第372話:クルスじゃない

 時は少し遡り――

「……っ」

 リアンと気を失うジエィを抱えて走るクルスの表情が突然歪む。リアンには何も聞こえないし、何を感じることもないが騎士がそういう表情をしているのだ。

 ならば、

「何かありましたか?」

 何かあったのだ。

 おそらくは敵が近づいてきたのだろう。先ほどの罠で大きく時間をロスしたわけでも、クルスの足が遅いわけでもないが、細かく積み重なった要因が彼我の差を削った。それにしてもかなり早い、早過ぎる気もするが――

「……」

「敵が追ってきているのですね」

「……速過ぎる。人の足じゃ、ない」

「なるほど。人造魔族、方向性は異なれどログレスもまた魔族を兵器として運用する術を身に着け、磨いていた、と。嗚呼、秩序の恐ろしさよ、ですねえ」

「……随分と余裕だな」

「充分戦いました。充分殺しました。ようやく順番が回ってきただけ、しかも相手は大国の秩序を守る騎士たち。亡霊の末路としてこの上ないでしょう?」

 秩序に殺され、秩序を恨みこの世に残された怨念、その集合体が『亡霊』である。少なくとも彼は自分をそう定義した。

 ファウダーの台頭後、大戦後、魔導革命以降では最も多くの騎士を殺した存在であろう。秩序の騎士も少なくないが、それ以上に様々な国の騎士を殺し続けた。対策を確立された今でこそ、かなり無傷での撃退も増えてきたが、その対策は無数の躯の上に成り立っている。秩序にとって彼は間違いなく取り除くべき悪である。

 ただ、それはあくまで秩序側の道理でしかない。

 そもそも、穏当にやろうとした彼らを殺したのは小国の秩序であり、その秩序を守ろうとした秩序の騎士、その片棒をクルスも担いでいる。

 他国からすれば八つ当たりだろう。

 ふざけるな、情状酌量の余地などない。尤もである。

 だけど、

「……」

「……クルス・リンザール。私は君の敵です」

「……知っている」

「ならば、選択肢など一つしかないでしょう? 此処に捨て置けば、私は私の存在理由と共に死力を尽くし戦う。敵の足止めになり、君は敵を一つ減らすことができる。一石二鳥、一挙両得、やらない理由がない」

 クルス・リンザールは他国の、無関係の騎士ではない。亡霊を、怨念を生む理由となった騎士である。あの日の感触が消えたことはない。

 ずっと、残っている。

 騎士に成ってわかった。あの日の仕事は騎士の中でも最悪に近いものであったと。あのクソカスゴミ上司は、わざわざクソみたいな仕事をピックアップして、クルスに体験させていたのだと、今ならわかる。

 本当にクソで、カスで、最高のメンターであったのだと。

 誰よりも早く、正しく、現実を教えてくれたのだ。上っ面ではなく本質を、秩序の騎士とは秩序の犬であり、彼らが望めばワンと鳴く、その程度の存在だと。

「……逃走にはグレイブスの協力がいる。仲間を放置してきたと知られたら、非協力的になる可能性がある。そのために、全員生かすのが最善だ」

「あの子は馬鹿ではない。仕方がないことなら飲み込みますよ」

「……俺は、嫌われている」

「仲間の敵であったから、あの敵意にそれ以上の理由はない。もう、さほど残っていませんよ。言い訳に彼を使うのはやめなさい」

「……っ」

 一時的な共闘、偶然、たまたま、手を結ぶことになっただけ。本来、道が重なることなどなかった。自分のやるべきことはラックスを守ること。守り、戦力と合流してティルたちと王都で勝負を仕掛ける、その道はとうに途絶えた。

