第369話:これが人と戦うための備え
「ハァ、ハァ、ハァ!」
たった五秒、たったの五秒なのだ。五秒間、呼吸を止めるなど造作もない。その十倍でも容易である。
平常であれば――
「う、うー?」
「……マスター・リンザール」
精神的疲労がどっと押し寄せてくる。全身から滝のように汗が噴き出て、悪寒が止まらない。五秒が永劫に感じた。一生、終わらない気がした。
息がしたくて仕方がなかった。
でも、息をすれば死ぬと感じた。息する隙間すら与えてくれなかった。
生物としての性能が桁違いなのに、それに極まった騎士が載る。こんな理不尽な想いは初めてであった。
いや――
「……たった一度だけ、マスター・ウーゼルに稽古を付けてもらった時を、思い出した。あの時は、此処まで削れることも、なかったが」
一度だけ同じような感想を持ったことがある。
ただただ圧倒された、ずっと昔の記憶であるが。
「貴重な経験だなァ。似た系統の騎士であることは間違いあるまい。最強のフィジカルに最高の技術を搭載した騎士だ。武力は俺の知る限り互角か。ただ、俺は今のマスター・ウーゼルを知らんがな。肌感覚の差は、貴様と相手の実力差だァ」
「……」
あの時のクルスと今のクルス、実力が大きく向上し、相手に近づいたからこそ、剣の解像度が上がったからこそ、その差を前に削られてしまった。
ある程度強くなければ、相手の強さもわからない。
強くなったからこそわかる次元もあるのだ。
「肩を貸しますよ」
「……助かる」
リアンに抱き起され、肩に寄りかかるクルス。たった五秒の精神的疲労が、ごっそりと彼の体力も削っていた。
「グレイブス、次だ」
「うっ!」
了解、とばかりに力を発揮するグレイブス。相手の能力が筒抜けであったため一歩目で躓いたが、一度抜けた以上ここからは一気に突き放す。
ただ、
「発動時間すら知られていました。跳躍地点を再考するべきでは?」
「無意味だ。最初の一発で大きく飛び、その後は相手の読みを掻い潜るポイントに跳ぶ。二発目以降は相手からすればランダムのようなもの。読みを当てられたなら……相手の運が勝ったと考えるしかない」
「……それはそうですが」
能力がかなりの精度で割れていた事実が彼らに安堵を付かせない。発動時間が割れているのなら、能力の連続使用、その回数もある程度割れていると考えるべき。
つまり、移動距離が筒抜けとなる。
加えて――
「うっうー!」
「さて」
敵のいない十秒は、嘘のように素早く経ち穴を通り彼らはさらに飛ぶ。一瞬で大きな距離を飛ぶ、改めて理不尽な能力である。
だが、何の制限もなく行使できるわけではない。
彼らは三度目も『また』開けた場所に出る。
そして、
「ジンネマンッ!」
「わかっとる!」
其処に来る、と読んでいたかのように獣級と思しき魔族が数匹、待ち構えていた。いつかそうなる、それがわかっていたようにクルスがジエィに呼びかけるより早く、彼もまた騎士剣を引き抜き小隊規模の群れを文字通り瞬殺した。
目に見える範囲なら大体が間合い。
其処に神速の居合術が載る、これもまた理不尽な技である。
しかし、
「……まったく、ファウダーでももうちょい倫理観があるぞ」
「人造魔族、無から生み出していますからね。有機的であるだけで、命ではなく道具と言う認識なのでしょう。彼女の苦悩も察せられますね」
魔族の死体が突如炸裂し、直上に煙の柱を打ち上げる。しかもご丁寧に、上空でもう一度炸裂し、日中でもよく見える色付きの目印、となった。
生命反応とリンクした魔導爆弾(狼煙用)を搭載した獣級。殺せば目印、生かせば襲い掛かってくる。
一石二鳥の兵器である。
「拘束が正解だったか?」
「さてなァ。それへの対策がないとも限らん。爆発自体は強くないが、それでも至近距離で爆発されたなら騎士とて負傷は免れん」
「……つくづく合理的」
対魔族用の設置型魔導爆弾、これまた第十騎士団の工房に所属するライラが考案した迎撃用の兵器に近い性質を持つ。騎士よりも民間向けの防衛兵器であり、ちょこちょこ売れているらしい。
問題は、それよりも対人に特化していると言うこと。
爆発力を見るに、
