第351話:底辺対最上
「……あっ」
(……ゼー・イーゲル、だったか? マスター・グレイプニルが使い手だが、あの人の本気を俺は知らない。初見の型、警戒せねばな)
『暗部』は肉薄と同時にスタンスを、剣の置き所を半端にした未だ数少ない使い手の型、その構えを取った。
初見の型、しかも使い手が極端に少なく、類似する型も少ないのならば、どうしても見に徹するしかなくなる。
それが――
「さあ――」
「……」
「――おはっ!」
普通。そしてそれでは相手に主導権を渡します、と自分が不利を負うだけ。ならば、クルスはリスク承知でさらに詰め寄る。
(それは雑魚の発想だ!)
ゼロ距離で、得意な距離で、
「怖い怖い」
(距離を取りつつ、迎撃。カーガトスと同じく前で捌く型、つまりそれなりに距離が必要で、最初の肉薄はハッタリか)
相手を推し量る。今の後退だけでも、これだけの情報がこぼれた。自分がリスクを負う距離と言うのは、相手にとっても嫌な間合いであることが多い。
それを嫌うか、それを好むか。
型の性質だけではなく相手の性格を知ることもできる。
「と、見せかけて」
ぐん、と後退から瞬時に前進へと切り替え、こちらへ詰めてきた。柔らかい握りは騎士剣を極端に短く持ち、
(……それで間合いを調節できるのか)
小さく突く。打ち抜くと言うよりは、牽制のような、ジャブのような剣であった。クルスも極力最小の動きで受け流す。
流しながらも思うが、
(引き手の速さ、積極的なようで攻めてはいない。ただ、腹立たしいのは殺傷力を持つ攻撃としてはしっかり機能しているってことか。……腹の底が見えぬ先生らしい、嫌な型だ。もっと頼り、吸収しておくべきだったな)
開発者の底意地の悪さと懐の深さが型から染み出している。あのレフ・クロイツェルが嫌味交じりとは言え、絶賛していたほどの人物なのだ。
学ぶことはたくさんあった。
これもまた学生時代の、温い自分の怠慢であった、と思う。
そんなことを考えながら戦うクルスに対し、
(おー、持ち手も即座に見抜かれたし、スタンスを何度入れ替えても受け違えない。なるほどなるほど、噂以上の鉄壁だ。これが『冷徹』かぁ)
『暗部』見習いは感心していた。この型の真骨頂は変幻自在の揺さぶりにある。攻めるのか、受けるのか、その選択がゆらゆら揺らめき、スタンス、足の置き場も右前なのか、左前なのか、それで間合いも変わる。
初見の型、普通は惑わされる。
しかし、クルス・リンザールはどの距離でも適切な対応を、一切間違いなく実行し続けるのだ。素晴らしい見極めと人間とは思えない尋常ならざる精神力の成せる業。あの滅多に褒めぬ怪物が次世代の騎士だ、と称賛していただけはある。
テュール・グレイプニルの妖しげな、底知れぬ深さとは違う。
ただ、
(うん、あのレベルだ)
それと比肩する騎士であると認識した。
なら――
(あの日の距離を問うには、絶好の相手だ!)
