第371話:騎士なのだから

 ディン・クレンツェは状況の膠着、それによる弊害に頭を悩ませていた。王権を手放さぬために王宮に居座り、王の代理人として無理やり機能する。本来、許されるはずのない構図であるが、王の暗殺を先王派に結びつけ、そちらには渡せぬ、としているからこそ何とかその構図を継続出来ているだけ。

 あくまで暫定的な処置であり、多くの諸侯にとってはさっさとどちらかを決めろ、そうしないと国家の運営に支障をきたす、そう思っていることだろう。

 実際、支障をきたしつつあるのだ。

「……スタディオンが近くまで来てくれているのに」

 スタディオン家の蜂起で風向きは変わった。少なくない数の家が『列車事故』の真実などを聞き、彼らの支持に回ってくれた。

 つまり、今の王であるラックスを推す向きが出来たのだ。

 しかし今、彼女は王宮にいない。

 生存すら確認されていない。

 その上、

「手が回っていませんね」

「……はい。こんな時に限って、予報すら外した魔族の出現が多数報告されていて、其処までやるのか、と言う気分です」

 バレットが口にしたように、各地で魔族が現れパニックが起きているのだ。通常の予期しているダンジョンに優先的に騎士を回しているが、それ以外の突発型、その予報すら外した魔族の出現により、明らかに騎士の手が足りていない。

 状況はひっ迫している。王権がどちらにあるか、どちらが正当であるか、それを論議するような状況ではなくなりつつある。

 時計の針を無理やり回す。

 自国の民を傷つけてでも、王権を奪取する。

 政争の域を超えた手である。それによって変わった風向きが再び揺らぎ始めたが、同時に先王にとっても決していい状況ではない。

 『暗部』の仕掛けの中に魔道研究による人造魔族が存在する。彼らがそれを撒いているのではないか、急がせているのではないか、そういう噂も出ているのだ。

 これ以上やっても、どちらも得をしない。

 むしろ損をする。

「マスター・クレンツェはこれをやり過ぎだと思うのですか?」

「それは、まあ」

「なら、さらに一歩踏み込むべきでは?」

「え?」

「もう一つ、勢力がいる。どちらも損をさせたい勢力が……私ならそう邪推しますがね。そのための備えも、一応考えておきますよ。私なら」

「……もう、一つ」

 ディンはこれまで盤面には二つの勢力しかいないと思っていた。自分が所属する新王派とウルティゲルヌスが主となる先王派、この二つだけだと。

 だが、もう一つ場を荒らす存在がいるとすれば――

「混沌を作る者たち、秩序の、敵」

「……」

 バレットは小さく微笑む。

「ファウダー」

「真偽はわかりませんがね。さらにもう一歩、彼らが何故確立し、存続しているのか。彼らが暴れて得をしているのは何処の勢力か。其処まで考えられたなら、君は秩序の騎士として、皆を束ねる者の一人になれますよ」

「……さらに、一歩。二つ、進む」

「ええ。考えてみることです。まだ時間はあります。どう転んでも、こちらへ女王が戻ってこなければ勝負にならない。ベストはスタディオンと合流し、盛大なカムバックを果たすこと。其処はマスター・リンザールの手腕に託しましょう」

「……イエス・マスター」

 ディン・クレンツェは極めて優秀な騎士である。感覚一本で在野から成り上がったフォルテが見初めた、黄金世代の四人と比較しても決して見劣りしない総合力を持つ騎士。特にバランス感覚が優れている。

 騎士として完全無欠の強さを持つ四人であるが、人間として欠けた部分がどうしても存在する。その分、彼の方が勝る点は少なくない。

 台頭するだろうし、是非とも力を付けてほしい人材である。

(どうにもマスター・ウーゼルの動きが鈍い。鈍過ぎる。このままではアルテアンの一人勝ちになり、こちらとしても面倒。旧秩序には是非、新秩序と渡り合っていただきたい。君はその旗手となり得る人材です)

 大局が少しばかり傾き過ぎている。このままでは隠れた三極目として機を窺う間もなく、旧秩序と言う極が倒れ、新秩序が勝ち切ってしまう。

 それでは意味がない。

 二極が争い、どちらも疲弊した上で自分たちが刺す。

 バレットが指し示した道、その先に彼は敵を見出すだろう。秩序の騎士が、今の秩序が戦うべき本当の敵を。

 その先に、さらに一つあるとも知らずに――


     ○


 ファウダー『鴉』、アルテアンに属するヴェルスは各地に不和の種をまいていた。ファウダーとしては悪手もいいところ。全てが表に出た時、全ての罪科が彼らに擦り付けられることとなる。すでにトカゲの尻尾を斬る準備は始まっていたのだ。

