第363話:羊飼いは如何なる夢を見るか

「……なんだと?」

 ラックスを追う主力部隊の長はある報せに眼を剥く。

 それはスタディオン領での一戦、その結果であった。名門とは言えたかが一領主、一門の騎士程度一蹴出来る。

 その上で『暗部』をそれなりに振り分け、盤石の構えだと思っていた。

「あの時逃がした戦力が何故かスタディオン領に」

「……取るに足らぬ連中と思っていたが、まさか勝敗を覆して来るとは」

 部隊長と思しき男の健脚には驚嘆したが、それはそれとしてあれだけの戦力を持ちながら、即撤退を取り無駄な損害を出した差配には疑問符がついていた。

 潔さと言えば聞こえはいいが弱腰が過ぎる。

 少なくとも彼らが撤退した結果、クルス・リンザールは負傷して不透明であったラックスの足跡に道筋がついたのだ。

 ただ、逆に言えばだからこそ戦力を割く羽目になった、とも言える。弱腰で引き、手の内も隠し通したからこそ、刺さった部分もある。

 あちらが立ち、こちらが立たず。

 噛み合いと言えばそれまでではある。最初はこちらが噛み合い有利を取ったが、その噛み合いによって今、一つ大きな分岐点で後れを取った。

「スタディオン領へ向かいますか?」

「いや、逆だ」

「やはり、アウレリアヌスの方ですか」

「ああ。どれだけ反抗勢力が盛り上がろうと、錦の御旗を持たぬのなら最後は瓦解する。大義であり担ぎ上げる御輿、それを討てば戦は終わる」

 此処でスタディオン領へ向かう、もしくは戦力を割くのは大間違いである。戦力の逐次投入は悪手でしかなく、スタディオンにかまけて王を逃がすのは愚の骨頂。これが王権を巡る争いである以上、王さえ潰せば勝つのだ。

「……さして使えませんが『暗部』も?」

「陛下の血を分けてなお、あの程度にしか成らず者どもだが、時間稼ぎくらいにはなろう。本来、騎士団の末席にすら存在すべきではない連中、それを取り立ててやった陛下や御国に、少しでも貢献させてやれ」

「イエス・マスター」

 状況が悪化したからこそ、総力を結集して孤立した王を狙う。負傷した護衛の騎士もかなりの腕であったが、ノマ族である以上完治は難しかろう。

 ならば最大の障害となるのは――

(久しぶりに稽古を付けてやるか。ジエィの小僧に)

 ファウダー『斬罪』、元ユニオン騎士団第七騎士隊隊長ジエィ・ジンネマン。他も曲者ぞろいであるが、単純な戦力を考えればこの男が抜けた危険度を持つ。

 かつて、フェデルやカノッサと共に稽古を付けてやった相手。

 まだまだ肉体は充実している。

 若き日より経験を積み、厚みの増した小僧がどれほどのものになっているか、老騎士は楽しみにその時を待ちわびる。


     〇


 王都にも当然、スタディオン領での顛末は伝えられていた。

 想定すらしていなかった敗戦。いつも通り揉み消し、それでつまらぬ反抗の芽は消える、誰もがそう考えていた。

 それが覆ったのだ。

「……マスター・スタディオンが列車事故として処理した件の、生存者を目撃者として立て、各地の家に蜂起を促しております」

「所詮スタディオン如きの言葉、誰が立つと言うのだ!?」

「それが、その、新興の家を中心に、相当数が支持する姿勢を取り始め……」

「……損得勘定ばかりで動く俗物どもめ」

 ログレスはミズガルズの中でもかなりの歴史を持つ国であり、騎士の国として武門が王と共に長らく権勢をふるってきた。特に戦闘能力に優れ、長く戦えるソル族の血が入った一門は重宝され、上位の武門の大半はその血が入っている。

 世界中に散らばるソル族の中心地でもある。

 それが新興の武門にとってずっと面白くなかったのだ。どうしても伝統と格式、そして血を持たぬ一族は国家として日陰者。それなりに富をもたらしてなお、大して金を生まぬ武門よりも低く扱われてしまう。

 それを不公平と思う者たちは少なくなかった。

 潜在的にあったのだ。

 不満の種は。

「陛下のお考えは確かに過激に映るかもしれぬ。だが、そもそもがアルテアンの商人どもが裏でこそこそと魔道をばら撒き、民に剣を、力を与えようとしたから立ち上がっただけではないか。ウトガルドがいる内はまだいい。問題はその後、敵を失った後に残る制御不能な無数の武力だ。騎士に限定し、集約してきたから制御できていたものを誰もが持って見ろ。目も当てられぬだろうに」

