第364話:異変、始まる
「かわせ!」
敵の強大さ、危険度を察知した三人は瞬時に最適な編成を取る。ソロンをリーダー、指示役として後衛に、前を張るのは超反応で攻守ともに立ち回ることの出来るイールファスが務め、その二人を繋ぐ中盤は超スピードで攻撃の要となるノア。
迷いはない。
最適な編成、陣形を、最速で取った。
が、
『■』
赤い狗のような貌つき、その戦士は彼らが編成を、陣形を整える前に地面に紅き腕を突き立てる。それがより赤く、紅く輝き、
「「「ッ⁉」」」
三人の足元から灼熱のマグマが噴き出してきた。
「来るぞ!」
しかも噴き出しただけでは飽き足らず、マグマは形を変えて命を得たとでも言わんばかりに、無数の猟犬となって吼え盛り、こちらへ押し寄せてくるのだ。
一匹一匹が、
「速いじゃねえか!」
「ノア、陣形を崩すな!」
「動き過ぎ」
速い。
「動かされてんだよ!」
狙いは中盤、ノアを中心に襲い来る。一気に、陣の急所を穿つ一手。ソロンは顔を歪める。これだけでわかる。
『■■』
何を言っているのかわからないが、敵は陣を崩すために魔道を使ったのだ。剣で切り、倒すことはできるが、その度に陣が乱れていく。
そう仕向けられている。
(報告では剣を使う、ただ強いだけの戦士級だったはず。どうなっている? 違う個体なのか? 明らかに……戦力の桁が――)
思考の継ぎ目、其処に爆発音が耳朶を打つ。
耳に、鼓膜に音が到達したと同時に、
『■■■』
全てを抜き去り、黒き衝撃が音を置き去りにソロンの側面に到達した。
そして掌を向け、
『■!』
「……くっ」
黒き衝撃がソロンを飲み込み、吹き飛ばす。
「隙あり」
その攻撃と同時に、イールファスは黒き獅子のような魔族に剣を向けていた。人類最速級の反応速度ゆえ、過ぎ去る敵が見えていたのだ。
其処でソロンを助けるのではなく攻撃へ移行するのが彼らしい。
『■ぅ』
赤き狗が地中より伸ばした腕を斬り捨て、速度を落とすことなく剣を振るう。
バン、と音がして、
「……それ、天才」
普段何事にも動じぬ天才が驚愕した。
一歩、いや、半歩分、黒き獅子は衝撃を自らに撃ち込み、立ち位置をずらしていたのだ。小技と言えば其処まで。
だが、この局面で、敵の刃が迫る瞬間、その小技が使える。
その判断と技の切れ、何よりも豪胆さが敵の格を示す。
「戦士級じゃ、ない」
黒き獅子が笑みを浮かべる。
半歩、及ばなかったな若造。そう見えた。そう感じた。
獅子の咆哮、黒きそれがイールファスを飲み込んだ。
そう見えた。
「やっぱ俺がいなきゃダメだな!」
その一撃から辛くもイールファスを抱え、離脱したのは神速の天才ノアであった。しかし、彼の貌にも普段の余裕はない。
あるはずがない。
彼が一番、この場で理解しているのだ。
目の前の連中が、
「ノア、剣は?」
「抜かれた。助けてやったのにひでーやつだよ、あいつは」
あの時の、メガラニカの時と同じ肌感覚であると。
つまり――騎士級。それに比肩する存在である、と。
「はは」
イールファスを助ける前に、ノアは吹き飛ぶソロンの後ろへ回り込み、足蹴にして威力を相殺した。気迫の飛び込み、感謝の一つでもあるかと思えばソロンはノアの腰から剣を引き抜き、笑みを浮かべながら突っ込んでいく。
まるで子どものような、嬉々とした笑みである。
「舐めるな!」
自分の剣と、ノアの剣、勝負の場で投入するのは初。後天的な完全両利き、そして常人のくくりでは卓越した膂力。何よりも何事も常に突き詰める気性が、その邪道を王道へと昇華させていた。
左右非対称、歪みの双剣。
左右で別の型を行使し、相手を切り崩す。
これが新たな輝ける男のスタイルである。このままではゼロには及ばない。自分も自分だけの道を見出す必要がある。
そのための――
『『■■■!』』
面白い、とでも言うように敵たちは笑った。
