第358話:時を超え、王と騎士

 長き戦の時代、それに終止符を打った王。

 そして、

「……」

 自らが打ち立てた統一王国を、自らの選択により滅ぼした王。

 サブラグらが剣を捧げし、

「どうしたのだ? サブラグよ」

 王。

「……ご無沙汰しております、陛下」

 サブラグは魔族化の進行を抑える薬を服用しながら、残っていた理性を、すでに風化しかけた知識、かつて積み上げた技術を総動員して、自身に向けられていた神術を応用した魔除けの陣を一旦解除する。

 これで魔族化を強制する仕組みも収まった。元は同じ根、おそらくはこの王宮の地下に存在するシステムによるものである。

「ご無沙汰? はは、昨日遠征から戻ってきた際に、共に酒を飲んだであろうに。さては卿、まだ酒が抜けておらぬな?」

「……昨日、ですか?」

「うむ。イドゥンのやつと白熱しておっただろう? まあ、それに関してはこちらもな、角を立てた部分はあるが……どうした、その貌。まるで――」

 サブラグの脳裏に過ぎるもの。

「――悪夢でも見ておるようだぞ?」

 それは、

「……イドゥンが激怒していたのは、どういったものでしたか?」

「おいおい、卿は昔からさほど酒が強くなかったが、それにしても昨夜のことを忘れるのは大概であるぞ。議論となったのは、神降ろしの件だ」

 神降ろし。

 ミズガルズを滅ぼすと言う願いをかなえるため、神は確かに力を授けてくれた。あの状況から千年、事実としてウトガルドは戦い続けている。

 ただ、人ではなくなったが――

「……俺は、陛下に賛同していたのですね」

「ああ。シャクスらも賛同してくれている。ギムレー、ゼピュロスも全肯定とはいかぬが説得は出来た。あとはイドゥンだけなのだ。長い付き合い、ウトガルドを救うと言う志も同じ。穏当に行きたいのだがなぁ」

「……はは」

 あの頃、自分は視野狭窄で、力で何とかしようともがいていた。正直、神降ろしの件も王や皆がやりたいのなら好きにしたらいい、自分は自分の本分を果たすだけ。戦うことしか考えていなかった。

 考えることが出来なかった。

 よりにもよって、自分が止められたかもしれないこの時とは――

「因果か」

 友、イドゥンはこの時唯一、王のやろうとしていることに反対していた。彼の派閥の騎士たちも賛同しているのに、頑迷な男だと思っていた。王や皆の苦悩が和らぐのなら、好きにさせてやれ。そう言って喧嘩をした日。

 よく覚えている。千年経っても消えぬ。

 きっと、死ぬまで自分はこの時の己を呪い続ける。

「イドゥンが水面下で、ミズガルズ側の者と意思疎通を図るため、言語の研究や使者と幾度も接触していることを、陛下はご存じですか?」

 サブラグが何処か投げやりに放った言葉を聞き、

「……初耳だな」

 王の貌から笑顔が消える。

 ミズガルズへの敵意、この時代の多くが持ち合わせていた感情が――零れ出る。想像通りの貌、この後、彼らはそれを見せるのだ。

「その話は真か? 本当に我が友が、今更そのようなくだらぬことをしておるのか? 我が友、我が騎士が民の想いを無碍にしているなど……思いたくないぞ」

「俺は、それが正しいやり方であったかと思います」

「サブラグよ、卿もどうした? 弟が家族を失ったことを忘れたわけではあるまい。怒り、嘆き、逆襲を誓ったはず。そうして卿は反抗作戦で多くの蛮族を切ってきたではないか。あれを我は、失敗とは思っていない。足りなかっただけだ、力が! 卿らに頼り過ぎたが、今回の儀式でそれも解決する!」

