第357話:時を超えて――
「……列車事故、そう、ですか」
通話機によってもたらされた情報はディンの表情を曇らせるにふさわしいものであった。先ほど入った線路上に突如、魔族が現れて線路が切断、列車の足が止まる『突発型ダンジョン』による事故もそう。
今回のファウダーによるテロ、それによって列車の乗客、その大半が死んでしまった事件も、そう。
あまりに重なり過ぎている。
あまりにも――
「……くそ」
今のディンたちにとっての逆風となっていた。第六騎士隊、世界中に拠点を構えるメガラニカに次ぐ規模の私設騎士団であるワーテゥルの後ろ盾が分断され、リリアンと共謀し案件を組み上げたフレンも限りなく死亡に近い行方不明となった。
偶然なはずがない。
それに現在、ティルたちとも連絡がつかない。彼らと合流予定のクルスとも連絡が途絶えた状況。
無事なのか、それとも――
「さすがはログレス、一筋縄ではいかないね」
「ですね」
ただ、レオポルドとバレットはその報せを聞いても平然としていた。まるでその程度、やるだろうと想定していたかのような態度である。
実際、そうなのだろう。
これは年季の差、そして、秩序の裏側を知るかどうかの、差。
「……マスター・ゴエティア、これはもう」
勝てない。相手が悪過ぎた。
ディンがそう言おうとしたら、
「その先は聞きたくないな。今更白旗を挙げて、彼らが笑顔で迎え入れてくれると思うかい? よしんば今許してもらえたとして、蜂起を促した君たちは状況が落ち着いたら順番に処理されるだけ。残念ながら手遅れだよ」
「……わかって、いるつもりです。でも――」
此処までやるとは思わなかった。自国にファウダーが紛れ込んだことをいいことに、自分たちの犯罪行為を擦り付ける。擦り付け、自国の、他国の、無関係な民をも巻き込んだ。多くの命を、ディンたちの選択が奪った。
「戦争だ。人は死ぬ。まさか血のない革命があると思ったのかな? 死ぬよ、関係、無関係にかかわらず、既得権益に踏み込むとはそう言うことだ。勝者が上手く隠蔽することはあっても……むしろ無関係の者ほど傷つくのが戦争だと思うよ」
「歴史を紐解けばいくらでもありますね。珍しくもない」
「……」
平然としている、そんなこと当たり前だと言うように。
「君もいつか上に立つなら、こういうことは大小あれど必ず遭遇する。あちらを立てるか、こちらを立てるか、誰を生かし、誰を殺すか、結局我々は何処まで行っても単なる武力でしかない。暴力による調整、それが騎士の社会的機能だ」
「殺すことに慣れろ、とは言いません。ただ、今後選択の際はこうなることを覚悟し、選択することです。無関係の民、その犠牲に見合う正義か否かを」
「私たちはそれに見合うと思い、君たちに協力しているつもりだよ」
秩序の守り人、そのトップである隊長の眼。
それにディンは圧倒されてしまう。如何なる犠牲を払おうとも道を歩む覚悟。きっと、彼らだけではないのだろう。
それを持ち合わせるか否か、それがきっと上と下の差。
羊飼いと羊の、差。
「さて、では私は先王にご挨拶へ向かうとしようか」
「こ、この状況で、ですか?」
「この状況だから、だ。臆したと見られたら、本当に終わる。窮地にこそ笑顔で、悠然と歩む。自信満々に……それが勝負所にすべき貌だよ」
立ち上がるレオポルドの姿は本当に、僅かほどの恐れすらなかった。まるで自らこそが最も強く、誰が相手であろうと、どれだけの数が相手であろうと勝つ。
そう、心から確信している。
そう見える。
(……底知れない人だと思っていたけど、今ようやくわかった。これが本気でも、ハッタリでも、どちらであっても……こういう人が頂点なんだ)
絶対的な何かが彼を立たせている。
自らの歩みに、自らの道に、僅かばかりの揺らぎもない。
その道を進むと決めた者の立ち姿。
「手短に……私が王の首でも取ってこようか?」
「……っ⁉」
「ははは、冗談冗談。今日はただの……確認だ」
心配する気も起きない。
おそらくこの国で最も危険な領域へ向かう背は――
