第367話:うちの子になりなさい
「――めんなさい。ごめんなさい」
暗い牢の奥、顔を歪めながらただただ謝罪の言葉を連ねる人造魔族、ファウダーの『トゥイーニー』は涙を浮かべ懺悔していた。
その周りには、
「ねえさま」
「いたいの? ねえさま」
小さな少年少女たちが心配そうに見つめている。
そんな光景を尻目に、
「どんな痛みにも屈しなかったのに、呆気ないものですね。後継機種の命をちらつかせたら、全部暴露してしまったのですから」
「全くもって不愉快な話だよ」
研究者たち、それらを取りまとめるこの空間の主であるトレヴァー・メイフィールドは虫唾が走る、と言わんばかりの表情を浮かべていた。
「不愉快ですか?」
「本来、あらゆる作戦行動をこなすための最低限の知性を持った兵器であればよかったものの、その最低限の調整がなかなか難しい。知性を奪い過ぎると使い勝手が失われ、知性を与え過ぎるとこうして兵器にとって無駄なモノを持ち過ぎる」
弟、妹たちを守る姉。
美しい景色に見える。
だが、
「血縁もなければ、ただ製法が近しいだけの兵器が情を獲得するなどあまりにも無意味。人真似の人間モドキでは兵器としてあまりにも不完全だ」
彼らは人間が定義する親兄弟ではない。ただ近しい製法で作られた近似のロットであるだけ。作り上げた者からすれば赤の他人である。それが引き合わせただけで懐き、その情によって今まで如何なる拷問にも屈せずに黙秘を続けてきた仲間の情報も暴露した。何とも愚かで滑稽な存在だ、とトレヴァーは思う。
己が目指す完全に制御された人類の敵には適さない。
ゆえに、
「それでは?」
「情報の整合性が取れた時点で廃棄……いや、一応敵の抹殺が確認されるまでは人質……人、嗚呼、おぞましい。確保しておけ」
「承知いたしました。後継機種は?」
「あれを処理した後、全て廃棄」
「はっ」
情報と引き換えに彼らの無事を、命を守る。そういう取引であったが、トレヴァーからすればはさみに取引を持ち掛けられたようなもの。
人間様に守る道理などない、と彼は考える。
○
「……マスター・ジンネマン」
「……俺たちが生きている限りは、おそらく無事だ。まだ利用価値はある」
「……そうですね」
『墓守』の能力、その最大射程に関して知るのはファウダーでも中核メンバーのみ。此処まで精度の高い数字となれば、似た境遇ゆえに『墓守』と仲の良い『トゥイーニー』や『ヘメロス』、あとは彼らの兄貴分である『水葬』ぐらいか。
必然、二人に絞られる。
どちらであっても厳しい状況である。特に『ヘメロス』の場合は『トゥイーニー』を生かしておく理由がなくなるため、万事休すと言ったところ。
まあ彼もそれを理解しているはずで、軽挙妄動は慎んでいるはず。であればやはり『トゥイーニー』と見るのが妥当であろう。
何をされたか、想像も出来ないが――
「小僧、力を貸せ」
「……端からそのつもりだ」
心配しつつ、今はただ目の前の危機に対応するのみ。
相手は伝説の騎士、ブレイザブリク。
『先人』から教えを乞うた者たちが騎士として立ち、彼らが下の世代に教える仕組みを作り、ミズガルズに騎士と言うものが確立された。
彼らはその時代の騎士であり、もはや伝説と化した五百年前のサブラグ、そして百年前のイドゥン、両魔王の襲来の間であるが、それが平穏の時代であったかと言うとそうではない。間髪入れずダンジョンが生まれ、日々多くの民が犠牲になっていた。立ち上がった者たちはまだまだ少なく、組織も未成熟で犠牲は山のように出た。
むしろ、イドゥン襲来時と比較したらもっと荒れた、混沌とした時代であっただろう。逆に騎士が、組織が緻密に確立されていたからこそ、イドゥン襲来時には民よりも多くの騎士が命を落としたのだ。
散る数すら足りなかった時代の騎士、それが彼である。
齢二百四十を超え、今なお精強。純血のソル族であっても信じられない話である。同じく騎士級を討ち滅ぼした彼の父であり、偉大なる王として名高いウルティゲルヌスでさえ、この年ではもう現場働きなど難しかっただろう。
それがどうだ、この瑞々しさよ。
「どうした? 来ないのか?」