「……む」
ほんのりと距離を取り、『暗部』見習いは騎士剣を肩で担ぎ、前傾姿勢を取った。フー・トニトルスである。そして最初の一歩は全力での踏み込み、をフェイントに異次元のフィジカル、アジリティにものを言わした大旋回を披露した。
その爆発的な加速力は、
「こい、つ!」
「こーんにーちはァ!」
自他ともに認める天才、ノアを彷彿とさせるものであった。
背後に回り込み、
「ソォラァ!」
「ぐっ!?」
ディンやフレンを想起させるような連続攻撃。大きく、力強く、それでいて無駄がないのだ。継ぎ目のないそれらを受ける厳しさは、かつての自分が滑稽かつ最低最悪の解法を使わざるを得なかったことからもわかる。
騎士の国が、クレンツェが生んだ近代型の最高傑作、その威力が炸裂した。
しかもノアに近い速さまで備えて――
(化け物め。だが――)
ただし、クルス・リンザールもまたあの頃の自分ではない。ゼロの真骨頂は相手の優速、優力、それらを多大なリスクと引き換えに埋めることにある。
「おお! 凄い凄い!」
「本当に……凄い」
皮一枚、斬らせてでも受ける。普通なら間に合っていない。受けが成立していない。だってクルスは速くないのだ。強くもないのだ。
だが、成立し続ける。
相手の速さすら、力すら利用して受けに回す。
当たり前のように、リスクしかない薄氷の守りを完遂する。
表情もまた凄まじい。恐れも、気迫も、何もない。透き通るような、ゼロだけが其処に在る。噛み合わせてわかる。
心がイカレている、と。
(――ようやく踏み込んでくれたな)
そして、ゼロの受け、神髄は差を埋めるだけにあらず。
力を流して、それを別の流れへ切り替えることで――
(終わりだ)
相手の速さを、力を利用したカウンターが行えると言うこと。ゼー・イーゲルの段階ではなかったカウンターへの道が、型を変えて苛烈な攻めに切り替えた結果、薄く、ほぼないに等しい可能性を生む。
ゼロでないのなら、何の問題もない。間違えない、その自負がクルスを突き動かす。これだけ鍛えた、あれだけ耐えた。もう、今の自分は絶対に、間違えない。
流麗なるカウンターが相手を断つ。
「う、わっ」
「……」
断ったように見えた。少なくとも観戦していたラックスにはそう見えたし、打ち込んだクルスもそう思った。
薄い手応えを、感じるまでは。
「ひえ~、ギリギリだったぁ」
(……ノアだけでなく、イールファスも、か。どういう生き物だ、こいつ)
薄皮一枚、と言うには少し深めであるが、負傷には程遠い血が滲む程度の傷。会心のカウンターが、それでしのがれたなら笑うしかない。
才能だけならば、クルスの知る限り最上であろう。
(まあ、動きの質的にはノアと言うよりもアミュに近い……動きの始動は魔力じゃなく筋肉で行っているからな)
ほぼ誤差のようなものであるが、魔力始動と筋肉始動では動きの質が少しばかり違ってくる。ノア、フレイヤは魔力を動きの基幹に据えているが、アミュやアンディ目の前の敵は筋肉で行っている。
より人間らしい、生物らしい動作が筋肉始動であり、其処は少し読みやすい。ただし、瞬発力は筋肉優位なため、細かい動作を要する場合は筋肉の方が勝る場合もある。どちらも一長一短、ちなみにクルスはバランス型。
と言うよりも凡人はそうするしかないだけだが。
「よしっ」
「……は?」
次は何を仕掛けてくるのか、そう身構えていたところに相手が出してきたのは、変則ゼー・シルト、つまりクルスのゼロ・シルトであった。
「来い」
「……」
此処で初めて『冷徹』が揺らぐ。
「……舐めるな、ガキが」
史上初、相ゼロ・シルト。
○
「実際のところ、マスター・ジンネマンとクロス君だとどちらが上ですか?」
歩き疲れて背中でぐっすりお休み中の『墓守』を担ぎながら、『亡霊』は易々と死線を潜り抜け合流してきた『斬罪』に問う。
「阿呆が。まだ俺には足りんよ。技術的な水準は多少マシになったが、そもそもあの器だぞ? 上を目指すならカノッサのように技で頂点を取る覚悟がいる。そう成って初めて、そうさな……俺と並ぶと言っていい」
「はは、愚問を失礼いたしました」