「……それこそ陛下の苦慮されている、混沌でありますな」

「その通り。かつて、民は陛下に望んだ。騎士に望んだ。平和を、安寧を、それらを支える秩序を! 今更、混沌の時代になど戻してなるものか」

 彼ら老人は知る。

 大戦より前、暗黒の五百年を経てサブラグを打ち破った黎明の騎士、彼とその弟子たちが苦心して築き上げた薄氷の平和、安寧。

 エンチャント全盛の魔法時代、それが――イドゥンの襲来で大きく揺らいだ。多くの騎士が散った。多くの民が血を流した。

 怒りの炎がミズガルズの大地を焼いた。

 秩序が揺らぎ、失われかけた時代。暴力が苦心して築いた秩序を破壊し、混乱と混迷の時代、その激動を知るからこそ、許せぬことがある。

 時代遅れは重々承知。

 その上で、

「陛下、ご報告がございます」

「……申せ」

 彼らは秩序の敵を取り除くため立ち上がった。

 それが新たな秩序の始まりならば今まで通り、甘んじて受け入れる。肉体はともかく、自分たちの時代と違うことは理解しているのだ。

 だが、其処に秩序の崩壊、その予感を見た。

 秩序が失われた地獄、失われた秩序を取り戻すための血と汗。それを知る者と知らぬ者では視点が違う。

「そうか。若き騎士が精強であったのは、よきことだ」

「た、確かにそうですが」

「案ずるな。正しき道を進めばいつか若き騎士たちも理解するだろう。我らの正義を。社会正義のためには時に、剣を血で染める必要もある。秩序の維持こそが世の安定に、安寧に、恒久的な平和に繋がる、と」

 魔王を討てば世界が救われる。

 そんな簡単な話ではない。魔王が破壊した秩序、秩序無き世で人は誰もが紳士的ではいられない。荒れた畑がすぐさま元に戻るか。答えは否。そんな状況下で食料は充分に行き渡るか。それもまた否。