 情けないがディンたちが上手くやっていると信じ、勝負の舞台が整っていると信じて、王都へ帰還させる。それしか手がなくなっただけ。

 上手くやれない。何処までも、あの蛇のように立ち回れない。

 度し難い。この期に及んで自分は――

「秩序の敵として戦い、その果てで消える。本望です」

 決断すら、相手に委ねてしまった。

 クルスの拘束を力ずくで解き、そのまますぐに魔族化するリアン。クルスが引き戻そうにも、魔族化した身体から発せられる高温で近づけない。

「私は『亡霊』、元々存在しないんですよ」

「……くそ」

 情けない。恥ずかしい。あの蛇なら笑顔で放り投げている。邪魔や、贅肉や、お得でええ、たぶん肉親でもそれをやる。

 それが出来るから、あの男は強い。

 それが出来ないから、自分は弱い。

 クルスは秩序の側に立ち、自分が作り出した亡霊に背を向けて走り出す。蛇と共に培った『冷徹』の仮面など其処にはない。

 ああはなれない。それのみが残った。

「くそったれがァ!」

 騎士としての弱さだけが――


     ○


 時は戻り――

「あああ、あああああ、うあああ、リアン、リアン!」

 泣きじゃくりながら、それでも前に、全員を前に進めんと力を使うグレイブス。どちらが騎士なのか、この小さな背中を見ているとわからなくなる。

 情けない。あまりにも――

「ああ、うう、ああ」

 二度、三度、もう限界なのだろう。

 それでも飛ばそうとする。必死に、歯を食いしばりながら。リアンの決断を無駄にしないために、そのために必死に戦っている。

 泣くほど嫌なのに。

「グレイブスくん、もう大丈夫です。私が走りますから」

「うーうー!」

 グレイブスは首を横に振る。

 自分がやるんだ、と言う強い意思を見せる。

「小坊主、よくやった。充分だ」

「うう!」

 いやいやするグレイブスに、

「だが、此処は勝負どころではない。奴の創った時間、それを無駄にしないためにも今は頼れ。頼り、休め。その時が来たら戦え」

 ジエィは穏やかに、よくよく伝わるよう語り掛ける。

「貴様は良い騎士に成る。俺のような成らず者と違って」

「……ぅぅ」

「充分だ」

 ジエィはそう言ってグレイブスの頭を撫でた後、

「貴様は充分休んだなァ、秩序の騎士。小坊主の回復まで長距離を走る必要がある。俺の回復は間に合わん。荷物を二つ、持てるほど余裕のある行程にならんだろう。行楽ではなく、戦争だ。なら、騎士として決断しろ」

 クルスへ睨むような視線を向ける。

「俺を捨て置けば貴様は敵を失い、幾ばくかの時間も稼げる。長く、速く走ることは出来ずとも、この場で死ぬまで暴れ散らかすぐらいはする。元より、死力を尽くし戦うためにこの身を、混沌を立つ場所と決めたのだ。本望だァ」

 さっさと決めろ、さっさと立ち上がり走れ。

 それが騎士だろうが、と。

 本望、その言葉が胸に突き立つ。騎士剣が、その役割を果たせと。

 騎士、確かに騎士とはそういうものだった。

 子どもの頃、漠然と抱いていたキラキラしたものとは程遠い、現実に即したジョブ。ミズガルズの社会を構築する上で、必要な役割。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 自分がクソだと思っていたクソ農家と同じ、クソにまみれた職業。必死になって手を伸ばして、ようやく辿り着いて、そして知る。

