第370話:走れ
「……エンチャントの術式が悪さをしているみたいだねぇ」
「……そのようだなァ」
怪物、かつて自分が討ち滅ぼしてきたものと同じ体を得た。幾度も、幾度も考えた。重ねて重ねて、それでも迷いがぬぐえなかったのは事実。
何度も過ぎるは戦友の立ち姿。
今なお第一線で剣を握る、本物の騎士たち。理想と現実の狭間に苦しみながら、擦り切れながら、それでも立ち続けることは容易ではない。
自分も早々に後任が出来たとは言え、まだしばらく現役を務められただろう。そうしなかったのは、自身の衰え以上に騎士という存在そのものに執着が持てなくなったから。結局、誰かのために剣を握ると言うことは、誰かに剣を向けると言うこと。平和が確立されるにつれ、どんどんと雲行きが怪しくなる人同士の空気。
澱み、歪み、それと同じように騎士もまた正義の味方ではなくなった。
最終的に手術を、混沌への加入を決めた理由の一つに、この組織がアルテアンなどの紐付きであったこと。
対外的に混沌であっても、その実新たな秩序の尖兵に過ぎない。
その滑稽さが、利己的な己に似合うと思った。
いずれ滅ぶ、それが戦友たち旧き秩序によるものか、それとも新たな秩序によるものか、それはわからない。
どうでもいい。
終わりがある。いずれ用済みとして泡沫に消える。
だから、選び取った。
「でも、最強の矛だ」
「俺はそう思わん」
自分を創った者は、魔族と魔法が融合した怪物を最強と評した。確かに目の前の光景は、その言葉に相応しいものかもしれない。
だが、それは男の求める力ではなかった。
男が騎士として、必要であったから得た力の発展形。武人として磨き上げたものではない。やはり自分が魔族に求めたのは若さであり、やり直しの機会。
秩序を信仰し切れなかった自分が、秩序を捨てて只武にのみ注力した。
その結果が見てみたかった。
ただ、それだけ――
○
「リンザール、サキニ、イケェ」
「……」
「キシ、ナノ、ダロウガ」
分断のための策であろうと、選ばねばならない時がある。少なくともジエィ・ジンネマンの様子は魔族化に、魔道に慣れた二人とはまるで異なって見えた。
今まで鞘に収まっていた何かが、飛び出してきそうな気配がする。
それは――
「う、うう」
「大丈夫です、グレイブスくん。私、力にも少し自信があります!」
ラックスは魔族化して、魔除けで焼かれ苦しむグレイブスを担いだ。これで陣地の範囲から出てしまえば機動力を確保することができる。
「陛下は離脱を。俺は解除を模索してみます」
「クロス、クン!」
リアンの咎めるような声が届く。そうすべきではない。自分たちを捨て置くのが最善なのだと。グレイブスを動かせるのなら、そうすべきだと。
「全て相手に踊らされてたまるかよ」
分断への覚悟をしつつ、それでも足掻く。この二人を失うのはあまりにも痛い。特にジエィはまだまだ使いどころがある。
こんなところで捨て駒として使い、相手が乗って戦ってくれたならまだマシ。相手が戦闘を選ばずに、動けぬ彼らを無視して追われたら丸損である。
「先に行きます!」
「すぐ追いかけます」
「はい!」
ラックスと苦しむグレイブスを逃がし、クルスは陣地形成の知識を引っ張り出す。仕事でも使う知識、むしろ彼は専門家よりである。
だが、
「……っ」
逆にそれが足枷となる。機器の設置場所などのセオリーがことごとく外されていたのだ。騎士の常識を逆手に取った形。
騎士を嘲笑っているような、そんな気分となる。
「……アホウ、ガ」
「……」
焦るクルス。いつもの、『冷徹』と呼ばれた判断の早さは其処にない。蛇譲りのそれを使うことを渋っているようであった。
ジエィは澱む視界の中、ちらりとリアンを見る。
思えばずっと、ファウダーと合流してからクルス・リンザールの思考からキレが落ちているような気がする。蛇譲りの、時に残酷なまでの判断力、思考力。
何かあるのだろう、この二人の間には。
だからこそリアンもまた――
「……」
焦るクルスを見て顔を歪めているのだろうから。
「……くそ」
陣地を形作っている以上、必ず何らかの仕掛けがあるはずなのだ。かつてはエンチャント、つまり魔法を大地に刻むのが陣地であり、今は魔導技術が主。
そう、
「クロス、クン!」
「黙れ、まだ時間はある!」
「シラベタ、イチ、ヲ、ワタ、シ、ニ!」
「……っ」
此処に元専門家がいる。そしてその情報だけは、『亡霊』を知る相手にも知られていない。ファウダーの『亡霊』は集合体であり、その主人格のリアンはただの代理。小国出身の、名も無き亡者の一人でしかないから。