「ミズガルズにも厭戦意識があった。あの反抗作戦で我々は加害者にもなったのです。戦争です。どちらも多くの血を流した。あちらもそろそろ手打ちとしたい、そういう考えがあったと、イドゥンが使者から聞いております」

 王の貌が歪む。

 そう、この貌なのだ。王や弟、イドゥン以外の多くの騎士が隠していたもの。

「聞きたくない。卿らしくあるまい。『天剣』とは、そういう騎士であったか?」

 これからしばらくしたのち、イドゥンが儀式を止めるために自身の計画を伝えようと御前に使者たちを連れて現れ、王とシャクスがそれを全員斬り捨てる。

 イドゥンとの決裂と共に、その時初めてサブラグもまた疑問を抱く。

 其処に至るまで――

(……そう、俺はただ戦うだけの騎士だった。騎士? くく、阿呆が。ただの戦士だ。怒り、狂い、そう成った者はまだ救いがある。俺は理性をまだ手にしながら、それでも考えようとしなかったのだ。その結果、全てが間に合わなかった)

 何一つ考えようとしなかった自分の愚かさ。

 それを呪い続けた。

 意識を取り戻してからずっと、今も止められた場面を思い出している。何の意味もないことだと知りながら、それでも――

「陛下」

 魔族化に抵抗し、期せず屈していた膝。正気と共にサブラグは足に力を込めて、立ち上がる。彼らが悪かったわけではない。怒り、憎しみ、感情に飲み込まれるのは人の性質。ゆえに王らが悪いとは思わない。

 そも、始めたのはあちら側である。

 悪くない。だけど、間違えたとは思う。

「俺は全てを陛下に預けて参りました。支えると言いながら、その実何もしていなかった。統一後の苦悩の日々、大して役にも立たぬ懐剣の頼りなさに、苛立つこともあったでしょう。それでいて俺は一丁前のつもりだったのですから」

「サブラグ、どうした? 酔っているのか?」

「戦場での日々、俺はとても楽しかった。苦労も沢山ありましたし、多くの友を失った。それでも、俺はあの日々が一番充実し、良き思い出として残っている」

 自分たちにとって幸せの日々。民からすればはた迷惑な話であるが、戦士である自分たちにとってあの日々はかけがえのないものであった。

「……余も、我、私、俺、も……そう思う」

 それは王であったモノにとっても、そう。

 王の貌が歪み、揺らぎ、その下から出てくるのはかつての姿。王であり、騎士でもあり、そして誰よりも戦士であった男の貌。

「力で成し遂げた統一、ようやく終止符を打った戦の時代。正直申しますと、俺は夢の時間が終わったような気分でした」

「……俺もだ」

「何処まで行っても戦闘狂の戦士ばかり。はは、かつて『不死の王』が申しておりましたな。人は争う生き物だ。一つとなっても、その火は消えぬと」

「……ああ。負けたくせにな。偉そうに、講釈を垂れてきたものだ。懐かしい」

「統一後、政治闘争へと形を変えた戦に、我々は適応できず、常に疲弊し続けていた。きっと、ミズガルズが現れずとも、早晩破綻していた気がします。統一王国が形を保っていたのは、統治の手腕ではなく単なる厭戦気分でしたから」

