第365話:自分が立つ居場所のお話し
「……っ」
日々の日課かつ近づきつつある勝負への調整として、柔軟運動をするクルスは顔をしかめる。鋭利な刃物による傷はなかなか塞がり辛い。ある程度癒着した状態であるが、抜糸にはまだかかる。ジエィの言う通り、万全には程遠い。
だが、そういう時にこそ騎士の真価が発揮されるのだ。
心身ともに充実し、完全無欠の状態での仕事などそうそうない。心身の疲労が蓄積し、限界間近のクソみたいな時にする仕事こそ、騎士の実力と言える。
ならば、言い訳などしない。
今のベストまで仕上げ、あとは最善を尽くすまで。
「入念ですね」
明日への備え、そして負傷した部分がどれだけの可動域で、どれだけの痛みを発するのかを確認、慣れるために動いていると、椅子でくつろぎながら読書する『亡霊』リアンが声をかけてきた。
ちなみにここに来てから読書をしてばかりだが、このような辺境の地でどうやって本を調達しているのかについては、普段一緒に行動している時に購入していた積み本を『墓守』に預かってもらっている、とのこと。
今はラックスに抱っこされてすやすやの『墓守』グレイブスであるが、その能力の汎用性は他の追随を許さぬものがあった。
「もしもの時はあなた達とも戦う必要があるからな」
「……利害の一致で結んでいる以上、それが不一致となれば可能性は否定できませんね。そうならぬことを願うばかりですが」
「……」
「……ふっ」
会話が終わり、クルスは視線を合わせずに柔軟を、リアンは視線を紙面に向けて読書を再開した。
会話とも言えぬ短いやり取り。それを不思議そうにラックスは見つめていた。秩序の騎士とファウダー、相反する立場であるのはわかる。仲良く肩を組み協力する、それが難しいのは当然のことであろう。
ただ、クルスとジエィ、グレイブス、彼らとのやり取りとリアンを相手にする時と、全然違うように見えるのだ。
二人の間で何かあるのか。少し気になってしまう。
だけど聞けない。
踏み込めない。そんな雰囲気。
「あの」
口をついて出た言葉。
「「何か?」」
二人は同時に反応し、互いが噛み合いに驚いた表情を浮かべる。
二人に聞きたいことはある。
だからほとんど無意識に問いかけるような言葉が出た。でも、聞けるわけがない。なので、もう一つずっと聞きたかったことを口にする。
「……リアンさんやグレイブスさん、どうしてお二人はファウダーに所属しているのですか? マスター・ジンネマンは何となくわかります。私も騎士を志した者の端くれですので……特にログレスは、武の置き場を見失った方を、よく見ますから」
死力を尽くし世界に、時代に貢献した騎士たち。しかし時代の流れによって席を追われた、特に長命な者たちは自身の存在に悩む者は多い。
戦う必要はないと言われた。
お疲れ様です、あとは任せてくださいと言われた。
自分たちが鍛え、育てた後進に席を譲ること自体は喜びもある。
だけど――そういう者はいる。ログレスでは少なくない。
「でも、お二人はそう見えぬのです。それが、気になって」
「それは私を知らぬからですよ。私には責任がある。人々を駆り立て、煽り、立たせた責任が……私たちを背負い、秩序と戦い続ける。それが私、『亡霊』の存在意義です。其処に、リアン・ウィズダムはいない。必要がない」
ラックスには伝わらない、それを理解した上でリアンはそう口にする。
伝えたいのは、
「……」
黙々と備える者に向けて。
「ゆえに、貴女が王として立つのなら、いずれ私は敵と成りますし、その時はきっとこのクロス君が騎士として立ちはだかるのでしょうね」
秩序の守り手。その秩序に異を唱え立ち上がった者たち。
初めから、徹頭徹尾二人は敵である。
「……他に選択肢はなかったのですか?」
話の、本当に伝えたい部分はわからない。それでも彼女は彼女なりに受け止め、その寂しい答えに、無駄とわかりながらも一石を投じる。
彼自身が其処にいないなど、あまりにも寂しい答えだと思ったから。
「ありましたとも。ずっと前に何度も」
「……くく」
暖炉の前で温まるジエィはリアンの苦い笑みと共に放たれた言葉に、同じ笑みを浮かべていた。そう、あったのだ。
いくらでも。
「でも、私は選んだ。大人が、自分の意思でその道に進んだのです」
リアンは留学し魔導工学を学び、導体関係の会社に就職した。手に職を付けた大人である。其処で学んだ知識を、経験を、培った人脈を祖国に寄与したい。