 クソクソクソクソクソクソクソクソクソ。

「いい加減にしろ! 貴様は騎士なのだろうがァ!」

 やりたくないことなど幾度も飲み込んできた。それに耐え切れずに辞めたから自分は成らず者、それでも彼は知る。

 今なお耐え忍び、前線で戦い続ける本物の騎士たちを。

 理想と現実の狭間で、苦しみ続ける道こそが――


「……違う」


 クルス・リンザールはぽつりとつぶやいた。

「俺は今、違う。そうじゃ、ない」

 クソみたいな屁理屈。ゴミみたいな発想。あの蛇が聞けば呆れて考え直すまで何度地面に叩きつけられるかわからない。

 だけど、屁理屈も理屈。

「……?」

 クルスの雰囲気、その変化にジエィは疑問符を浮かべる。先ほどまでもグダグダした表情ではなくなった。ただ、晴れやかであるが、何処か投げやりにも見える。

 どういう変化なのか何も見て取れない。

「陛下、出立前に大見得を切ったこと、撤回してもよろしいでしょうか?」

 クルスはラックスに頭を下げる。

「王の前に連れて行ってくださる、ことですね」

「はい。俺は必ずや、と言いましたが……どうやら今の俺に大局を見る眼などなかったようです。ここまでずっと、後手に回ってばかりで」

「そんなことはありません。あなたがいなければ私は王宮で死んでいたのですから。だから……充分です」

「申し訳ございません」

 大見得を切り、こんな早々で発言を翻す。

 なんと恥ずかしく、情けない存在であろうか。

「どういうつもりだ、マスター・リンザール」

 ジエィの刺すような眼が突き立つ。

 でも、

「忘れていたが俺は今、マスター・リンザールじゃない」

「何を?」

 仕方がない。そういう設定であるから。

「グレイブス」

「……ぅ?」

「陛下を頼めるか? 俺はどうやら、あの男に一言言わんと気が済まないらしい。一緒には行けない。情けない話だが」

 グレイブスの眼が大きく見開かれた。

 意図が、伝わる。

 ぐしゃぐしゃと彼は涙をぬぐい。

「うっ」

 サムズアップする。

「ありがとう。ディン・クレンツェ、フレン・スタディオン、このどちらかを頼れ。ワケを理解すれば必ず力になってくれる」

 感謝と共に頭を撫でてクルスは二人に背を向ける。

 だが、

「おい、小僧」

 ジエィ・ジンネマンが騎士剣を抜き、クルスの首に突き付けた。瞬く間の手つき、満身創痍に見えるが大暴れできると言った口は本当であったらしい。

 これで一つ、保険が出来た。

「それが騎士としての判断か? ああ⁉」

「ごちゃごちゃうるせーよ、騎士がどうとか言える立場かジジイ」

「……」

 ぐうの音も出ず、ジエィは押し黙る。

「理由が欲しいならくれてやる。俺が並走するより、陛下がグレイブスを背負って走った方が速い。ログレスの現役学生、しかも四学年だ。体力だけなら現役の騎士よりもあるだろう。俺や走れん老いぼれなんぞお荷物でしかないんだよ」

「そりゃまあ、そうだが」

「俺は因縁のあるあの男に用がある。ごっちゃになっていたが、冷静になったらテメエは此処で死ね。特に何も感じねーわ」

「……それもそう」

 開き直ったクルス・リンザール。それがジエィを圧倒する。

「三枚で足を止める。今なら敵もそんなこと想像もしない。相手は学生、しかも劣等生だと認識しているから……必ず三人の内一人、いや、俺かジンネマンのどちらかが付いていると判断するはず。それを逆手に取る」

「長くは誤認してくれんぞ」

「死ぬ気でやれ。俺も、そうする」

「……ふはっ」

 何も言っても通じない、この感じをジエィは知っていた。そう、そうなのだ。騎士と言う現実の中で、それでもジタバタと見苦しく足掻く者がいた。

 飲み込めずに、理想を模索し続け、妥協がわからぬ者がいた。

「クロス!」

 よろよろと立ち上がったグレイブス、その呼びかけを聞き、

「……ああ。任せろ。やるだけ、やってみるさ」

 クルスは恥ずかしがりながらサムズアップした。

 グレイブスは残りかす全部集めて、

「うあああああ!」

 クルスを出来るだけ遠くに、あちら側へ飛ばした。一人、自分だけを飛ばす要領で、飛距離を捻り出す。

 クソみたいな作戦である。

 騎士が監修したとは思えぬ、穴だらけのもの。

 だけど、不思議と悪い気はしない。

「マスター・ジンネマン?」

「いや、俺はただのジンネマンだった。どうにも、最近騎士っぽいことをしていたせいで、くく、自分がそうではなくなっていたことを忘れていたようだ」

「……」

「体力は残っておるか?」

「存分に」

「結構。では、存分に駆け抜けよ。後ろは俺たちが引き受けた」

「……ご武運を」

 ラックスは力を使い果たし、へにょっとなったグレイブスを担ぐ。

「……じえー」

「小坊主。あの娘を救出したら、剣でも教えてやろう。なかなか見込みがある」

「……ぅ」

「貴様の勝負所、見誤るなよ。男ならばなァ」

 ジエィ・ジンネマンはその場に座り込み、静かに目を瞑る。近づくな、立ち入るな、来る戦いに備えて瞑想し、自らを研ぎ澄ませ始めたのだろう。

 それは暗に、さっさと行け、とも受け取れた。

「行きましょう」

「ぅ」

 走り去っていく若者たち。明日を生きる者たち。少しばかり一緒にい過ぎた、同じ空気を吸い、揺らいでいたのは自分であったのかもしれない。

 つい、忘れてしまう。

「……ふゥゥゥ」

 自分はただ一振りの剣にその身を捧げた修羅であるのだと。

 魔族よりもよほど、害悪な戦闘狂。

 鍛えた武、叩き、磨き上げた己が剣。それを振るう場所を探していた。失われるのを恐れて、縋りついた愚かな自分にとって、残った唯一のそれ。

 成らず者、全てを捨ててその道を選んだ。

 馬鹿である。

 嗚呼、馬鹿と言えば――

(カノッサやそちらの系譜だと思っていたのだがなァ……まさかあちらの系譜とは。くく、人は見た目ではわからぬものだ)

 そういう騎士が昔はたくさんいた。

 今も、少しばかり残る。

 それを想い、ジエィは小さく微笑んだ。

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