 彼は不愉快な表情で首を触る。

 其処には何もない。何もないが、確かにあるのだ。隠居老人を気取りながら世界を手中に収めんとする大旦那に刻まれた首輪が。

 魔法が刻まれているわけでもない。

 爆弾が埋め込まれているわけでもない。

 それでも、それらよりもよほど強く、この首輪は自分を縛る。

「仕事は果たしました」

 捨て駒たちに施した魔族化手術。彼らはファウダーの活動の一環としてログレスの中で、人造魔族の振りをして暴れている。

 いずれ鎮圧され、彼らはこぼすだろう。

 自分たちはファウダーである、と。

「今は」

 ヴェルスは仕事をきちんと果たした。だが、仕事内容に抵触しない部分は手を付けず、院政を敷く怪物へのカウンターとして残した。

 少し前にログレス入りした連中と、

「ようやく仕事に一区切りをつけて訪れてみれば、列車は国境手前で止まるは、ダンジョンが発生しているのに騎士が間に合っていないは、よくわからん魔族が暴れているは……お土産の算段をしていた頃が懐かしい」

 たった今目の前で、自分が蒔いた不和の種を全て刈り取った若き騎士。そういうイレギュラーには触れない。放置する。

 怪物、魔女が御所望するは二枚抜き。

 騎士の国、伝統と格式の大国が倒れることを望んでいる。しかし、同時に矢面に立つ気はない。率先して場に介入する気はない。

 舞台に立たぬから無敵であるが、同時に出来ることも限られる。

 魔女の強みと弱み、それがこのログレスで交差しつつあった。


     ○


 ラックス・アウレリアヌス、彼女の成績は最下位である。一学年、二学年の時から今ほど露骨ではないが、成績の良い学生ではなかった。座学は悪くない。むしろ、いい方である。ただ、アスガルドと同じくログレスもまた実技重視の成績であり、その部分で評価を落とすと成績を下位につけるしかない。

 ならば、彼女が在学しているのは忖度によるものか。

 それは否である。

 偉大なる王、騎士の王ウルティゲルヌスが創設した学び舎は治外法権であり、最初に王があらゆる権利が及ばぬ構造を創り上げていた。

 国家の柱を育成する最重要施設であり、現場判断は王権より勝る。

 だから、ウルティゲルヌスであっても特別扱いなど許されないし、彼ほどの尊敬を集めず、求心力もない彼女の父が何を言っても学び舎の決定は覆らない。

 ゆえに忖度なく、本来成績的には退学となってもおかしくない彼女が学び舎に残された。周りから不公平に映ることを承知の上で。

 その理由は――


「うう、あああああああアアアアア!」


 圧倒的な身体能力、それによる伸びしろである。闘争心が周りより薄く、勝利を譲ってしまうところがあった。どうしても一歩踏み出せず、型稽古は上手いのに結果に結びつかず、その繰り返しによって彼女は自分を劣等生と認識してしまう。

 その自縄自縛により、彼女の勝てない日々は続く。

 戦いに勝てぬようでは成績は上がらない。だけど、元々優秀な騎士であり、育成の手腕を買われて教師となった彼らには才能が嫌でも見えてしまう。

 今、魔族の足を追い抜いた脚力。

 今、獣級とは言え圧し勝った腕力。

 今、獣級の魔族を巨木に叩きつけ――

「ぐゥ……ガァァァアアアアアッ!」

 魔族を圧死させながら、幹を砕き、洞を押し広げ、巨木の中にねじ込む、隔世遺伝し色濃く受け継がれたソル族のパワー。

 だから、不公平でも退学させず、残し続けていた。

 育成機関として建前は全ての学生に平等であろう。しかし、現実は建前、理想とは違う。才能はある。才能を磨くことこそ、育成機関の使命と教師たちは思っている。何故なら騎士は、万人が成る必要のない仕事であると思っているから。

 騎士とは超人であり、普通の人々を守るための存在であるから。

 だから――

「守ります!」

 死と共に爆ぜた魔族。殺されること前提の命をねじ伏せて、普通の人間じゃどれだけ急いでも間に合わないバックステップで、

「私に、出来ることを!」

 爆風をも置き去りとする。

 騎士を目指す志高き学生たち。その情熱に、ただ格好いい騎士に憧れるだけの少女は圧倒された。自分は騎士に相応しくない、そう思った。

 その心が天才を劣等生にまで堕としていた。

 最優の学び舎、其処に集う者たちがその躊躇いを、一歩気後れして手を抜いてしまう天才を咎められないわけがない。

 彼らもまた超人を期待された精鋭なのだ。

 その環境がさらに、彼女を飲み込んだ。その上で、自分より成績が上の親友が退学となり、自分が残った時にかけられた言葉が彼女を完全に殺した。

 だけど今、自らが課したその枷を彼女は忘れていた。

「戦え! 戦え! 戦え!」

 騎士への憧れ、尊敬、生まれた時から素晴らしい騎士に囲まれてきた。親戚の多くは騎士の家で、歴戦の老騎士たちの武勇伝を聞き育った。

 騎士と言う存在を軽んじたことはない。

 自分は騎士に成るべきではない。そう思いながら、それでも偉大な騎士たちが築き上げた学び舎に属する以上、努力を捨てたことは一度もない。

 必要な修練は積んでいる。

 ログレスの、最高峰の必要である。

「う、あー」

 グレイブスは眼を見開く。自分が守らねば、そう思っていた存在が今、騎士として立ち上がり、その才能を如何なく発揮しているのだ。

 彼女は気づいていないが、その景色は彼女が憧れてきた騎士そのもので、それを見てグレイブスは思う。言葉に出来ないけれど――

「ゥ、ラァ!」

 豪快に相手を斬り捨て、爆発物が仕込まれている頭部を地面に叩きつける。人外の腕力で地中にぶち込まれたそれは、大地の圧力にて穴が塞がり、地中で爆発するも煙は地上にまで出てこない。