その一心で立ち上がった。
その時、彼と彼の友人たちは選んだのだ。
滅びの道を――だから今更とやかく言うつもりはない。悔いはある。反省もある。だけど、たぶん自分は始まりに戻ったとして何度でもそうしようと思ったはず。
それを選んだはず。次は、もう少し上手くやりたいけれど。
自分は良い。自分たちは良い。
だって、大人だから。大人とは、そういうものだから。
だけど――
「ただ、其処のグレイブスや、何人かは少し事情が違います。おっしゃる通り、そう見えぬのも仕方がない。良い子たちばかりです。申し訳なくなるぐらい」
グレイブスたちは違うのだ、とリアンは言う。
その物言いに、
「そいつらがどういう人生を歩んできたのかは知らんが、犯罪の片棒を担がせておいて随分な言い草だな」
今まで沈黙を続けてきたクルスが口を開いた。
確かに『墓守』の印象はこの共闘期間でかなり変わった。力はある。能力は馬鹿げた汎用性を持つ。秩序の側として危険度は高い。その一方で、奔放だが無邪気で、悪意を振り撒くような内面には見えなかった。
しかし、その無邪気な童にしか見えぬ男は人を殺している。
歪な姿で、強力な能力を使い悪事を働いている。
ならば、
「そいつらがイイ子なのだとしたら、そのイイ子に悪事を働かせている貴様らこそが悪だ。綺麗ごとを口にするなよ、お互いにな」
そうさせているファウダーが悪なのだ。其処に自ら選び所属する者が今更、綺麗ごとを口走るのは話が違う。
悪を糾弾できるほど自分が、騎士の側がお綺麗だとは言わない。
だからこそ、自分も言わないし、そちらも言うなとクルスは思う。
「はは、君はやはり、視野が狭いですねえ」
「なんだと?」
咎めたクルスの言葉を鼻で笑うリアン。
ジエィは何も言わずに暖炉に薪をくべる。
「……グレイブスが何故、まともに言葉を交わせないか、その何故を想像することができない。答えのある問いかけには上手く答えられても、その外側には及ばない。頭は悪くない、それはこの期間でわかったはず。ならば、何か言葉にトラウマがあるのか、そういう何故に頭を巡らせてこその知恵者でしょうに」
「……」
「答えは言葉を習得する環境がなく、使用の必要もなかった。わかりますか? その意味が。想像してください。彼の歩みを」
リアンは悲し気に、ラックスに抱かれて熟睡する少年を見つめる。
「ヒントは嘘です。初対面の時、我らの『創者』シャハルは君に嘘を吐いた。その嘘は君に迷いを与えず、同時に『墓守』の心をも守る優しい嘘だった」
「……嘘」
クルスは思い浮かべる。
あの暗く、地下に張り巡らされた迷宮のような場所での出会いを。百徳スコップでぶん殴られ、そしてかつて友であった者は何を語ったか。
『墓守』について――
『彼の名はグレイブス。我らがファウダーの『墓守』さ。彼は旧式だが不可逆な体質でね。見ての通り魔族化し続けているが、元が人とは思えないほどにこの状態で安定している、とても稀有な存在だよ』
そう語った。
見ての通り――
「……まさか、その容姿は」
「さすがの記憶力です。そう、彼の容姿は魔族化によるものではない。魔族化は施していますし、不可逆な者が稀ですがいるのは事実です。でも、彼じゃない」
「……」
前提条件が崩れ、クルスは心地よさそうに眠るグレイブスを見る。
「その眼を、この子に見せぬための嘘です」
「……そう、か」
想像する。人の普通から外れた者の人生を。
今更、考える。
言葉を必要としない、その理由を。
想像する。
〇
彼の生い立ちを知る者はいない。いるとすれば、それは生んだ者となるだろうが、当事者が口を開くまで真実は闇の中。
ただわかるのは、生まれてすぐ遺棄されたのでは、生存しているわけがないので、生後ある程度の時までは育て、そして捨てたと言うことだけ。
彼が遺棄されたのは墓地であった。
そして、彼は墓地へのお供え物や、土葬ゆえに死肉を狙い徘徊するネズミなどの動物を喰らい、生き延びた。と思われる。
本人は記憶がなく、物心ついた時にはそうしていたらしい。
人から外れた醜悪な顔。そして体型も手足が短く、化け物のように映った。墓地に住む化け物、それはすぐに奇異の視線を集めることになる。
『墓守』という呼び名はその時代のもの。墓地の化け物を指す別称である。ただ、本人は侮蔑の意味が込められているとは思わず、むしろ気に入っているらしいが。