「自分も外法にて中身は若返りましたが……マスター・ブレイザブリクにおかれましても、以前よりも若く見えますな」
「この問答に意味があるとは思えんが、そうか、若く見えるか。ふふ、嬉しいものだな。最後に剣を交えたのは六十年前ぐらいか? 私もまだまだいけるらしい」
嬉しそうにはにかむブレイザブリクの眼に、後ろめたさなど微塵もなかった。信じ難い話であるが、どうやらこの男は何もしていないらしい。
魔族化も、その他の術理も何もせず、この若々しさを保っている。
それどころかお目付け役としてユニオンに残っていた時よりも、壮健に見えるのだから、英雄と言う生き物はつくづく常識から外れている。
であれば揺らぎは期待できない。
ジエィは小さく唇を噛む。
「混乱しておるな、ジエィの小僧」
「そりゃそうじゃろ。わしらが一番驚いておるんじゃ」
「やはり現場復帰が健康の秘訣なのでしょうなぁ」
彼は自分たちよりも年上であり、ウルティゲルヌスが王位を退いたと共に国家の目付け役も退き、完全に騎士を辞していた。その時はかなり老いて見えたし、このままだと実父であるウルティゲルヌスより早く死ぬのでは、と言われていたほど。
だが、王が秩序の有様を見て再び立ち上がると決めたのを皮切りに、英雄もまた剣を取り現場に戻った。部隊長ではあるがあくまで現場の騎士。
それが男に若さを与えた。取り戻した。
ダンジョン攻略など、幾たびの現場仕事を経て、
六十年を、百年を、飛び越えて見せた。見違えるほどに――
「他に何かあるか?」
「……グレイブス!」
「うっ!」
再び、ジエィはグレイブスに指示を出した。穴を掘り、全員を移動させろ。その指示を違えることなく、グレイブスはそうしようとする。
「まあ、そうするよな」
ブレイザブリクは笑みを浮かべながら、またしても予備動作なしで一気に距離を詰めてくる。異次元の身体能力、そして静かなる魔力コントロール、全ての動作が完全に噛み合っているからこそ、この常軌を逸したムーブとなる。
「賢しいぞ、ジンネマン」
「御免!」
神速の居合切り。躊躇なく、武人として磨き上げた技を行使する。
今まで体感した中で最速。その時点でクルスはジエィの本気を知る。
その上で、
「おお、冴えている」
英雄は横薙ぎの斬撃を跳べるはずのない体勢から跳んで回避した。ふわりと宙に浮かぶブレイザブリク。重力を感じさせない。
そのまま空中を歩けそうな、そんな雰囲気。
ほい、と剣をあらぬ方向へ投げる。
意図が、意味がわからない。何もかも。
「六十年の積み重ねだな。美しい」
「士ィ!」
其処から手首を返し、縦斬りへ持っていく。見事な連なり、匠の繋ぎ、此処からが俺の剣だ、俺の六十年だと言わんばかりの、技。
如何に化け物とて空中ならばどうしようもない。
しかも今は無手、受けすら出来ない。
そう、クルスは一瞬考えたが、
「……」
「……っ」
刹那、ジエィと目が合い「そうではない」という意図が伝わる。信じ難いが、あそこからあの騎士は、人間を超越した生き物は、
「見事な技前。敵ながら天晴れだ」
まるでパントマイムのように、其処に壁があるのだと万人に見せつけるように、空中を両の手で押す。すると、位置がズレた。
「……ッゥ⁉」
今度は両手両足、どちらも、
「むんッ!」
同時に押し込み、空気の壁が破裂した音を奏でる。
ずっと空中に、永遠にも感じるほどゆったりと浮いていた男が突如凄まじい速さで地上に舞い戻る。
その着地地点で剣を回収し、
「悪いが」
ぎゅんと旋回しつつラックスを、リアンを、ジエィの壁として機能する立ち位置で距離を詰めた。あまりにも速く、これ以上ない手際で、
「うあっ⁉」
「まず一人」
彼らのインフラ、その要である『墓守』の首を狙う。
グレイブスの脳裏にフラッシュバックするのは、あの聖域で向けられた無機質な殺意。敵で最も便利だから殺す、テュールのそれと重なる。
咄嗟に、怖くて彼は眼を瞑ってしまった。
同時に、
「ぐっ」
穴掘り作業が途切れてしまう。ジエィは唇を噛みながら、次の手を考える。
そう、
「む?」
次はあるのだ。
「させんよ」
騎士同士、すでにアイコンタクトで意思は伝えてある。