「あえて爆発力を落としている、ですか」
「おそらくは」
あえて威力を落とし、殺傷ではなく負傷を狙っているのだ。死ねばそれまでだが、負傷しても生存していれば救助する必要がある。
一名を確実に殺傷するよりも、そちらの方がより相手の戦力を削ることができる。合理的で、悪辣極まる人間らしい兵器である。
理解が追い付いていないラックス、グレイブスを除く、三名の表情は重苦しい。人同士の戦争、それがもたらす明日にはこういう兵器がはびこる可能性がある。腰に騎士剣を提げている騎士だけが武力を持つ時代から――
「……いかんなァ」
自分のしてきた戦とは違う。明らかに次の時代を意識した兵器と備え。運用しているのが騎士であるからまだジエィの感覚にそぐうが、これがそれらに特化した者が運用を始めたら、ジエィの積み上げた経験値がむしろ足枷となりかねない。
時代が変わる。
人と魔から人と人の、そういう時代の不穏な気配がする。
「グレイブス。今は予定通りで頼む」
「う」
難しい局面。相手の引き出しが読めない。人造魔族と言う兵器の運用。ただのマーカーで終わらぬ圧倒的実用性。
さらに何があるか。想像が、及ばない。
騎士を相手取っていたつもりが――その奥には未知の敵がいた。
○
「おお」
「時間、距離的に二回分ほどですかな」
追撃の用意をする騎士たちが狼煙を見て歓声を上げた。正直、騎士団と『暗部』がともに仕事することすら稀で、さらに最新兵器である人造魔族を作戦行動に組み込むのは今回が初の試みであった。
理不尽な『墓守』の力。
従来の騎士では追いかけるのは至難の技であっただろう。ソル族の脚力があったとしても、能力の全容を把握していたとしても、全対応は出来なかった。
それが今では容易く相手を捕捉し、
「マスター・ブレイザブリク。準備が出来ました」
「ああ」
距離を詰める手段もある。
ブレイザブリクとしては複雑な思いもある。果たしてこれが騎士道にかなうものか、今も心の中で迷いはある。
それは他の騎士も同じだろう。
王の考えも、世界情勢がひっ迫していなければ賛同など出来なかった。ファウダーの存在、それを裏で操る勢力の存在。
それが彼らに穏当な手段を捨てさせた。
「あの位置取りであれば開けた土地は少ない。次か、その次か、いずれにしろ罠を踏むことにはなろうな。悪いが今回、読みは捨てている。機械的に、机上での判断で備えた。其処に旧い、私たちの思考はないぞ、ジンネマン」
ブレイザブリクはジエィの実力を知る。自分がユニオンにいた最後の時代、その中で輝いていた三ツ星の一人であったから。
ソル族の血が混じる同胞、フェデルはもちろん、技に活路を求めたカノッサも評価していたが、何処か不器用で時代とのギャップに翻弄されていたジエィは特に可愛がっていた。ゆえに嫌われていた側面もあっただろうが。
自分たちが作戦を組めば、旧き自分たちの最先端であった彼には読まれる。そう判断し、作戦の全容をぶん投げたのだ。
今回の、
「しょ、少々不安定ですが」
「構わんよ。物語の住人になった気分だ」
人造魔族をはじめとした兵器の開発者、トレヴァーに。対騎士、二名の優秀な騎士が敵であり、自分たちが旧式である自覚から任せた結果が――
「竜騎士、ドラグーン……ふっ、夢物語だな」
今。
飛翔するドラゴン。
駆ける四足の獣たち。
その背に立つは騎士たち、であった。
○
「あれが言うには『墓守』は自分だけが移動する場合はどうとでもなるが、他者を飛ばす場合はある程度の平面と、遮蔽物のない場所を事前に調べておく必要がある。もしくは先行し、立地を確認してから改めて繋げる必要がある、そうだ」
愚かな造物を観察しながら、トレヴァーはほくそ笑む。他の魔族はまだ理解できるが、『墓守』に関しては完全に理外の存在であった。嫉妬したものである。あまりの汎用性、もし狙って作成できるのなら、レイルはどれほど自分の上にいるのか。
「無敵の能力ではない。完全な兵器には、無欠の道具には程遠い」
だが、違った。
偶然の産物。それもおそらく、あれに関しては自分の方が理解できている。この土地に偶然、そういうものがあり、彼がそれを知る機会があった、調べる機会があっただけであるが、自らの方が上だと確信できるのは悪くない気分である。