家族がいない。兄弟もいない。友人もいない。
言葉を交わす相手がいない。
ゆえに彼は言語習得が遅れた。遅れたと言うよりも、最終的に未だ必要だとは思っておらず、最低限の単語ぐらいしか口にすることはない。
今は周りも奇特な者ばかりなので、それで良しとしているため尚更。
それにトラウマもある。
墓地の近くにある公園。残飯を漁るために墓地の外へ遠征していた彼は其処で遊ぶ自分と同じく小さい子どもたちを見て、一緒に遊びたいと思った。
遠くから観察し、彼らの発する言葉を読み取り、
『ア、アソボ』
そう口にしたことがある。
返答は、
『うわ、バケモノだ!』
『あっちいけよ!』
嫌悪の眼と罵詈雑言、そして石であった。頭を抱えて、涙を浮かべながら退散する少年。彼はそれきり、自分から友達を求めることをしなくなった。
『ぅ、ぅぅ』
痛かった。石をぶつけられたところも、心も。
冷たい視線、誰も彼に優しい言葉をかけてくれなかった。一目見ただけで化け物と忌避し、近づくことはなかった。
そのくせ、肝試しや噂を聞きつけて遠巻きに見に来る連中はいたが。
人は、秩序は誰も彼に手を貸さなかった。
誰も手を差し伸べなかった。
だから、彼は妄想するしかなかった。自分と遊んでくれる相手を。人のぬくもりが欲しくて、腐臭のする死体を掘り起こし一緒に眠ることもあった。それが見つかり、怒鳴られて、暴力も振るわれた。
唯一の居場所であった墓地からも秩序が追い出そうとして来た。居場所がないことなど知っているはず。それでも、どこかへ消えろと。
秩序の中に彼の居場所はなかった。
最後の故郷も秩序に奪われる。
そんな時、
『やあやあ、はじめまして。君が『墓守』かい? はは、ぶちゃいくだねえ』
『ゥゥウウ』
『そう警戒しなさんな。なに、最近とある烏合の衆をね、創ろうと思ってさ。いずれ消えちゃうトカゲのしっぽなんだけど……それでよければどうだい?』
『……ぅ?』
彼は初めて生きた人間の、差し伸べられた手を見た。
その手を取り、握る。
はみ出し者の、烏合の衆、混沌、秩序の敵として立つ『悪者』たちの巣窟。
彼の拠り所である。
〇
「彼らに選択の余地などなかった。我々大人とは違う。秩序の中に居場所がある者たちばかりではない……混沌だけが、手を差し伸べた」
だから、少年は此処にいる。
「そういうこともある。心に留めてくれたなら、幸いです」
同情が欲しいわけではないのだろう。対峙した時に剣を緩めてほしいわけでもない。ただ、単なる醜悪な化け物を切り捨てた、で終わってほしくはない。
そう、リアンは思った。
クルス・リンザールがフィンブルの秩序、その腐敗を知り、それを正そうとした愚か者たちを知り、刃を振るったように。
同じように知ってほしかった。
知って、対峙してほしかった。
それはリアンの業でもある。わがままと言えば其処までか。
シャハルは無関係の彼がそれを知る必要などないと考えた。グレイブスだって別に同情など欲しくはないだろう。彼にとっては混沌が居場所で、クルスは何処まで行ってもその居場所にとっての敵だから。
だけど、リアンは彼には、彼だけには知ってほしかったのだ。
秩序と混沌、交わることのない二つ。
『創者』と『墓守』が自分たちを繋げてくれたように、自分たちを知る彼にも何かを望むのは、欲張り過ぎであろうか。
「昨日は随分と饒舌であったなァ」
「大人気なかったですかね」
「まあ、欲を持つのは大人も子どもも変わらん」
「……ですね」
リアンは苦笑しながら前を見つめる。
若者たちの背を――
「マスター・リンザール。正直、私はここまでずっと流されてきました。今も自分の立っている場所が正しいのか、正しくないのか、それすらわかりません」
「……」
「私は何も知らない。何もかもが足りぬのだと、昨日痛感しました」
「……自分もです」
「自分が何処に立つべきか、自分が進む道は何処か、それを考えるためにも……改めて知りたいと思います。偉大なる王、ウルティゲルヌスのことも」
「……」
「私を王の前に連れて行ってください」
「必ずや」
「うっ、うっ!」
「グレイブスも私を連れて行ってくれるのですね。ありがとう」
「うっうー!」
自分たちとは違う、明日を見つめてリアン・ウィズダムは笑みを深めた。
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