第368話:新星対伝説
「……ジンネマン、あの騎士に弱点はないのか?」
「あるにはあるが……今この時にはさして意味はない」
「……?」
彼らしくない歯切れの悪い答え。いいから言えよ、と思うが彼が口にしない以上、今この戦況に影響するものではないのだろう。藁にもすがりたい思いであるが、どうやら容易い解法はなさそうである。
まあ、いつだって簡単な答えなどなかった。
苦戦に次ぐ苦戦、学生時代は特にそうだった。
「グレイブス」
「……ぅ」
バツの悪い表情を浮かべるグレイブス。ブレイザブリクの圧に怖れ、力の発動を止めてしまったミスを咎められると思ったのだろう。
ただ、
「俺とジンネマンのミスだ。次は絶対に近づけさせん。能力の発動に集中しろ。敵は必ず俺が止める」
過ぎたことを咎める意味はなく、そもそも守るべき対象である女王とインフラに怖れを抱かせた時点で、クルスは騎士の失態と考える。
慰める意図もなくはないが、それ以上に彼は自分自身に憤慨していた。
「……う、うう!」
任せろ、そう聞こえたことでクルスは十割、意識をブレイザブリクに割く。
「受けてしのぐだけなら俺だ」
「生意気な。この俺を脇役で使うかよ。……心得たァ」
長距離を飛ぶにはそれなりの時間を要する。時間にして十秒、クルスは腹を決める。自分が中心となり、十秒あの化け物を止める。
難しい。
でも、出来ないとも思わない。
「集中だ、グレイブス。力の発動だけを考えろ」
「うっ!」
そして自分は敵のことだけに集中する。
「十秒、ほどだったか?」
「……っ」
能力発動の時間まで把握されていた。こうなってくるとこの先も嫌な予感が過ぎってしまう。もしかすると、その意図も込められた言葉かもしれない。
脅しか、宣言か――
「ちなみに私は五分ほどだ」
「……?」
何の話だ、と首をひねりそうになるもクルスは相手の戦術、そんなくだらない問答に乗るな、と自分に言い聞かせる。
が、
「見よ!」
ガバッ、と自ら服を引き千切るブレイザブリク。
「!?!?!?!?」
理解不能の行動、クルスは必死に集中力を繋ぎ止めようとする。
「ッ⁉」
ただ、あらわになった老人とは思えぬしなやかで、瑞々しい肢体、それを見て息を飲んだ。其処には心臓の鼓動が見えるほど、深く、大きな傷が刻まれていたから。
「名誉の負傷だよ。この傷と引き換えに我々は敵を討ち滅ぼした。勝利の代償、安いものだ。その代わり、全力稼働が限られてしまうのは辛いところだが」
伝説の騎士、ブレイザブリク。公式記録で初めて騎士級を記録した相手を、当時最強の騎士二人と共に討ち滅ぼした。
しかし、無傷ではなかったのだ。クルスも生傷が絶えぬ方であるが、あそこまで深い傷は負ったことがない。いや、たぶん自分があの傷を負ったら死ぬ。
今、彼がこうして生きて動いているのが不思議に見える。
そういう傷。
おそらく、ジエィの言った弱点はこれのこと。現役を退く理由としては充分過ぎるだろう。これだけの力、運用次第では如何様にでも使えたが、騎士とは万難を排す力量が求められる。それは当然、健康状態も含まれる。
ゆえに彼は自ら現場から遠ざかり、歴史の表舞台から去ったのだ。
「残り五秒ほどか」
音もなく、一瞬で間合いを詰めるブレイザブリク。
「騎士の決闘には長過ぎる……さあ、征くぞ」
「……」
やはり老獪な騎士、先にやり合った老騎士たち同様、初見はあれだけの動きであったにもかかわらず、様子見も兼ねていたのだ。
より速く、より鋭く、より力強く。
普段、呼吸を一定に保ち、長丁場でも対応できる状態を維持していることを心掛けているが、今回はこの永劫にも似た五秒をしのぐために息つく暇などない。
端から呼吸は捨てる。
全力で相手に、毛ほどの隙も見せぬ集中を向ける。
先ほどのジエィとは立場が入れ替わり、回り込まれた際はあちらが対処する。ゆえに正面の敵がいなくなる、その択もクルスは捨てた。
選択肢は少なければ少ないほどいい。
「……」
「……」
正面から、力で行くぞ。その大仰で、無駄だらけの非合理的な型。相手を威嚇する所作を剣に落とし込んだような、とても原始的な、動物的なものである。
これを捌けずして、何が新時代か。
自身の呼気すら置き去りにするほどの剛剣が来る。ただの横薙ぎ、しかし先ほどの攻撃よりも速く、強い。
だが、充分に引き上げた想定は超えてこない。
クルスはあえて身を寄せながら受ける。剣が加速し切る前、それと相手の持ち手側に自分の力点を寄せることで、さらに相手の出力を削る。
(それでどうする?)
