第347話:限りなく最悪に近い状況
「陛下!」
「そ、そんな……どうなっているんだ?」
何重にも敷いた警戒の内側で起きた悲劇。警邏の騎士が外から部屋が炎上していることに気づくまで、誰も気づかなかった。
気づけなかった。
「触れるな! どんな炎かわからないんですよ!」
「し、しかし陛下が」
「……もう、手遅れでしょうよ、どう見ても」
黒き炎に包まれている王。炎が色濃く、状態は判然としないが炎の隙間より覗く、炭化した姿はすでに絶命していると判断すべきだろう。
ディンは唇を噛みながら、
「くそ!」
身を翻し、今やるべきことをするために駆け出した。すでに王の命は絶たれた。ならば、今すべきことは王の亡骸を前に立ち尽くすことではない。
急がねば、全てが終わる。
間に合え、
(頼む!)
願わくば――
○
「守るのだ」
「……っ」
突然、影のような何かが浮かび上がる。立ち姿は何処となく騎士のようで、背筋こそ曲がれども雄々しく映る。
強烈な意志。
それが王女の喉を、無意識に締め上げて言葉を失わせる。
「……っぅ!」
「守る」
影から、虚ろの剣が伸びる。それを人の形をした影が握り、引き抜く。構えもまた大きい。相手を威圧するような構え。
古い型である。
そういう文献を読み焦るのが趣味な彼女でも図解の絵を見た程度。もう誰も使っていない。ソル族の、魔族とも身体能力で渡り合える怪物のみに許されたもの。
大仰なそれは虚ろの剣を王女へ向けて――
「秩序の敵を、排除する!」
ゆらりと体を揺らし貫かんと踏み込んできた。その圧に、王女はただおののきベッドから転がり落ちる。ベッドを貫いた虚ろの騎士は転がり落ちた王女を一瞥する。右眼に浮かぶ、大きな敵意。紅き、血の如しそれが告げる。
貴様を殺す、と。
「……っ」
王女は逃げ出す。も、目の前には壁。自分の動きで壁に突っ込み、ただ袋小路へ至った。虚ろの騎士は大仰な構えで、袋のネズミを追い詰める。
死が過ぎる。
抗おうと腰に手をやるも、其処には何もない。常在戦場、自分が本物の騎士であればきっと、敵と遭遇した時点ですぐあの壁にかかった剣に手を伸ばしただろう。
そんな思慮も、勇気もない。
無様に壁に突っ込み、大きな音を出しただけ。
そう、
「夜分遅く、失礼いたします」
隣室に響くほどの大きな音。それは隣に控えていた騎士にも、当然伝わるものであった。それでも火急の用、危機的状況であることなど伝わるはずがない。
伝わるはずがないのに、騎士は壁を切り裂いて――
「お返事をいただく前に入室したこと……謝罪いたします」
左眼を押さえながら、渋面を浮かべた騎士が現れた。まるでそこに、敵がいるとわかっていたかのような臨戦態勢で。
「……あ、あの」
「お任せを。指一本、触れさせません」
涙でも出ているのか左眼を拭う素振りを見せながら、クルス・リンザールは悠然と未知の敵相手に臆することなく立ち向かう。これが騎士だと言わんばかりに。
「来い」
「守るのだッ!」
虚ろの騎士が敵を見据え、憎悪と敵意を充満させながら突っ込んでくる。剣を大きく振りかぶり、鋭く振り下ろしてくる。
強く、速い。
ただ、
「その程度で?」
「ぬッ⁉」
それだけ。それだけならば、その程度ならば、何の問題もない。捌き、カウンターを打ち込む。これで終わり。
「お、おお?」
首を断った。
が、
(感触が薄い)
クルスは仕留めた手応えが薄いことに引っ掛かりを覚えた。これはもう感覚の話であり、言語化できているわけではない。
そういうもの。
「首の方だな」
宙を舞う首、其処に浮かぶ紅き右眼が暗い炎を浮かべる。
其処にクルスは無手となるのを承知で騎士剣を投擲し、右眼ごと貫く。
「ぎっ!?」
黒い炎、それが生まれる前に元を断ち、
「念のため、だ」
無手となったクルスは首を失った虚ろの騎士、その体に肉薄して腕を取る。肘を極め、容赦なく関節を外しあらぬ方向に曲がった腕を操って、
「死ね」
その腕が握る虚ろの剣で、それを操る主をぶった切る。
圧倒。
未知であろうが関係がない。鍛え上げた己の武と積み上げた経験値。それが騎士の自信となる。
「……ちっ」
クルスは再び左眼を押さえ、顔を歪める。