 超人の中でも上澄み。こういう才能が何処よりも身近であるから、凡人には辛い話であるがログレスはどの学び舎よりもレベルが高かったのだ。

 ソル族の多くが人々を守るため、激戦区に集まった。その激戦区に生まれたのがログレスという国であり、最初から人材が存在している。

 さらに寒冷で、厳しい環境がその才を磨き上げる。

 何処よりも厳しい修練を課し、さらに飛躍する。

 それが、

「あと、一匹ィ!」

 ログレスが育む騎士である。

 此処まで彼女は現役の騎士でも厳しい、殺されてなお戦術目的を果たそうとする兵器相手に信じ難いほど上手く立ち回っていた。出来過ぎている、彼女自身がそう思う。それでもあと一匹、あと一つだけ、どうか決めさせてほしい。

 その想いが、

「しまっ――」

 揺らぎとなる。

 無双の騎士、生物として格上の存在が同胞を蹂躙していく。彼らは人造魔族であり、多少魔障の影響を受けて人類に敵意を抱くが、ウトガルドの魔族と比べるとその意志は極めて低い。指示は与えられるが、それは猟犬に近いもの。

 本能に根差したものではない。

 その結果、最後の最後で魔族は臆し、普段のラックスと同じように踏み込みが緩んでしまった。浅く踏み込まれ、迎撃の一撃もまた浅くなる。

 首が、繋がったまま。

(これじゃ、地面に叩きつけても、足りない)

 才能はある。努力も積んだ。されど、騎士として重要な経験値は圧倒的に足りていない。此処まで上手くいったのが幸運であった。

 最後の最後、勝負弱さが顔を覗かせる。

 騎士として、武人としての冷静な判断が足りぬと認める。それでも、一縷の望みを持って地面に、全力で叩きつけた。

 火事場の馬鹿力でも何でもいい。

 ねじ込め、と。

 だけど、それはもうとっくに出している。むしろ、最後の最後で自覚してしまい、力を出し切れなかった。魔族は地面に埋まることなく、今まさに爆発しようとしていた。爆発を回避することはできる。

 しかし、爆発した後生まれる狼煙は止められない。

(私は、どうしていつも――)

 嘆き悲しむ暇などなく――

 それは、

「う」

 爆発した。

「……あっ」

 彼女たちのいる場所から遥かに離れた、見当違いの場所で。

「あ、あはは、さすがですね」

「うっうー」

 ファウダー『墓守』グレイブス。彼女に守られながら、体を休ませて力を捻出したのだ。元々の劣悪な環境に耐えた肉体と魔族の再生力、二つが重なり頑強で頑丈な肉体を彼は持つ。それに背中で沢山休んだのだ。

 これぐらいやらねば男ではない。

「マスター・リンザールたちが迷わぬことを祈りましょう」

「う~」

「いえ、見事でしたよ。御手柄です」

 狼煙のせいでクルスたちの合流が難しくなるかもしれない。ただ、彼らはそろそろ合流してもおかしくなく、こちらの足取りを追っているだろうからそれほど大きく迷わぬはず。そうなると敵も迷ってくれるかはわからないが、様子見でいくばくかの戦力を割くことは十分考えられるだろう。

 ならば、やはり見事な機転であった、と言える。

「うっ、うっ!」

 褒められて喜ぶグレイブスは、さらに笑みを深めた。後ろを指さす様を見て、ラックスもまた笑みを浮かべた。

 人の気配が近づいてきているのだ。

 さすが現役騎士の足、もう追いついてきた。

 二人は顔を見合わせ、ニコリと微笑む。

 やはりクルスやジエィ、リアンたちがいるのは心強い。彼らの強さ、経験、積み上げてきた人生の厚み、どうしても頼りにしてしまう。

 それが弱さだと自覚はしているのだが――

「うー!」

「その声は、グレイブスか?」

 近づいてくる足音から、クルスの声がした。

 二人はさらに喜ぶ。

 だけど、

「……俺を捨てずに抱えてきたのは悪手だったが、期せずそれが最善となった。運がよかったなァ、クルス・リンザール」

「……っ」

 現れたのは二人だけ。クルスとジエィ、それだけであった。

「あとは俺をここに捨て置き、二枚目のしんがりとすればより先ほどの狼煙の信ぴょう性が増す。頃合いだぞ、秩序の騎士よ」

「……」

「正しい判断をしろ。貴様は騎士なのだろう?」

 クルスの表情は今まで見たことがないほどに、ぐちゃぐちゃになっていた。頼りになる騎士、支えとして揺らがぬ存在。

 あの『冷徹』と呼ばれた男が、

「……う?」

 砕け散りそうなほどに、澱む。

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