「あの、マスター・カズン」
「なんですか?」
「……マスター・ゴエティアの剣の腕って、その、やはり飛び抜けているのですか? 今、すべき質問ではないかもしれませんが」
ディンの様子にバレットは苦笑して、
「今、君が感じているものが全てです」
煙に巻いた。
〇
旧き宮殿、新宮より続く道を歩みながら、
(……ほう、地下に何かあるな。魔導や魔法じゃない。魔道とも……つまり、そういうこと、か。くく、何処までもこの国は俺を逆撫でしてくれる)
レオポルド、サブラグは様々な因果の入り組む様子を感じ取っていた。直接見たわけではなく、あくまで感覚であるため確信はない。
ただ、最先端の魔導技術を結集しても及ばぬ魔除けの存在は笑いがこみ上げそうになる。魔道が通らぬわけであろう。
おそらくこれは――
「貴殿がマスター・ゴエティアか」
「如何にも」
宮殿の入口に立つ騎士がじっとこちらを観察してくる。
ゆえにサブラグは笑顔で返した。
「……宮殿内、騎士は帯剣出来ぬ。預かってもよろしいか?」
「無論、そのつもりですとも」
それが一番、威圧感を放つ強者へのアンサーであると彼は知っているから。鉄火場での笑顔は武器である。
貴様は俺の敵ではない。
最も容易く、それを相手に伝える方法であるから。
「どうぞ、確認を」
「失礼する」
常軌を逸した強力な魔除け、剣も奪われて徒手空拳となる。今、目の前の騎士は必死に帯びた武器はないかと探しながら、同時にサブラグの揺らぎも確かめていることだろう。かすかな怯え、ほんの少しの揺らぎ、何かないか、と。
何せ、自分たちの王の前にさらすのだ。
出来れば、
(凡夫であってほしい。気持ちはわかる)
ただの凡夫であってほしい。それは当然の考えであろう。揺らいでみせ、安心させてやるのも手ではあるが――少々状況が悪くなりすぎている。
ならば、多少強く見せておいてもいいだろう。
どうせ御前に至れば隠しようもないのだから――
「……案内いたす」
「感謝いたします」
宮殿の中はかなり古めかしい造りであった。そして重要なのは人の気配があまりしないこと。騎士の静かな気配はより少ない。
相当数、出払っていると見ていい。
(なら、昨日までは生存していると見ていい、か。さすがに女王陛下を失えば力ずくしか選択肢がなくなる。出来れば建前の余地は残したい。先に表舞台に上がった方が負ける、それが今のミズガルズでの政治ゲームだからな)
どの陣営も次なる時代、そのスタートへ向けて準備している局面。ある意味でログレスもそのつもりなのだろう。
ただ、陣営としては大国とて所詮一国、弱小である。
今回の苛烈な攻め方はやり口に窮した、と言う見方も出来る。如何なる勝負も先に手札を切った方が、しのがれた場合窮することとなる。
どうせ最後は自分が終わらせるゆえ、無駄な消耗を避けるべくデルデゥを除き、クルスらを『見て』いない。そのデルデゥ、レイルに関してもフォルテと合流した時点で視界から外した。あの女傑が付いたのならしばし安全であろう。
所詮ついで、本命はクルスが守る王位継承者。
それすら――
(些事だ。わかるか、旧き秩序の王よ。たかが一国、何ができる? とうにそんな局面は超えているのだ。俺も、ウーゼルも、あの女も、そのために備えてきた)
大局からすれば小さなこと。
それが見えていない相手は――
「こちらだ」
「失礼いたします」
「粗相なきように」
「もちろんですとも」
敵ではない。
力ではない。それで敵わぬのはおそらくかつての自分が、そして百年前にイドゥンが証明した。それと同じ道、哀しいかな、それでは天に届かない。
「……」
「お初にお目にかかります。偉大なる先の王よ。我が名はユニオン騎士団第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティアと申します。以後、お見知りおきを」
王を守護する騎士たちが先の王、その言葉に反応する。
だが、
「よい。丸腰の騎士、剣を向けるは騎士道に反する」