ブレイザブリクは小細工を意に介すことなく力で持っていく。その程度の細工、関係ないだけの力の差があるのだ。
消し切れなかった力がクルスを浮かす。
あとは力で吹き飛ばし、それで――
(おおっ)
期待通り、想定を超えてきたクルスの剣。ブレイザブリクの剣に身を寄せ、力を削り、そのまま体重を預けるように、こちらの剣に乗った。
浮いたのではなく、浮かせた。
故意の動き、当然身体は彼の意思の制御下にある。
騎士剣の衝突、鍛え抜かれた騎士の剛力が剣に宿り、激しい衝突となるはずのそれが静かで、心地よい音を奏でながら――
体を巻き上げ、剣の上で回転しながら蹴りを打つ。
(クソ度胸。肝が図太いな、リンザール)
一歩間違えれば大惨事。しかもブレイザブリクの速度域で、この芸当である。そういう剣なのは理解していたが、それでも驚嘆に値する。
(あの子と同じだ。持たざるからこそ工夫し、磨き上げる)
自分にはない原動力。それが新たな地平を切り開く。伝説の騎士が見初めた新時代の騎士、そのさらに先を征く騎士が世に出ていた。
(受けたらどうなる?)
ブレイザブリクは悠々と片腕でクルスの蹴りを受ける。造作もない。自分の剣の勢いを使ったとは言え、殺した分は使いようがなく、それを差し引いても全部を乗せることはまだできないのだろう。
型は未踏の境地であるが、問題は使い手の技量。
まだ、足りていない。大戦末期のあの子には及ばない。
それでも、
(こう来るか)
蹴り足を引っ掛け、体幹を引きつけて切りかかってくる。時間稼ぎとは言え、否、時間稼ぎだからこそ無理やりにでも攻勢に出る。
相手に受けを強いる時間、それが一番安全であるから。
(では、紳士的に応えよう)
ブレイザブリクは引っ掛けられたつま先をひょいと腕から外し、上体を寝かせてクルスの剣を回避した。普通は倒れる。人間はあそこから復帰できない。
だが、相手は人間ではない。
騎士である。
その中でも――
(力で)
最上級、その上。ほぼ寝たような体勢から、体幹と柔軟性で無理やり自分の体を起こす。これは想定通り。
想定を超えたのは、
「何故、その動きで加速を⁉」
復帰するだけでも凄い動きを、彼は桁外れの力で加速しながら戻ってきたのだ。下半身の力は微塵も使えていない。体幹だけで、まるで全身運動をして、全力で助走をして来たかのような勢いを生む。
間近で見ていたラックスは愕然とする。理に反した動きであったから。
そのまま、紳士的フルスイング。
相手は死ぬ。
空気の壁が破裂したような音と共に、ブレイザブリクの、伝説の騎士の一撃がクルスを圧倒した。何とか受けたクルスはその場で回転する。
一回、二回、三回、そして――
「何故、それで、着地を」
何かしたか、と言わんばかりに構えと共に着地を決める。
復帰も、加速も、全て想定の範囲内。
受けるだけならこの程度、やれて当然。
ラックスは戦慄する。こちらも化け物、どちらも方向性が異なる超人である、と。
(まだ及ばん。が、近い。今、歳はいくつだ? いつ、この域に達した? そもそもこの型は教わったものか? 素晴らしい、素晴らしいが過ぎるッ!)