 餓え、窮した人は容易く獣となる。

 人が人を殺す、混沌の時代では日常茶飯事である。

「正義を成せ」

「イエス・マスター!」

 騎士の王、その命を受け騎士たちは奮起する。

 魔を生むは悪、そんなもの退魔の騎士として長く戦ってきた彼らが一番よく理解しているのだ。その悪を誰よりも討ち続けてきたのだから。

 過ぎた破壊は地獄を生む。

 魔王イドゥンの進撃を前に彼らは知った。

 されど、魔王が去った後に、大敵が去った後の人の振舞い、それもまた地獄であったことを彼らは知る。

 その地獄を取り除くため、跋扈する魔と共に裏で人を斬ってきた。

 必要であったから、そうした。

 人が人を害する地獄。

 歴史の裏側、騎士たちが力ずくでもみ消した時代の影。

 老人ゆえに、彼らは知る。

 只人に剣を与える、容易く獣となる者たちに力を与える。

 そんなことあってはならぬのだ、と。

 ならば、完全に制御可能な悪を創り出し、正義と悪をどちらも制御し続け、小さな犠牲によって大きな秩序を、社会を、人々を守り育む。

「……」

 人間もまた所詮は獣、サル山の秩序は常に力によって維持される。

 それだけのこと。


     〇


 王は夢を見る。

「全ての守り手たれ」

「イエス・マスター」

 ただ一人、世界を放浪し続ける真の騎士。一体どれだけの年月、どれだけの戦場を潜り抜けたら、あの眼が形成されるのだろうか。

 本人曰く残り火、それでも必死に燃やして、絶やさぬように旅を続けた。

 騎士の鑑であり、始まりの騎士。

 だけど、

「……どうした、ウルティゲルヌス」

「いえ」

 時折、彼の眼はとても空虚に見える時があった。口では理想を語りつつ、何処かそれを信じていない、信じ切れていない。

 そう見える時があったのだ。

 残り火でも誰よりも強い。誰にも負けなかった井の中の蛙に、世界の広さを、騎士の高さを教えてくれた。今も彼から教わったことが自分の背骨である。

 その教えを基に、この地に学び舎を作ったのだ。

 今でも彼が誰よりも理想の騎士、騎士の中の騎士であったと思う。長き時、自分も含め多くの騎士を見てきた。

 大戦の英雄たちは目を見張るほどの傑物であったし、その中に自分の子がいたことは今も誇りである。

 混迷の時代、それを駆け抜けた騎士も見所のある者が何人もいた。

 今も活躍している者もいる。

 だが、その反面、そうでない者たちもたくさん見てきた。たくさん、たくさん、たくさん、そんな者たちも全て守ってきた。

 でも、きっと途中で自分も師と同じ眼をしていたのだろう。

 何故、俺はこんな者たちまで守らねばならないのか、と。

 人への絶望、失望、それが枯れ枝に悪夢を見せる。

 大事に守り、育んできた秩序が崩壊し、混沌の闇が世界を包む悪夢を。

 その中心には――

「……俺、か」

 何故か自分がいた。

 夢と現、その狭間に王は立つ。

『守るのだ』

「……本当にそう思っているのか」

『……』

「同じ眼だな。卿も、俺や師と……この前の騎士も、そうであったか」

 嗤うしかない。

 人を守るために手を尽くしてきたからこそ、彼らは同じ気持ちを抱いているのだ。失望が、絶望が、そう思ってしまう自分への負の感情と共に流れ込んでくる。

 王は優しい夢を見ることすら出来ない。

 何がために剣を握ったのか。何がために守るのか。

 今はもう、掠れて思い出せない。


     〇


「ふいー、きつかったぜー」

 戦士級が何体も控える難関ダンジョンを無事攻略したノアは大きく伸びをする。さすがにタフな彼も堪えた難易度であった。

 だが、三人寄れば何とやら。

 この二人を無理やり招集したノアの勝利である。

「じゃ、俺は用事があるから先に失礼するよ」

「俺も」

 しかし、達成感に浸る間もなく、こそこそと帰還しようとする同期の友達。ノアは二人を友達、否、親友だと思っているが二人はそうでもない。

「打ち上げは⁉」

「必要ない。ただ、イールファスの用事が気になるね」

「言う必要なし」

「ちなみに俺は故郷のログレスに用があるよ」

「……」

「まさか被せないだろうなあ。恥も外聞もなく」

「……勝った方がログレス行きで」

「俺は構わんよ。ノア、報告書には一人戦死を書き加えておいてくれ」

「マスター・グローリー、無念の戦死で」

「書き加えねえよ!」

 この二人をまとめる唯一の問題は、基本的に同族嫌悪なのかウマが合わず、とにかくことあるごとに衝突するのだ。

 それを差し引いてもお釣りが出るぐらい二人とも優秀なのは周知の事実だが。

「じゃあ、間を取って俺がログレスへ行くから報告よろしく」

「「は?」」

「よくわからないけど、二人が行きたがってるの見たら俺も行きたくなっちゃった。確かクルスもいたし、焼肉でパーッと打ち上げしたいじゃん?」

「「……」」

 なお、ノアもご存じの通り一筋縄ではいかない難物なので、ツッコミ役と思いきや最終的には二人をぶち抜いて駆け抜けていくところはある。

「よし、そうしよう! それに決めた!」

 閃いたら即行動。山にこもり行方不明になるぐらい、謎の行動力がある男なのだ。簡単には止まらない。

「待て。業腹だが此処はじゃんけんで勝負だ」

「異議なし」

「え、俺行きたいから嫌なんだけど」

((こいつ))

 こっちがじゃんけんで譲歩しているのに、一番後出しの男が何故か一番に言い出したぐらいの顔つきをしている。

「ってか三人で行こうぜ! それでみんなハッピー!」

「「まあ、それ――」」

 しかないか、と業腹だが飲み込もうとした時、


「「「ッ⁉」」」


 三人がほんの少し前、攻略したばかりのダンジョン。崩壊した場所に、再び地鳴りと共にダンジョンが発生し始めた。

 それも、

「デカいぞ!」

「……おっどろき。天文学的確率」

「……ありえない」

 先ほどよりもさらにデカい。

 そして、

「おいおいおい、さっきのもそうだったけど、やたら好戦的だな。最近の魔族は」

「先頭のがヌシだ。わかる」

「……あの姿、何処かで……確か、クルスが過去に」

 発生と同時にダンジョンの中から現れる魔族の軍勢。

 その先頭に立つは、

『■■■■!』

 戦士の王。

「赤いの、黒いの、どっちもさっきのヌシより強い」

 両脇を固めるは王を支える戦士の長たち。

「みてーだな。……これ俺たち勝てるか?」

「報告書より……強く見えるな」

 『不死の王』、此処に顕現す。

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