「……はっ」
それを王自らが制した。
「噂は聞いている。ユニオン騎士団を変革した時代の寵児、と」
「滅相もございません。私如き、マスター・ウーゼルが作り上げた流れに乗っただけの凡俗。時代を創るのはいつも、長たる者でありますゆえ」
「……ウーゼルの子か。あれは単なる物真似ぞ。常に、すでに亡き者の影を追い続けている。力はあれど、その志に強さはない」
「……よくご存じのようで」
「子だ。人の根は変わらぬ。あれは、長たる者ではない」
「私にとっては偉大なる先駆者でありますよ」
互いに懐の内は見せない。サブラグはもちろん、ウルティゲルヌスもまた国家を守ろうと、滅亡の道を歩まんとする暴君の姿はなかった。
さて、どうしたものか、とサブラグは考える
さっさと本題に入り腹の内を探るか、それともまずは談笑を続けてじっくり見極めるか。このまま凪では意味がない。
その考えを察したのか、
「下がれ」
「し、しかし陛下」
「……」
「ぎょ、御意」
先に王が動く。周りの騎士を下がらせ、サシの状況を作り上げた。サブラグにとっては好都合、魔除けによって魔道は封じられているが、リスクを取り全力であれば何とかできないこともない。
まあ、この状況で首を取ればさすがに面倒なことにはなるが――
「マスター・ゴエティアよ。何故卿は魔道を探求する?」
王の問い、それにサブラグは、
「魔族を解き明かし、世に平和をもたらすためです」
嘘偽りのない言葉を放つ。
ただし、世がミズガルズを指してはいないだけで。
「人同士に争いの種をまいて、か?」
「はて、何のことでしょうか?」
「とぼけるな。人を魔族とする外法をばら撒き、無理やり騎士の剣に代わる力を民に与えようとしている。それが如何なる結果を生むか、理解しながらも」
「……それはアルテアンでは?」
「同じことだろう?」
このような場末に引っ込んでいても、さすがは偉大なる王、それなりに世のことは把握しているらしい。
「ならば、人でなければいいと?」
逆にサブラグが問う。
そちらのやっていることは把握しているぞ、と言う意味を込めて。
揺らぐか、見据えるも――
「人がまとまるには敵がいる。それを人の手で調整できるのだ。最も効率的で、平和的な仕組みだと考える」
「なるほど、道理ではあります」
何事にも道理はある。歴史上、突拍子もないことが起きたとて、その裏側には必ず何らかの理屈がある。
これは騎士の、王の理屈と言えよう。
騎士の存続と新たな秩序の確立。全てをコントロールするのだから、秩序の側から見れば恒久的な平和を確立するも同じ。
理解はできる。
人への失望が、絶望が、その道を生んだのだ。
「我らと組まぬか、マスター・ゴエティアよ」
「残念ながら我々の騎士道は重ならぬかと」
「そうか……残念だ」
もし彼がウトガルドの王であれば手を組む道もあったかもしれない。人に絶望しているのは、サブラグも同じであったから。
統一時代、苦悩し続ける王と共に在った。
レオポルドとしてミズガルズの秩序、その表も裏も知った。
人は変わらない。
「何故か、卿とはわかり合える気がしたのだが」
「時が異なれば、あるいは」
「時、か」
双方小さく笑みを浮かべ、すぐに切り替えた。
交渉が破断したのだ。
なれば――
「時にマスター・ゴエティアよ。卿は随分と若く見えるな」
「よく若作りをしていると言われます」
「経歴を見るに五十は超えていよう。だが、その方の姿に年輪を感じぬ。ただ、言葉を交わしてわかった。心は間違いなく、深き年輪を感じさせる。外見に見合わぬ深さ、実に興味深い。卿を知りたい、そう思う」
「……」
もう敵同士、そして今、互いに間合いの内側にいる。
「陣を起動せよ」
「御意」
「……っ」
サブラグに慢心があったわけではない。細心の注意を払い、周囲への警戒も怠っていなかった。だが、もう一人この場にいるのはわからなかった。
魔道は使えない。
なれば、この術理、その基幹部分は――
「御機嫌よう、所長。ご無沙汰しておりますゥ」