研究内容に大きな差はない。
兵器としては完全にこちらが上。副作用も判明したため安易に使えないが、ネックであった自由意思を封じる手段もあるにはある。
「私の、勝ちィ」
そして今日、レイルの作品であるファウダーと自分の作品である人造魔族が衝突する。優劣が判明する。
自分が勝つ。
「……嗚呼。気ン持ちいい」
首に刻まれた呪い、恨みの対象であるもう一人には手出しができない。すべきではない相手だとわかった。いずれ超越するつもりだが、今ではない。今はレイルだけで我慢する。充分、気持ちよくなれる。
○
万が一にも危険が及んではならない。場所と場所を繋げる『穴』は自分だけなら微調整が効く。段差になっており、その途上で繋がってもよいしょ、と自分の手で広げれば脱出できるし、木の中に紛れてもうんしょ、で切り開くことができる。
だが、人が一緒である場合、そういうわけにはいかない。
穴をそのまま閉じてしまえば、かつてテウクロイで見せたような足だけ地面から伸びる歪なオブジェのようになってしまうし、木の中や岩など別の物質の途上で顕現しても、これまた一部が木や石と同化したような状態になる。
力で切り抜けることはできない。
物理的な接続ではないのだ、『墓守』の力とは。
だから、安全を期す必要があり、出来れば連続使用もしたくない。時間が限られ、先行して調べるのが難しい以上、必要以上に開けた場所へ繋げるしかない。
ゆえにいずれは――
「魔族無し。連続で当たりですね」
「うっ、うっ」
「幸運と言えるが……揺り返しが怖いなァ」
捕まる。
「一旦走るのも検討していいんじゃないか?」
「良い案だと思います。グレイブスくんは私が背負いますよ。体力には――」
何もなく安堵したクルスとラックス。
しかし、
「自信がある、ん、です」
突如ジエィ、グレイブス、リアンの三名が蹲る。歯を食いしばりながら、身もだえながら、声も出せぬほどに、苦しみ始めた。
「これ、は?」
「わからない。何故、俺と陛下だけが無事なんだ」
クルスとラックスは何も感じない。
つまり、
「魔除け、ですッ」
リアンは顔を歪ませながら、そう答えた。
「以前、ハメられた時と、同じ、感覚ですのでね」
魔族化しての騎士との実戦経験がこの中で最も多く、魔除けの陣地にも幾度か接触しているため、誰よりも早くそれを理解することが出来た。
ただ、わからないのが、
「人間状態に魔除けは通じないはずだ」
同じくファウダーとの実戦経験の多いクルスは魔族化していなければ通じない、とそう認識していた。その認識は正しい。
「ええ、ですので……同時に、もう一つ、展開されています」
「魔族化を、促す陣地か」
クルスは顔を歪める。どういう原理か知らないが、これもまた魔族相手の兵器ではなく、魔族化を得た人間相手の兵器であった。
強制的に魔族化を促し、魔除けの対象とする。
やられた、とクルスは唇を噛む。
「……解除か、それとも――」
騎士に、クルスに解除できる陣地か、それをしている間に時間を削るための策かもしれない。もしくは人間と魔族を、クルスとファウダーを分断するためのものかもしれない。どちらにせよ、足止めとしてこれほど強い手はないだろう。
「陣地から、は、運び出します」
「リアンに触れるな!」
「え?」
クルスが叫ぶ前に、近づいてきたラックスをリアンが残っていた人間の手で跳ね飛ばした。強制された魔族化、ただでさえ不安定な存在である『亡霊』の身体は何が出てくるか、何を帯びているのか彼にもわからないのだ。
彼だけの魔道ではないから――
「私もまずいですが……もっとまずいのは」
「……っ」
無言で歯を食いしばりながら、体の半分ほど異形と化しつつあるジエィ。魔族化自体、手術を終えたタイミングで一度試しただけ。
「……ィ」
それ以降封じてきた。
制御する術など、当然知らぬのだ。使おうと思ったことすらないから。
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