、いよっ、天才」

「考えましょ」

 同期の天才研究者も声をかけた。エンジニアの自分だけではどうしようもないことも、それ以外を補ってくれる人材がいてくれたら何とかなる。

 理想が固まり始めた。

 仲間たちも田舎から王都へ出て、協力者を募ってくれた。人の数がいればきっと、貴族にも、王族にも声は届く。

 声さえ届けば説得できる材料は用意できたのだ。

 大規模な案件ともなればアルテアンやその傘下、もしくはリヴィエールのような取りまとめ役がいる。それも話をまとめた。

 あと一歩、あと少し、そう、そんな時だった。

「リアン、学生さんだよ」

「お名前は?」

「く、クロスです」

 彼が自分たちの前に現れたのは――


     ○


 苦心して組み上げた理想は踏み躙られた。だけど、リアンはそれを恨むまい。ただただ、自分の考えが足りなかったのだ。やはり視野が狭かったのだ。

 無知ゆえに仲間を死へ追いやった。

 そのことの方が、自分への恨み、憎しみ、怒りの方が強い。

 世の中は正論だけで動いていない。そして、想像以上に暴力が支配している。どの陣営も、必ずバックには暴力が控えている。

 国家、私兵、アウトロー、そして秩序の騎士。

 それを安く見ていた。暴力の価値を低く見積もっていた。工場誘致、魔導界隈で今何が不足しており、何が問題で、それを埋められたなら魔導産業で役割を得る。そればかり見ていた。既得権益に踏み込む話、ジリ貧国家だからこそ国家の産業バランスを崩しかねない話に、長年かけて王侯貴族が固めた既得権益を打ち壊す話に、乗るわけがなかった。それを知ったのは、皮肉にもファウダーの活動のおかげ。

 様々な秩序の裏側を知った。

 その秩序を破壊し、新たな秩序を築かんとする者たちも知った。

 何しろ自分たちは新秩序の走狗でしかなかったから。

 何が混沌か、笑わせる。

 世の中は思っていたよりもずっと雁字搦めで、不自由で、度し難い。

 そんな世界で、力なき者の理想など何処にも届かない。

 誰にも響かない。

 だから――

(もう、いいんですよ)

 リアンは問題そのものを抱けなくなった今この時に、執着を持つことが出来なくなっていた。理想に意味はない。底辺の声、怒りなど届かない。

 だって社会はそういう構造になっていないから。

 ゲームの指し手はいつだって、上に立つ者たち。彼らが差配したものを、その結果を、下々は享受する以外の選択肢を持たない。

 魔族化の技術だって下々に配ると言うが、そもそも手術が必要な時点で、その数を、質を、調整する権利を新秩序の上流が握っている。

 ウトガルド、騎士がいなくなった世界で、新秩序は兵力の全てを握ることになる。力を騎士から奪い、分けているようで、むしろ彼らが支配している。

 裏から、見えぬ糸で操られた人々。

 それが現実、糸で吊られた操り人形の言葉など、繰り手は気にしない。

「あといくつ、命は残っておる?」

「……さあ?」

 何度も斬られた。元々、終わりが近い気もしていた。そろそろ終わる。あの一撃で幕引きかもしれない。それならそれでいい。

 騎士が迫る。

 ミズガルズにおける暴力の象徴が来る。

 あの時の繰り返し。今度こそ終わる。

 それで――


「あといくつ、命を残している?」


 終わることができる、そう思っていた。

「……なぜ?」

 老騎士がすり抜けざまに断ち切られ「ぬゥ!?」とこぼし地面に倒れ伏す。『亡霊』と騎士、その間に割って入ったのは――

「質問に答えろ」

 やはり騎士。

 しかも、あの時、自分たちを切り捨てた騎士の一人である。

「……さあ、わかりません」

「……人を馬鹿にしやがって」

 何の因果か、かつて自分たちを切り裂き、理想を踏み躙った騎士が自分たちの側に立つ。馬鹿にしやがって、と言うが――

(……状況が、飲み込めないのですが)

 此処に彼がいること自体、どう考えても愚行、馬鹿の所業としか思えない。なので、『亡霊』は何を想うよりも先に、呆気に取られていた。

 此処にきて問題が増えたのだ。

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