「愚問も愚問だ。全く」
不機嫌そうな『斬罪』であるが、その薄皮の下に潜む表情に『亡霊』は苦笑する。本当の愚問ならこうも真っすぐ受け止め、返しなどしない。
それが自分の専門分野ならば尚更である。
比較対象にはなる、成り始めている、それぐらいは評価しているのだろう。
「では、『ヘメロス』君とクロス君だとどうです?」
「む?」
「彼もログレスに渡り、かなり腕を上げたとおっしゃられていたので」
「まあ、確かに才能はぴか一だわなァ。そりゃま、歴代の騎士でも最高峰の器なのだから当然ではあるが……腕も相当上げた。フェデルなどと同様に、自分の器への信仰よりも技師への尊敬が勝る点も、無用なプライドを持たぬ分成長も早い」
「べた褒めですね」
「そこな背中の小僧よりも幼いのだぞ? 中身は。破格だとも」
「では、クロス君は及ばぬ、と」
少し残念だな、と思う『亡霊』であったが、
「そんなことは一言も言っていない」
『斬罪』は何を下らぬことを、と愚問に対し鼻を鳴らす。
「騎士としての完成度が違う。まだ、勝負すべき段階ではない」
「……それほどに?」
「俺と勝負にはなる騎士だぞ? 実力だけならとうに隊長格だ」
「……あの時の少年が」
「俺にはまだまだ及ばぬがなァ」
「ふふ、承知しておりますとも」
和やかなファウダー御一行。
まさか――
○
こんなことになっていようとは――
「いだっ、だ、駄目だこの型!」
「下手くそが」
クルスはゼロからの流れるような連続攻撃を繰り出し、互いに力を奪い合い、徐々に速さを増す激流に『暗部』見習いは耐えかねる。丁寧に自分の型は其処まで安くないからさっさと死ね、と教えてやった。
反応速度がどうこうではなく、皮一枚の間違いすら許されぬリスク管理が、何でも面白がる『暗部』見習い君の精神的許容を超えた。
そして、手負いと成る。
普段の自分ならどうとでも出来た攻防で。
難しいとかじゃない。
「どうした、構えろよ」
「……素晴らしい」
ある意味人生初の挫折。出来ない、やりたくない、と彼は判断する。
「じゃあ、今度はこっちで」
次はまた別の型を出す。
「……この、ガキ」
「これだけ強い相手とはなかなかやり合えない。この好機を、楽しまなきゃ嘘でしょ。そう思いませんか、マスター・リンザール」
(……型をガチャガチャとソロンみたいに)
ノアであり、イールファスであり、ソロンでもある。
実にふざけた存在である。
ただし、
(全部、僅かに劣る。その僅かが、分厚い差なんだよ、クソガキ)
いずれも彼らのそれには及ばない。劣化した三を足し、三で割っても出てくるのは劣化した何か。才能は認める。天才なのだろう。
だが、
「遊びの内は――」
「騎士剣を!? でも、そりゃ悪手でしょ!」
怖い相手ではない。
「――俺の敵ではない」
クルスは敵の突きを脇で捕らえた。魔力を通した騎士剣を、そうやって受け止められた経験など誰もが皆無であろう。だから、虚を突かれてしまった。クルスは身体全体で捻り上げる。ついでにその動作と共に斬りつける。
一石二鳥、さすがの馬力も片手で全身の連動には及ばない。
剣を奪われる。
その瞬間、ギリギリ指がかかった状態のそれを『暗部』見習いは諦め、その代わりに奪われた騎士剣に足を延ばし、蹴り上げる。
手放しても即、魔力が切れるわけではない。
これで彼の腕は真っ二つ、やはり悪手だと思った。
思っていたのに、
「其処まで、読むのか」
「今度こそ」
無理な体勢からの蹴りまで読み、彼はすでに跳躍していた。斬りつけてきたのはこちらの判断する時間を奪うための牽制で、本命は跳躍して――
「終わりだ」
首に手を引っ掛けつつ、それを横に引きながら騎士剣を沿わせての、
「何か言い残すことはあるか?」
首に剣を添えた状態での背後を取った構図。
完全無力化である。
「参りました」
『暗部』見習い君、諸手を挙げて降参する。
「敵の陣容が知りたい。尋問させてもらうぞ」
「喜んで!」
「……は?」
ただ、此処から先は読めない、混沌と成る。
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