「だ、大丈夫ですか?」
「いえ、目にゴミが入っただけです」
高位の魔族と接触する時、稀に起きるわけのわからぬ感覚。何かと繋がっているような、奇妙な心地が実に不愉快であった。
何よりも――
(……こんなにも直接的な痛みは、初めてかもな)
今までと近く、今までとは違う感覚がより気持ち悪さを増幅させるのだ。
まあそんな考えも、
「クルス! よく守ってくれた!」
「……ディン」
本気で慌てる友の姿を見てかき消える。
「まさか」
少し前から目の痛みを覚え、その上で物音がしたからクルスは王女の危機を察知することが出来た。王の方を見るディンがそれに気づくわけがない。
気づけたのなら、
「……すまん」
「……クソ」
あちらでも何かが起きたと言うこと。そして友の様子から、クルスは限りなく最悪に近い状況を把握する。
王を失った。
これで事の真偽はともかく、政争はほぼ詰められたも同然。今回の件が先王の手とは限らないが、そう仮定した場合王女を狙った理由も察しが付く。
こちらの警備を、陣形を強化させることが狙いだったのだ。守りを固めれば固めるほどに、その内側に関しては安全であると言う心理が働く。
クルスも、ディンも、そういう意識がなかったとは言えない。
どんな手段かわからないが、今回王の命を奪ったものと、王女の命を狙ったもの、それは如何なる陣を敷こうが、それらを突破する自信があった。
完全な誤算、意識の外側を突かれた。
最悪である。
限りなく、
「……ディン、負けっぱなしはありえないよな?」
最悪に近い。
「……本気か?」
だが、最悪ではない。
「ああ。最悪の状況下で拾った幸運、これで戦うしかない」
クルスとディンは呆然と立ち尽くす王女へ視線を向ける。
「……?」
まだ、戦う手段はある。
王女、継承者と言う手札がこちらにはあるのだから。
○
「起きろ、小僧」
「ぅ?」
「全く」
揺すってもなかなか起きない『墓守』を担ぐ『斬罪』。
「まさか、『ヘメロス』君が捕捉されていたのですか?」
「いや、違うなァ。それならもっと上手くやる。そも、あの坊主は『創者』がよそ行きに外見を変えている。『鴉』の手で経歴も整えた。警戒される要素はない。あの二人に手落ちがあると思うか?」
「ない、でしょうね」
「あの坊主も、童の側面はあれど基本は優秀。この寝坊助とは違う」
「はは……では、何故ですか?」
「原理はわからん。ただ、どうにもずっと嫌な感じはあった。特に夜はなァ。卿は感じなかったか?」
「……妙な感覚は、少しですが」
「どうやら、思っていたよりも本丸は遠く、深いところにある。残念だが後退するぞ。俺の存在を知りながら力で来る。なら、ただ捕縛するだけで終わらせるつもりもあるまい。それではあまりに、割に合わぬからなァ」
自身の武に対する絶対的な自負。一国を相手に捕まえる以上の利益がなければ自分の討伐は割に合わない、この男はそれが言えるのだ。
「今は退く。今は、な」
「承知いたしました」
それでも退くべき時はある。今はそうする。
ただし、
「俺が先行する」
「私でも構いませんが」
「貴重な命を消耗する必要はない。俺ならゼロで済む」
「……おっしゃる通りで」
今回は、である。
次はそうはいかんぞ、と彼ら混沌の眼が言っていた。
○
「陛下、『暗部』をおっしゃられたように配置いたしました、が……陛下!?」
玉座から崩れ落ちるように膝をつき、右眼を押さえて呻く姿。
それに大王の騎士は狼狽える。
「問題ない。が、一人、必ず討ち取らねばならぬ騎士がいる」
見た。
あの珍妙な、騎士らしくない構えの若造。ただ、その技量は認めざるを得ない。そして、何よりも問題であるのは――
「その者はなんという名ですか?」
「知らぬ。ただ、そうか、我が騎士の縁者だ。いや、ウーゼルの子の、好敵手であったか? 否、違う、誰だ、何だ、卿は、如何なる騎士だ?」
「へ、陛下」
立ち上がる王、その眼には困惑が浮かんでいた。
「何故、我が民の気配がする?」
揺らぐは混濁する、二つの意思。
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