「……そうだな。その通りだ。イドゥンのようなことを言うな、今日の卿は」

 疲れ果てた王の、弱り果てた貌が其処に在った。

「陛下はとうの昔に、人に、ただの剣である俺に、期待を抱けなくなっていた。愛することが出来なくなっていた。違いますか?」

 疲労濃い中に、僅かに喜色が混じる。

「それは違うな。俺は卿がいてくれたから耐えられたのだ。あの頃の匂いが、隣で立っていてくれたから……だから俺は、王でいられた。強がることができた」

 本音の吐露、それを聞きサブラグは込み上げるものを抑え込む。

 揺らぐな。

「俺たちは戦士でしかなかった。王となるのではなく、王を探すべきだったのかもしれません。であればきっと、歴史は今日に至ることはなかった」

「……イドゥンの、いや、違う。そうか、卿は、その先にいるのか」

 王の眼には騎士が立つ。

 迷いなき眼で。

「それでも歴史は此処に至った。たかが戦士一人、成らず者に出来ることなど知れている。それでも全力で、俺は俺のやるべきことを成します」

 王が、騎士の皆が出来なかったこと。

 ただただ犠牲となった我が民を守る。そのために人生を捧げると決めたのだ。

 どんなことをしても――

「……俺は、止まらぬよ」

「存じております。それを咎めるぐらいの甲斐性は残しているつもりです」

 サブラグは自らの意志で、最後に王の前に膝を屈し頭を垂れる。

 騎士の務めを果たす、その意志がありありと浮かぶ。

 それに、

「……そうか。なら、戦おう」

 王は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「はっ。時が来たら、必ずや。『天剣』の名に懸けて」

 王が静かに、その言葉をかみしめるように目を瞑り、眠りにつく。時が来るまで、戦友との、騎士との戯れのために力でも蓄えているのかもしれない。

 王の眠りを見送り、サブラグは立ち上がる。

 そして気絶していた研究者の近くに寄り、

「起きろ」

 とうに目覚めていたトレヴァー、その襟元を掴み揺り起こす。

「ひ、ひっ」

「貴様の才、その上限を俺は知っている。神術を一から構築する才はない。下の遺跡を利用するのが関の山。そんなものが残っていたのは驚きだが、それはいい。小僧どもが始めた戦争の趨勢を見届け、俺が成すべきことを成す。再びな」

 サブラグはトレヴァーの首に触れ、

「っ⁉」

 古き陣を刻み込む。久方ぶりに行使した、神術である。彼らがそれを使える環境、それはサブラグにとっても同じ。

 むしろ、その練度は彼らの比ではない。

「俺のことを口外すれば、その陣が作動し貴様を殺す。俺が俺の王に伝えるべきことを伝えたように、貴様は貴様の王に伝えておけ。小僧相手の戦争を大きくしたいのなら、ミズガルズを滅ぼしたいのなら、俺の情報を漏らせ。その時点で、俺は戦いのみでの戦争に切り替える。まず、このログレスを滅ぼす」

 今度は自分の意志で、その真紅の眼を開帳するサブラグ。

「選ぶのは貴様たちだ」

「……は、はい」

 相手の言葉と共にサブラグは襟元を手放した。

 もう興味はない、とばかりに。

 ただ、はたと立ち止まり、

「小僧どもが勝てば、貴様の復讐心が、妄執が生んだ成果を俺たちがいただこう。執念の産物、存外期待している」

 伝えるべきことを伝え、玉座の間を去った。

 玉座の間を区切る扉の前、其処にはこの王宮に現在残る、全ての騎士が集まっていた。集まっていたが、最後の一線を踏み越えることが出来なかった。

 その理由は、

「何か?」

「……い、いえ」

 扉の奥より伝わる圧、それが彼らの足を止めていたのだ。

 その圧の余韻を残す騎士、その歩みを彼らは咎められない。尋常ではない。こんな騎士を見たことがない。

 止めるべきなのに、足が、手が、剣が、動かない。

「……お返しいたす」

「ありがとう」

 門の外で騎士剣を返却してもらい、サブラグ、レオポルドは宮殿を後にする。王と研究者のみが知る情報は漏れない。騎士たちは何も知らない。

 何故なら、

「あとは待つだけ。楽しませろよ、小僧ども」

 この男が、騎士が、強いから。

 天より、高みの見物を決め込む。その時が来るまでは。


     〇


「ぐ、ぅ」

「うー!」

「おお、起きたか。寝坊助が」

 廃屋の隅で、クルス・リンザールが起き上がる。鈍痛が滲む、腹を押さえながら。自らの不覚に、顔を歪めながら――

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