突っ込むソロンの背後、地面から赤き狗が灼熱をまとい生えてくる。黒き獅子は自らの力を、衝撃を練り上げてひと振りの剣を作り上げた。
赤き狗も同様に灼熱の剣を抜き放つ。
「だから――」
挟まれたソロン。
しかし、
「舐めるなと言ったぞ」
笑みはさらに深まる。二つの剣はまるで異なる軌道を描き、彼らの剣を切り捨てたのだ。触れたもの全てを吹き飛ばす衝撃と、触れたもの全てを溶かす剣。
しかしそれは、魔導剣、現在の騎士剣がなかった頃の話である。
敵は初めて驚愕の眼を浮かべる。
その隙を、
「「隙あり!」」
逃すほどかつての三強は安くない。
ノアが運び、最大戦速のままイールファスを振り回す。
『ッ⁉』
ノアの速度から繰り出されたイールファスはその速さの中、顔を歪めながらぐにゃりと体も歪める。
この柔軟性もまた彼の武器。
振り回す軌道、それに反応し対応しようとした敵はさすがであったが、其処からさらにひと工夫を加えた此処までは読めない。応じられない。
「ギィ!」
騎士剣が、現代最強の武器が迸る。
だが、
『面白い。ウトガルドの騎士ではないのに、その香りがする。この剣もまた、うむ、凄まじい業物、興味深い』
音もなく、気配もなく、当たり前のように割って入り、当たり前のように騎士剣の攻撃を受け、当たり前のように体が両断されながら、何事かを口走る。
体の腕とは別に、腕が生えて切り裂いた後の騎士剣をちょいと抓む。
それに、
「「「……」」」
三人は畏怖を浮かべた。
ノア、そしてソロンは同時に別の、それでいて同じルーツを持つ騎士を思い浮かべた。本能が、彼らに全力の後退を取らせる。
いや、理性でもそう。
あまりにも危険な相手と遭遇した時は、その攻略法が見出せるまでは撤退するのもまたセオリーである。
仕方がない。二体の魔族も凄まじい戦力を持っていたが、おそらくヌシであろう彼らの主、王はさらに一つ桁が違う。
隊長格でも初見であれば絶対に戦うべきではない。
そう確信できる敵。
『我らの神術を断つとは』
『術は感じませんでしたが……どういうことでしょうか?』
『……ふゥむ』
『不死の王』は抓んだ騎士剣を見つめ、
『それに我らの姿もまた……大地からも神を、何も感じません。それなのに神術を使うことができる。どうにも気持ちが悪い』
『まあ剣に聞けばよかろう』
『あのザマで来ると思いますか?』
さらにその先、遠く北の大地を見据え、
『来る。彼奴等は騎士、ウトガルドの系譜。まだ成らず者であるが、それゆえに挑戦を辞めることはあるまい。待ち構えるとしよう』
身を翻しダンジョンへ、
『我らが故郷、ナーストレンドにて』
彼らの王国で待つ。
王は軽く指揮棒を振るうような所作をして、自らの力を発揮する。それと同時に大地が隆起し、大地に積み重なった無数の躯が、歪な命を得て、王の力を分け与えられて、王国の入り口を守護する番兵と化す。
遥か太古より、其処で散った命であれば扱うことができる。
それゆえに彼は『不死の王』なのだ。
『辿り着いて見せよ、若き騎士よ。例え仮初めの時であっても……ただひと時、我らと戦に興じるとしよう。なに、つまらぬ思いはさせぬ』
かすれ果て、風化し、黎明に敗れ、ほぼ全てを喪失し滅びた王とは異なる。
『戦士の矜持を御覧ぜよう。ゆえ、示せよ』
全盛期の王、ウトガルドとの戦争を繰り返し、渡り合っていた頃の王である。
〇
「お体に障りますぞ」
遠く西の果て、アスガルド王立学園の敷地内に聳える大樹ユグドラシルの天辺に、その老人は顔を歪めながら立っていた。
老人、グラスヘイムに声をかける同じく老人のウル。まあ、彼と比べたら自分など若造も良いところであるが。
「……最近思う」
「何をですかな?」
「わしは多くを教え、伝えてきた。その多くは騎士の規範となるよう、秩序の礎となるよう、言葉を選んできたつもりじゃ」