クルスは座標を騎士のセオリーと照らし合わせ、調べて外した場所を指さして伝える。そのポイントをリアンは焼ける身の、痛みに歯を食いしばりながら思考を張り巡らせる。魔導の心臓、導体とはすなわち0と1、オンオフの指示を無数に行い、様々な事象を命令しているに過ぎない。
陣地を構成する導体の形、それもまた大きく見れば巨大な導体の回路である。
セオリーから外し、相手を翻弄する、嘲笑うような配置でも、機能を果たすための形になっている必要がある。
元キャナダイン本社研究員、リアン・ウィズダム。若手のホープとして様々な企業に出向し、様々な技術に触れてきた。
最先端の環境にどっぷりつかってきた。
所詮、魔道研究者の、畑違いの研究者が考えたもの。
ならば――
「ウエ、デス!」
彼の知識より上はない。原理的に、クルスが調べた範囲に仕掛けがないわけがない。それはありえない。ならば、仕掛けを地面に敷いていない。
それしかない。
「……俺としたことが。こんな程度の発想すら」
開けた場所を囲うように伸びる木々、その上を細く、薄い線が走っていた。天地が反転した仕掛け、それにようやく気付いたのだ。
「ソコカァ」
ほぼ怪物と化したジエィが軽く腕を振るった。魔族と魔法に浸食された半身が鈍く輝き、無数の斬撃が木々を、その上に張り巡らされ、陣を形成する糸を切り刻む。信じ難い破壊範囲と、威力であった。
それと同時に、
「グガァ」
魔障の増大に、陣地の残り香が反応し彼を焼く。
倒れ伏すジエィ。
「やはり、我々は置いていく、べきですよ。クロス君」
同じく重傷であるが、比較的魔族化自体には慣れているため、リアンは意識を失ったジエィよりもマシな状態である。
ただ、今すぐに走り回ったりすることはできない。
必然、
「騎士を舐めるな、ファウダー」
動けぬ二人を無理やり担ぎ、クルスが全力疾走する必要がある。
「悪手、です」
「魔族ならすぐ治るだろ。治せ、そして戦力として機能しろ。それまでは俺が走ってやる。その代わり、わかっているだろうな?」
「……わかりました」
やはり普通ではない。もう一人のファウダーキラーとして名を馳せた男とは思えぬほどに、甘く、温い。
らしくない。
いや、
「まだだ、まだ勝てる。勝って見せる!」
(……らしくなっている、ですか)
騎士に成るために捨てたはずの、『彼らしさ』がファウダーとの邂逅、『亡霊』との接触で戻ってきてしまっていた。
諦めが悪く、徹し切れず、公平性を貴び、何かを追い続けている。
「……」
自分たちと出会った時の、クロスと名乗っていた時に近い。好感が持てる。過ぎに友人になれると思った。真っすぐな眼、生き辛い、不器用な眼。
今でなくとも、と思うが、
(……私たちのせい、でしょうね)
その理由を想うと、少しだけ笑みがこぼれてしまう。
そんな状況でも、そんな相手でもないはずなのに。ところ変われば敵で、自分たちを討ち滅ぼした秩序の犬。わかっていても、そう思う。
その時点できっと、二人は似た者同士なのだろう。
○
なるべく狭い場所を駆け抜け、相手の予想を外そうとするが、徒歩での移動をすべて捨てるほど相手も甘くない。むしろ、開けた場所を避ける相手をハメる、そういう布陣も用意していた。
グレイブスを背負うラックスは自分たちに牙を剥く魔族を見つめる。実習、情けないことに彼女は未だ、まともに参加できていない。参加してもサポート役に徹し、前を張った経験がなかった。やはりならず者、情けないやら恥ずかしいやら。
ラックスは歯を食いしばる。
「ぅ、うう」
背中で、満身創痍だと言うのに自分がやる、と動き出そうとするグレイブス。その強さを感じ、情けなさはより強くなる。
もっと頑張っていればよかった。
今更、そう思った。
「少し休んでいてください」
「うー!」
「大丈夫です。私もこう見えて……ログレス王立騎士学校の、最優の学び舎の学生なんです。誰もが望んで在席できる場所ではない。其処に、私は立つのです」
優しく地面にグレイブスを横にし、
「四学年が末席、ラックス・アウレリアヌスが参る!」
腰の騎士剣を引き抜く。
これは飾りではない。騎士の友であり、誰かを守るための牙である。それを今更思い出す。立場にかまけて忘れていた、見ないようにしていた。
「いざ!」
初志と共に、一人の未熟な騎士が立ち上がる。
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