ブレイザブリクもまた驚嘆していた。自らの傷に繋がるような道を厭わぬ精神性。その異常な胆力を最大限生かす型と、あの子と同じく年齢不相応な技量を持つ。
何よりも目を引くのは――
「……」
勝負所での集中力。
研ぎ澄まされている。澄み渡っている。あの子のような深さはないが、それゆえにより透き通る。興味深い、実に興味深い。
お持ち帰りするしかないだろう、おうちに。
ブレイザブリクは心に決める。確かひ孫が、いや、この前百を超えたはず。玄孫、その先は――あ、遠縁のアギスに年頃の娘がいたはず。
あれでいいや、などと刹那の間に考えていた。
「マスター! 時間時間!」
「あっ」
グレイブスの能力が発動する。時間切れである。伝説の騎士、大チョンボ。五秒は長過ぎる、と息巻いていたがやっぱり短かった模様。
まあ、集中したクルスの強みがこれでもかと出た、のも要因だが。
「……」
しかもグレイブスの力が発動してなお、離脱が完了するまで集中を切らす気はない様子。その顔つきを見るだけでブレイザブリクは花丸をあげたくなる。
百点満点。よくできました。
でも、
「最盛期のゼロス・ビフレストは百二十点を出したがね」
完全無欠じゃない。
ブレイザブリクは左手でジャブを放つ。空気を切り裂くような音と共に神速の拳がクルスへ迫る。剣の速さに対応できても、より速い拳ならばどうか。
ログレスは拳闘のメッカ。
彼もまた徒手格闘は大好きである。
「なら」
「む」
しかして、クルスもまた拳闘倶楽部出身。パンクラに浮気したり、学校生活後半は足が遠のくこともあったので専門家とは口が裂けても言えないが――
「俺にも加点しとけ、伝説」
零。
スウェーバックとスリッピングアウェーを重ね合わせ、ブレイザブリクの拳を完全にいなして見せたのだ。
剣よりもわかりやすい分、拳の方が元々早く辿り着いていた。
「五点あげよう。ただ、それ以上はあげられないな」
「奥襟ッ!」
拳の狙いは打倒であったが、同時に次点で過ぎ去った後、奥襟を掴むことにあった。掴むと言うよりも、抓むと言う方が正しいが。
「さあ、うちに帰ろう」
掴み、グラップリングはソロンらが早々に辿り着いていたように、クルスのゼロにとって天敵であった。掴まれたが最後、力勝負に持ち込まれてしまうから。
たったこれだけの攻防で、対処法に辿り着いた。
経験値か、それともセンスか、はたまた両方か。
だが――
「俺の故郷はゲリンゼルだ!」
その弱点はクルスが一番よく知っている。掴まれたら、返す。そのためのパンクラである。拳闘とは異なり、パンクラチオンはあの万能の天才ソロンですらログレスでは学ぶ手段がなかった。つまり、ログレスから出ていない彼にもない。
奥襟を掴んだ手を、極める。
飛びつき腕十字固め。全体重を、全膂力を総動員して相手の肘、靭帯を千切り、関節を破壊する。ゼロ封じのパンクラをパンクラで返す。
それが――
「闘志よし! 五点さらに追加だ」
「……くそが」
通用しない。腕一本で、体重も重力も、鍛え抜いた身体も全部総動員しているにも関わらず、造作もなく支えられている。
まるで赤子でも抱き上げるかのような力感。
理屈をねじ伏せる力。
自分一人では勝てな――
「むん!」
「むむ?」
グレイブスの力で地面に半ば飲まれながら、ラックスはクルスに手を伸ばしてこちら側へ引っ張ろうとする。
丁度いいから二人まとめて引っこ抜こう。
幸運に感謝、と引き上げようとする。
その時――
「うー!」
歴戦の英雄、ブレイザブリクはこの状況でもジエィから微塵も注意をそらさなかった。ゆえに彼は動けず、同時に戦闘要員として有名な『亡霊』も目の端に捉えている。だからこそ彼も邪魔すら許されなかった。
ただ、それだけ。
彼は彼の眼に映る存在にのみ、意識を割いていたのだ。当たり前のことだが。
だから、
「……っ」
地面より伸びる槍。風を纏うそれへの反応が遅れてしまったのだ。いや、反応自体は出来た。正しい反応が出来なかった、と言うべきか。
騎士の癖。
初見は基本的に、見に回る。
それはブレイザブリクとて例外ではなかった。むしろ戦闘経験豊富で、退魔のことを良く知るからこそ、如何なる敵の攻撃にも最大限警戒を払う。
それゆえに回避時、手を放してしまった。
それに、
「……何者だ?」
主の呼び声に、誰かを守るために現れた一人の騎士。槍を携えたその立ち姿は、強烈な、目を惹くものであった。
髪がたなびく。
一瞬、そう見えた。そんなわけ――ないはずなのだが。
全てが地面に消えた。
「あー、逃げられましたなぁ」
「トークしとるからですぞ、トーク」
「その前に脱衣する意味がわからんでしょう! この寒いのに!」
部下たちから責められ、
「……猛省」
伝説、しゅんとする。あれだけ調子のいいことを言って、取り逃してしまったのだ。そりゃあ恥ずかしさと情けなさで歳も取ってしまうだろう。
一気にしわしわになっていく伝説。
病は気から。老いも気から。
「ま、まあ能力は割れておりますゆえ」
「そうそう! 備えは万全、足もこちらが勝りますぞ」
「ささ、お召し物をまとわれて、ゆるりと追いかけましょうぞ」
「……むう、まあ、何とでもなるか」
「「「そうそう!」」」
「うむ!」
伝説、ほんのり復活。
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