「……久しいね、トレヴァー・メイフィールド」
現れた男は白衣を身にまとい、嬉々として膝を屈するサブラグを見下ろしていた。かつてサブラグ、レオポルドが所長を務める研究所の研究員、その中心であった男である。レイルと入れ替わりで、この男はレオポルドの下を去った。
プライドの高い男、許容できなかったのだろう。
自分がぽっと出の、当時は名も知れぬ研究者に劣る、その事実が。
随分と前の話であるが――それからずっとこの男はログレスにいたのだ。自分を切り捨てた男への怨讐、それを抱きながら。
この国で魔道研究を続けていた。
「名前を憶えていていただき、恐悦至極にございますねえ」
「……この陣は、魔除けを反転させたものか」
「その通り。つまり……第十二騎士隊の隊長であり、魔道研究所の所長であるあなたは、すでに魔族化している、という証明となったわけです」
膝を屈するサブラグの眼が、真紅に染まり始めた。
黒き瘴気が、身の内より零れ出る。
「大スキャンダル、これは事件ですよォ」
「……ぐ、ぬ」
魔道を防ぐ、魔族を近づけぬ力を反転させ、魔障を活性化させる陣を敷く。サブラグが魔族である、と推測し当てに来た。
魔族化の進行、それと同時に強力な魔除けの効果が身を焼き始める。反転させた陣と元々存在する魔除け、それらは並行して機能していた。
やはり人ではなかった。ファウダーの魔族化が完成した時点で、あれほど情熱を燃やし魔道を探求していたレオポルドが魔族化に手を染めていないわけがない。
トレヴァーの推測通りだった。
ただ、
「……いいのか?」
一つ彼は勘違いしている。
「はィ?」
自分がたかが魔族化で魔道を得た、木っ端であるという考え。
それが大きな、致命的な勘違いであった。
「俺が俺でなくなっても、いいのか?」
身を焼くは土地の力、神の力、懐かしさに涙が出そうになる。そう、その程度でしかない。魔障の王を討ち取った自分たちは次の王となった。
誰よりも濃く、大量の魔障を浴びている。
この程度で縛れる規模ではない。
一度目の顕現の際、その多くを失ったことは認めよう。その理由は定かではないが、失ったおかげで正気を取り戻した。自らの天の力を使い、何者でもなく、何者かになりたかったただの凡夫、レオポルドと繋がり彼と契約を交わした。
力が欲しければ自分を受け入れろ、と。
それで心を飲み込み、肉体を得たのだ。
その際、魔障の力はかなり薄れていた。
だが、それはずっと昔の話である。進行を押さえてもじわじわと体を蝕む魔障は年々増大し、自らを飲み込もうとしてくる。
それを彼は律し続けているのだ。
「天ノ、俺ノ間合いだぞ、友ヨ」
サブラグの眼がぎょろりと蠢く。
その瞬間、玉座の間の至る所に黒い球体が、小さなダンジョンが発生し始める。無数のそれから、伸びるは無数の剣。
刹那、『天剣』が空間を埋め尽くした。
「ひ、ひィ⁉」
「……」
二人の喉元に切っ先が伸びる。
「死ヌか?」
一人、研究者でしかないトレヴァーはサブラグの殺気に当てられ気絶した。当然であろう、魔族化を強制し、魔除けの力で無力化する。その算段が完全に崩れ、魔除けを遥かに上回る化け物が姿をさらしたのだから。
だが、
「……」
王に揺らぎはない。
それどころか彼は急に笑みを、嬉々とした貌を浮かべる。
それを見て、
「……アっ」
一瞬、サブラグの戦意が揺らぐ。貌が、心が、初めて揺らいだ。
「おお、どうした我が友、随分と荒れて見えるぞ」
二つの王が、重なる。
「……へ、陛下」
自らを律しきれぬ状況下というのもあるが、サブラグは王を前に無意識に膝をついた。その行動自体に、彼は愕然としてしまう。
この期に及んでまだ、自分は彼の騎士のつもりなのだと知ったから。
「そうかしこまるな、我が友、我が騎士サブラグ。『天剣』の名が泣くぞ」
其処には、
(……くそ、俺は、何処まで――)
かつて自分が剣を捧げし王、『獅子王』がいた。
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