「全ての守り手たれ、紳士たれ、ただ無辜を守れ、とある偉大なるマスターが残された言葉ですな。わしは好きですぞ、どれも今は重く見えまする」
おべんちゃらではない。
心の底からウルはそう思っている。特に紳士たれ、はお洒落でユーモアもあり、本質を突く大好きな言葉であった。
「だが、その全てをわしは信じていただろうか。綺麗ごとを口走る中で、何処か寒々しい思いもあったのではないか。その言葉の多くはの、ウトガルドの言葉を変形したものにしか過ぎぬ。我が友の、調子のいい言葉を伝えたに過ぎぬ」
グラスヘイムは項垂れる。
教える者として、自分はこの地に流れ着くまで最善を尽くしていたか。全身全霊で、教育というとても大事なことに一意専心、邁進していたか。
「俺は空虚だ。所詮、成らず者でしかなかったから」
「……そのように、寂しいことをおっしゃられますな」
久方ぶりに見た姿にウルは相好を崩す。
かつて、イドゥンへの反撃を図るために組まれたチーム。まだ学生であった自分たちも腕を買われ、ユニオンの騎士たちと共に戦場へ向かうことになった。
相手はイドゥンの腹心、蒼き炎を操る最上級の騎士。
それでも若き彼らには自信があった。執念で磨き上げたリュディアの力と自分たち、さらにログレスにはもう一人の神童もいる。ならば勝てる、そう思っていた。
その誤った確信を、目の前の黒髪の騎士がへし折ってくれたのだ。
「俺の信じられぬことを信じろなど、虫のいい話であったな。我が弟子、ウルティゲルヌスよ。今なお、王にかけてやるべき言葉が見つからぬ、無能を許せ」
「……」
ウルたちはその時、騎士の本当の強さを知った。
しかし今、偉大なる騎士は悲しげに遠くを見つめ、懺悔の言葉を重ねる。あまり見たくない光景ではあるが、それもまた人の一面。
如何なる人物であろうと、どれだけの時を重ねても、正しいことなど誰にもわからないのだ。いや、重ねれば重ねるほどにわからなくなる。
「……許せ」
答えのあるものを教えるのは容易い。本当に難しいのは答えのないもの。それをどう教えるか、ウルもまた未だにそれが見つかっていない。
時折思う。教育者とは何と無力な存在であろうか、と。
〇
サブラグは世界中で始まった異変に顔を歪める。王が重なりつつある。それに伴い魔障が王の願いをかなえようと、王の力を再現しつつあるのだ。
真の魔王、魔を統べる王の特権。
問題は王の記憶が混ざり、その過程で整合性を持てぬようになっていること。どちらかならまだマシであった。どちらかなら、今の騎士でもどうにかなった。
だが、
「……王を討つ役割はともかく、戦を終わらせる役割を俺が担うことは出来ん。急げよ、若造ども。俺の想定より、どうやら時間は限られているぞ」
二つが最悪の形で重なり、世界に顕現しつつある。
王の見る夢。
この前までの片方の王が自らの意思で操るものとは比べ物にならぬ規模。人にとっては悪夢以外の何物でもないだろう。
当然のこと。
「願いはミズガルズの滅び……神が聞き入れた、負の恩寵だ」
それが解き放たれつつあるのだから。
〇
ユニオンにも続々と報せが舞い込む。予報から大きく外れた突発型ダンジョンの数々。その規模もまた尋常ではない。
隊長格も続々と出陣する。
大事である。
だが、そんなことなど露知らず、
「近づいて来たぞ。おそらく、明日には目視できるだろうよ」
「ようやくか。随分と遅かったな。呑気な騎士どもだ」
「強がるなァ。完治する傷なわけあるまいに」
「……戦いに支障はない」
北の大地で騎士たちの戦が始まろうとしていた。世界の危機と一国の内乱、それが繋がっていることなど知り得るは一握りのみ。
此処が全ての中心であるのだ。
知らずともクルス・リンザールは『偶然』、其処に立つ。
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