ブレイザブリクとグレイブスの前に割って入ったクルスはその異次元の身体能力、そして魔力コントロールから放たれた普通の袈裟斬りを受けた。
(……化け物め)
刹那の接触、それだけで伝わる完全にコントロールされた馬鹿力。力自慢はいくらでもいた。何度も刃を合わせたフレイヤも、アンディも、ディンやフレンもそう。成長したアミュもこの前稽古を付けてやったが、結構危なかった。
だが、次元が違う。
もはや人間ではなく、魔族だと思わねばならない。
単純な馬力で戦士級と張る、そういう生き物。常軌を逸した素の力と極まった魔力コントロールが超人を超えた超人を生む。
しかし、
「……やはり見ると触れるでは違うな」
驚いたのはブレイザブリクも同じ。普通の騎士相手では受けなど許さない。ただの袈裟斬りが必殺技になる、それが彼の日常であった。
こうも、
「ふゥー」
完全に受けられたのは、流されたのはいつぶりだろうか。
考えるまでもなく重なる。
「ゥウッ!」
しかも、
「嗚呼、懐かしく、美しきカウンターよ」
自分の力すら奪い取り、それをカウンターに乗せてきた。構えが似ている。守戦が主体であることも同じ。
ただ、まるで違う到達点。難易度はともかく、剣の型としての完成度は――
「私が退かされるか」
こちらが上。
自分が後退を余儀なくされ、距離を取った。皆が驚くのも無理はない。
自分を利用したとは言え、それが出来る技量なのが本当に素晴らしいことなのだ。普通は出来ない。技量が足りない。見切りが難しい。
何よりもほんの少し間違えただけで死ぬ。
死と隣り合わせを覚悟している。その姿勢が美しいとブレイザブリクは思う。
「よし、決めた」
もし、彼が生きていればこういう型を創り上げ、弟子に教え込んでいたかもしれない。創意工夫の好きな子だった。好奇心の塊で、皆自分とやり合うのを嫌がるというのに、彼は率先して挑戦しに来たし、それに感化されてウーゼルやウルたちも来た。彼らも成長した。だけど、あの時の、騎士としての中心は――
「卿は生かそう」
「は?」
父はウーゼル推しであったが、ブレイザブリクはもう一人の騎士を推していた。聡明で、深い知性を持ち、大局を見据える眼を持っていた。
重なり、違う騎士。
師と弟子、そんな匂いがする。
だから、
「こんな戦場で死ぬのは勿体無い。あの時ほど、私は私の身体を呪ったことはなかった。否、言い訳だな。同行出来たのだ。ほんのひと時であっても、私が盾になることも、出来た。彼が生きていれば、今の世はなかったはずだ。陛下が、父上が出張る必要もなく、私も心穏やかに逝けただろう」
もう二度と後悔せぬためにも生かす。あの日の悔いが、ブレイザブリクの貌にしわを刻む。一瞬、クルスの目の前にはとても老成した騎士がいた。
「騎士が要るのだ。本物の騎士が。ウーゼルの子では力不足。それゆえにエレク・ウィンザーの模倣如きに後れを取る。同じだ、あの日失った英雄の影を追う者たち。あの日失った本物こそ、生き残るべきだった」
老いた騎士はクルスにあの騎士の影を見た。
自分が見込んだ本物の――
「どちらも紛い物、ゆえに世が乱れる。おお、生きる活力が湧いてくる。今度こそ、私は本物を守り、育むとしよう! それが今、私の生きる理由だ!」
ブレイザブリクのしわが消え、笑顔と共に流れる涙が異質な気配を見せる。彼は天命を理解した。あの日間違えた自分にやり直す機会が来たのだと。
「若き騎士よ、名は?」
「……クルス・リンザール」
「良き名だ。響きが澄んでいる」
理解及ばぬ存在。
ようやく実感としてクルスは理解する。ウルや『先生』と重なる、何処かぶっ飛んだ感性。英雄足る者は何処か常軌を逸しているものなのだ。
どれだけ正常に見えても。
「クルス・リンザールは私と共に。他の紛い物は……死にたまえ」
ブレイザブリクは満面の笑みを浮かべ、再び両の腕を広げた。
英雄の型、超常の怪物は意志の力一つで時すら捻じ伏せ、老いをも撃退し、若さを、瑞々しさを取り戻す。
全盛期の英雄、希望と期待を胸に、蹂躙せんと動き出す。
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